村上頼勝 動じない男 第四章
主君の主である織田信長の死。そこから起きる混乱をなんとか乗り越えた頼勝たち。しかし混乱はまだまだ続く。その中に当然頼勝も巻き込まれていく。
明智光秀が討たれたという情報が入ってから数日後、長秀が帰還した。その顔には疲労が強くにじんでいる。
「とんでもないことになってしまった」
力なくつぶやく長秀。こんな主君の姿を頼勝は見たことがなかった。
「ご無事にお帰りになった何よりです。まずはお休みください」
そう勝成が促すと長秀は力なくうなずいた。そして小姓を連れて去っていく。その後姿を見送る坂井直政ら家臣一同唖然とするしかなかった。
翌日、主要な家臣が集められて長秀からことのあらましが語られた。
「信長様が横死されたとき私は津田信澄殿と大阪の家康殿の接待役を命じられてな。それが終われば四国に向けて出陣する予定であったのだ」
だが接待が終わり軍勢と合流しようと大阪から出発した頃に光秀が信長を攻めたようである。そして移動中に信長は討たれ、信長の嫡男の信忠も討たれてしまったようだった。
「私が到着する直前に信長様が討たれたという方が入ったようだ。此度の四国攻めの軍勢は各地より寄せ集めた兵ばかり。この報を聞き兵どもが逃げ出してしまってな」
信長死亡の報を聞いた四国攻めの兵たちは混乱し四散してしまったのである。そして手元に残った兵は三分の一ぐらいになってしまった。
「残ったのは私の連れてきたわずかな兵と津田殿の兵。そして信孝様の連れてきた兵であるがこれもだいぶ減ってしまった」
津田信澄は長秀と共に信孝の補佐として派遣された武将である。この信澄だが信長の甥であった。若くして有能な武将であると知られている。
「それで当座のことは信孝様と信澄殿で話し合われたという事でしょうか」
直政がそう尋ねると長秀は口をつぐんだ。何やら重苦しい雰囲気をまとっている。だが家臣たちの顔を見回してから観念したように口を開いた。
「信澄殿の父君は信長様に二度謀反を起こした御仁。さらに光秀殿の娘を娶っている」
「まさか…… 光秀殿と通じておられたのですか」
この勝成の問いに長秀は首を横に振った。
「のちに分かったが信澄殿は何も知らなんだ。だがもう遅かった…… 」
絞り出すような声で言う長秀。そんな長秀を見て一同は察した。
「(殿が言い出したか信孝様が言い出したのか分からぬが信澄殿を討ったのだな…… )」
頼勝はそう理解したし実際そうであった。だがこれで信澄の連れてきた兵もいなくなりとてもではないが光秀と戦える状況ではなかった。だがそんな折に信じがたい報せが長秀の耳に入ったのだという。
「中国で戦っていたはずの秀吉が兵を連れて舞い戻ったというのだ。最初は信じられなかったが本当であった。そして拙者は信孝様を連れ秀吉の軍勢と合流し光秀を倒したのだ」
そういう長秀の表情は暗い。主君の仇を討ったというのにである。それはおそらくは信澄を勘違いから討ってしまったことに対する悔恨の念からなのであろう。だが頼勝は別の心境も感じた。
「(殿は秀吉殿に頼ったことを後悔しておられるのか? )」
何となくそう感じる頼勝。実際それは真実でありこの先の丹羽家にも暗い影を落とすことになる。
明智光秀の織田信長襲撃事件、のちの世に本能寺の変と呼ばれる大事件は羽柴秀吉が光秀を討伐したことで決着がついた。もっともそれはあくまで当主信長を討った家臣が討たれたという話にすぎず、今後の織田家の運営について決めなければならないことは山ほどある。そういうわけで長秀は若狭に帰還してから間もなくして尾張の清州に向かった。重臣たちが集まって今後についての会議が行われるのである。
会議に向かう長秀の側には秀勝と直政が付き添い正家と正吉も同行した。頼勝と勝成は留守番である。今後の状況は流動的であり織田家の枠組みがどうなるか、ひいては信長の進めていた天下統一事業もどうなるかわからない。今や天下に最も近い織田家の行く末は天下の諸侯も気になるところであった。
尤も勝成も頼勝もそこまでのことは気にしていない。気になるのは長秀の立場である。
「やはり信澄殿を討ったことを責められるのだろうか」
勝成はそこが心配であった。勘違いと思い込みで織田一門の一人を殺してしまったのは大きな過ちである。そこを問い詰められるのではないかと心配しているのだ。
一方頼勝はそこについては気にならなかった。
「あの場の大将は信孝様。責は信孝様にあるという事になるのではないか」
「そういうものだろうか。だとしても副将であった殿の責も問われるのではないか」
「少しはあるかもしれん。しかしこの時にいちいち問題を増やそうとはだれも考えないのではないか。信澄殿には悪いが棚上げされるだろう」
「それは…… そうかもしれんな」
一応勝成は納得したようだった。だがそうなると別の不安がよぎる。
「信忠様が亡くなった以上は誰が跡を継ぐのだろうか」
これは頼勝も気になるところである。実際問題信長が亡くなったことも重大なことであるがそれに加え、嫡男の信忠も亡くなったという事が織田家に取っては大きな痛手であった。当主が不慮の死を遂げたとしても嫡男が生きていれば家督は嫡男に譲られるだけである。しかしその嫡男が当主ともどもなくなるというとんでもない事態が現状なのだ。
「先の頼勝殿の物言いを考えれば信孝様のお立場は色々不利か」
「しかし信雄様の評判は悪い」
先にも記した通り信孝は三男である。上には次男の信雄がいるがあまり評判が良くない。無理な戦いをして信長から絶縁を突き付けられたこともある。
「噂では信忠様のご嫡男の三法師様に跡を継がせるのではないかともいわれているな」
「確かにそれなら正統な流れであるな。しかし頼勝殿。確か三法師様はまだ幼児。これを誰が後見するという争いになるのではないか」
「それもそうだな」
そう言って頼勝はため息を吐いた。勝成もため息を吐く。結局会議が終わっても混乱は続くだろうという見通ししかない。実際その通り新たな混乱が始まるのだが、その混乱に丹羽家は翻弄されていくことになる。
清州での会議は滞りなく終わったようで予定通り長秀は帰ってきた。出迎えた頼勝の見た長秀の表情には疲労が色濃い。
「(長秀様も相当苦労されたようだな)」
実際のところ会議自体は滞りなく進んだが、それは秀吉が光秀討伐の実績を後ろ盾に会議の主導権を握り続けたからである。そしてそれを筆頭家老であった柴田勝家は面白く思わなかったようであった。長秀は今回の会議で秀吉側に回ったがそれはすべて織田家の存続のためである。今は秀吉に主導権を握らせるべきだと考えていたが、勝家の反発は予想以上であった。結果長秀は板挟みになりかなりの心労を抱える羽目になったのである。
「殿のお体が心配だ」
「まったくだ。戦でもないのにあのようにお疲れのご様子。本当に心配だ」
頼勝も勝成も長秀の体を労わり心配するのであった。
さて会議の結果織田家の領地の再配分が行われたが、丹羽家は近江の二群を新たに与えられた。長秀はその一つに頼勝が入ったのだがこの領地はもともと津田信澄の物であった。
「おそらく我らを恨むものも居るだろう。だが頼勝。お前ならばきっとうまく納められるはず。頼むぞ」
大分やつれた様子の主君にそう言われたらやるしかない。頼勝は急ぎ現地に赴任し統治の準備を始めた。そして並行して頼勝に海津城を与えて修築させている。これについては頼勝もいささか疑問がある。
「この城を直させて殿は誰と戦うというのだ」
北にいるのは柴田勝家。南にいるのは羽柴秀吉。どちらも味方のはずである。
「殿は羽柴殿と柴田殿が戦をすると思っているのか。ならば殿はどちらにつくつもりなのだ。なんにせよ殿からの命を果たすしかないか」
頼勝は長秀の指示通り海津城を修築した。その過程で出た長秀の指示は合戦の準備に関わるものばかりである。頼勝は動ぜず黙って準備を進めていった。
やがて頼勝の疑問に答えが出る。天正十一年(一五八三)羽柴秀吉と柴田勝家との間で争いが起こった。現在秀吉の領地は山城や河内など。勝家の領土は越前だから長秀の若狭はその間にある。当然去就のついての判断を求められた。
長秀は即決する。
「我らは秀吉殿につく」
現状秀吉の勢いは飛ぶ鳥を落とす勢いである。その秀吉に味方することが織田家を存続する道なのだと長秀は判断したのだ。これに頼勝も反論はないが懸念はある。
「ここで柴田殿が失われれば羽柴殿をだれも止めることが出来なくなるのではないか」
新たな疑問を抱く頼勝だが主君の判断に従うほかない。頼勝も戦の準備を進めるのであった。
争いのきっかけは三法師の後見を務める信雄、信孝兄弟の争いである。二人は甥である三法師の後見をすることで実質的な織田家の当主になろうと考えていた。無論そんな二人が仲良くできるはずもない。そもそもこの二人の仲は険悪であったのでそれが顕在化しただけのことである。信雄は秀吉に、信孝は勝家に助力を求めたというのが表向きの経緯であった。ただし実際のところは違うようである、と正家は頼勝に語っている。
「実際は羽柴殿が己の権力を確かなものにしようと動いたようです。その中で信雄様と信孝様の争いを利用したようで」
「なるほどな。そういう事か」
「京の方面の噂では信長様の跡を継ぐのは羽柴殿になると言われていますよ」
「主君の仇を討ったからか。しかしその結果主家を乗っ取るというのか」
「信忠様が生きていれば兎も角、信雄様も信孝様も天下の主にふさわしくありませんでしょう」
「口を慎め。我らからしみてれば主の主筋だぞ」
正家の失礼な物言いを諫める頼勝。正家もさすがに口が過ぎたと思ったのか押し黙った。
「何にせよ殿は羽柴殿に味方した。それは織田家の天下をあきらめたという事になるのではないか」
「それは…… そうかもしれませぬ」
今現在頼勝は勝家との合戦の準備に追われている。その手助けに正家が送られてきたのだ。そして情報通の正家から今回の事態のあらましを聞いたというわけである。
「殿が海津城を修築させたのは勝家殿との戦を考えてのことか」
「おそらくは。殿は初めから羽柴殿に味方するおつもりだったのでしょう」
「もはや織田家の天下はあきらめたという事か」
「ならば羽柴家の下で生き永らえさせるべき、とお考えなのでしょうな」
他人事のように言う正家。それが気に障らなかったわけではないが頼勝は何も言わなかった。正家の言うとおりだと思ったからである。そして頼勝の腹も決まった。
「殿は織田家のためになりふり構わぬつもりなのだ。ならばそれをお助けするのが我らの役目である」
それがどのような結果をもたらすことになるのか。それは頼勝にはわからない。
柴田勝家は秀吉と争うにあたって伊勢(現三重県)の滝川一益も味方につけた。信孝は美濃を領地にしていたので三方から羽柴家の領地を責める形になる。秀吉はこれに対して軍勢を三方に分けた。丹羽家の軍勢は勝家の軍勢に対応する羽柴家の軍勢と協力して戦う形になる。長秀は直政と正吉を連れて敦賀に入った。海津の頼勝と共に柴田家の軍勢とにらみ合う形になる。
「ここは我らで抑え、伊勢や美濃の方が終わるのを待つべきか」
勝家の軍勢もすでに越前を出て近江にまで進出している。長秀たちは最前線に立つ形になっていた。だがここで勝家が動いた。家臣の佐久間盛政に兵を預け羽柴家の砦を次々と攻撃させたのである。勝家自身は本隊を率いて長秀の軍勢をけん制した。
この時頼勝は長秀が琵琶湖を渡り南下しようとしているという連絡を受けていた。頼勝は長秀の連絡を待ってともに動こうと考えいろいろと準備を整えていたのだがここで長秀からの伝令が駆け込んでくる。
「と、殿が参られます」
「どういうことだ? 」
伝令が言うには長秀は琵琶湖を渡ることをやめて海津に上陸するらしい。だが城には入らずそのまま進出して盛政の進撃を止めると言っているらしかった。
「殿は本気なのか? 下手をすれば我らだけで勝家殿と争うことになるが」
「頼勝様は城を固く守る様にと殿の仰せです」
「直政殿や正吉は何も言わなかったのか」
「いえ、お二方は止めたのですが殿はお聞きにならなかったようです」
「そうか。なんにせよ我らのやることは変わらぬな」
長秀がなぜそのような判断に至ったのかは頼勝にはわからない。しかし主君に任せられた任をなんとしてでも果たすだけである。
「(万が一のことを考えておかねばな)」
頼勝は長秀が敗走した時のことも考え準備を進めた。ところが次に入ってきた情報は味方の勝利を知らせるものであった。
「殿は佐久間殿から逃れてきた羽柴殿軍勢と合流し、佐久間殿の軍勢と合戦に及んだようです。それからすぐに羽柴殿の本隊が合流し一気に押し返したようです」
「そうか。それで殿は」
「羽柴殿と共に柴田殿の領地に攻め入っているようです。これで我らの勝利は確実でしょう! 本当によかった」
喜ぶ若い伝令。一方頼勝の表情は暗い。
「(これで秀吉殿の天下か。これが我が家に災いを招かなければよいのだが)」
勝利に喜んでいるのは伝令だけでなく頼勝旗下の将兵たちも同じくであった。そんな中で頼勝は一人憂鬱な気分でいる。なぜか自分の考えていることが現実になるような気がした。
今回の話は清須会議から賤ケ岳の戦いまでの話です。いわば織田家が崩壊していく過程の話で、頼勝の主君の長秀は否応なしに関わっていきます。重臣であった長秀は織田家の崩壊をどのように見ていたのでしょうか。それがうかがい知れる逸話がありますがそれは次回の話に。
さて柴田勝家を打ち破った羽柴秀吉は天下人の道を進みます。その中で頼勝は長秀からある重大な任務を任されます。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




