村上頼勝 動じない男 第八章
丹羽家中で起きた小さなひずみ。しかしその小さなひずみは結果的に丹羽家に大打撃を与えた。主家を襲う悲劇に頼勝は何もできない。できるのはただ己の役目を粛々と進めることだけである。
ついに丹羽家が領地を明け渡す日が来た。頼勝と秀勝は秀吉からの使者を護衛する役目を任される。秀吉が丹羽家家臣の暴発を懸念してのことであった。秀吉からの使者はそのことを二人に厳命している。
「このような仕儀に至った以上何が起こるかは分からぬ。お二方もそのことを強く心に命じられよ」
これに対して秀勝はこう言い返した。
「何も心配することはござらぬ。丹羽家中の皆が跡を濁すようなものではないという事を拙者や頼勝殿は承知しております。もっとも秀吉様がご理解していないのも分かっておりますのでご安心を」
穏やかな性格の秀勝に似合わぬ言い草である。使者も驚いた様子であった。うろたえた様子で頼勝を見る。すると頼勝はこう言った。
「兵も武器もいりませぬでしょうが秀吉様の命ならば仕方ありませぬな」
「さよう。秀吉様の命には逆らえませぬ」
まさか頼勝も秀勝に同調するようなことを言うとは思わなかったのか、秀吉の使者は苦虫をかみつぶすような顔をした。だがここに至る経緯を考えれば仕方ないと考えたのか秀吉の使者は黙って二人と共に北庄城に向かう。
北庄城についた一行を出迎えたのは正吉であった。
「よくぞ参られました。こちらです」
正吉は秀吉の使者を城内の一室に通す。そこで懐から何かを取り出した。
「しばしお待ちを。その間これをお読みくだされ」
差し出したのは丹羽家の帳簿であった。秀吉の使者はそれに目を通す。すると渋い顔をしたが、ため息を吐くとこう正吉に告げる。
「秀吉様が丹羽家の勘定に疑念を抱いていることをどこで知った」
「我が家には目端の利くものが居ります。その者が」
「そうか。あとでその者を私の下に」
「承知しました」
正吉がうなずくと同時に襖が開いた。受け渡しの準備が整ったのだろう。秀吉の使者はゆっくりと立ち上がり迎えに来た長重の小姓についていく。その前に頼勝は正吉に尋ねた。
「さっきのは正家のか」
「左様です。あ奴め。秘かに帳簿をまとめて準備していたようです」
そういう正吉の表情はうれしげである。これには頼勝も秀勝もつられて表情を緩めるのであった。
北庄城の広間で長重の横に居並ぶ丹羽家臣達。左右の上座に座るのは勝成と直政である。秀吉の使者はゆっくりと口上を述べた。
「丹羽家は家臣の行状に不届きがあり、また長重も若くとても大国を任せるわけにはいかない。まずは若狭一国に治まるべきだと秀吉様の命です。謹んでお受けられよ」
この口上に長重は緊張した大もちで答えた。
「承知しました。これより城を引き渡しまする」
そういうや否や直政と勝成を除く家臣一同皆退席した。あまりに粛々とした様子に秀吉の使者も驚きつつも感心したようである。
やがて長重も退席しようとするがそこで使者から思いもよらぬ一言が飛び出た。
「家中の方々にもおいおい秀吉様からの沙汰が下る。若狭で待たれよ」
これを聞いた頼勝たちは顔を見合わせた。長重も困惑しているようである。だが頼勝はそれを問いただすことはできない。この後で長重たちが大挙した後は居残り城を守らなければならないのである。
「(秀吉様からの沙汰とはいったい? )」
その疑問を口には出せなかった。ただ退席する長重、勝成、直政に深く一礼する。今頼勝ができるのはそれだけであった。
丹羽家の面々が去った後の数日間は頼勝と秀勝が交代で北庄城の警護を務めた。その間の越前における治世について現状維持の触れは出されていて幸い不穏な動きは出ていない。
二人にとって当座気になるのは新たに越前を任される人物である。
「さて、次に越前に入るのは誰なのか」
「そればかりは分かりませぬ」
「それはそうだがな。相変わらず面白い物言いをする」
頼勝の発言に苦笑する秀勝。本来ならもうすでに二人は知っているべきであるのだが、丹羽家への処分が異常なほどに迅速であったため後任が誰になったのかが二人の耳に届いていないのである。決定はしているはずなのでそれを早く知りたいと頼勝も考えていた。
「越前一国を任されるとなると相当の人物でないといかん。その上で秀吉様の覚えもめでたい御仁であろう」
秀勝の予測に頼勝も頷いた。同じようなことを考えていたのである。もっともこのようなことはある程度誰でも予想のつく範囲であるが。
そうして二人は思案の日々が続いたのだがいよいよ後任が決まった。その日北庄城に呼び出された二人の前に現れたのは大柄な男である。しかしどこか人の好さそうな、柔和な顔立ちで大きな体に似合わず威厳や威圧感とは無縁の雰囲気であった。その男は大きな体を縮めて頼勝と秀勝に挨拶をする。
「某は堀直政と申します。此度は我が主君秀政様が越前を賜ることになりました。お二方はこれまで同様与力として秀政様の下に入っていただくことになります。いや、歴戦の強者であるお二方の助力を得られて秀政様だけでなく某を含む家臣一同大いに感謝しております。今後は何卒ご教授のほどよろしくお願いします」
そう言って再び大きな体を折り曲げて頭を下げた。一方の頼勝と秀勝は直政の思いもよらぬ多弁さにあっけに取られてしまっている。とは言え向こうから丁寧に挨拶された以上は黙っているわけにもいかない。
「丁寧なあいさつ痛み入りまする。溝口秀勝にござる。以後よろしくお願いいたす」
「村上頼勝だ。以後頼む」
三人は挨拶をすますとすぐに情報の共有や現状の確認を行った。幸い正家が提出した帳簿の写しなど統治に必要なものはほとんど残されていたのでそこについては滞りなく進む。だがここで二人が驚いたのは直政の優秀さであった。直政は帳簿などをすぐに読み取り必要な手配を次々と済ませていくのである。
「(これほどのご家臣ならば主君である秀政様も相当な御仁であるな)」
後々知ることであるが直政は秀吉をして天下の三陪臣の一人と言われるほどの人物であった。そしてこの直政と頼勝、秀勝の関係は思いのほか長く、深く続いていくことになる。
北庄城に堀直政がやってきてからは頼勝と秀勝は領国に帰り元の生活に戻った。直政も随伴してきた堀家家臣団も優秀であったため二人は特にやることがなかったのである。
「秀政様がご入城の折には顔合わせに来ていただく必要はありますが、まだ秀政様のご準備が整っておりませぬ。お二方は一度領国に戻り平時の我らとの連絡体制の構築を頼みたい。尤も長秀様が残された仕組みが十分すぎるので以前と変わらに使用でよろしいとも思います。いやはやさすが信長様の若き頃より付き従い支え続けた御仁。亡くなられた後も有用な者を残されるとは。重ね重ね惜しい方をなくしたものにござる。おお、そうだ。秀政様は信長様のお近くに仕えていました。さすれば長秀様との思い出話もありましょう。秀政様がご入城の折にはささやかですが我らで酒宴など開いて長秀様の御偉功を忍びましょうぞ」
「おお、それは良いお考えですな」
乗り気な秀勝。頼勝も異論はない。頼勝も最初は直政の多弁さに閉口したが慣れてみると愉快な人物であるとよくわかる。ゆえに頼勝も直政の提案には乗り気であった。
さて領国に戻り平時の生活に戻っていた頼勝であるが一つ気になることがあった。それは丹羽家の現状である。若狭に移って以降の情報が分からないのだ。現在と違って通信の手段は限られる。旧知の友人が組織にいるからと言ってすぐに情報が手に入るわけではないのだ。
「(あの御仁は丹羽家の家臣に秀吉様からの沙汰があると言っていた。いったい何があるというのだ)」
色々考えるが正直不安が勝る。丹羽家の減封処分に至る経緯を考えれば家臣の誰かを処分しろという命令が下る可能性もあった。特に成田道徳への対応を独断で行った勝成や正家になにがしかの罰が下る可能性もある。
「(あの二人は丹羽家のためを思って行動したのだ。そこを汲んでもらいたいとも思うが)」
勝成も正家も幼い主君のためを思っての行動である。それゆえに罰が下るような事態はどうにかして避けてほしいと考える頼勝であった。また二人の処分も気になるが丹羽家の現状も大分不安である。領地は大分縮小されたので今まで通り家臣を抱えていることは難しいはずであった。
「(長重様はまだ若年。できるだけ多くの家臣に残ってもらいたいが)」
皮肉なもので大身であった頼勝や秀勝が与力という形になったのでその分の負担は無い。しかし丹羽家にはまだまだ大身家臣が何人かいる。彼らへの対応も難しいだろう。下手をすれば再び内紛が起きるかもしれない。
「私ができるのは無事を祈ることぐらいか」
ため息を吐く頼勝。もとより分かっていたことであるがただただ歯がゆい。
暫くして堀秀政が北庄城に入った。頼勝は秀勝と共にあいさつに向かう。
「秀政様は直政殿とは縁戚らしい。さていいったいどのような方か」
「信長様の側に長く仕えていたと聞く。秀吉様にも認められているのだから相当な御仁であろう」
「確かにそうだな。あとはどのような人柄か」
二人は連れ立って北庄城に向かった。そして直政に出迎えられる。
「いやよくぞおいで下さいました。殿もお待ちです。それと、もう一方新たに与力となった方が参られましたのでその方もお待ちです。ささ、どうぞ」
直政に導かれるまま城内に入る二人。そしてついに堀秀政が姿を現した。
「よくぞおいで下さいましたなぁ。堀秀政にござる」
そうぺこりと頭を下げたのは小柄で細身の青年であった。目鼻立ちがすっきりしていてなかなかの美男子である。これでもう少し背が高ければ申し分ないという容姿であった。穏やかな笑みを絶えず浮かべているがその目は真っすぐにこちらを見透かしているかのようである。
頼勝と秀勝もすぐに挨拶をした。
「溝口秀勝にござる。今後は良しなによろしくお願いします」
「村上頼勝です。以後なにとぞよろしくお願いします」
「これは丁寧に。ありがとうございます」
三人は挨拶をかわすと今後の方針や動きなどの取り決めを行った。尤も直政がすでに進めていた通りの流れでありそれを追認するだけである。話し合いはすぐに終わり、秀政の屋敷で宴席を行うことになった。
「直政が随分乗り気でしてな。ご都合がよろしければよいのですが」
秀政は大分腰が低い。しかし卑屈さは感じさせない振る舞いであった。所作もいちいち如才なく無駄がない。
「(さすが信長様のおそばに仕えていただけはあるな)」
感心する頼勝と秀勝。その振る舞いに感心しきりであった。
さて秀政一行は秀政の屋敷についた。そこで宴席となったのだが、
「さっそく宴と行きたいのだが、この御仁がお二方に伝えたいことがある」
と秀政が言い出した。そして直政が一人の男を伴って現れる。その男を見て頼勝も秀勝も驚いた。
「勝成殿…… なぜここに」
「まさかさっき直政殿が言っていた新たな与力とは貴殿のことか」
これに対して勝成は何も言わず二人に向かって土下座した。
「このような生き恥を晒すことになってしまった。申し訳ない」
そしてここに至る経緯をつらつらと話し出す。
やはり丹羽家は領地が縮小した結果多くの家臣を手放さざる負えなくなったらしい。多くの名もなき家臣は路頭に迷う中、勝成と正家ほか数名は秀吉に召し出されることになったそうだ。
「貴殿たちの代わりに長重様にお仕えするつもりがこのようなことになった。これを生き恥とも思ったが、長秀様の今際の言葉が思い出されて」
「己の家を考えよという言葉か。確かにそれはその通りであったからな」
丹羽家には坂井直政と江口正吉が残ったらしい。それを聞いて秀勝も安堵する。
「あの二人が残ってくれたのだ。何も心配はいるまい。こうなったら秀吉様の命に従うほかないだろう。勝成が恥に感じるようなことはない」
「秀勝殿…… ありがとうございます」
「秀勝殿の言うとおりだ。気にするな。今後は共に働こうではないか」
「ああ、今後もよろしくお頼みする」
ここでやっと勝成は元気を取り戻したようだった。それを見て満足したのか秀政が言う。
「さあ宴だ。この宴を我らの盃ごととしようではないか」
三人とも異論はない。こうして宴が始まった。そして頼勝の新たな人生も。
本編中にもありましたが丹羽家臣の多くは領地の減封と同時に秀吉に召し抱えらえれています。この話で登場しなかった人々も秀吉に召し抱えられた人が多くいました。ゆえに丹羽家へのこの処分の理由が丹羽長秀が育てた優秀な家臣団を奪うことになったのではという説もあります。だとしたら長秀の家臣を育成する能力は相当なものであったのではないかとも思います。ただそれが災いに転じてしまったのは不幸でしかないのですが。
さて今回の話で頼勝は堀家の与力となりました。これにより思わぬ運命をたどっていくことになるのですがそこは次回のお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




