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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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篠原長房 臣の務め 第五章

 教興寺の戦いでの勝利は三好家の天下を決定づけたかに見えた。しかしそののちに起きた凶事により三好家の天下に陰りが見え始める。そして当主長慶の死をきっかけに新たな混乱が巻き起こる。長房は、阿波三好家はその混乱に否応なしに巻き込まれていく。

 永禄七年の十二月、阿波三好家に正式に長慶の死が知らされた。それを伝える書状は久秀の長逸の連名になっている。おそらくひとまず内輪での争いを避けるべきだという意思が働いたのだろう。その書状には今後のことを話し合いたいからという事で長房の上洛を要請するものであった。

 長房はこれを受けて京に向かうことにする。自遁らからは若干の不満が出たが誰かが阿波三好家の代表として後事を話し合わなければならないのだから仕方ない。

 上洛した長房は先ず新たな三好家の当主である三好義継と面会した。

「お初お目にかかります。篠原長房にございます」

「貴様が篠原長房か。その名は聞いている。これよりは阿波の者どもと共に私によく使えるのだな」

 何とも尊大な物言いである。しかしそこに何とも言えないぎこちなさを長房は感じた。

「(己を大きく見せようとしているようだな。あの若さならば致し方ないか)」

 義継は千鶴丸より年長であるがまだ元服したばかりの十五歳。体は大きいようだが少年と言っていい年齢であった。

 改めて長房は義継を見る。大柄なのは父親の十河一存に似ている。顔立ちも幼さは残るが厳つい感じもあった。ここも一存に似ている。しかしその目だけは大きく違う。

「(なんというか、妙に爛々としている。野心が目の中で燃え盛っているようだ)」

 長房はこの後で久秀と長逸と対談し、今後も阿波三好家は三好本家を支え、本家も阿波の衆を無下に扱わないという事でまとまる。だが帰国の途につく長房の脳裏に浮かぶのは義継のあの目であった。

「あの野心に満ちた目。三好家の災いにならなければよいが」

 阿波に戻る船の上で長房はそうつぶやくのであった。


 長慶の死は三好家家中に知らしめられた。ただあくまで内内のことであり他言無用という条件付きである。長慶の影響力というのはそれ程までに意識されるものであった。

 長房が阿波に戻ってからすぐに年が明けた。この年千鶴丸は元服し名を長治と改める。この元服は長房の判断であった。

「長慶様が亡くなられたことはもう家中の皆が知っている。この先何が起こるかわからぬ以上は千鶴丸様、いや長治様は当主として我らを導いてもらわなければならぬ。形の上だけでも」

 元服したとはいえ長治はまだ幼い。とりあえず長房、自遁、宗伝の三人が後見することになる。

 さて長慶の死から月日が流れたが特に何か問題は生じていなかった。それは良いことであるが、長房にとってはこの平穏がことさら不気味である。ある時長房は宗伝を呼び出して心のうちの懸念を打ち明けた。

「長慶様が亡くなられてから義輝様は大層お働きになっているそうだ。正直不安ではある」

「何を言うのだ。公方様が政に積極的なのは良いことだろう。別に三好家を排しようとしているのではないのでしょう? 」

「排しようとはしていない。しかし最近は三好家の目の届かぬようなこともしているようなのだ」

 これを聞いて宗伝の表情も変わった。三好家と将軍足利義輝の関係はかなり微妙なものである。そもそも義輝は細川晴元と共に長慶と激しく対立していた。その争いも義輝が折れる形での講和で決着がついている。だが内心義輝が納得していないのではないかというのもよく聞こえる噂であった。

「義輝様は長慶様が亡くなられたことを知っておられるのか? 」

「分からぬ。しかし長慶様が表に全くでなくなればこの世にはいないのではないかと思っても不思議ではなかろう。ゆえにこのところよく動いておられるのだ」

「まさかまた三好家と争うつもりではないでしょうな」

「分からぬ。だが少なくとも今三好家に敵う者が畿内にはいない。義輝様もさすがにそれは分かっているはずだ」

「ならば戦になるようなことはないか。一安心ですな」

 ほっとした表情になる宗伝。一方で長房の表情は変わらず暗い。

「まだ何か心配があるのですか。長房殿」

「先年私は初めて義継様とお会いした。正直、あのお方は野心が強すぎるようにも見える」

「野心、と言っても畿内は三好家の天下。これ以上何を望むのですか」

 長房は黙った。宗伝の「これ以上」というのが妙に引っ掛かったからである。そしてしばらく沈思してからこう言った。

「この先何が起こるか分からぬ。このうえは家中をまとめ、ありとあらゆる手段を取らなければならぬかもしれぬ」

 重苦しい口調の長房。宗伝は黙って頷いた。

 やがてこの後で長房の不安は想像以上の形で顕在化することになる。


 長房は帰国したのちに三好家の分国法の制定に勤しんだ。もともと実休亡きあとでこれまでの条例や幕府の法などを参考し法令をまとめてきたが、ここにきてしっかりとした法令として制定しようと考えたのである。それは之から更なる混乱が生じるであろうと考えたがゆえであった。

 この法令の制定は長治の命として行われた。そうすることで阿波三好家の分国法としての正当性を担保しようとしたのである。そうして出来上がったのが『新加制式』であった。この分国法は二十二条からなり内容は訴訟や相続など大名家に必要な基本的なものである。なんにせよこれで阿波三好家は大名家として必要な体制が出来上がった。

 新加制式が制定されたことで長房としては一仕事終えた気分である。長治も元服した以上は分国法をもとに長治が統治し、自分を含む重臣たちはそれを補佐する。そういう体制が理想的であった。

「これよりは長治様が万事を取り仕切っていくべきだろう」

 そう考えていた長房であるがとんでもない報せが舞い込んでくる。その報せは高屋城の康長から長治に届けられた。

「康長大爺様から報せが届いた。皆の前で読み上げるようにとのことだ」

 長治はまだ書状の内容を把握していないようである。まだ長治は若いから、まずは重臣と共に情報を共有し判断すべきだと康長は考えたのだろう。

 康長からの書状を開いた長治は自ら読み上げようとする。そのために内容に目を通したが途端に顔を青くして凍り付いた。長房を含む重臣たちはその長治の姿にすさまじい不穏な予感を覚える。正直内容も聞きたくないと考えた。

 しかしそこに記されているのが相当の大事である以上はそのままではいられない。長房はゆっくりと長治に近づき書状を取り上げた。

「失礼します、長治様。これよりは私が読み上げます」

 そう言って長房は書状に目を通す。そしてその内容に戦慄した。しかし長治のようなことにはならず、ゆっくりと内容を重臣たちに告げる。

「先だって義継様の軍勢が京に乱入。御所に攻め入り義輝様を討ちとった、とのことです」

 努めて冷静に長房は言った。その声に震えはない。しかし表情は尋常ではなくこわばっている。そうなるのも当然の内容であった。事実ほかの重臣たちは皆一様に驚嘆している。長房も正直頭を抱えたくなる内容であった。


 ことの次第を詳しく述べればこのようになる。永禄八年(一五六五)五月、三好義継率いる軍勢が上洛した。従ったのは三好長逸、三好政勝、岩成友通、松永久通である。久通は久秀の息子であったがこの上洛軍の中に久秀の姿はなかった。

 上洛した義継たちは翌日の朝から将軍御所へ攻撃し昼頃までには義輝を討ちとった。そのほか義輝に仕えていた者たちも多数討ち取っている。御所は火の手が回り焼け落ちた。そして義輝を討ち取った義継は悠々と居城に帰っていったという。これが後に言う永禄の変である。

 康長からの書状には大まかなことの経緯が記されていた。もっとも義継の意図や目的などは康長も知らないらしい。今回の件も康長の知らぬところで進められたようである。

 長房たち阿波三好家の重臣たちはこの事態を受けて今後の行動を考えなければならなかった。もはや驚嘆している場合ではない。

 いち早く口を開いたのは篠原自遁である。

「此度の義継様の行い、もしや平島に逼塞しておられる義維様を将軍の座につけるためのものではないのか? 」

 この自遁の言葉に重臣の多くはうなずいた。平島の義維というのは義輝の父、義春の弟である。かつて三好家はこの義維を将軍の座につけるべく奮闘していたが、結局は義輝と和解し義維は阿波の平島に捨て置かれてしまった。

 自遁はこのところの三好家と義輝の関係の不和から自分たちに都合のよいであろう義維を将軍の座につけようと考えたのではないか、と考えたのである。この意見は確かに納得のいくものであった。しかし長房は自遁の意見に疑問を呈する。

「自遁殿の考えは道理が通っている。しかし我ら阿波三好家と義維様の関係を考えればこの変が起こる前に何か知らせてくるのではないだろうか」

 この意見に自遁は渋い顔をしたが黙る。ほかの重臣たちはこれも納得できるとうなずいた。というのも長房の言う通り今現在義維と阿波三好家の関係性はとても強い。それは何故かというと先代実休が主君の細川氏之を討った後に、権力を盤石なものとするために氏之を越える存在ではある将軍家の血筋の義維に接近したのだ。それから阿波三好家は現在に至るまで義維やその家族の後援を行っていて今でも深い関係である。

 長房、自遁双方の意見はどちらも説得力はある。しかし決定的なものではない。すると意見を聞いていた宗伝はこんなことを言い出した。

「正直すべては義継様のお心のうちにしかない。今我々がそれについて言い合っても仕様がないのではないか」

 尤もな意見であった。今やるべきは事件の動機の検証ではなく阿波三好家がどう動くべきかである。しかしそれを判断するにも情報が少なかった。

「ともかく今できることはない。ただ何かあった時のために万全の準備を進め、しかるべく情報を集める。これしかない」

 長房はそう言った。これに皆一様にうなずく。実際その通りであった。


 阿波三好家は義輝死亡後の動乱に備えて準備を固める。幸い畿内の情勢は康長がつぶさに知らせてくれるので大体は把握できていた。

 そんな中で気になる情報が長房の下に入る。

「久秀殿は覚慶様を手元に置かれたのか。だがこれが義継様の意思だとは思えぬな」

 康長からの報せによると松永久秀が大和(現奈良県)の興福寺にいた義輝弟の覚慶を保護したのだという。覚慶は義輝の同母弟であり現状後継ぎとしては最有力の人物である。義輝を討った今、次なる将軍候補を手元に置くのは一見わからないでもない行動であった。しかし義継は義輝を討ったのちに異母弟の周晃を殺害している。そんな行動をする義継が覚慶の保護を命じるとは思えなかった。

「久秀殿は義継様と別の思惑で動いているのかもしれない。しかしだとすれば三好本家のうちに相当の不和があるのではないか。康長様もそうお考えのようであるしなぁ」

 康長からは以前より長慶死後の三好本家家臣団の不和が伝えられていた。今回の義継の行為には一門衆の筆頭的立場である長逸も参加している。長逸と久秀の不和は教興寺の戦いの時より感じられていた。それが長慶の死で激化したのかもしれない。

 長房は康長からの情報でいろいろと考えている。だがその上で一つ気に入らないことがあった。

「このところの本家は我らを蔑ろにしすぎであるな。まったく腹立たしい」

 義輝殺害の件も康長からの連絡で知ったことである。しかし三好本家からの連絡はいまだない。それだけでなく長慶死後は色々と阿波阿三好家を蔑ろにしているのではないかというところが見え隠れしているのである。

 こうした認識は阿波三好家に共有されていた。自遁も宗伝も怒っている。

「本家の者共は我らを蔑ろにしすぎている。そもそも三好家は阿波が本領。それを守る我らを置いておくとは何事だ」

「畿内での戦も我らが参戦したからこそ勝てているのだ。我等は主を失っても本家への忠誠を忘れたことはない。だというのに本家は我らを軽んじている。納得できん」

 この認識は阿波三好家内で共有されていた。実際長房も腹を立てていたし納得などしていない。何より最近の本家からの扱いが実休の死を軽く見ているように思えてならないのである。

 そうした中で長房はあることを考え始めていた。そしてそれを重臣たちに打ち明ける。

「このところの本家からの扱いに憤慨しているのは皆もそうであろう。私もそうだ。ならばいっそ我らは我等で動き、本家にその存在を知らしめるべきではないか」

 これは長房にしては珍しい勇ましい発言であった。ほかの者たちも少し驚いている。そんな中で自遁は長房に胡乱な目を向けた。

「随分と勇ましいが何か策はあるのか」

 自遁は不満こそ覚えていたが別に本家との関係を変えようとは思っていない。そんなことをすればどうなるかというのが不安なのである。

 長房は自遁の問いにこう答えた。

「それについて心配はいらぬ。私に考えがある」

「なるほどそうですか。して、いったいどのような策なのですか」

 宗伝の問いに長房は自身の考えを披露した。これに自遁や宗伝たち重臣たちは一様に驚く。長房は追い打ちをかけるように言った。

「私の策でいく。それでよろしいか」

 いつにない気迫の長房に圧倒される一同。この後で長治の了承も受け長房の策が動き出すことになる。そしてこの策が三好家に大きな混乱をもたらすことになるのであった。

 三好義継による足利義輝の殺害、いわゆる永禄の変は当時多くの戦国大名たちに衝撃を与えました。家臣が将軍に攻撃を仕掛けて討ち取るという前代未聞の大事件であるから当然ではありますが、これにより畿内や周辺地域の情勢は混乱の一途をたどることになります。そして長房はこの混乱の中で活躍していくわけですが、それについては次回をお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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