京極高吉 神の国への道行き 第二章
父京極高清に見捨てられた高吉は六角定頼に庇護される。そしてこれが新たな戦乱のきっかけとなるのであった。
江北地域の政情は安定に向かいつつあった。高清と高延の親子は浅井亮政の居城である小谷城に迎えられる。この時点で上坂信光の権力は失われていた。もっとも信光だけでなく京極家の直臣の多くは高清、高延親子に近習するだけの弱い存在に成り下がる。
それでも高清と高延は何も気にしていなかった。貞則を追放したのち国人衆は亮政の下に集った。その亮政が京極家に忠誠を誓うと言っていてそれを信じていたのである。
「これよりは京極家の下、亮政が万事を取り仕切る。これでよい」
「父上の言うとおりだ。初めからこうしていればよかったのだ」
京極親子は亮政を信じ切っている。やはり専横を始めた貞則を追放したのが相当好印象であったのだろう。もっともそれ自体が亮政の思惑通りの動きであり、むろん亮政は京極家の風下に甘んじているつもりはない。
「これで京極家自体の力は弱まった。あとは国人たちを切り崩し俺の傘下に入れる。それまでは表向きは京極家に従おう。その先はもちろん俺の時代だ」
亮政は着々と己の野望を果たしつつある。しかしそれを京極親子は知らないのである。
さて高清と高延の関係が修復された頃、高吉は六角定頼に迎えられた。
「このような理不尽な目に会われて大変だったでしょう。これからは何も心配することはありませぬ。我が領地でゆっくりと過ごされるがよい」
「それはありがたきお言葉。定頼殿の御厚意を感謝します」
挨拶もそこそこ高吉は六角家の居城、観音寺城城下の屋敷に案内された。屋敷は城とほど近くなかなかに立派なものである。高吉もついてきた家臣たちも過ごすのに何の問題もなさそうであった。
「立派な屋敷であるなぁ。しかしここまでされると少しばかり不安であるな」
高吉は用意された屋敷の見事さに喜びよりも不安が勝った。祖も注も京極家と六角家はそこまで仲良くない。同じ佐々木家の流れを汲み近江を二つに分かつ両家であるが、それゆえに対抗心も強い。何より領地の境目を巡って幾度となく争いが起きていたのである。
「ここまで来てしまった以上は仕様がない。こうなれば京極家と六角家が争わぬように私のできることをしていかなければ」
そう考える高吉であるが実際のところ打つ手はない。所詮六角家に保護された身である。そして何より定頼自身そんなことを考えてもいないのであった。
高吉の願いはあっけなく裏切られた。定頼は高吉の江北復帰を大義名分として江北への侵攻を始めたのである。これに高吉は驚きつつも納得するしかなかった。
「定頼殿が私を迎え入れたのはこのためか。やはり近江をすべて手に入れるためであったのか。ああ、私はこのようなことは望んでいないのに」
意味もなく嘆く高吉。とは言え嘆きは本物である。しかしその悲しさを現状の打破に何にもつなげない現実はあるのだが。家臣たちもみな定頼の江北侵攻に積極的に加担している。彼らの頭にあるのはかつての領地への復帰と自分たちを見捨てた高清への復讐心であった。そのために定頼に下ったのであり高吉の願いなどはどうでもいい。主君としては見ていたけれど。
さてこうした定頼の攻勢に対し亮政以下江北の国人たちは団結し頑強に抵抗した。彼らからしてみれば定頼は侵略者に過ぎない。だから頑強に抵抗するのは当然のことと言える。
こうした動きに高清と高延は上機嫌であった。
「皆よく力を尽くして六角家と闘っている。良いことだ」
「功をあげた者は我らの直臣に取立てましょうぞ。無論亮政にはさらに良い地位を。守護代に任ずるのも良いかもしれません」
上機嫌な二人に亮政はこう言った。
「六角家は強敵です。それを阻むためには高清様と高延様の裁可をいちいち仰いでもいられませぬ。戦に関することについては万事この亮政に委ねていただけないでしょうか」
これに対する親子の反応は違った。高清は
「ああ、よい。万事亮政に任せる」
と、答えた。しかし高延は難色を示す。
「お前の言うことはもっともなところもある。しかしこの地は我等京極家の地。ならば我らの名で万事命は出すべきだ」
高延が難色を示したのは浅利貞則のことがあったからである。つまり高延は亮政を完全には信じ切ってはいなかったのだ。そしてこれは賢明な判断である。亮政はこれを機にさらに江北を己の手中に収めようと考えていたからだ。
亮政は高延の反対は予測していたのでこの場は引き下がった。しかし後日、高清だけに以前のことを申し上げる。
「やはり六角家は強敵。迅速な判断が肝要になりまする。ここは拙者を信じていただけないでしょうか」
「ああそうだ。お前の言うことはもっともだ。高延は私が説き伏せておこう。六角家との戦のことはすべて亮政に任せる」
この一言ですべてが決まってしまった。高清は一度江北を追い出された自分を迎え入れ復帰させた亮政のことを信じ切ってしまっている。ゆえに亮政の言行はすべて京極家のことを思ってのことだと信じて疑わなかった。
「ありがたき幸せ。必ずや六角家の者どもを打ち払って見せます」
そう恭しく行って平伏する亮政の顔には笑みが浮かんでいる。万事うまく行った、しめしめという感じの笑みであった。だが後日このことを事後承諾させられる形になった高延の胸には当然亮政への不審が芽生える。
「亮政め。まさか貞則の後釜をねらっているのではないか」
一方そのころ高吉は相変わらず祈るばかりである。
「何とか戦が収まってくれないだろうか。収まるのならば私は寺に入ってもいい」
そうこぼすが家臣たちは取り合わない。結局高吉は六角家の下で無為に過ごすしかなかった。
高吉を担ぎ上げた定頼の江北侵攻ははじめなかなかうまく行かなかった。というのも亮政の居城である小谷城は頑強であったことと、守護代の伊庭家が反乱を起こしたからである。定頼は伊庭家への対応を優先しひとまず京極家というか浅井亮政と和睦を結んだ。しかしこれはかりそめの物であり伊庭家への対応が済むとすぐに定頼は再び江北に侵攻したのである。そして小谷城を攻め落とすことこそ敵わなかったものの相当に打撃を与えることに成功した。さらに追い詰められた亮政は高清を連れて美濃(現岐阜県)に逃げ出したのである。
ここで高吉は動いた。
「この機に和睦はできないか。なんとか兄上と連絡を取り和睦できないものか」
高吉は家臣に頼み高延と何とか連絡を取った。家臣達にしてみれば憎い高清はおらず京極家中で権勢を誇る亮政もいない。恨みで戦い理由もなくそもそもの目標の以前の状態への復帰も果たせそうであった。
この高吉の提案に定頼は難色を示す。
「せめて亮政を討ち取ってからでなければ和睦はできぬ」
こう言われた高吉であるが思いのほか毅然とした対応をとる。
「六角家は幕府の内内の戦にも関わらざる負えませぬ。いつまでも近江のことにかかりきりでいるわけにはいかないでしょう」
高吉も六角家にいる間にいろいろと学んだのだ。悲しいかなそうしたことが出来るくらい時間があったのだがここはそれが功を奏したといえる。
定頼は高吉の言になるほど頷いた。
「確かにそれもそうですな。まあなんにせよ先方次第でしょうな」
高吉の思いのほか強い抵抗に定頼も折れた。もっと高吉の言っていることもそれなりに正しい。また亮政を追い払えても小谷城は攻め落とせてはいない。この先戦い続けても無駄に時間がかかるばかりである可能性もあった。
「(ここはむしろ高吉殿を京極家に送り込みこちらにつなぎを付けさせることの方が得か)」
そう判断した定頼は高吉の家臣を経由して高延に和睦を打診した。これに対して高延は思いのほか前向きな反応を示す。
「ここで和睦ならば悪くない。城を攻め落とせてはいないし守り切ったのも俺。亮政の権威を削ぐことが出来るな」
高延は高吉が自分の下に入り家督を望まないことを条件に高吉の帰還も認めた。家臣たちはお構いなしで戻ってきていいらしい。高延としても亮政に対抗するため自前の家臣が欲しかったのだ。
高吉はもとより京極家の家督を望んでいなかったので、高延の条件は容易に飲めた。あっさりと条件を飲み和睦の成立も目前となる。ところがここで美濃から亮政と高清が帰還した。高清は和睦が進められていると知り怒る。
「馬鹿を言うな。我らが戻って反撃の準備ができたのだから和睦する必要などない」
亮政もその気である。結局和睦は破談となってしまった。
「ああ、あと少しだったのに」
嘆く高吉。戦いはまだまだ終わらない。
六角家と浅井亮政の戦いは膠着状態に陥りつつあった。というのも六角家は高吉の予見していた通り幕府の内紛に関わることが多くなっていたのである。当時室町幕府は管領を務める細川家の内紛が延々と続いていた。定頼はこの片方の当事者である細川晴元の宗徒にあたる。そのため頻繁に出陣を要請されていたのだ。
一方浅井亮政はというと六角家の攻撃が少なくなり何とか状況を立てなおせている。しかし悲しいかな六角家の領地に攻め込めるほどの余裕はなかった。とは言え六角家の攻撃を撃退で来ていたのは事実である。そのため江北の国人たちの声望は高まり、いよいよ江北の実権は亮政の手に収まりつつあった。
こうした状況を鑑みてか亮政は定頼との和睦を試みる。
「これ以上の戦いが無益なのは定頼殿も分かっているだろう。なんとか高延様の目をくらませて和睦しなければ」
現状亮政は高清から委任を受ける形で江北を支配している。それは実体の伴っているものであるが京極家の名が無くなればいろいろと問題が生じる可能性はあった。だがもし高清がこの世を去ったら跡を継ぐ高延が素直に亮政の実効支配を認めるとは思えないのである。
「高延様だけなら何も恐ろしくはない。しかし兄弟そろって敵対でもされれば面倒ではあるな」
そう考えた亮政は秘かに定頼と音信を通じて和睦をした。これは京極家と六角家の和睦ではなく浅井家と六角家の和睦である。そのため高吉を受け入れる必要はなかった。
この和睦を知り高吉は悲嘆した。
「定頼様がそう言うことをする方だというのは分かっている。しかしこれはあんまりだ」
高吉は一応抗議したがうまくはぐらかされた。むしろ幕府の内紛に積極的にかかわることになった今の定頼にとって高吉は必要のない存在である。だがそれでも手元に置くのは江北への野心が消えていないからであろう。高吉はそれを理解で来ている。
「おそらくことが収まれば定頼様はまた江北をねらう。同じことを繰り返すのか」
嘆く高吉。だがこの後思いがけぬことが起こる。
六角家と浅井亮政の和睦で近江は一応の平穏を取り戻した。表面上は亮政が定頼を撃退した形である。ここで亮政は実効支配を確たるものにするためあることをした。それは高清、高延と京極家家臣達を小谷城に招き饗応したのである。一見主君をもてなすための催しに見えるが、実際は亮政が武力だけではない財力や文化などの様々な実力を見せつけるためのセレモニーである。
招かれた高清は大喜びであった。
「これほど見事な供応をできるとは。このような家臣をもって私は幸せだ。此度の戦も見事である。これからも江北のことは亮政に任せよう」
「はっ。ありがたき幸せにございます」
この饗応を境に軍事だけでなく江北地域の様々な政務を亮政が行うことになった。これで実質的な江北の主は亮政になったといえる。
むろんこれを高延は全く認めていない。しかし高清は篭絡され家臣たちも己の身を守るために亮政に従う有様であった。
だが高延にはまだ手立てがあった。
「もう亮政を排除するためならば手段を選ばぬ」
高延は亮政にバレぬように秘かに六角家と連絡を取り始めた。六角家の力で亮政を排除しようと考えたのである。そしてその窓口になったのが高吉であった。
「兄上もなりふり構っていられぬのだろう。しかしこのようなことをして本当に京極家の力を取り戻せるのか」
高吉としては疑問もあるし不安もある。だが自信や家臣の江北地域への復帰を果たすためには定頼が亮政を排除するしかないと考えていた。もはや京極家が亮政をどうにかすることなど出来ない状態になっている。
「このような形で兄上を和することになるとは。なんというか悲しいな」
悲しいし虚しいし迷いも正直ある。しかし他に手立てを選べないということもしっかり理解していた。高吉は高延の連絡をしっかり定頼につなぎ、定頼も高吉を通じて高延との連絡を取り始めた。
こうして江北を巡る戦いは新たな段階に入っていく。その先に待つのはいったい何なのか。
京極家が衰退し始めた頃から織田信長が上洛する当たりまでの近江、特に江北地域の情勢というのは混迷を極めていました。実は今回の話で触れられた部分はかなり簡略化していたりします。正直そうでもしないとこの部分だけで話がとてつもなく長くなりそうなのでそうしました。ご容赦を。
さて定頼の下にとどめ置かれている高吉ですが、この後一気に事態は動いていきます。その先で高吉はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




