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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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村上頼勝 動じない男 第九章

 堀家の与力になった頼勝はこの若き大名の下で秀吉の天下統一事業に関わることになる。秀吉の覇業を支え各地を転戦する頼勝だが、突如悲しい別れに見舞われることになる。


秀政の与力になった頼勝はともかく忙しい日々を送ることになる。秀吉の天下統一事業が着々と進む中で、秀吉からの信頼も厚い秀政は様々な仕事を任されたのである。

 これには直政も少しばかり頭を悩ませていたようである。

「殿は秀吉様の御期待に応えようとご立派に勤めておられます。その気概は我が主ながら素晴らしく思いますが…… 殿は真面目なご気性。いろいろと背負いがちで無理を成されることもしばしば。我らもなんとか支えていますがそこは心配でござる」

 秀政の使者として小松城にやってきた直政は頼勝にこう言った。頼勝もまだ付き合いは短いが直政の言うところに納得できるくらい秀政の誠実さを見知っている。ゆえにか頼勝の頭に浮かんだのは無き主君の長秀のことであった。

「秀政様は長秀様に似ておいでなさる」

「長秀様にですか。それはいかようなところですかな」

「貴殿も申した通り真面目なところよ。実直で誠実。主君の命に堅実に従う所。まさしく長秀様を見ているようであるな」

「左様ですか。頼勝殿が申すのならばその通りなのでしょうな」

「そして何より万事器用にこなすところもよく似ておられる。ゆえにいろいろと仕事を任される。そして真面目であるがゆえに苦労なさるのだ」

「なるほどなるほど。だとすればいかように我ら家臣は動けばよいのでしょうかな。長秀様に長く仕えた頼勝殿はいかが思う」

「直政殿は今まで通りの行いでよかろう。貴殿がよく支えれば堀家も秀政様も安泰だ」

 頼勝は表情を変えずに行った。これに直政は苦笑する。

「お褒め戴き光栄ですな。しかし人を褒めるときはもう少し柔らかな表情の方がよろしいかと」

「ああ、すまぬ」

 直政の指摘に真面目に謝罪する頼勝。これには直政は吹き出した。

「頼勝殿は良きお方にございますな。これからもいろいろお助け下され」

「それは構わぬよ。お任せくだされ」

「いや、よき方が与力になられた。本当にありがたい」

 頼勝を褒める直政。その言葉に嘘はないとよくわかる。これまで短い間にいろいろと共に仕事をしてきたが、直政も秀政に劣らず誠実な人物であった。頼勝も直政の人柄を気に入っている。


 天正十七年(一五八七)秀吉はいまだ敵対している九州の大名の島津家の討伐を決定した。秀吉は先年に豊臣の姓を賜っておりその権威も権力もいよいよ並ぶ者のいないほどになっている。天下統一に向けて残すところは九州と関東を支配下に入れることであった。差し当たってまずは九州の制圧に向かうことにしたのである。

 この九州に向けての大遠征には堀秀政と与力である頼勝と秀勝も動員された。信濃に生まれ尾張、近江、越前を転々としてきた頼勝であるが九州は初めてである。というか京より西に行ったことはない。それは秀勝も同じのようであった。秀政は備中(現岡山県)までは行ったことがあるようである。

「その時は信長様の命で秀吉様の軍鑑の役を任されました。それほど前のことではないのに遠い昔のようなことに思えます」

 出陣にあたっての会議の場で秀政はしみじみと言った。確かに当時は秀吉を監査する立場であったのが今は命令を聞く立場になっている。ある意味世の無常の具現であろう。

 さて秀政の指示に従い準備を整えた頼勝たちは九州に向けて出陣する。秀吉率いる大軍団に組み込まれた頼勝は終結した軍勢の威容に驚くばかりであった。

「これは天下に号令をかける者の力そのもの。桁違いどころではないな」

 この大軍団の中には丹羽家も含まれている。頼勝としては旧交を温めたかったがそれができる余裕はなかった。天下人の軍勢として規律に従い見事な姿を、道中を含め見せつけていかなければならなかったのである。

「これでは戦にはならぬだろう。もはや秀吉様の威光を見せつけることこそ本懐なのだ」

 頼勝は今回の軍事行動をそう理解した。要するにただ勝つだけでなく天下人の力を見せつけることが目的であるということである。

 実際頼勝は九州に到着してから碌に戦うことはなかった。秀吉率いる大軍の前に島津家に従っていた武将たちや九州武将たちが次々に降伏を申し出たのである。島津家も激しい抵抗はしたし素直に従わぬ者いたが結局は秀吉の軍勢の前に降伏した。

 ただ頼勝としては戦以上に気になる話が二つあった。一つは丹羽家を離れた長束正家の消息である。それを九州への道中で報せてくれたのは秀勝であった。

「頼勝殿。驚きました」

「いったいどうなされた? 」

「此度の戦、兵糧奉行を務めたのは正家だそうです」

 これに頼勝は驚きつつも納得した。

「あ奴はそうしたことが得意であった。確かに納得できる話だ」

「しかし秀吉様の直臣に交じって兵糧奉行を務めるとは。いやはや驚きました」

「確かに。秀吉様はいつ正家の才覚に気づいたものか」

 思い当たるのは丹羽家が減俸される際帳簿を見事にまとめて提出した件である。それにしてもそれだけで認められるのだから秀吉も思い切ったことをしたといえる。

「何にせよ健勝ならそれでよい」

 頼勝としてはその一言だけである。この大軍を維持させる兵站を見事に整えたのだ。ある意味武功を挙げる以上の大手柄だったといえる。それができるほど充実し元気でいるのだから何も心配はいらない、と頼勝は考えていた。

 一方もう一つの話は色々と心配になる話であった。それは丹羽家に関するものである。こちらは能美に帰ってから直政の口からきかされた。

「丹羽家が若狭を取り上げられたそうです」

「何ですと」

「どうも九州で在陣中に家臣の方が狼藉を起こしたとか。詳しいことは分かりませんが転封の話は確かなようです。転封先は…… 加賀の松任」

 それを聞いて頼勝は何とも言えない顔になった。松任と言えば能美と近くほぼ隣である。秀吉にその気はないだろうが頼勝への嫌がらせのような真似であった。

「若狭一国から加賀一郡。長重様はまた家臣を召し放たれたそうです」

 申し訳なさそうに言う直政。別に直政が悪いわけではないのだが。そんな直政を見ていると頼勝も申し訳なくなる。

「いろいろと報せてくれてありがたい」

「いやいや。頼勝殿も知らずに長重殿が松任に入られたら気まずかろうと思いまして」

 頼勝としては直政の気遣いには感謝しかない。大きな体を縮めてかしこまる直政に改めて頭を下げる頼勝であった。


 島津家を下し九州を制圧した秀吉。次なる目標は関東と東北。攻撃目標となったのは関東随一の戦国大名北条家である。秀吉は天正十八年(一五九〇)九州に侵攻した時と同じく大軍勢を編成して関東に侵攻した。

 今回の戦にも無論秀政は出陣している。そして頼勝も秀政の与力として出陣した。さらに長重も秀政と同じ部隊に所属している。

「どうにかお助けしたいがそれはできぬよなぁ」

 頼勝としては再び苦境に陥った長重を助けたかったがそれができる立場ではない。秀政旗下の与力としての戦に臨むしかないのである。

 秀政の軍勢は秀吉の甥である豊臣秀次が指揮する軍団に配属された。そして秀吉に先立って北条領に侵攻し、前線基地の一つである山中城の攻略に着手する。この立ちふさがる堅城に対して秀次は力攻めの決断をした。

「叔父上が来る前に何としてでも攻め落とすのだ。そうしなければ私の沽券にかかわる」

 秀次は若い。その上合戦で大きなしくじりをして秀吉に叱責されたこともあった。今回の戦いでは活躍して挽回しなければならないと考えていたのであろう。そんな秀次を補佐しているのが徳川家康であった。かつて秀吉と敵対した家康であるが、今は秀吉の傘下の大名の中でも指折りの存在である。大将こそ秀次であるが実験は家康にあるとみられていた。

 家康は秀次にこう助言する。

「山中城は大きいが籠る城兵の数は少ないようです。攻め手を二手に分け兵を分散させ責めるのがよいかと」

「おお、それは良い考えだ。そうしよう」

 秀次は素直に従った。かつて秀次は家康との合戦でひどい目にあっている。それゆえに素直に従ったのだろう。こうして山中城の攻撃が始まるのであった。


 山中城への攻撃隊は秀次隊と家康隊に分かれた。一方が守りの固い出丸方面に攻撃を仕掛け一方が西の丸に攻め入りその隙をつく形である。

 秀次は守りの固い出丸の方面への攻撃を買って出た。

「私はいずれ叔父上の跡を継ぐもの。そのためには叔父上に負けに武功を示さねばならぬ。だから家康殿。ここは私に任せてくれないか」

 そう申し出る秀次の表情は悲壮なものであった。以前失敗した際に縁を切るとも言われたらしい。そのためここで汚名返上しなければならないと考えたのだろう。家康もそこは理解していたので秀次の提案を受け入れた。そして全軍の内三分の二を秀次に任せている。この中には秀政の軍勢も含まれた。つまり頼勝も激戦区に投入されることになったのである。秀政はこのことのついて秘かに頼勝にこう打ち明けた。

「秀次様はお若い。大分お焦りになっているのだろう。何より秀吉様は癇癪を起こすこともあってな。いつ自分が見限られるのか不安なのだ」

「左様ですか。しかしなんにせよ我らのやるべきことが変わるわけではありますまい」

「その通りだ。我らは戦で存分に働き役目を果たすだけだな」

 そういう秀政の顔色はいささか悪い。ここに至るまでの準備などいろいろと大変であったからであろう。正直少し不安になる顔色である。頼勝はさすがに心配になって尋ねた。

「秀政様。お疲れなのでは」

「なに、心配は無用さ」

 そういう秀政であるが頼勝の心には不安が残った。思い浮かぶのは長秀がこの世を去った時である。

「(あの時も急であった)」

 そう思うがそれを口に出すのははばかられた。あくまで何の確証もなかったからである。

 ともかく翌日に山中城への攻撃が始まった。秀次は自ら先頭に立ち城を激しく力攻めする。これに対し北条方も激しく抵抗し両軍に多くの死傷者が出た。しかしこの間隙を縫って家康の軍勢が西の丸を制圧。そこから一気に北条軍は総崩れとなり、結果的に山中城は数時間で落城する。

 この戦いで秀政の軍勢に大きな損害はなかった。秀政も健在である。しかし相変わらず顔色は悪い。

「何事もなければいいのだが」

 そうつぶやく頼勝であるが、その予想は悲しいかな悪い形で的中してしまう。


 豊臣氏の北条家征伐軍は山中城のほか周辺の城も瞬く間に制圧した。そしてそのまま北条家の本拠地である小田原城に向かう。秀吉率いる大軍勢はあっという間に小田原城を包囲した。そしてそのまま力攻めをせず城を完全に囲み持久戦に移る。

 小田原城を包囲する軍勢の中で顔を合わせる頼勝と秀勝。

「小田原城は天下の堅城。力攻めは不利だと秀吉様もお考えになったのか」

「分かりませぬ。ただこの軍勢を前にすれば北条家の方々も降伏するかもしれませぬな」

 もはや兵力は圧倒的な差がある。さらに北方からも征伐軍が攻め込んできて北条家の城を攻撃していた。小田原城を救援することは不可能であろう。

 戦はもはや勝利が見えている。しかし二人の表情は暗い。それには理由があった。

「秀政様は大丈夫なのだろうか」

 秀勝の言葉に沈黙する頼勝。じつは小田原城の包囲が終わったあたりから秀政の体調が悪化してしまったのだ。どうも流行り病にかかってしまったらしく、さらに体が疲れ弱っていたので重症化してしまったようである。

 今では指揮も取れないので直政が名代として働き、陣中で療養しているという有様であった。幸い直政も有能で頼勝や秀勝も補佐しているので問題は起きていない。とは言え秀政に回復の見込みが見られない現状では最悪の状況も皆覚悟していると頼勝と秀勝は聞いていた。

「秀政様に何かあればその時はどうなるか」

 不安げにつぶやく秀勝。もし秀政が死ねば跡を継ぐのは後継ぎの秀治である。元服したばかりの幼い少年であった。

「何とも長秀様と長重様の時のことを思い出させる」

「秀勝殿。そのようなことは」

「分かっている。しかしなぁ」

 頭を抱える秀勝。もっとも同じことは頼勝も考えていた。二人からしてみれば秀政は厳密には主君ではない。しかしこの数年助け合いここまで来た身としては色々と心に迫るものはある。

 小田原城の包囲はその後も続き秀吉は陣中に茶人を呼び寄せ茶会を開いたり時には温泉に行ったりと悠々自適に過ごした。北条家への心理的な攻撃の一環であろうが、秀吉のこうした行動を受けてか多くの大名たちもどこか気楽に過ごしている。例外は堀家の陣だけであった。秀政の体調はいよいよ悪化し言葉も発せないほどだという。

 やがて頼勝と秀勝が直政に同時に呼び出された。

「秀政様が…… 亡くなった」

 二人とも驚かなかった。呼び出された時点で覚悟はしている。ともかくその如才の無さから「名人久太郎」とも呼ばれた堀秀政はあっけなくこの世を去ったのである。あまりにも急で、無常な死であった。


 堀秀政は織田信長、豊臣秀吉の二人に仕えどちらからも評価されていた人物です。著名な石田三成や加藤清正らより少し年長で合戦の経験も豊富でした。もう少し長く生きてそれなりの地位に居たらもしかすると歴史にかかわる大事にもかかわっていたかもしれませんね。

 さて秀政の急死という緊急事態に見舞われた頼勝。この後いったいどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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