篠原長房 臣の務め 第八章
三好本家の当主である三好義継が出奔した。この衝撃的すぎる事態に長房は戸惑うしかない。だがこれはまだあくまで混沌の序章に過ぎないのである。
義継が出奔した翌月に長治が阿波から軍勢を引き連れてやってきた。この唐突に起きた緊急事態の収束のためのものである。軍事的な強化はもちろん当主の出奔というあまりに想定外の事態に対して、一門衆で最も本家に近い立場の長治を代役に据えようという三好三人衆、長房、三好康長の判断であった。
この事態にある意味一番困惑していたのが長治であろう。長治は畿内のことは完全に長房に任せている。自分は阿波で自遁や宗伝に支えられて家を守っていればいいと考えていた。だがここで思わぬ形で渡海することになったからである。
長房は渡海してきた長治に土下座せんばかりに頭を下げた。
「この度は真に申し訳なく思います。本来なら長治様には阿波の家を守ってもらいたかったのですが。このような事態になっては長治様に三好家をまとめていただくほかには方法がなく…… 」
ここまで申し訳なさそうな長房の姿を長治は知らない。さすがに気の毒になってくる。
「いや、私も義継殿が出奔されたと聞き驚いている。なぜこのような事態になったのだ」
「それは、その。義継様と本家の家臣との関係が思わしくなく」
「そうか。だとしても家を捨てるなどとはあり得ぬではないか」
「まったくもってその通りにございます。ともあれこうなった以上は仕方ありませぬ。長治様には各所の動揺が収まるまで名代として畿内にとどまっていただきます」
長治はこの長房の説明を聞いて不安になった。
「もしやするとこのまま私が本家を継ぐような話にはならぬだろうな。私は父上の遺した阿波の家つぶしたくはない」
実際この長治の懸念はある程度あたっていた。三好三人衆はこの義継出奔の事態に長治を新たな当主として擁立するべきではないかと言っていたのである。もっともそうすれば阿波三好家は無くなる可能性があったので長房は反対していた。康長も同様であったが今回の事態を放置することはできなかったので、長治を名代として呼び出すという事で三人衆を説得したのである。
長房は長治の懸念を察してこう告げた。
「本家を我らが力を合わせれば松永殿もすぐに倒すことはできましょう。そうして義継様を取り戻せば万事元通りになります。それまではご我慢を」
そう言って平伏する長房。これには長治も黙るしかない。
確かに義継を擁した松永方の勢力は侮れない。だが戦力は三好家の方が優勢である。だからすぐに決着がつくだろうと長房は考えていた。ところがそうはうまく行かないのである。
永禄十年の十月、大和の奈良東大寺で三好三人衆方と松永方での戦闘が起きた。この戦いには三好三人衆も久秀、義継も出陣しており両勢力トップの直接対決である。
この時長房は後詰として出陣し東大寺には布陣しなかった。兵力では三人衆方が優勢であったため長房は敵の退路を塞ぐ役目を期待されたのである。この任務に長房もやる気であった。
「松永殿はしぶといからな。ここで負けても生き延びてまた姿をくらませるかもしれん」
そう考えていた長房であったが、ここで予想外のことが起きた。なんと数で勝る三人衆方が敗北したのである。三好三人衆は東大寺に布陣していたが、ここに久秀たちが奇襲を仕掛けてきたのだ。長逸達は東大寺に布陣していれば直接攻撃を受けることはないだろうと考えていたのだが、結果それが大きなスキになったといえる。この戦闘で失火が起きて東大寺は焼け落ちてしまった。三人衆方の将兵も討ち取られるものや焼死する者が多発し総崩れとなってしまったのである。皮肉なことに久秀の退路を封じるための長房の阿波三好家の軍勢は、松永方の追撃から味方の退路を守る役目を果たすことになった。ともかくこれで大和の情勢は松永方の有利に転じ、逆に三好三人衆や阿波三好家に取っては勢いを大きくそがれる手痛い敗戦となった。しかしこの翌月長房らにとってはうれしく状況を好転させることが起きた。
永禄七年十一月、摂津富田の普門寺に公卿の勧修寺晴右と山科言継が下向してきた。同時期に義栄側近の畠山維広が入京している。この時義栄は越水城を出て普門寺に滞在していた。両公卿の下向は義栄の将軍就任に関しての交渉のことらしい。これを知った長房は狂喜した。
「朝廷においても重きをなす二方が来られたという事は義栄様を将軍として認めるという事に他ならないのではないか」
だがこの時は何の事態も動かず長房は少しばかり落胆する。一方こうした動きを受けて三好三人衆たちも動きを活発化させた。ここで自分たちが擁する義栄が将軍に就任させれば先の敗戦を取り戻せるほどの効果が見られたからである。
「我らはあくまで大和で負けたに過ぎない。大和ではまだ我らに味方する者も多い。義栄様を将軍にして幕府の意向を取り付けられれば先の敗戦も帳消しにできる」
実際現状大和での情勢は三好三人衆方にとって不利であったが他の地域での有利は変わりない。大和さえどうにかできれば勝ったも同然なのだ。そしてそれを成し遂げるためにも三好三人衆は義栄の将軍就任に全力を注いだ。
そして翌永禄十一年(一五六八)の二月、ついに義栄に将軍宣下が下った。これにより義栄は征夷大将軍になり室町幕府第十四代将軍に就任したのである。ただ入京はせず普門寺に滞在したままであった。長房の奮闘が報われた瞬間である。
義栄の将軍就任が決定的になったことで長房は大いに喜んだ。
「これまで苦労したかいがあったというものだ。これで三好家も安泰である。長慶様も実休様も大いに喜んでくれていることだろう」
同月中に長房は堺の豪商津田宗及の店の大座敷を借りて、義栄の将軍就任を祝う大宴会を開くことにした。これには三好本家の人々だけでなく篠原自遁などの阿波三好家の人間も招いている。
「あの陰気な男がこのような華やかな催しごとを開くとは。少しは雅さを学んだと見えるな」
宴会に招かれた自遁は何とも上機嫌である。一方同じく招かれた宗伝はむしろ困惑していた。
「あの長房様がこのような宴席を設けるとは。それほど義栄様の将軍就任のことを大いに喜んでいるという事なのだろうが」
実際普段大人しくどちらかと言えば質素で地味な雰囲気を好む長房である。今回の大宴会は今までの長房とは大分に違う雰囲気のものであった。自遁はともかく宗伝の困惑も無理はない。
やがて来席者も続々とやってきて宴会が始まった。長房は常時上機嫌である。というかほかの阿波三好家の人々も上機嫌であった。最初は困惑していた宗伝もいつの間にやら酒を飲みにこやかに談笑している。長治もいたが長房に輪をかけて上機嫌であった。
「これほどまでのことを成し遂げる家臣がいてくれるとは。私は果報者にござる。長房よ。これからも頼りにさせてもらうぞ」
「勿論です長治様。これよりもお家のため粉骨砕身務めさせていただきます」
「おお、そうかそうか。まったく父上はすばらし家臣を残してくれたものだ」
長治は長房の答えにますます上機嫌である。宴会は賑やかに明るく楽しげに進んでいった。そんな中で康長が長房を呼び止めた。
「少し良いか」
「はい。なんでしょうか。康長様」
康長は長房だけを連れだして大座敷の外に出る。長房はそこで康長が酒に酔っていないことに気づく。長房が知る限り康長は相当の酒好きである。そこに気づくやさっきまでの調子は消えて真剣な表情になった。
「康長様。何か悪い報せでも入ったのですか」
長房の真剣な問いに康長は少し思案して答えた。
「いやそうではない。だが気になることがあってな」
「気になること? 」
「うむ。友通の姿がないのが気になってな」
康長が気になったのは三好三人衆の一人岩成友通の姿がないことであった。長房は当然友通も宴会に誘っていたが、事情があって不参加だとの返信をもらっている。
友通は今三好本家の運営を担う重臣の一人である。ならばなにがしかの外せない仕事があったのだろうと長房は考えていた。だがここで康長に言われて言い知れぬ不安を抱く。
「岩成殿が何か画策しているとでもいうのですか」
「そうではない。しかし長逸達はそもそも義栄様を擁立するつもりはなかったはずだというのを思い出してな」
この物言いに長房は康長の言いたいことを察した。つまりこれまでは義栄を将軍に就任させる共通の目的はあった。しかしその理由は三好本家と阿波三好家では異なっている。阿波三好家は義栄の将軍就任とその体制の確立を目指していた。だが本家は擁立に関してはともかく体制の確立には言及していなかったのである。
「義栄様が将軍に就任した以上は長逸達も阿波の衆への義理は果たしたと考えているかもしれん」
「…… しからばこの先別の動きがあり得るかもしれぬと」
康長はうなずいた。これを受けて長房も緊張の面持ちになる。そのあと二人は宴席に戻った。しかし長房には酒の味も分からぬほどの不安が渦巻いている。そして疑念を含んだ目で宴席に参加している長逸を睨むのであった。
義栄の将軍就任後、長房と三好三人衆の関係性は微妙なものとなっていた。まさしく康長の懸念の通りであるが、三人衆側としては久秀との戦いの勝利のために手を組んだわけで、義栄の擁立は予想外であり歓迎すべきものではないのである。
「我々は三好家の世を作るために義輝様を討ったのだ。義栄様が将軍になってはその意味もない」
三人衆はそう考えていた。そしてこのさらに状況を混迷させる情報が入ってくる。奈良から脱出した足利義昭が上洛のために本格的に動き出したのだ。さらに事態をややこしくしそうな情報も長房の耳に入ってくる。
「久秀とのは義昭様を擁立するつもりか。ならば義継様もそれには同意しているという事か。これは面倒だぞ」
久秀は永禄の変の時義昭を保護していたのだからそうした動きをするのは分かる。しかし義継は義栄の将軍就任を断固拒否していた。だというのに義昭の上洛を手助けする動きをしているのは一見矛盾した動きに見える。長房も康長もそう感じていた。
「義栄様擁立の動きを拒否した義継様が義昭様の擁立に与するとは。やはり松永殿に丸め込まれたのでしょうか」
「そうかもしれん。もしくは我らに勝つために今は義昭様を受け入れることにしたのかもしれんな」
「まったく。どこかで聞いた話ですな」
長房には義継の義昭擁立が三人衆の義栄擁立受け入れの動きと瓜二つにしか見えない。しかしその結果三好三人衆と阿波三好家が微妙な関係になっていることについてどう思っているのか。正直気になるところであるが今はそんなことを話している時ではない。この時阿波三好家の周辺で面倒なことがいろいろと起きていた。
一つは三好長逸、というか三好三人衆が尾張(現愛知県)美濃(現岐阜県)を治める織田信長との交渉を行っているという話である。信長は早くから義昭の支持を明言している大名であり、義昭上洛の中核となる動きをしているらしかった。そんな信長と長逸が何やら交渉をしているらしい。無論長房や阿波三好家には無断である。これを知った長房は長逸に問い合わせたがはぐらかされている。
「長逸殿は織田家と何を交渉しているのでしょうか」
「分からぬ。だが義栄様を擁立した以上はやすやすと手を組むことなど出来ないと長逸も分かっているはずだというのに」
義昭を擁立する信長とどんな交渉を行っているかは不明であるが、これが和睦や同盟と言ったことなら、三好本家と義栄や阿波三好家との関係は破綻する。今度は本家と阿波三好家の戦にもなりかねない。
この交渉にもかかわっているのか長逸達三好三人衆は義栄の入京に大分後ろ向きである。長房は今のところやる気はないと踏んでいた。其れが信長や義昭との何らかの約束によるものかは分からないがいろいろと不安になる動きである。
もう一つの長房の頭を悩ませているのは中国地方の大大名の毛利家との抗争であった。阿波三好家と毛利家は小規模であるが境目を争っている。特に最近毛利家の攻勢が活発化していた。長房はこれも義昭の動きと連動しているものとみていた。
「長治様が言うには些か厳しい戦いになっていると」
「そうか。これも義昭様の上洛のための布石か」
「おそらくは。しかしこうなると早々に我らと義昭様との戦になりましょう。その時に我らと本家の方々が足並みをそろえられなければどうなることか」
「分かっておる。それについては任せておけ。長逸達は儂が抑えておく」
康長は三好一門の重鎮であり阿波三好家の最大の味方であった。そんな康長からのこの発言は大変に心強い。
「(今は康長様を信じて託すしかないな)」
義栄将軍就任という悲願から少ししか経っていないのにこの状況である。少し前まで狂喜していたのがうそのようであった。だが危機はすぐそこに迫っている。そして長房にとんでもない不幸な出来事が襲い掛かる。
本章ではようやく長房悲願の義栄の将軍就任が成し遂げられました。しかしむしろそこから事態は悪化していくことになりますがそれは次の話に。それにしてもこの三好家の内紛を追っていて面白いのは三好三人衆の動きです。あとから見れば彼らは三好家が政治的な主導権を握りその中で権力を握りたいと考えていた、というのがよくわかります。そのためにいろいろと画策するのですがそれがむしろ裏目に出て言っているようにも見えます。戦いは優勢であるというのに。ここにも戦国時代の難しさというかある意味でのおかしさが見え隠れしていますね。
さて次の章ですが一旦お休みさせていただき年末恒例の特別編をお送りします。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




