表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
368/400

村井頼勝 動じない男 第二章

 無事に丹羽家に仕えることになった頼勝は主君長秀の下で大いに働き活躍していく。そんな丹羽家は主家織田家が巨大になっていくにしたがってこちらも変化していくことになる。

 上洛した信長は幕府を再興させ、将軍となった足利義昭の後ろ盾となった。しかしこれで天下が治まるとはだれも思っていない。まだまだ信長には敵もいるし幕府にも敵はいる。それは誰もがわかっていたことなのだ。この後も戦乱はまだまだ続くし頼勝も長秀も大きく関わっていくことになる。

 上洛の二年後の元亀元年(一五七〇)信長は若狭や越前(どちらも現福井県)を支配する朝倉義景の討伐に向かった。この遠征には長秀は動員されず従って頼勝も待機である。勝茂ともども次の戦に備えての準備を行いつつも久々の平穏であった。

「長秀さまは此度の戦には呼ばれなかった。これでは我らも手柄をたてられませぬなぁ」

「我らは長秀様のお役に立つことだけを考えれば良い」

「それもごもっともであるな」

 そんなのんきな会話をしていたのだが俄かにあわただしくなった。というのも越前に侵攻していた織田家の軍勢が急遽引き返してくると都になったのである。さらに近江(現滋賀県))の織田家の領地の守りを固めよとの命令も降った。

「急ぎ戦支度をするのだ。まごついている場合はないぞ」

 長秀も相当焦った様子である。頼勝ら家臣たちは理由も分からぬまま動員された。

「いったい何があったというのだ」

 困惑する頼勝であるが長秀が担当する防衛地点につくと理由が語られる。

「浅井殿が朝倉家に寝返った。信長様は後ろを突かれる前に急ぎ虎口を逃れられたのだ。なんとか無事らしい」

 これには頼勝をはじめとした家臣一同驚愕した。浅井家は近江の北半国を支配する大名であり、当主の浅井長政は信長の妹の市を娶っている。つまり信長の義弟であるのだが、それにもかかわらず裏切ったというのだ。

「近江は美濃、と京をつなぐ回廊。ここを攻め落とされるわけにはいかぬ」

 長秀の言葉にうなずく家臣一同頷。その後戦場から離脱した信長は体勢を立て直し同盟国である徳川家と共に浅井、朝倉連合軍と合戦に及んだ。この合戦に信長は長秀を含む主力を総動員して挑み、徳川家の助けもあって大勝した。とは言え浅井家は滅んでいない。そのためまだまだ近江では緊張状態が続くことになった。

 これには勝成も不安である。

「戦で勝ったとはいえ浅井家は健在。まだまだにらみ合いを続けなければならんか」

「仕方あるまい。なんにせよ我らのやることは変わらぬ」

 無表情に断定的に言う頼勝。これに勝成は苦笑した。

「頼勝殿は変わらぬなぁ」

 苦笑しながら言う勝成であるが、むしろ変わらぬ頼勝に安堵するのであった。


 元亀二年(一五七一)織田家は浅井家の佐和山城を攻め落とす。そして長秀はここの城主を任された。そしてその二年後の天正元年(一五七三)には朝倉家が織田家によって滅ぼされたので若狭一国を任されることになる。以後長秀は各地の戦いに参戦しつつ時には信長の居城である安土城普請の奉行を任されたりした。そうして織田家の重臣としての活躍をつづけたのである。

 こうした主君長秀の活動を頼勝は一人の家臣として支えた。このころには丹羽家も大きくなっており頼勝を筆頭に多くの家臣を抱えている。まさしく多士済々の状況であった。

 特に長く長秀に仕えているのが溝口秀勝である。秀勝は幼いころより長秀のそばに仕えていた。小柄であまり力も強くなく戦映えするような男ではない。しかし細かいところによく気づき時には長秀の補佐として、時には己の領地を治める領主として目端の利くところを見せていた。

 頼勝よりは年長である。頼勝はこの風采のあがらない男の慕いよく教えを求めていた。

「秀勝殿にご相談したいことがあるのですが」

「ああ。某に応えられることならばいかようにも答えるさ」

 秀勝は気さくに応じてくれる。頼勝は無口で愛想もないので家中でも年長者から疎まれることもあったが秀勝はそんなことはなかった。むしろ進んで気にかけてくれる。それが頼勝にとってはありがたかった。

「殿の領地も増えて我らのやることも増えた。ここは皆で一丸となって殿をさらに助けようではないか。そこに生まれた国やこれまでのことなど関係ない」

 ある秀勝が設けた宴席の場で秀勝はそう言った。これに大きく頷いたのは今の丹羽家で一番の大身の坂井直政である。

「溝口殿の言葉は拙者のような男にはありがたい。いや全くその通り。皆で力を合わせて殿を支え丹羽家を盛り立てていこうではないか」

 直政は秀勝とは真逆の大柄でがっしりとした体格の偉丈夫である。戦場での槍働きもすさまじいが平時は落ち着いていて穏やかな人柄である。その生国は越前で様々な家を渡り歩いた末に長秀に仕えた。ゆえに長秀からも頼られ家中のだれもが尊敬する古強者である。長秀ともそれほど年が変わらず家臣の中でも最年長であった。

「拙者のような流れ者をこれほどに重用してくれる殿には恩義しかない」

 常々そんなことを言っている。頼勝も信濃から流れてきた身の上ゆえに直政の言う事には同心しかない。

 溝口秀勝と原田直政。この二人が丹羽家臣団をまとめる双璧であった。


 長秀が若狭に領地を賜ったころ、頼勝と勝成は長秀からある相談を受けた。

「この先も信長様の期待にこたえるためにも新参の者も取り立てていきたい。だがそれだけでは足りぬ。まだ在野の子息で幼いものを今のうちに取立てておくのも必要だと思うが、其方たちはどう思う」

 これに頼勝も勝成も賛意を示した。

「殿のおおせられるとおりにございます。早いうちから取り立てておけば殿や御家への忠義も持ち合わせましょう」

「そもそも私も幼き頃より取立てられた身。何も逆らう理由はございませぬ」

「確かにそうだな。今思えばあの時勝成が頼勝の名を出さなければ儂はおぬしの武勇を知る由もなかった。いや儂は運がいい」

 長秀にこう言われて頼勝も勝成も悪い気はしない。部下に対してこういう如才ない物言いができるのが長秀の魅力である。

 さて長秀は頼勝と勝成への相談の後に何人かの元服前の少年を手元に置いた。主に近江の出の者が多く皆利発と言われている。頼勝と勝成は彼らの教練や指導を任された。このころには二人とも丹羽家臣団の中でも中堅どころの代表と言える立場である。ちょうどいい立場であった。

 頼勝は勝成と共に少年たちを指導していたがその中で際立っていたのが二人いる。一人は長束新三郎だ。新三郎は水口家の流れを汲むという長束家の出である。新三郎の父は近江長束村の有力者で水口の名字を名乗っていた。だが新三郎は長秀に仕えるにあたってこんなことを言い出す。

「私はこれより長束の名字を名乗ります」

 これには長秀だけでなく新三郎の父親や勝成も大いに困惑する。むろん頼勝もだが動ぜずに理由を聞いた。

「何故水口と名乗らぬ。水口は古来より続く名家の名字ではないか」

「私は昔より続く物より新しきものの方が良いと思います」

 これには新三郎の父は怒ったし長秀も勝成も若干呆れた。もっとも長秀はそうではない。

「それくらいの意気がある方が良い」

 そう言って新三郎を気に入った。

 新三郎はふくよかな体格でいささか動きも鈍重である。しかしかなり利発で特に数字の計算などに優れていた。書物もよく読み年に似合わぬ知力の持ち主である。

「これからは槍働きより頭の働きです」

 そう言ってはばからないので周りからは疎まれることもあったがとかく優秀である。頼勝も生意気と言える性格を割と気に入っていた。

「これよりの時代はお前の言う通り頭の働きも重要になるだろう。この先々私もお前の指示を受けることになるかもしれんな」

 そう思ったことをそのままにして言うと新三郎は思わぬ反応をした。

「いえ、それは。頼勝様の上に立つなどという事はあり得ませぬ」

 普段から反発ばかりされていてただただ認められるという事はあまりなかったらしい。新三郎は顔を真っ赤にしてそういうのであった。


 頼勝と勝成が面倒を見てきた若者で知に最も秀でていたのが長束新三郎なら武に最も秀でていたのが江口伝次郎である。伝次郎も新三郎と同じく近江の出であるがそれ以外は判然としていない。身分の低いものか没落した武家であるかともかく不明であった。

伝次郎は背も高く体つきもしっかりしていてもはや大人に近い体格である。性格は真面目かつ勇猛果敢であった。頼勝や勝成をはじめとする年長者に対しての礼儀も正しくかといって同年代の者や年下の者を軽んじたりはしない。

「俺は長秀様に拾われて救われました。周りの者も同じだ。だから皆で力を合わせて長秀様に恩返しをしたい」

 そうことに触れて頼勝に言っていた。また武芸の修練にも熱心で頼勝や勝成に鍛錬を望むことも多い。

「頼勝様。今日も俺に槍のことを教えてください」

「良かろう。来い」

「ありがとうございます! 」

 そのあとは何度倒されても頼勝に向かっていく闘志を見せるのであった。さらに武芸の修練だけでなく兵法もよく学びそちらも同年代で最も優れた素養を見せている。

 そういうわけで特に将来有望である新三郎と伝次郎であるが、この二人はいささか仲が悪かった。比べてみればよくわかる話で、新三郎はあまり動かず書物を読むことを好む。年長者にもひるまぬ気象の持ち主で見ようによっては無礼に見えた。それに対して伝次郎は体を動かし特に武芸の習得を重んじた。年長者に対する対応はともかく礼儀正しくへりくだる。何もかも対照的であった。そういうわけであるから何かとお互い反目する。口論に至ることもよくあった。

「新三郎のように太っては戦で役に立たない。書を読むのは大事だがそれだけではだめだ」

 こう伝次郎が言えば新三郎は

「伝次郎のような猪こそ役に立たない。書を呼んでもそれを忘れるような頭では役に立たないどころか皆の迷惑になるに決まっている」

と言い返す。これが長じると取っ組み合いになるのだが当然伝次郎が優勢である。しかしどんなに殴りつけられても新三郎は決して謝らなかった。むしろ

「結局お前は力任せしか知らんのだ。それではいざ戦場に立っても好き勝手されるぞ」

と言って伝次郎をあおる。そして伝次郎はさらに怒った。そこで周りの大人が仲裁に入って事なきを得るのである。

 ともあれこの二人の優秀さは目を見張るものがあった。頼勝はやがてはこの二人が丹羽家を支える両輪になるのだと信じている。


 頼勝たち家臣の差さえもあって丹羽長秀は織田家において安定した活躍を果たしていった。とは言え織田家は出世競争が激しい。信長も代々の家臣だけでなく小身から身を起こしたものや新規に召し抱えたものも分け隔てなく使っている。さらに織田家はどんどん巨大になりその過程で様々な才覚を示したものは次々と出世していった。

 そんな中で長秀はいささか出世が遅れている。これは長秀が無能であったとか冷遇されていたとかそういう事ではない。むしろ周りの者たちの出世がすさまじかったのだ。

 そして織田家での出世頭とも言えたのが羽柴秀吉である。羽柴となっているがそのじつはかつて六角家との戦いで長秀と共闘した木下秀吉である。羽柴の名字は秀吉曰

「羽は丹羽殿から、柴は柴田殿から頂きました。信長様の信頼も厚いお二方にあやかりたいと思いまして…… 」

とのことである。柴田殿というのは織田家の筆頭家臣である柴田勝家のことだ。

 頼勝は秀吉がそう言って長秀から羽の字をもらうことを了承してもらおうとしていた姿を見ている。へりくだり、ぺこぺこと頭を下げる秀吉の姿を見たほかの者たちは

「あの御仁は農民の上りらしい。それらしい姿だ」

「此度のことも長秀様に取り入ろうという魂胆なのではないか」

 などと言っていた。一方頼勝のかんじ方は違う。頼勝はへりくだる秀吉の姿に何とも言えない違和感を覚えた。

 その日、頼勝は秀勝と勝成と酒を飲んだ。こういう時は主に秀勝と勝成が話して頼勝の口数は少ないし自分から話し出すことはほとんどない。だがこの日は違った。

「お二方は木下殿、いや殿がお許しになられたから羽柴殿か。ともかくあの御仁をどう思う」

 二人間先ず頼勝がそう一気にまくし立てたことに驚いた。さらにその緊張したような面持ちにいささか戸惑う。

「羽柴殿が何かなされたか」

 勝成はそう心配気に尋ねる。これに頼勝は答えない。というか答えることが出来ないといった感じであった。秀勝はしばし考えこんでからこう言った。

「羽柴殿もひとかどの将。そんな御仁がわざわざ頭を下げに来たことを妙に感じているのだな」

「はい。書状か、別の場で許しを得るような形でよいのではないかと」

「それは羽柴殿が礼儀正しい御仁であるという事ではないのか? 」

 勝成は不思議そうに言った。確かに勝成の言う通りのような感じではある。しかし頼勝が見た秀吉からは言い知れぬものを感じたのだ。

「あの御仁は、うまく言えぬがとんでもないことを成すのではないかと。そう思いまして」

 頼勝は珍しく弱弱しく言った。何か違和感を覚えているがそれが言葉にできない、という事なのだろう。

 結局この話はそれっきりになった。だが確かにこの後秀吉はとんでもないことを成す。そしてそれに長秀も頼勝も無関係ではいられなかった。

 今回の話は丹羽家家臣団の紹介と言った内容になりました。頼勝について調べるのに合わせて丹羽長秀の家臣たちも多少調べましたが思った以上に人材が豊富で正直驚きました。ですが彼らにはこの後で悲劇的な運命も待ち受けています。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ