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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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篠原長房 臣の務め 第九章

 長房の悲願である足利義栄の将軍就任が成し遂げられた。これで万事うまく行くと思えた矢先、二つの件が長房の前に立ちふさがる。

 永禄十一年七月足利義昭は美濃に入った。織田信長の下で本格的に上洛の準備を進めているようである。この動きは長房も察知していたがこの時ばかりは打つ手がなかった。周辺の敵勢力との戦いに忙殺されていたことや、長逸らが信長との交渉を行っていたからである。長房としてはできるだけ何か手を打っておきたかったが難しそうであった。

「大義名分がない以上はこちらから先手を打って攻めかけるわけにもいかぬ。そもそも周りの敵との戦いで我らの戦力もないのです」

 長房は康長との相談の中でそんな風にこぼした。だが康長の下を訪ねた理由は愚痴をこぼすことではない。康長は緊張した面持ちで長房に尋ねた。

「義栄様が御病気と聞く。それは本当なのか」

 いきなり確信を突いた質問であった。長房はがっくりと肩を落としながらうなずく。実はこの時義栄が病になってしまっていたのだ。無論義昭の上洛が取りざたされている中でそのような情報は表にできない。しかしどこからかうわさが出ていて康長の耳にも入ったのである。

「真のことです。宴席の時はあれほど元気であったのに。このところ急に体の調子が悪くなったようで」

「そうか。しかしこのような時に間の悪い」

「こればかりは致し方ありませぬ。今は普門寺で療養されております」

「長逸達は知っているのか? 」

 康長の質問に長房は無言で頷いた。もっともそれも当然のことで義栄の周辺には三好本家の人間も出入りしている。隠し通すことなど出来るわけはない。長房もそれは分かっていたので義栄の病が長引き始めるとすぐに長逸達に連絡していた。無理やり隠して関係を悪化させるよりはるかにマシだと考えたのである。だがそれは大きなリスクをはらんでいた。

「長逸殿達が義昭様に鞍替えするかもしれぬというのは私も考えました。しかし隠し通せることではありませぬ」

「その通りだ。儂でも同じようにするだろう。だが本当に間の悪い…… 」

 康長は嘆息した。長房も思わず嘆息する。少し前に将軍就任の祝いをしていたというのになぜこのようなことになってしまっているのか。その上どうすることもできない。本当に運が悪いとしか言いようがなかった。

「ともかくこの先は色々と敵方も動くでしょう。義栄様の守りは我らが務めます。康長様は松永殿を」

「ああ分かっている。義昭様の動き次第では松永も動くそうなれば儂も大和に入るつもりだ。その時は何とか松永だけでも討ち取っておきたいが」

「それが理想ですが無理をしてはいけませぬ」

「ああ。わかっておるよ」

 二人は暗い顔で頷きあった。どんなに不幸な状況でもやるべきことは変わらない。自分たちの務めを果たすだけである。


 八月に入ると大きな動きがあった。三好三人衆が近江に入り六角家と「天下の儀」を談合したのである。この「天下の儀」というのはどうも義昭の上洛への対処のことらしい。長房は談合が終わってから報告を直接長逸から聞くことになった。

「六角家は我らと同盟を組み義昭様の上洛を阻むことになった。我等も上洛に備え畿内の敵をどうにかしなければならん」

 この報告に長房は素直に驚いた。少し前までは長逸ら三人衆が義栄から離反するかもしれないと不信を抱いていたからである。

「織田家との交渉が不首尾に終わったという事ですかな」

 カマをかける意味もあって皮肉を言う長房。これに長逸はかなり不機嫌そうであったがうなずいた。

「織田家は義昭様の意向を優先するとだけ言ってきた。その義昭様は我らを許さんと言っているらしい。まあ、当然のことだろう」

「まあ、確かにそうですな」

 義昭にしてみれば長逸達三好三人衆は兄の仇であり自分の命も奪おうとした者たちである。許されるわけもなかった。だがそうなると少しばかり気になるのは義継のことである。

「義昭様は義継様を許したという事なのでしょうか」

「それは分からん。だが松永をそれなりに信頼してはいるようだ。義継様も松永の下のいるなら期にはしないという事なのかもしれん」

「なるほど。そうなると義継様をこちらに引き戻すのはいよいよ不可能ですな」

「土台、無理な話だ。義継様は我らを恨むこと尋常ではない」

 吐き捨てるように長逸は言った。もっともそもそも三人衆と義継の関係が破綻したのは三人衆が義継を粗略に扱ったからである。それゆえにこんな事態に至ったのだがそこを指摘しようなどとは長房は考えなかった。事態はそれどころではないからである。

「義昭様の上洛は近づいているとみてよさそうですな。しかしどれほどの軍勢が来るのか」

 長房からしてみれば織田信長という大名の実力は未知数である。尾張、美濃の二か国を治めているというがその軍事力など具体的な数字がわからなかった。

「その織田家は我らと対等に渡り合える方々なのでしょうか」

「おそらくは。そうでなければ義昭様も頼らないだろう」

「確かにそうですな。しかしそうなると我らの戦力もどう割り振ればいいものか」

「とりあえず織田家の軍勢は六角家に任せればよかろう。その間に大和の松永を討つ。その上で我らも六角家に助成すればよい」

「備前(現岡山県)で毛利の水軍の動きが活発化しています。これも上洛に絡んだ動きでしょう。我等はそちらに対処します。残りの戦力は畿内に」

「ああ、それでよい」

 うなずく長逸。そんな長逸に長房はこう言った。

「長逸殿。義昭様の上洛を阻んだ暁には義栄様を京に…… 」

 これに対して長逸はうんざりしたように言った。

「それはとりあえず今の事態が落ち着いてからだ」

 これに長房は不服である。だがそれもそうなので黙ってうなずいた。

 こうして三好本家と阿波三好家は協力してこの事態に対処する。だがその先には思わぬ事態が待待ち受けていた。


 永禄十一年九月七日、いよいよ織田信長が足利義昭を奉じて上洛の兵をあげた。この数日前、三好康長は松永久秀の牽制のために大和に入っていた。一方阿波三好家の兵の一部は備前に派遣されている。そのため畿内を守るのは勝竜寺城の岩成友通、芥川山城の三好長逸、そして滝山城に三好長治が、越水城に篠原長房が入っていた。

 戦力は分散された形になっているが、この点について長房も三好三人衆もそこまで深刻視していない。

「以前より衰えたとはいえ六角家がいるのだ。織田家の進軍を阻んでくれるはず」

 長房はそう考えていたし三好三人衆も同様である。六角家は以前三好家を苦しめた家でありその実力を評価していたのだ。

 一方で長房にとって何よりも深刻なことがあった。それは義栄の病状である。義栄の病状はいよいよ悪くなり一日の大半を寝て少していることも多かった。そんな義栄だがこの頃阿波に帰りたいと言っている。

「この地で死ぬより生まれ育った阿波の地で死にたい。もはや京に入れなくてもいい」

 義栄は自分の死を確信し、できるならば実質的な故郷である阿波の地で最期を迎えたいと言っているようである。もはや将軍の座などどうでもよさそうであった。

 これには長房も頭を悩ませていた。義栄には将軍として自分たちの後ろだてになってもらわなければ困る。しかし義栄の病は重く以前のような健康体になる見込みはない。

 また病床の義栄はこんなことを言っていた。

「わたしを将軍にしてくれた阿波の衆の忠義は理解している。このうえは跡を弟の義助に譲りたいと考えているがどうだろうか」

 要するに自分はもう駄目だから弟に将軍職を譲りたいという事である。この提案は長房にとっても悪くない。だがまずは義昭の上洛というこの緊急事態をどうにかしなければ話にならないのである。

 長房は滝山城の長治の下に赴き自分の考えを述べた。

「義栄様の病はもはや治りますまい。このうえは義助様を截てようと思います」

「それは別にいいが、義栄様のことはどうする」

「義昭様の上洛を阻んだのちに阿波にお入りいただきましょう。これまで我らに力を貸してくれた礼にはなりませんでしょうが、さすがに今のさまはお気の毒にございます」

「分かった。その際は私が義栄様をお守りしよう」

 義栄の病状を考えれば今すぐにでも阿波に連れていきたいところである。しかし将軍が下向する以上は護衛の軍勢は必要不可欠。だが戦力を分散させている阿波三好家にそんな余裕はない。

「義栄様にはその旨を伝え、今しばしのご辛抱をお願いいたします」

「分かった。頼むぞ」

 長房は普門寺に向かうとその旨を伝えた。病床の義栄は

「ありがたい。ならばあと少し何とか生き延びてみようか」

と、かすれた声で答えるのであった。

 義栄の答えに長房は必ずや勝利を誓う。しかし事態はここから一気に悪化していく。


 上洛を目指す信長の軍勢を六角家は阻もうとした。六角家は数年前に家臣との争いで弱体化はしていたがこの度の危機にはさすがに団結して迎え撃つつもりのようである。ところが六角家は十二日に箕作城、十三日には本城である観音寺城を攻め落とされた。当主の義賢は息子と共に城を脱出して潜伏する。近江は瞬く間に織田家の手に落ちたのだ。

 この報せを聞いた長房は絶句した。当然のことであろう。長房ら阿波三好家と三好本家の戦略は六角家が織田家を足止めするという前提で考えられていたものであるからだ。

 この報せはむろん長治の耳にも入る。青い顔の長治は越水城にやってきて長房にこう言った。

「六角家がこんな簡単に敗れるとは。いったいどうするのだ」

 長房もそれを考えていたところである。しかし現状を鑑みればおのずと答えは出た。

「長治様。今すぐ兵をまとめ義栄様と共に阿波にお戻りください」

「や、やはり勝てぬのか。だが長房。おぬしはどうするのだ」

「私まで逃げては本家への義理が立ちませぬ。残ります」

「いや、それはだめだ。お前が死んだら我が家はどうなるのだ」

 長治は必死で長房を説得した。その心中には自分だけでは阿波三好家が運営できないという悲観的な考えがある。一方長房としてもここで阿波三好家だけが撤退すれば三好本家との関係はいよいよ破綻するだろう。それは望むところではないし、大和で戦っている康長を見捨てることにもつながる。

 二人はしばし争っていたが、そこに伝令がやってきた。長逸からの伝令である。

「長逸様は兵をまとめ阿波に退くおつもりのようです」

 これには長房も驚いた。てっきり三好本家は徹底的に戦うと考えていたのである。しかし本家の実質トップである長逸が撤退するというのならば話は変わった。

「長房よ。長逸殿が退くと言っているのだから…… 」

「はい。それならば話は違いましょう。しかしならばいろいろと準備を進めなければなりませぬ。ともかく長治様は義栄様と共に一足お先に阿波に逃れてください」

「分かったが、長房はどうするのだ」

「私は康長様にこのことを伝えます。おそらく長逸様からの連絡は行っているでしょうが、私と合流した方がいろいろと都合がいいはずです」

「そうか。ならば大叔父様のことは任せるぞ」

「はい。ですがまずは私と共に義栄様の下に参りましょう」

 こうしてあっという間に阿波三好家の撤退は決まった。無理な戦いをせず戦力を温存しての撤退なのだからむしろ上洛である。しかし長房の心は義栄の心中を思い暗いものになるのであった。


 六角家を破った織田家は十日ほどのちに東寺に入った。だがそのまま入京せずに摂津方面に進軍する。摂津は畿内の三好家の本拠地でもあったので三好家の討伐を優先したのだろう。

 これに対し三好本家は抗戦せずに撤退を選択する。とはいえ時間稼ぎは必要であったので摂津への途上にある勝竜寺城の岩成友通がしんがりとなった。

 阿波三好家も三好本家と同様に撤退を選択する。その際に何よりも優先したのが義栄一家を安全に阿波に逃すことであった。長房と長治は戦況を義栄と義維に説明する。この時の義維の落胆は計り知れないものであったようだ。

「ああ、せっかく息子が将軍になれたというのに。また阿波に逃れなければならぬとは」

 皮肉なものでかつて病に衰えていた体は義栄の将軍就任以降回復し今では健康体である。一方息子の義栄はすっかり病み衰えている。

「この体が保つかわかりませぬが、一切を長治殿と長房殿に任せましょう」

 義栄はもともと阿波に帰りかがっていたのでむしろ乗り気ではあった。もっとも無事に帰れるかわからぬくらい体は衰えてしまっている。

 東寺から出陣した織田家の軍勢はあっという間に勝竜寺城を攻め落とし友通は逃げ延びた。この時長治はすでに義栄たちを伴って、海を渡る準備をしている。幸い淡路の安宅水軍が護衛を引き受けてくれたので阿波に無事に渡れそうであった。

 勝竜寺城の落城の翌日に芥川山城も落城した。もっともすでに長逸は撤退しており人的被害は最小限に抑えてある。この時長房は越水城に逃れてきた康長と合流していた。康長は長治からの手紙を携えてきている。

「長治と義栄様達は無事に海を渡れたようだ」

「それだけでも幸いですな。我らも引き揚げましょうか」

 そういう長房の表情は疲労と無念の気持ちで暗かった。無理もない。ここまで進め来たことがすべて台無しになっていくのを目の当たりにし続けたのだから。その姿に康長もかける言葉はない。

 康長は無言で長房を見つめている。すると長房が口を開いた。

「康長様」

 その声は思いのほか強い。

「私は必ず戻ってきますよ」

「そうか…… ならば儂も力を貸そう」

「よろしくお願いします」

 長房の強い決意の籠った言葉にうなずく康長であった。

 こうして三好家は畿内から撤退していった。だがその兵力は大部分が温存されている。長房の考えている通りの返り咲きも十分に狙えるほどであった。


 新年あけましておめでとうございます。本年も戦国塵芥武将伝をよろしくお願いします。

 さて年が明けて初めての話ですが大分暗い内容となっております。前の章で悲願の義栄の将軍就任が成し遂げられたにもかかわらず数か月で畿内から撤退する羽目になりました。ですがよくよくの因果をたどってみれば永禄の変が初めにあるわけで、そこに付け込んだ形になる長房の悲願が成就するはずもないとも言えます。とはいえ長房はまだまだやる気十分。いったいこの後どうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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