村上頼勝 動じない男 第六章
天下統一を目の前にした羽柴秀吉。そんな秀吉に一歩も引かず口上を述べた頼勝の名は轟いた。もっとも頼勝は主君より任せられた仕事を成し遂げただけである。満足気に帰国する頼勝だがこの後で唐突な悲しい別れが襲い掛かる。
件の申し開きの後、雪が解けた頃に長秀は秀吉への礼に向かった。これでこの騒動は幕を閉じたことになる。だがこの後で一つだけ変わったことがあった。能美郡が改めて頼勝に下されたのである。そしてそれは長秀の命ではなく秀吉の命という形であった。これには頼勝も困惑する。
「何故秀吉様はこのようなことを」
これに応えたのが溝口秀勝であった。秀勝は秀吉の考えを何となく理解している。
「頼勝殿は相当に秀吉様に気に入られたようだな」
「どういうことですかな」
「秀吉様は気に入った陪臣に自ら扶持を与えて直臣の扱いにすることがある。貴殿も気に入られたのだろう」
「ならば秀勝殿も? 」
「某は信長様の頃よりの扱いが変わらなかっただけよ。ともかくまあそういう事である」
実際ここから頼勝の扱いは、長秀の家臣というよりは秀吉によって長秀の下につけられた与力という形になる。これには頼勝も若干の困惑と不満を覚えたが、長秀は気にしていなかった。
「気にするな。お前はこれからも同じように仕えてくれればいい」
長秀は秀吉との関係からくる心労からか大分線が細くなっている。それでもしっかりしていて聡明であった。そんな長秀からそう言われたら納得せざる負えない。しかしこの扱いが後に頼勝を後悔させることになる。それを頼勝も誰も思いもよらない
天正十二年(一五八四)今度は秀吉と主筋にあたる織田信雄との間で争いが起こる。信雄は対抗馬である信孝がいなくなったので織田家の実権を握れると思っていた。ところが現実は秀吉が織田家を掌握してしまい乗っ取りつつある。この事態に我慢できる信雄ではなかった。
「不忠者の秀吉はこの私が成敗してくれる」
そう息巻く信雄には勝算があった。かつては織田家の同盟者で今は東海を中心に巨大な領地を支配する徳川家康の協力を取り付けていたからである。秀吉も信雄だけならともかく家康も敵対したという事で自ら出陣し対抗することになった。
今回の主戦場は尾張など東海である。そのため北陸の長秀は待機という事になった。そんな中で長秀から頼勝と秀勝に指示が下る。
「成政の動きが妙だ。利家と申し合わせてあるので援軍に向かってくれ」
成政というのは越中(現富山県)を支配する佐々成政のことである。利家は能登(現石川県)と加賀半国を治めている。どちらも信長の下で長秀と共に切磋琢磨した中であった。
「その二人が争っているという事ですか」
「そうらしい。成政殿は秀吉様に反感を抱いているからなぁ」
秀勝は成政が信雄と家康の動きに合わせて秀吉を攻撃するつもりなのだろうと見た。子の見立てに頼勝も納得している。実際この後成政は秀吉方の利家に攻撃を仕掛けた。この時頼勝と秀勝は利家の居城である金沢城に入り守備を任されている。
「長秀の信も厚い二人ならば大丈夫だろう」
そう言って利家は成政に攻撃を受けている城の救援に向かった。そして成政を打ち破るとすぐに帰還する。
「あれだけ痛めつければ成政も大人しくするだろう。それにしても馬鹿な奴だ。俺にああはできない」
利家は吐き捨てるように言った。それはこの期に及んでも秀吉に反抗する成政への怒り化、それとも織田家とためらいなく戦う秀吉に従う自分への怒りか。頼勝にはどちらとも受け取れるものであった。
それからしばらくして頼勝たちは帰還した。成政は越中に引き上たからである。秀吉と信雄、家康の戦いは局地戦で信雄、家康の有利で進んだらしい。しかし全体で見れば秀吉の優位であり結局信雄は秀吉との和睦を選んだ。これでは戦えぬと家康も引き下がり情勢は秀吉の優位で固まる。
「あとは成政殿への対応次第か」
頼勝はそんなことを考えていた。ところがこの後思いもよらぬ悲劇が頼勝と丹羽家に起るのである。
それは唐突すぎる報せであった。北庄城からの使者が言うには
「殿が急に苦しみだし言葉を発することもできない有様に。ともかく急ぎ殿の下に参上してください」
とのことであった。頼勝は動ぜず準備をして北庄城に向かう。だが城に入っても長秀との面会はできなかった。そのことを勝成に尋ねると状況を説明してくれた。
「殿はどうやらずいぶん前に臓物に腫が出来てしまったらしい。奥方様たちが医者にかかる様に勧めていたようであるが聞かなかったそうだ」
「そうだったのか…… 」
「貴殿は能美にいたから仕方あるまい。だが我らは違う。よくよく考えてみればこのところ殿のご様子がいささかおかしかったようにも見える」
勝成が言うにはここ数年はどうも歩き方がおかしいようにも見えたそうだ。まだ時々痛みをこらえるような姿も見せていたらしい。
「殿は自分がいなくなれば丹羽家が持たぬと考えていたのではないか。ゆえにあのような無理を。本当ならば我らが殿を支えその不安を取り除かなければならぬというに」
悔やんでも悔やみきれぬといった様子で勝成は言った。これに頼勝はかける言葉もない。普段から近くで仕えていたのに主君の不調をおざなりにしていたのだ。忠臣であるがゆえの苦しみであろう。それは頼勝も良くわかる。
それから数日後、長秀の体調が若干回復したという報せが入った。とは言え起き上がることはできずものも食えぬらしい。そんな状況であるが長秀は坂井直政、戸田勝成、そして村上頼勝の三名を呼んだ。そして怒りに満ちた鬼の形相でまずこう宣言する。
「これから私は腹を切る」
三人とも絶句した。痛みのあまり正気を失ったかとも思う。だが長秀は正気であった。
「もはや私は生きてはいられまい。ならば最後にこの一命を以て秀吉に我が怒りを見せつけてやりたい」
長秀は先年の秀吉と信雄の戦いも心苦しく感じていたらしい。信孝を死に追いやる助力をしたことも後悔していた。そしてそれらを主導した秀吉への内心の怒りは相当なものである。
「私は腹を切り、腫のついた臓物を秀吉に送り付けてやる」
恐ろしい発言であるがあまりの剣幕に三人とも何も言えない。しかし覚悟を決めたのか直政が進み出て言った。
「承知しました。あとのことはお任せください」
「よく言ってくれた直政。鍋丸のことは頼んだぞ」
「無論のこと。お任せを」
直政のその言葉を聞くと長秀は先ほどまでの鬼の形相がそのように穏やかな顔になった。そして頼勝と勝成の方を見て言う。
「秀勝はおらぬようだな」
「秀勝殿は今こちらに向かっております」
「もうすぐでこちらにお着きになるでしょう」
「いや構わん。頼勝、勝成。お前たちはこれから言うことをよく聞き、それを秀勝にも伝えるのだ」
二人の顔に緊張が走る。そして長秀は穏やかな顔でこう言った。
「お前たちと秀勝は見事な武士だ。おそらく秀吉は私が死んだ後にお前たちを召し抱えようとするだろう。そうすれば丹羽家も衰えさせられるからな」
「ご心配しないでください殿。私も頼勝殿も秀勝殿も丹羽家から離れたりはしません」
勝成の言葉に頼勝も頷いた。だがこれに対して長秀は首を横に振る。
「丹羽家のことは直政に任せよ。お前たちは己の家のことだけを考えよ」
「それは聞けませぬ」
頼勝は長秀の言葉を受け付けなかった。しかし長秀は諭すように言う。
「おそらく丹羽家の所領は削り取られる。そうなればお前たちを養うこともできない。しかしお前たちは皆ひとかどの侍だ。これよりは丹羽家より独り立ちして生きていくのだ」
そう言ってから長秀は優し気に微笑んだ。
「皆今までよく私についてきてくれた。礼を言う。ほかの者たちにもそう伝えてくれ」
この言葉に頼勝たち三人の目から涙があふれた。もはや感謝の言葉も出ない。ただ涙するしかなかった。
後日長秀は宣言通り腹を切り亡くなった。天正十五年(一五八五)四月のことである。病巣を秀吉に送り付けた。それを秀吉がどう感じたかは分からない。
長秀の壮絶な死に対する家臣達の反応は様々であった。ただ多数は冷静に受け止めている。秀勝や正家がそうであった。
「長秀様は秀吉様への怒りを己一人のこととして終わらせたのだ。丹羽家としては何の意味も持たぬこととするのが我らの役目」
「秀勝さまの言う通りですな。この先は幼き当主である鍋丸様を盛り立てていくのが我らの務め」
二人は粛々と長秀亡き後の体制づくりに勤しんだ。もっとも秀勝は与力という立場であるため頼勝ともども深くは関われない。しかし秀勝はその立場を活かして羽柴家とのつなぎ役を果たした。これには頼勝も感服するしかない。
「秀勝殿はさすがだ。私ではああはできん」
感服しきりの頼勝であったが何もしなかったわけではない。致し方のないことであるが丹羽家の内には今回の長秀の死の有様に怒るものも居た。正吉もその一人である。
「殿は秀吉殿の織田家への仕打ちにお怒りであった。それゆえに命を縮めてしまったに違いない。このことを頼勝様はいかがお考えですか」
ある日正吉は頼勝を訪ねてきてこう言った。わざわざノ海までやってきたのである。供も僅かであった。
このころは正吉もそれなりの大身である。そうした立場の人間としてはいささか軽率であった。頼勝は正吉の心情も理解したうえでこうなだめる。
「お前の怒りは分かる。秀吉様は主家を蔑ろにして自ら天下を取った。それに殿がお怒りであったのも分かっている。しかし今はもはや羽柴家の天下。これに逆らうのは丹羽家にも災いが及ぶ。このうえは残った我らで鍋丸様を盛り立てて丹羽家を守り抜くことこそが亡き殿の恩に報いることではないか」
こう言われて正吉は黙った。正吉もそれは理解しているのだろう。とは言え敬愛する主君のあまりの死にざまに飲み込みきれないでいるのだ。
「頼勝様の言う通りではあると思います。ですがこの怒りを抱えているのは俺だけではないのです」
「それはそうであろうな。だが今はこらえなければならぬ」
「はい。ですが成田殿は相当お怒りのようです。じつはそのことでお話したいこともありまして」
正吉は苦々しい顔つきになった。一方の頼勝は怪訝な顔である。
「成田殿とは成田道徳のことか」
「はい」
成田道徳とは頼勝らと同じく丹羽家に長く仕える男である。一本気で長秀への忠誠も強い男であったが、短気で向こう見ずなところがあった。戦場では大きな手柄をたてるもそれ以外ではその性分ゆえにしくじることも多い。そんな男である。
「(そういう男だから殿のことで怒るのは分かる。しかし私に伝えたいこととはいったいなんだ)」
言い淀んでいる正吉を見つめながら頼勝の頭には疑問が浮かんでいた。特に道徳から恨まれるようなことはしていないはずである。
やがて正吉は口を開いた。それは頼勝にとってあまりに心外なことである。
「成田殿は頼勝様と秀勝様を疑っておられます」
「どういうことだ? 私が何をしたのだ」
「お二方は殿を裏切り秀吉殿についた。だから与力になったのだと吹聴しております」
「何だと…… 」
「無論信じている者はおりませぬ。しかし成田殿も今は大身。これが家中を騒がせることにならないかと心配で。ならば頼勝様も秀吉殿にお怒りになっていると知らしめればこの疑いも張れるかと思ったのですが」
「そうか。いや、心配をかけたな」
「いえ。頼勝殿を疑うものなどいませぬ」
正吉はきっぱりと言い切った。それは信頼できる声色である。なんにせよ頼勝にとっては心配の種となる話であった。
しばらくして長秀の葬儀が行われた。喪主を務めるのは幼き当主の鍋丸。そしてそれを最古参の家臣である原田直政が支え、その直政を若き日から長秀に仕える戸田勝成が支える。そのわきを固める若手の家臣達。と言った光景であった。
頼勝は秀勝と共に少し離れたところから眺めていた。というのも勝成から丹羽家臣団とは別のつながりで参列してほしいと頼まれたからだ。
「申し訳ない。しかし家中に妙なことを言い立てる者がいてな」
申し訳なさそうに言う勝成。それが誰なのかは言わなかったが、頼勝はすでに知っている。
「成田殿は相当かんしゃくを起こしたようだな」
秀勝はあきれたように言った。すでに頼勝から忠告を聞いている。よく見れば時折正吉が申し訳なさそうな目でこちらを見ていた。
「正吉も気にすることはあるまいに」
「一本気な男ですから」
二人ともこの扱いに疑問はない。大恩ある主君の葬儀を無駄に騒がせるようなことはしたくなかった。それに勝成たちはちゃんと頼勝と秀勝に気を使っている。それだけで十分である。離れてみていろと言われれば黙って受け入れる所存であった。
そこで頼勝はふと気づいた。
「…… 成田殿は本当に我らを疑っているようだな」
よく見れば成田道徳がこちらを睨んでいる。はっきりと敵視しているようだった。
「あれの忠義の心は相当なものであったからなぁ。それが火種になろうとは」
秀勝は思わずため息を吐く。頼勝も無言で頷いた。ともかく長秀の葬儀は無事に終わったが、ここから万事うまく行くとは思えない頼勝であった。
丹羽長秀の死因はいろいろな説がありその一つは寄生虫によるものとも言われています。今回は内臓腫瘍という事にしましたが、諸説あってはっきりとしたことは分かりません。しかしなんにせよ織田家臣の中でも中心的人物であった長秀ですがその死に際は静かなものではなかったようです。秀吉の織田家への扱いを考えるとやはり無念の思いもあったのではないかと思いますね。
さて次章では丹羽家にある不幸が降りかかります。そしてその不幸は頼勝の人生を大きく変えることになります。いったい何が起こるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




