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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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村上頼勝 動じない男 第十一賞

 秀吉の命により始まった朝鮮侵攻作戦。九州名護屋に在陣することになった頼勝は秀吉への不信を強めていく。そんな中で頼勝と堀家に思いもよらぬことが起きる。

 秀吉の壮大な野望を実現させるために行われた文禄の役は一年ほどで終った。渡海した日本軍は各地の朝鮮軍の撃破に成功するも、朝鮮の援軍に来た明の軍勢との戦いは一進一退の攻防となる。だが次第に双方疲弊してきたので一時講和ということになった。尤も秀吉の戦意は高かったので交渉を担当した小西行長が、明が降伏したと偽り何とか和睦を成立させている。

 ともかくこれで名護屋に在陣していた大名たちはめでたく帰国の運びとなる。頼勝たち堀家の一行も同様であった。

「海を渡れと言われずに済みましたなぁ 」

 しみじみという秀勝。頼勝は無言で頷く。那古野在陣の間は秀治の補佐でいろいろと忙しかったが万事うまく行った。秀治自身が聡明であったのも手伝いそれほどの苦労はない。

 尤も在陣中には別の苦労があった。

「まさか在陣中に城を作らされるとは」

 ため息交じりに言う頼勝。これには秀勝も苦笑する。

「まったくだな。秀吉様の隠居城ということらしいが何も今作らなくてもとは誰もが思っただろう」

 秀吉は自分の隠居城として文禄の役と並行して山城(現京都府)の伏見に城を作らせていた。これに北陸や東海の大名たちが普請に参加させられている。

「明に行くつもりであったのならばそれこそ不要な城でしょう」

「言いたいことは分かるがいささか口が過ぎるぞ」

 珍しく愚痴をこぼす頼勝を厳しい口調で諫める秀勝。もっともこうした諸大名を疲弊させるばかりの秀吉のやり方には秀勝も疑問を抱いている。

「秀吉様としては我らが逆らわぬようにということなのだろう」

「そうでしょうな。しかしやりすぎては不満が募りましょう」

「全くだ。これが妙な動きにならねばいいのだが」

 二人は沈黙した。自分たちがこう考えているのならばほかに同じようなことを考えているものも居るだろう。内心に不満を秘めながらも生き延びるために従う者たちが。

 ともかく頼勝たちは任務を終えて領地に帰ることが出来た。ただ一部の大名はいまだ朝鮮に残りそれの支援をする大名たちもいる。彼らはまだ疲弊しなければならない。そこで生まれた感情がどのように帰結するか。それはまだ誰も分からない。


 越前に戻った堀兄弟と頼勝、秀勝は直政に出迎えられた。

「秀治様、親良様。よくぞご無事で戻られました。在陣中も見事にお役目を務めあげられたと聞き及んでおります。秀政様もお喜びでしょう。さ、ひとまずお体を御休め下さい」

「いや、まずは父上の霊前に無時の帰還を伝えたい。行こう、親良」

「承知しました兄上。直政も留守役の務めご苦労であった」

「秀勝殿と頼勝殿もご助力ありがとうございました」

 堀兄弟はそう言うと小姓と共に城に入っていった。直政はその後姿を満足げに見つめている。そんな直政に秀勝はこういった。

「しばらく見ぬ間に大きくなられたでしょう」

「まさしく。男子三日会わざれば刮目してみよ、とも言いますが刮目せずとも大きくなられたのがよくわかります」

 そう言って直政は二人に頭を下げた。

「秀治様も仰られていましたがお二人の御助力があってのこと。本当にありがたく思います。まったく感謝しても仕切れませぬよ」

「頭をあげられよ。礼を言われることではなかろう。我らは与力の務めを果たしただけ」

「左様。頼勝の言う通り。そこまで気にすることではござらぬよ」

「何のなんの。他家には己の家のことしか考えに与力も居ると聞きます。お二方のような御仁はそうそうおりませぬよ」

 そう言って直政は改めて二人に頭を下げる。

「この先堀家だけでなく天下に何が起こるか分かりませぬ。その時もきっとお二人のお力が必要となりましょう」

 この直政の発言に二人は顔を見合せた。何か確信あがってこのようなことを言っているように思えたのである。

 尤もそれを追求するようなことはしなかった。今は体を休めたいというのが本音である。

「今夜は宴席も用意しました。お二方の家中の方々もしばらくは北ノ庄で体を休めるのがよいでしょう」

 直政の提案に二人とも素直にうなずくのであった。ともかくこれで肩の荷が下りた頼勝。だが頼勝の思いもよらぬところで混乱の種が芽吹きつつあった。


 いまやまさしく天下人である秀吉には大きな悩みがあった。それは自分の実の子供がいないことである。昔一人男子が生まれたことがあったが早世してしまっていた。後継ぎがいなければ豊臣氏は絶える。ということで甥の秀次を後継ぎとして関白の職も譲っている。尤もこれは役職のみで実権は秀吉が握っているのだが。

 さてこうして一応盤石に見える豊臣氏であったが、文禄の役の少し後で秀吉に男子が生まれた。秀吉はむろん大喜びで築城したての伏見城に秀頼の母の茶々を連れて移っている。そしてこれを複雑そうに眺めていたのが秀次だ。

「叔父上に実の子が生まれたのならば私の立場はどうなるのか」

 内心不安を抱える秀次。それは豊臣政権の内外にも見て取れるほどであった。

 こうした豊臣氏の不穏な空気は頼勝も把握している。直政が事に触れて知らせてくれるからだ。

「正家に聞くわけにはいかぬからなぁ」

 正家からは今でも時折書状が来る。しかしその内容は当り障りのない物で豊臣氏の内情を伝えるものではない。立場上当然のことであろうが、むしろそれがどこか不穏さの象徴になっているようにも思える。

「何か不幸なことが起きるかもしれぬな」

 そんな不安を抱える頼勝。実際そうなってしまう。文禄四年(一五九五)六月、豊臣秀次は謀反の嫌疑をかけられ切腹した。そしてその上で斬首され晒し首にされたという。これだけでも悲惨であるが、そののちの話を聞いて頼勝は唖然とした。秀吉は秀次の妻子、さらに侍女までもが処刑されたのである。

「秀吉様は正気なのか」

 思わずそんなことを口走ってしまう頼勝。それほど常軌を逸した行為であった。それは多くの人々にとっても同様であり、秀吉及び豊臣氏、そして豊臣政権に不信を多くの人々が抱えてしまうことになる。


 慶長元年(一五九六)秀吉は再度の挑戦への侵攻を決定した。結局秀吉に伝えた内容に嘘があったのがバレたのである。当然の成り行きと言えるがともかく再び軍勢が編成されることになった。

 今回出兵するのは西国の大名だけである。以前のように東国や北国の大名たちが名護屋時在陣するようなことはなさそうだった。これには頼勝も胸をなでおろす。

「またあのような無駄なことをせずに済んでよさそうだ」

 このころの頼勝は内心秀吉を見限っていた。丹羽家への処断でいい印象など持ち合わせていなかったが朝鮮への侵攻や秀次への処断などで最早ついていけないと考えたのである。そしてそれを少なくない大名が考えているだろうとも考えていた。

「秀吉様もそれなりの年だ。そして跡継ぎの秀頼様はあまりにも幼い。ならば秀吉様の亡き後は騒乱が起こるだろう」

 頼勝はそう予測している。そしてこれもほかの大名たちも同じであった。すでに内々で豊臣政権下の有力大名と交流しているものも居るらしい。この時特に有力だと目されていたのが徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家の五人である。五大老ともいわれるこの五人が豊臣政権内での有力者であったが、特に家康が抜きんでていた。それは官位でもそうだし領地でも同様である。また家康はかつて講和の際に秀吉の妻を娶っていた。そう言うわけで家康が豊臣政権内での最大の実力者と目する者も多い。尤もそれと同じくらい反感を抱くものも居るのだが。

「秀治様や直政殿はどう考えている者か」

 一人そんなことを考える頼勝。天下の乱れは近いとみていた。ただその前に頼勝にも堀家に取っても重大な出来事が起きてしまうのだが。


 さかのぼること文禄四年(一五九五)陸奥国会津(現福島県)九一万石を治めていた蒲生氏郷がこの世を去った。氏郷は信長に見いだされその娘を娶り、秀吉にも評価された優れた武将である。それゆえに九一万石という大封を与えられたのだが、若くして亡くなった。後継ぎの秀行は当時十二歳。父の巨大な領地を継ぐにはあまりにも幼い。実際家中の実権を巡って家臣同士の争いが起きてしまう。

 このいきさつをうわさ話程度であるが頼勝も聞いていた。そしてこう思った。

「おそらく転封の憂き目にあうのだろうな」

 頼勝がうわさを聞いて思い浮かべたのは旧主の丹羽家のことである。秀吉はよほどのことがない限り幼い党首に大領を任せるようなことはしない。直政の必死の説得が功を奏した堀家が例外なのである。実際頼勝の見立て通り慶長三年(一五九八)蒲生家は大幅な減俸を受け下野宇都宮(現栃木県)十八万石に移された。だがこれが思いもよらぬ事態を堀家とその与力たちにもたらすことになる。

 蒲生家の転封が決まった数日後、頼勝と秀勝は北ノ庄に呼び出された。そしてそこには秀吉からの使者がいたのである。使者は秀治と直政、そして頼勝と秀勝にこう言った。

「堀家は越前十八万石から越後(現新潟県)三十万石に転封とする。溝口秀勝、村上頼勝も越後に移り、これまで通り与力として仕えること。以上である」

 秀治以下全員これを謹んで受けると秀吉の使者は帰っていった。そして秀吉の使者が返ると秀勝がこらえきれず口を開く。

「何やら大変なことになりましたなぁ。まさか我らが越後に移るとは」

「全くです。そう言えば会津には上杉殿が移ると噂されていました。つまりは我らをその代わりに入れようということですな」

 何とも言えない顔で言う直政。実際加増転封なのだから名誉なことである。しかし領地を移るというのそれだけでも大変であるし、移ってからも新たな領地の掌握をしなければならない。まったく大変なことである。

 秀治と頼勝は無言でいる。秀治としてみれば主君である秀吉の命に背くなどと言う考えはない。しばらく黙っていたが少し思案して直政に言った。

「直政よ。上杉の方々と話し合うべきか」

「はい、その通りにございます。とりあえず某がまず話を付けてきます」

「分かった。任せる。家のことはほかの者たちと私で何とかしよう」

 この時の秀治は二十二歳。まだまだ直政に頼ることはあるが一応大名としての役目を果たせるだけの器量は備えている。

 一方頼勝はまだ黙っていた。何か思案しているように見える。それに気づいた秀勝が頼勝に尋ねた。

「何を考えている? 」

「越後は上杉の家風が強く残る土地と聞きます。そこに入るのは色々と苦労がありましょう。堀家だけでなく我々も」

「それはそうだな…… 」

 秀勝は天を仰いだ。越後の臣民は先君の上杉謙信の頃より上杉家を仰ぐ風土があるという。そこに入って新たな領主として働くのは並大抵のことではない。

「これよりも我ら力を合わせて行くべきでしょう」

 この頼勝の言葉に三人も頷いた。そこは全く同じ認識をしていたのである。

 この後堀家と二人の与力は越後に入る。ところがここで思わぬ事態が待ち受けていた。そしてそれが新たな戦いの火種となる。


 今回は実質つなぎの話なので短めです。次回は転封した堀家がとんでもない仕打ちを受ける話がメインになるのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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