村上頼勝 動じない男 第十章
頼勝たちの寄親である堀秀政は陣中で急死した。戦いの最中での死では嘆くこともままならない。この時頼勝にできることはほとんどない。ただ直政たちが乗り越えられるのを期待するだけである。
小田原城の包囲からおよそ三か月後、北条家はついに降伏した。このころには包囲軍にも初めのうちの余裕は無くなり小さい問題もいくつか起きている。とは言え包囲が崩れることは無く勝算が亡くなった北条家が降伏を申し出たのだ。
こうして北条桶の征伐は終わり、諸将は意気揚々と己の領地に帰っていった。堀家を除いては。
「ここまで時が経ってはご遺体を持ち帰ることはできぬなぁ…… 殿も北ノ庄に帰りたいと申しておりました。それもできぬとは我ながら情けなく思います。ああ、まったく。何もできぬ某は真情けない家臣にございますな」
つらつらと言葉を並べる直政。普段の饒舌さはそのままに痛々しさがあふれている。堀家が領国に帰るのを手伝っていた頼勝と秀勝が何も言えないほどの悲壮な姿であった。
「それ以上自分を責めるな直政殿。秀政様の跡は秀治様が立派に勤めたではないか。髷だけでも持ち帰れるのだから何も後悔することなどないだろう」
「ああ、お優しい言葉ありがたく思います秀勝殿。いや、お二方にはいろいろと助けられました」
秀政の死後諸々の問題があったが、頼勝と秀勝は与力としてよく支えた。そのおかげか秀治と直政の指揮のもと堀家は見事に役目を果たせたのである。そこは直政もよくわかっていた。
「今後もなにとぞよろしくお願いします。正直、このまま何もないということはあり得ませぬでしょう」
「確かにな。秀吉様がどうするか」
直政の言葉にうなずく頼勝。秀政の跡を継いだ秀治はまだ若い。そんな若い秀治が堀家の大領を秀吉がそのまま任せるとも思えなかった。
「丹羽家のこともあった。あのようなことを秀吉様がまたするのか」
「否定はできませぬよ」
秀勝は疑問を呈するが頼勝はそれを否定した。少なくとも豊臣秀吉という人物は自分の考えを優先して動く。頼勝はそう見ている。
二人そろって難しい顔になる頼勝と秀勝。そんな二人に直政はこう言った。
「ご心配本当にありがとうございます。ですが心配はいりませぬよ。某にも貫くべきものがありますゆえ」
そう言う直政の表情は力強いものであった。
堀家は無時北ノ庄に帰還した。しかし秀治の家督継承は保留のままとなっている。というのも秀吉が若年の秀治の家督継承を危ぶんでいるらしかったのだ。
頼勝も領地に帰り再び領主としての仕事に戻るが、堀家の現状への懸念と道場が頭にある。そんなときに入ってきた報せは懸念していたものであった。そしてそれを伝えたのは意外な人物である。
「まさか正家から書状が届くとは。しかしやはり秀吉様は堀家の転封を考えておいでなのか。なんということだ」
正家が頼勝に知らせてきたのは秀吉の周囲で堀家の転封の話が持ち上がっているということであった。この時正家は秀吉の奉行衆を務めている。北条家の征伐の際も兵糧奉行として活躍するだけでなく北条家の支城を攻め武功も上げたようであった。そんな正家からの急な報せには正直驚いている。
「丹羽家が転封されて以降は連絡も取っていなかったのだがな。奴も余裕ができたという事か」
丹羽家から秀吉の直臣になり奉行衆に抜擢されてからここまで相当の忙しさであったでろう。それくらいは頼勝も予想できるが、書状の最初にこれまでの無沙汰を謝罪する一分からなのは頼勝も驚いた。へりくだらず慇懃無礼なところがあった正家とは思えない。
それはさておき正家からの報せにはそれほど驚かなかった。正直予想はしていたことであったからである。
「秀吉様のことだ。丹羽家のこともあったからな」
秀吉は各領地の安定のために各大名家への積極的な介入も辞さない姿勢を見せていた。それは多くの大名の恨みを買うものでもあるが、それを意に介する秀吉ではない。
おそらくは堀家の転封も強行するだろう。そう頼勝は見ていた。
「しかし何かあれば自分が秀吉様への口利きを行うとは大分に可愛がられているのだな」
書状の末文にはもし堀家が転封されたときは自分が秀吉に口利きをして頼勝や秀勝、勝成を直臣に取立てて領地を増やすべき、と進言すると書いてあった。それには頼勝も苦笑するしかない。
「大分大それたことを考えるものだ。しかし丹羽家に続き堀家も転封されたら誰も代わりに入りたがらないのではないか」
そんなことを考える頼勝であった。ところが事態は頼勝の考えていた方とは逆に進む。秀治は堀家を継ぎさらに転封されず頼勝たちも与力のままであった。正直最良と言っていい結果であるがこれには頼勝も驚く。
「いったい何があったのだ」
その事情を知らせてきたのはまたも正家である。なんでも堀直政が自分の息子を秀吉の使者に送り次のような書状を渡したのだという。
「秀政様は長年の秀吉様への忠勤があります。それを忘れて秀治様への代替わりを否定するのは秀政様と秀吉様の御縁を蔑ろにすることです。御一考を」
これを渡した直政の次男直寄はまだ元服前の少年ながらも堂々とした振る舞いであったという。秀吉は直寄の態度と書状の内容を気に入り秀治の家督継承と領地の現状維持を認めたという。
後日頼勝はこのことを直政に尋ねた。すると直政は珍しい口数少なくこう言った。
「息子には頼勝殿の真似をしろとだけ伝えました」
秀吉に書状を渡した直寄の振る舞いは以前秀吉に口上を述べた頼勝のようなものだったという。これには頼勝も苦笑するしかなかった。
北条家の征伐は終わり東北の大名たちも秀吉の軍門に下った。これで秀吉の天下統一は果たされたことになる。これで万事めでたしめでたしの天下泰平が訪れると頼勝は考えていた。そんな中で頼勝は秀勝と共に直政に呼び出される。理由は秀治が無事に家督を継ぐことが出来たことを祝う宴席であった。先の戦などでの二人の苦労を労いたいという理由も述べている。これに頼勝は若干の疑問があった。理由としては妥当であるがどこか急で何とか頼勝たちを呼び出そうとしているという風に感じたのである。とは言え害意があるとも思えなかったので頼勝は秀勝と共にわずかな供だけ連れて北ノ庄に向かった。
道中で秀勝はこんなことを口にした。
「何か問題があったのではないか? それを我らと話すためにあのような名目を立てたのではないか」
秀勝も疑問を感じていたようである。そして頼勝は秀勝の意見と同じであった。
「秀治様が家督を継いだ代わりに何か面倒なことを押し付けられたのかもしれませぬな」
「そうかもしれん」
やがて二人が北ノ庄につくと宴席が始まった。二人は改めて秀治に挨拶する。見たところ利発そうな少年であったので安心した。
「大人しげであったがあれなら大丈夫だろう。直政殿もいるしな」
この秀勝の言葉にうなずく頼勝であった。
さて宴席はつつがなく続き頼勝と秀勝の供の家臣たちも楽しそうにしている。そんなとき直政がそっと二人に近づいてきた。
「お二方。小々お時間をよろしいか」
二人は無言で頷く。いよいよ本来の用事ということなのだろう。
三人は北庄城の一室に集まる。部屋ははずれにあって狭くて暗い。ただ密談をするにはちょうど良い感じであった。
「して、此度呼び出された本当の理由は何ですかな」
この秀勝の問いに苦笑する直政。
「やはりおお二方にはバレていましたか。お二方に対してこのような小細工を用いるべきではないとも思いましたが、何分内密にしておきたいお話でして」
それを聞いて頼勝と秀勝の表情に緊張が走る。直政は一拍間をおいて話し始めた。
「我らや一部の大名家に秘かに伝えられたことがあります。どうも小田原に行く前には出ていた話のようで、秀政様はご承知だったようです」
「秀政様は? 我等ならともかく直政殿にも知らせぬこととは」
直政の物言いに驚く頼勝。二人の信頼関係を短いながらも見ていた頼勝にしてみれば驚くべきことである。そしてそれゆえに秀政の隠していたことの重大さも。
直政は頼勝の物言いにこう返した。
「某も知ってからは秀政様が隠した理由も分かりました。このようなこと、そうやすやすと家中に知らせることはできませぬ」
「して、いったい何ですか」
秀勝の問いに黙る直政。ここまで来て口にしづらい内容なのだろう。だが直政は意を決し話始めた。
「秀吉様は天下を統一なされた後で明を攻め落とすつもりのようです。そして一部の大名たちへ内々に準備を進めておくようにとの密命を下していた様子。秀治様が家督を継いだ後、某に秘かに使者が参りその旨を申しました。そして近いうちに唐入りの陣触れを出すと言っておられるようです」
直政の発言に秀勝は絶句した。一方頼勝は動じていない。ただ少し呆れている。
「秀吉様はこれ以上何を望むのだろうか」
これにうなずく直政。ともかくやっと手にしたと思った平穏がまやかしであったと気付く頼勝であった。
文禄元年(一五九二)直政からの情報通り秀吉は明への出兵、唐入りを宣言した。そしてまず明への途上にある李氏朝鮮が支配する朝鮮半島の制圧をもくろむ。のちに言う文禄の役の始まりであった。
秀吉は各国の大名に出陣を命じた。秀治や頼勝たち与力などの北陸の大名たちも動員されている。尤も渡海するのは西国の大名達で頼勝たちは東北の大名たちと共に予備軍として日本に残ることになっている。
とはいえ在陣するのは九州肥前(現佐賀県)の名護屋城で頼勝たちの領地である北陸地方からは大分に遠い。そんな遠い地でいつ来るかわからない出陣の命令を待って待機しなければならなかった。当然であるが長期の在陣に備えての準備をしなければならない。つまりは領地領民に多大な負担をかけることになる。
「このようなことに何の意味があるのか」
思わず愚痴る頼勝。それは多くの大名も同じ気持ちであっただろう。そしてそれを飲み込んで秀吉の命令に従わなければ自分たちの明日は無いということも理解している。だから少しばかりの愚痴を吐いたら黙って準備を進めるしかなかった。
準備が終わりいざ出陣となる。頼勝たち堀家の与力たちは堀家と軍勢を共にしての出陣であった。今回堀家の総大将は当然当主の秀治、そして秀治の弟の親良も同道する。だが直政は北ノ庄に残ることになっていた。これも長期の在陣に備えてのことで万全の後方支援を行うためである。
「頼勝殿、秀勝殿。どうか秀治様と親良様をなにとぞよろしくお願いします」
「ご心配召されるな直政殿。お二方ともお若いのにしっかりしておられる。何の心配もいりませぬ」
「お二方は私と秀勝様が支えます。お任せを」
「お二人にそう言ってもらえると助かります。お二人もお気をつけて」
別に渡海して侵攻軍に加わるわけではないのだから過剰な心配に思える。もっとも小田原で秀政が急死したことを思えば尤もな物言いであった。
「直政殿も無理はせずに」
頼勝はそう言って出発した。それに続き堀兄弟の軍勢が続く。殿は秀勝の軍勢であった。こうして堀家一行は遠い名護屋の地を目指したのである。
名護屋城に到着した堀家一行は割り当てられた場所に陣を張った。多くの大名家がそれぞれ軍勢を率いて陣を張る姿は壮観である。だが頼勝に高揚感は無い。
「いずれ我々も海を渡ることになるのか」
現在は朝鮮半島の制圧を目標としているが、秀吉の最終目的は明を撃破し広大な中国大陸を支配することにある。しかしそれを果たすにはとてつもない膨大な時間と物資、そして人の命がかかるはずであろう。頼勝はそこまでして果たすべきことなのかという疑問をずっと抱えていた。
自身の陣中で悩む頼勝。すると家臣がやってきてこう言った。
「長束正家さまがいらっしゃいました」
「正家が? 分かった。通してくれ」
正家は今回も兵糧奉行を務めているということであった。そんな正家がわざわざやってくる理由は分からないが、会わない理由もない。
「お久しぶりです。頼勝様」
久しぶりにあった正家は相変わらずふくよかなのっそりとした体形である。むしろ益々肉がついて貫録のようなものが出てきていた。しかしその顔には疲労の色が濃く出ている。
「久しぶりだな。しかし疲れているようだが」
「お気になさらず。いささか仕事が忙しいので」
それは当然だろうと頼勝は思った。この大軍勢を賄うための兵糧を管理している立場なのだからその仕事の困難さは相当なものだろう。
「それで何か用があるのか? 」
「堀家の兵糧の管理は頼勝様が監督なされると聞いたので」
「ああ、そうだ」
秀治はまだ若く重臣である直政も同行していない。そこで堀家の諸々について頼勝と秀勝で補佐することになっていた。秀勝は軍勢の統率に関して。頼勝は兵糧に関してと言った具合である。
「ただ実務を任されているだけだ。それに関しての質問は受けるが、あくまですべて秀治様の名の下で行われるということは理解しておいてくれ」
「無論分かっておりますよ」
「そうか。ならいい」
「その確認に来ただけなので。では失礼します」
そう言って正家は去ろうとする。いちいち発言に疲労の色が見えた。頼勝はそんな正家の背中に問いかける。
「秀吉様はどこまで本気なのだ」
これに正家は振り返らずに答える。
「それは私が答えられることではございませんよ」
ため息交じりで正家は言った。頼勝はそれ以上何も言えない。だがそんな正家の姿に疑問が生じる。
「豊臣の家は大丈夫なのか」
頼勝の胸の内に生じる疑問。だがそれに答えられるものはいない。
秀吉が朝鮮を侵攻したのは著名な話ですが、その構想自体は早いうちから抱いていたようです。この是非については色々な見方があるのでしょうが、個人的には朝鮮半島だけならまだしもあの広大な中国大陸の制圧も目指していたのはいささか無謀であったのではないかと感じます。結局秀吉がどこを目指していたのか。それは当人しか知らない話なのですが。
さて頼勝は秀吉への疑念を強めていきました。そんな中で次の話では驚くべきことが頼勝と堀家に起ります。果たしていったい何が起こるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




