村上頼勝 動じない男 第七章
幼き頃から仕えてきた主君長秀の死。この悲しい出来事を受けても頼勝は動じない。しかしこの長秀の死が丹羽家に思いもよらぬ災厄を招くことになる。
長秀の喪も明けた頃、秀吉は佐々成政の討伐を決定した。秀吉はこれより以前の天正十五年の六月には四国の大半を支配する長宗我部家を攻め降伏させており、その翌月には関白に就任して天下に号令をかける立場を手に入れている。成政の討伐は秀吉の天下統一事業の一環であった。秀吉は織田信雄を総大将として成政を討伐するつもりである。そして前田家の軍勢を第一陣とし、第二陣に丹羽家を配置している。
鍋丸は秀吉からの命令が下る少し前に元服して長重と名乗るようになった。いよいよ丹羽家の当主としての人生を歩み始めたのである。そしてこの成政討伐こと越中征伐は長重が丹羽家の当主としての最初の大仕事であった。当然丹羽家臣一同皆勇躍して準備に臨む。頼勝と秀勝も長重の指揮下で出陣する予定であった。
「いよいよ成政殿をことになりましたなぁ」
出陣にあたって頼勝は秀勝と予めいろいろと話し合っていた。こちらでできることはさっさと決めて長重の負担をできるだけ抑えたかったのである。その話し合いの最中で秀勝はそうつぶやいたのだ。
「総大将は信雄様。第一陣は利家殿。さすれば大殿が生きていれば第二陣は大殿であったのでしょうな」
悲しげにつぶやく秀勝。その理由は頼勝にもわかった。
「この陣容。秀吉様の名の下で織田家の手で織田家の者をつぶす。という事でしょうな」
「ああ。秀吉様もむごいことをする」
「しかしどうしようもないことです」
「まったくだ。せめて成政殿があきらめてくれればよいのだが」
「そうなれば良いのですが」
もはや天下は秀吉の手に治まりつつある。成政がそこを理解しているかは分からないが、もはや生き残るには秀吉に降るしか道はないのだ。
頼勝は少しばかり悲しくなるがそこは振り切って目の前のことに集中する。
「今我らの成すべきことは長重さまを助けこの戦を無事に終わらせることです」
「その通りだ。我らにできることと言えばそれだけだな」
そう言うと二人は改めて話し合いに移る。とは言えこの戦で苦戦するとは思えない。あくまで長重の初陣を無事に成し遂げることが目的である。だがこの越中征伐をきっかけに頼勝や丹羽家の面々に大変な事態が起きてしまう。
いよいよ長重率いる丹羽家の軍勢が出陣の時を迎えた。先鋒は頼勝で次鋒が秀勝。長重の周りを固めるのは直政と正吉、といった具合である。そこで頼勝は気づいた。
「勝成殿は出陣しないのか」
出陣する面々の中に勝成の名前はなかった。留守を任されたという事なのかもしれないが、頼勝にしてみればどこか不安である。
頼勝は軍勢が集結した際に直政に尋ねた。
「勝成殿は城の留守を任されたのですか」
「いや、何やら急な病らしい。しかしそんな様子は無かったのだがな」
首をかしげる直政。それを見て頼勝の胸は騒いだ。何か嫌な予感がする。それはどうも直政も同じのようである。
「正家は同道していないのですかな」
「ああ。正家は城に残って後方の支援を任されている」
「その通りです。しかし正家の奴はこのところ何かこそこそと動いていました」
現れた正吉はそう言った。これを聞いてますます頼勝の胸が騒ぐ。そんな頼勝に正吉はこう言った。
「実は頼勝様。成田殿もおられないのです」
「何だと…… 」
「ああ。奴の動きも妙でな。あの性分なら先鋒を自分に任せろとでも言うのかと思ったが妙に大人しい。妙だなと思ったが奴も病だと言って自分の屋敷に籠った」
直政がそう言い生きると三人の間にいやな沈黙が流れた。明らかに何か異常な事態委が進んでいる。
しばらくして頼勝が重苦しく口を開いた。
「お二方はこれまでどうしておられましたか」
「儂と正吉は長重様に乞われて戦のことなどをいろいろと話し、戦の準備を進めておった。思えばそのころから勝成の動きが妙であったな」
「ええ。正家もこそこそと何かしていて。俺が訪ねてもはぐらかすばかり。ただ勝成様と会っていたのは確かなようです」
「成田殿はどうしていた」
「殿の死後は屋敷に籠って近しい者たちと会っていた。何か談合していたのではないかとうわさはあったな」
「何を話していたかは分からぬのですか」
「ああ分からぬ。だが会っていたのは秀吉様に怒っている者が多かったな」
「ええ。俺も声をかけられましたがやめておきました」
「そのあとで成田殿がいなくなった、という事か」
再び三人は沈黙する。明らかに何か異変が起きているようだった。しかしこの場でできることはない。とにかく目の前の仕事を果たすしかなかった。
いざ始まった越中討伐。しかし秀吉の軍勢を目前にして成政は信雄を介して降伏する。おそらく成政も戦力差を理解し戦闘は無駄だと悟ったのだろう。成政に味方していた飛騨(現岐阜県)の姉小路家が先んじて制圧されていたのも大きかったのかもしれない。
結局越中征伐において直接的な戦闘はほとんどなかった。ただ第一陣の前田家と佐々家の間で小規模な交戦があったのと、丹羽家が夜襲を受けている。この時直政をはじめ丹羽家の家臣たちは冷静に対応した。その甲斐もあって被害はほとんどなく攻撃してきた部隊は頼勝たちによって撃破される。長重の初陣は無事に果たされ一応の武功も上げられた形になった。
「これには長秀様もお喜びになられたでしょう」
「まったくだ。初陣で武功を挙げたのだから天下の諸侯に長重様の器を知ったことだろう」
「あとは我らで長重様をうまく支えていくだけですな」
頼勝も直政も正吉もこの結果を素直に喜んだ。あとは無事に長重を北ノ庄に送り届けるだけである。ただ頼勝はそこまで同行できないので途中で離脱し能美に帰ろうとした。ところが途中で秀勝からの伝令がやってくる。その伝令は緊迫した様子で言った。
「秀勝様の下に秀吉様の使者が参られました。申し訳ありませんが秀勝様の下においでください」
「秀吉様からの? いったい何の用だ」
「それは…… ここでは申せませぬ」
口ごもる伝令。その姿にいやな予感を覚えた頼勝は家臣と軍勢の大半を小松城に返し、自分は秀勝の居城である大昌寺城に向かった。
城につくや秀勝が慌てて迎えに来た。その顔は真っ青で相当狼狽している。歴戦の武将である秀勝には似合わぬ姿であった。
「大変なことになった。いや、大変なことに」
「落ち着きなされよ秀勝殿」
「ああ、そうだな。しかし本当に大変なことになった。仔細はあの御仁から聞いてくれ」
秀勝に促されて頼勝は秀吉からの使者だという侍の下に向かった。以前長秀に上洛の催促に来た若侍とはまるで違う壮年の偉丈夫である。
侍は頼勝に一礼すると懐から書状を出す。そしてそれを読み上げた。
「丹羽家中にて佐々成政と共謀したものがいた。しかし丹羽家中の者はそれを隠した挙句その者を取り逃がしている。さらに家中で不和があり家臣同士がいがみ合っているとの話も聞いた。そのような有様では若い長重には越前をはじめとする領国を治められぬ。よって越前を取り上げることとする。村上、溝口の両名は今の領地残り越前に新たな大名が入るまでよく治めること。新たな大名が入ったならばその者の与力となってよく支えること。秀吉の使者が越前を取り上げるのを申し伝えることを助けること。以上」
そう言って侍は再び一礼した。
「これらすべて秀吉様のご命令にございます。秀吉様はお二方の扱いはそのままにせよと申されました。秀吉様のご信頼を裏切られぬようお願い申し上げます」
これに対して頼勝は身じろぎせずに言った。
「承知しましたと秀吉様にお伝えしてくれ」
侍はうなずくと去っていった。残された頼勝は身じろぎもせず天井を仰ぐ。秀勝は力なくうなだれるだけであった。
丹羽家の減封処分は粛々と進んだ。秀吉が決めたことである以上は逆らうことなど出来ない。だが反発の声がほとんど上がっていないという話を聞いた頼勝は正直驚いた。
「さすがにこれに怒るものがいるはずではないか」
頼勝はそこが気になったので北ノ庄に行きことの次第を確かめたいと考えていた。しかしこれは秀勝に止められている。
「我ら与力をよく思わぬものも居るだろうて。あくまで我々は我々の務めを果たすしかあるまい」
力なく言う秀勝。頼勝もこれには頷くしかない。
ともかく二人は北庄城の受け取りの準備を粛々と進めた。そんな折に正吉が二人を訪ねてくる。用向きは城の受け渡しの打ち合わせである。だが正吉は二人と顔を合わせるやこう言った。
「城の打ち合わせのことももちろんですが、今家中で起きていることをお二人にご相談したいと思いまして」
そういう正吉の表情は大分やつれている。相当の心労がかさんだようであった。正直尋ねるのも酷ではあるが、二人とも現状の確認はしたいので正吉の話を聞くことにする。
「して、今どんな状況なのだ」
「成田殿は越中征伐の折にすでに越前から逃げたようです。本当に無責任な…… 」
「成田殿に味方していた者たちはどうした」
「ともに逃げるものも居ましたが、何人かは家中に残りました。その者たちは皆勝成様と正家に捕らえられたそうです」
「つまりあの二人は成田殿が内通していたのを知っていたのか」
「はい、そのようです。ですが…… 」
そこからの正吉の話は驚くべきことばかりであった。そして事実を確認すると次のような話らしい。
まず成田道徳は越中に向けて出陣してきた秀吉を襲い暗殺するつもりであったようだ。
「なんと大それた…… 馬鹿げたことを」
秀勝は呆れ果てた様子であった。頼勝は声もない。本当に大それた計画である。
結局道徳の計画は漏れてしまったのだが、それをどうも正家が入手したらしい。そしてそれを勝成に伝えると二人は秘かに道徳とその仲間たちを捕らえる準備を進めたようであった。これに関して頼勝は大いに疑問がある。
「そこが気になるところだ。勝成殿と正家は何故二人だけで成田殿を捕らえようとしたのだ。せめて直政殿には相談すべきだろう」
事が事だけに丹羽家の未来に関わる話、というか実際に関わる話になったのだが、それならば重臣筆頭の直政にひそかに相談しておくのが筋であるはずである。
これに関して正吉は複雑な表情をして言った。
「これ居ついては二人とも口をつぐんでしまっています。おそらくは内密に話を進めて成田殿を捕らし暁に報告しようとしたのではないかと。ただ」
「ただ? 」
「家中には二人が秀吉様に取り入るために内密にしていたのではないかと疑うものも居ます。正直少なくない者が」
心苦しそうに言う正吉。確かにその内容は頼勝にも秀勝にも納得できるものではない。重苦しい沈黙が流れる中で頼勝は言った。
「勝茂に、聞くしかないか」
正吉と秀勝は驚いた表情をした。一方の頼勝は覚悟を決めた顔をしている。
頼勝は少ない供を連れて北ノ庄に向かった。そしてその足で勝成の屋敷を訪ねる。勝成は不在であったが屋敷にいた家臣の中に昔から頼勝を知る者がいた。
「ようこそおいでくださいました。もうすぐ殿も戻られると思います。こちらでお待ちください」
そう言って屋敷の書院に頼勝を案内する。しばらくして勝成が姿を現した。
「久しぶりですな…… 頼勝殿」
そう疲れ切った声で言う勝成。その顔色は青くやつれ切っている。病気なのではないかと思うほどであった。
「久しいな勝茂殿」
頼勝は今の勝成の姿には触れずそう言った。勝成は疲れ切った表情で言う。
「哀れな姿と思うでしょう」
それに頼勝は答えない。ただ一言だけこう言った。
「真に忠の行いをしてもそれがうまく行かないことはある」
頼勝は勝成の姿を見て悟ったのだ。今回の丹羽家に起きた災難に勝成の悪意はないという事に。
「心遣いありがたい。しかしこの仕儀に至ったのには私の未熟さもある」
そう言って勝成はことの次第を話し始めた。
「そもそもは私の下に成田殿が佐々殿と通じているという密告があった。それが事実で露見したのならば一大事となる。ひとまず私の胸にしまい正家と共に調べることにしたのだ。あ奴はそうしたことが得手であるからな」
「何故直政殿に話さなかったのだ? 」
「ことに次第によっては家中に不和を引き起こす。そんなことに丹羽家の柱石である直政さまを巻き込めんよ」
「そういう事か…… 」
「その後調べてみると不審な点はあっても確証はなかった。そうしているうちに成政殿の討伐が決まった。するとそこでやっと証拠が手に入った。その時は喜んだが今思えばできすぎであるな」
そこまで言って勝成は黙った。肩を落とし悔し気にこぶしを握っている。
「(初めから手のひらの上で踊らされていたという事か)」
おそらくは勝成の下に情報が入ったところから誰かの思惑通りに進んだのだろう。その誰か、というのはおぼろげながら予想がつく。尤もそんなことに頼勝の興味はない。
「今日はここまでにしよう。久しぶりに二人で酒でも飲もうか」
「頼勝殿…… 」
「誰の思惑通りかとかそういうのは関係ない。今拙者は友を労いたいのだ」
「すまない。本当にすまない」
その夜二人は夜通し酒を飲んで夜を明かした。もはや頼勝が丹羽家にできることはない。ならばせめて友の心だけでも救おう。頼勝の心はそう決まったのだ。ただ、それだけ。
丹羽家は良く知られている通り織田家の重臣で、織田家とも婚姻関係にある家でした。信長の死後も秀吉に味方した結果大領を得ていたのですが、長秀の死後はそれを取り上げられています。その経緯については今回の話のような流れですが、実際のところは諸説ある次第です。
さて丹羽家は大幅な減封を受けて小さくなりました。これを受けて丹羽家の面々は各々自分の生きる道を選んでいくことになります。果たしてどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




