村上頼勝 動じない男 第十二章
越後に移ることになった堀家。頼勝も与力としてついていくことになる。新たな領地で新たな人生が始まると思えた矢先、とんでもない事態が起きていた。
上杉家からの引継ぎが終わり堀家と与力たちは越後に入っていった。頼勝は越後本庄城に入る。石高は九万石で新発田城に入った秀勝は六万石であった。これに頼勝は驚く。
「秀勝殿の方が格上であるのになぜ私の石高が上なのだ」
これに対して秀勝は気にしていないようである。
「まあ頼勝の働きの方が認められているということだろう。まあ気にすることではない」
「しかしそれでは」
食い下がる頼勝に秀勝はこう言った。
「別に我らは領地が欲しくて働いているわけではない。それに世間の通りは貴殿の方が上であるからな」
そう言って秀勝は頼勝をからかった。これには頼勝も苦笑するしかない。
さて頼勝は新しい領地に移るわけであるが、この際旧領国から徴収した年貢は半分残していく決まりになっている。これはこの際だけでなく豊臣政権の下で行われる転封においては必ず行われる取り決めであった。丹羽家も領地を移る際にはそうしている。そう言うわけであるから頼勝も次の領主のために徴収した年貢の半分を残し本庄城に移った。本庄城には上杉家の旧領主が徴収した年貢が半分残っているはずである。しかし
「これはどういうことだ…… 」
頼勝はそう言って絶句した。本庄城の蔵にはあるはずの年貢が一切なかったのである。混乱の極みに達する頼勝。だがこれはまだ苦難の序章に過ぎなかった。
現状を確認した頼勝はすぐに秀治と直政の新たな居城である春日山城に伝令を送った。何は無くとも堀家管理下の領国の現状を確かめなければならない。
尤もそれは直政も同じだったようで伝令を出してから数日後堀家からの使いが現れた。
「収められていたはずの年貢について急ぎ話し合いたいと」
おそらく頼勝からの伝令とは入れ違いになったのだろう。おそらく同様の事態が堀家にも、おそらくは溝口家でも起きていると思われた。
「すぐに向かおう。貴殿は休んでくれ」
「いえ。村上様が出立する時道案内をせよと命じられました。同行します」
「そうか…… ありがたい」
頼勝にとっては道もよく分からぬ越後である。使いの侍は越後の出だと名乗った。地理に詳しいらしい。
「(このような時も見事な気遣い。さすが直政殿)」
感心した直政はすぐに出立の準備をする。しかしその日のうちに出るようなことはしなかった。可能な限り残存している情報を集めてまとめたのである。
「これだけあればよい。では参ろうか」
「承知しました」
頼勝は直政からの使いと共に出発した。その足取りは早く数日後には春日山城に到着する。そこには頼勝が出した伝令と、秀勝の姿があった。
「その様子ではそちらも同じか」
頼勝は無言で頷いた。そして直政からの使者にこんなことを頼む。
「この者は私の家臣だ。不案内だというのに相当急いでここにたどり着いたのだ。休ませてやってくれ」
「承知しました。こちらへ」
そう言って頼勝の伝令を伴い城の中に入っていった。それに続き頼勝たちも入城する。おそらく全くよくない報せが待ち受けているのだろうと覚悟を決めて。
城内の一室に通された頼勝と秀勝。そこには直政の姿があった。普段どちらかというと穏やかな表情を浮かべている直政だが今日は表情が険しい。そして二人の姿を見るや否や土下座した。
「申し訳ない! この度のことはすべて拙者の不徳の致すところ。本当に申し訳ない! 」
別に頼勝も秀勝も直政や堀家に怒りをぶつけに来たわけではない。秀勝は直政に顔を上げさせ尋ねた。
「それでいったいどうしたのだ。この仕儀は」
「それが拙者にも皆目見当つかぬのです。転封前に上杉家家老の直江殿と協議した際は秀吉様の定めた通り年貢は半分残しておくと申しておりました。しかしいざ入ってみればこのありさま」
「我が領地でもそうでした。頼勝もそうなのだろう」
頼勝は無言で頷いた。それを見て改めて頭を抱える直政。
「これは相当徹底的に行われていますな」
「ええ。私や秀勝殿の領地の年貢がないのなら以前の主が両家の約定を知らぬからで済みましたが、この城にまでないとなると」
「考えたくはありませんが…… そう言うことでしょうな」
三人は沈黙した。そして改めて三人の情報をまとめ分析するとやはり最悪のことが見えてくる。だがそれを口にするのははばかれた。上杉家は今亡くなった小早川隆景の代わりに五大老の一人と目されている。そうした権威権力を併せ持ち豊臣政権の重きをなす家がやってはいけないことをしでかしているからである。
そんな中で口火を切ったのは頼勝であった。頼勝は思い切って言う。
「これはやはり、直江殿が直政殿を欺いたという事なのでしょう。理由は分かりませぬが我らを陥れるため」
二人は沈黙したままだった。つまり上杉家家老直江兼続は年貢を半分残すと偽って全部持って行ってしまった、しかもそれは偶発的な事故ではなく意図的な策謀である、頼勝はそう指摘したのである。
沈黙していた秀勝は重苦しく口を開いて否定した。
「そんなことを言うな頼勝。あちらに不手際があったのは事実であろうが…… 」
上杉家を擁護する秀勝も不手際については否定していない。収められていたはずの年貢が煙のように消えるはずがなかった。とすれば上杉家が会津に移る際に持っていったと考えるべきである。
頼勝は直政に尋ねた。
「秀治様はなんと申されております」
「ひとまず上杉家にこのことを問いただすべきとおっしゃられていた。使者もすでに出している。念のために蒲生家にも」
「なるほど。ならばそれを待つべきですな」
この秀勝の物言いに頼勝はうなずいた。ともかく今は待つしかないのである。
数日後上杉家からの回答があった。その内容はとてもどうしようもないものである。
「蒲生家が転封の際に取立てた年貢をすべて持っていったと報せが入った。我らは民を慈しんでいる。民に無駄な負担をかけるわけにもいかぬので年貢はすべて持っていくことにした。文句は蒲生家に言えばよい」
この返答には頼勝ら三人絶句するしかない。直政はその場で秀治にこれを知らせるべきでないと判断するほどであった。
「このような非礼で馬鹿げたことを殿に伝える理由はない」
三人の中で誰よりも怒り心頭なのが直政であった。それも当然であろう。謀らた上にこんなどうしようもない返答をされたのだ。当然である。
尚後日蒲生家からの返答が来たが、年貢の扱いついては堀家同様半分を持っていったようである。つまり上杉家の伝えてきた内容は嘘であったと考えられた。
この書状を受けて三人は秀治や堀家のほかの重臣たちを交えて協議することにする。上杉家からの返答は手違いですべて持っていたということにした。無論それでも上杉家への文句は出る。
「秀吉様の定めた取り決めを無視したこのような所業。とてもではないが許されぬ」
「左様。このうえは秀吉様にこの件を訴えるべきではないか」
この意見には頼勝も賛成であった。さすがにこの上杉家の行いはあまりにもひどい。ところがこれに異を唱える人物がいた。
「このようなことでいちいち秀吉様のお裁きを求めるのは余りにも情けない。それに上杉家は急な転封で手違いも生じたのだろう。それを責めるようなことはむしろ武士ではない」
そう言ったのは直政の次男、直寄であった。直寄は秀吉の小姓として仕えていたが越後への転封の際に堀家に復帰している。ただ秀治の家臣というより頼勝は秀勝に近い与力のような立場で独立した領地を秀吉から賜っていた。
直政はこの直寄の物言いを咎める。
「手違いであったとはいえ定法を破ったのも事実。穏便に済ますためには秀吉様か奉行の誰かの裁可を戴くべきだろう」
「我らは大封を秀吉様にいただいた責任ある立場。それなのに別の大名ともめ事を起こすようでは殿の資質が疑われるのではないですか」
この発言頼勝含めに皆驚いた。秀治に無礼な発言であるし、そもそもの発端は上杉家にある。それを庇うような発言なのだから当然であった。
とはいえ転封そうそう隣家ともめ事を起こすのも大いに問題がある。最終的に秀治はこう決めた。
「直寄の物言いも一理ある。ひとまず上杉家にはできる限り年貢を返してもらえないかと伝えるべきだ。できるだけ我らで解決しよう。それと直寄は内内に秀吉様に近い方にこのことを聞いてもらえぬか」
「…… 承知しました」
「よし。これで決まった。この一年は苦しいだろうが皆で力を合わせて家を守ろう」
秀治がこういったのだから従うほかない。頼勝も秀勝も領地に戻り対処に尽力することになった。直政は上杉家に年貢の返還を依頼したが返答はない。上杉家は堀家の要請を無視したのである。
そのことを知った頼勝は唖然とするしかなかった。
「上杉家の方々は何を考えている。我らと戦でも起こすつもりか」
この頼勝の見立てはそう間違っていないということが近い将来分かってしまう。
秀治の指示があったので直寄は内々に秀吉に近い人物などと連絡を取った。この際頼勝も秘かに正家に今回のことを書状で訪ねている。
「これほどのことがあれば我らが訴えなくても奉行衆なら何か知っているのではないか」
そう考えてのことである。そうして連絡を待っていると直寄が頼勝を訪ねてきた。
「内内に尋ねよというのは私に下った命。勝ってなことは慎んでいただきたい」
恨みがましい目で言う直寄。尤もこうした反応は頼勝も予想済みである。
「与力の務めは寄親に尽くすだけでは無い。こうした問題が起きればそれを知らせることも役目の一つ」
「それはそうですが…… 」
「このことは直政殿もご承知だ」
実はこれははったりである。別に何の許可も得ていない。ただ何かあれば自分が責任を取るつもりだし、自分がこういう行動をするだろうというのは直政も予測しているだろう。そう考えただけである。
直政の名を出されて直寄は黙った。不承不承ではあるが飲み込んだようである。その表情は暗い。だがその理由は頼勝の行動だけではなさそうである。
「色よい返事はなかったか」
直寄は驚きながら首を縦に振る。どうも真っ当な返事はなかったようだ。そしてそれは頼勝も同じである。
「正家からはこんな書状が届いた」
頼勝は正家からの返信を見せた。そこにはこう書かれている。
「頼勝殿から尋ねられたことですが私の関わらぬことゆえ分かりかねます。同じ奉行の石田殿が上杉家の取次を務められているので問い合わせたところそのようなことはないとおっしゃられていました。頼勝殿を疑うわけではないのですが、同輩を疑うわけにもいきませぬ。申し訳ない」
実際正家が上杉家の取次の石田、奉行職の石田三成、に尋ねたかどうかは分からない。しかしもし尋ねたとして年貢の件と上杉家と堀家のやり取りが事実としてある以上まったく何も知らないというのはあり得ないだろう。であれば三成の怠慢である。だが三成が知らぬと答えたとしたら答えは一つであった。
「石田殿もご承知のようだ」
「そ、それはありない。石田殿は清廉な御仁。そのような謀議など行いませぬ」
「私は石田殿を知らぬ。だからこれ以上は言えぬ。ともかくこの書状は秀治様にも届ける」
そう言って頼勝は書状を取り上げた。直寄は不服そうであるが何も言わない。相当動揺しているであった。頼勝もさすがに不憫に思うほどである。
後日書状は秀治の下に届いた。直政も目を通したようである。その時の様子は知りえない。ただこの時頼勝も堀家主従にも石田三成への不信が芽生えたようであった。
上杉家から年貢米の返還が見込めない状況となった堀家は、次の年貢の徴収までなんとか耐えなければならない。そこで新潟で代官職を務めている河村彦右衛門に貯えている米を二千俵借用することにする。彦右衛門は上杉家の代官であったが転封後はそのまま残り堀家の代官となっていた。
「家臣同然の者にこのようなことをするなど。本当に情けない。これもすべて直江の関係を見抜けぬ拙者の落ち度だ」
頼勝の下を訪ねた直政はこんなことをこぼした。堀家中に直政を責める者はいない。皆怒りは無法を働いた直江兼続や上杉家に向いている。しかしそれでも未然に防げた可能性を考えてしまう直政であった。
ここまでの付き合いでこんなに気落ちしている直政を頼勝は見たことがない。それとなくそれを訪ねると彦右衛門からこんなことを言われたそうだ。
「大名が代官から借米をするなど上杉家の治世ではありえませんでしたなぁ」
そうにやにやした顔で言ったという。直政も怒れば話もなくなりかねないのでじっとこらえただ頭を下げたらしい。
この話を聞いて頼勝もさすがに怒った。
「そもそもの発端は上杉家の無法ではないか。それを棚に上げての物言い。無礼どころではない」
「それはそうだ。しかし今は下出にしなければいかぬのだよ」
肩を落として言う直政。これには頼勝も沈黙するしかない。そんな頼勝に直政はおずおずとたずねた。
「頼勝殿に聞くべきことではないのだが…… 秀吉様が病だというのは本当なのだろうか」
「私もうわさは聞いていますが…… 」
「確証はない、か。いや、仕方あるまい」
二人は知る由もないが秀吉が病に倒れたという噂は本当のことであった。ただ豊臣政権というのは結局秀吉の権威で成り立っている。そんな秀吉が死ねばおそらく再び乱世になるだろう。二人はそう見ていた。
「我らがやるべきは領内の掌握と上杉家の動向を見張ることか」
「もし戦となればまず私と秀勝殿が出ます」
「そう言ってもらえるだけでもうれしいな。もしもの時は頼みます」
そう言って直政は深々と頭を下げる。頼勝もすでに覚悟は決まっていた。
そして慶長三年八月豊臣秀吉はこの世を去った。そして頼勝と直政の予期していた通り新たな大乱が始まる。そして堀家もその当事者の一人としてかかわっていく。
今回の話に合った年貢米の持ち去り騒動は史実ではないという意見もあります。今回は取り上げましたがその点についてはご容赦を。ただまあ史実だとしたらとんでもない仕打ちです。ですがこの後さらに堀家はひどい仕打ちを受けるのですが。
さてこの話で堀家と上杉家の間に大きな因縁が出来ました。この因縁はあの巨大な戦いに関わってきますのでお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




