篠原長房 臣の務め 第二章
主君細川氏之を討ち阿波の支配者になった実休。この時も三好家の勢力は日に日に拡大しており実休はそれを支える。そして長房はそんな実休を支え奮戦していくのであった。
氏之を討ってから実休は周辺地域の反三好家勢力の駆逐のために何度も出陣した。長房もこれに従い勝利を重ねていく。この時期すでに長房は阿波三好家で主君実休に次ぐ実力者と認知されていた。阿波三好家家臣団からの信頼も厚い。
こうした情勢の最中、永禄三年(一五六〇)三好長慶は河内(現大阪府)の畠山高政を居城の高屋城から追放した。これは高政がかつて家臣に追放されたところを長慶に助けられている。しかしその後も長慶は畠山家の運営に介入してきたためこれに怒った高政が長慶に楯突いたのだ。だが長慶に敗れて再び追放されたというわけである。
ただ高政は追放されたものの紀伊(現和歌山県)に逃れて再起をうかがっていた。そのため長慶は高屋城に信用出来てかつ実力もある実休を入れることにしたのである。
実休はこの兄の申し出を快諾した。
「兄上の助けになるのならば何も迷うことはない。すぐにでも立つとしよう」
一方長房は不安である。
「そもそも実休様は畿内に滞在する長慶様の代わりに阿波に残られたのです。それが実休様まで阿波を出られては本末転倒なのでは」
「此度は仕方あるまい。高政殿がいつ挙兵するかわからぬしな。まあ、阿波のこととは長房に任せる。それならば問題はあるまい」
「私としては精いっぱい努力します。ですがゆくゆくはお戻りください」
「ああ、わかっているさ。情勢が落ち着けば別の者を兄上も立てるだろう」
「ならばいいのですが。ともかくお気をつけて」
そう言って長房は実休を見送った。その心中には言い知れぬ不安が渦巻いている。
永禄四年(一五六一)三月、三好家に悲劇が起きる。三好家四男で和泉(現大阪府)の岸和田城主であった十河一存が急死したのだ。死因は病であったようだが詳細は不明である。ともかく三好家の一翼を担い武に優れ「鬼十河」異名を以て敵方に恐れられた一存の死は三好家の大打撃であった。
一存が死去した二か月後に長慶は細川晴を和睦と偽り呼び出した。そのうえで捕らえて幽閉している。一存の死を受けて焦りが生じたのかこの判断が三好家に危機を招いた。
京のある山城(現京都府)の隣国近江(現滋賀県)の南部を抑える領主六角義賢は晴元の妻の兄であった。つまりは義兄弟の間柄であり六角家は何かと晴元を支援している。そういうわけであるから晴元が幽閉された件について激怒したのだ。
「和睦を偽り罠にはめるなど言語道断。武士の風上にも置けぬ行い。必ずや償わせて見せようぞ」
義賢は自ら出陣するだけでなく長恵を打倒するために必勝の策を打った。紀伊に逃れていた畠山高政と同盟したのである。高政は河内復帰をねらっていたが河内に実休、和泉に一存という体制の前では迂闊な行動ができなかった。しかし一存の死で三好家の防衛網に隙ができ、これを好機とみて攻勢に出ようとしていたのである。そこに義賢からの誘いが来たのだ。
「これは良い。義賢殿が北から、拙者が南からと三好家を挟み撃ちにできる。まさしく好機」
勇躍した高政は軍勢を集めて出陣したのである。これで三好家は二正面作戦を強いられることになった。これがさらなる悲劇を生むことになる。
畠山高政が動き出したのを見て三好家も当然動いた。長慶は息子の義興と重臣の松永久秀を京周辺に派遣。六角家への備えとした。
一方対畠山家の戦いに関しては実休を総大将として阿波と淡路から軍勢を呼び寄せる。淡路からの軍勢は長慶と実休の弟の冬康が大将であった。阿波からの軍勢が長房率いる実休の軍勢に加えて三好康長や三好政勝、三好盛政などの一族も軍勢を率いて出陣している。いわば三好家の総力を挙げてこの難局に対応しようという事であった。
実休は集まった将兵を見て満足げにうなずく。
「これほどの将兵が集まれば何も怖いものはない。畠山の軍勢を俺たちで打ち払ってやろう。そうすれば京の方の戦もうまく行くはずだ」
この実休の感想に長房も同意見であった。確かに畠山家は強力な敵であったがこれほどまでの数ではないだろうとみている。
「敵は岸和田城をまず攻めるつもりのようです。おそらくは一存様が亡くなられて手薄になっているのだと思っているのでしょう」
「そうはいくか。ならば奴らが岸和田城を囲んでからその後方を攻めよう。その上で岸和田城から城兵が打って出れば確実に勝てる」
この考えに康長はじめ皆賛同した。そして実休自ら軍勢を率いて岸和田城に向かう。ところがいざ岸和田城を目前にしてみると予想外の事態が起きた。畠山家の軍勢が思ったより多かったのである。実休達の軍勢と同等、もしくはそれ以上であった。
長房はすぐに情報を集めその理由を知る。
「どうも紀伊の根来寺の坊主どもが加わっているようです」
「何だと。生臭坊主どもが。寺に籠って経を読んでればいいものを」
根来寺は紀伊の寺であるがここの僧侶の多くは僧兵であった。しかも鉄砲で武装している。傭兵まがいのこともしていて根来衆と言われて知られている。今回は畠山家に雇われたようだった。
この状況を見て実休達は軍議を開いた。
長房や康長はとりあえず様子を見ようという考えであった。
「岸和田城には一存様が戦に備えて兵糧を万全に貯えています。敵方も我らが来援していることは知っているでしょう。容易に動けぬはず」
「粘っていればいずれは奴らも弱まる。根来衆もあまり時間が過ぎれば引き返すものも出てくるだろう。ここは待つべきだ」
これに対して積極的に攻撃すべきだと主張したのが三好政勝であった。
「ここは一気に攻めるべきだ。確かに数は不利であるかもしれんが我らが仕掛け岸和田城から城兵が打って出れば挟み撃ちにできる。多少の損害は出るかもしれないがそうなれば我らの勝ちは確実」
安宅冬康は双方の考えに理がるとみて納得している。しかし最後は何であろうと実休の判断に従うつもりであった。
「兄上。どういたしますか? 」
実休は熟考のもとこう言った。
「まずはにらみ合いだ。俺たちがいれば岸和田城を積極的に攻めるわけにもいかないはず。ともかく様子見だ」
こうしてまずは様子見という事になった。そして戦いは思いもがけぬ方向に進んでいく。
実休は持久戦を選択し双方にらみ合いとなった。この間京の方面では六角家が攻勢を仕掛けるも松永久秀に劇激されている。しかし久秀の軍勢は追撃するも今度は久秀方が撃退された。六角家の軍勢は痛手を負ったものの健在であり京ではにらみ合いが続いている。
一方和泉の戦況は膠着状態のままであった。実休を達は持久戦になればこちらに利がありと踏んだのだが畠山方の戦意は高い。それどころか時折実休達に攻撃を仕掛け損害を与えてくるほどであった。
こうなってくると実休にも焦りが見え始める。
「敵は思ったより動いてくる。こちらの守りを抜けてくることもあった。兵力は敵が上である以上は迂闊に動けないのは変わりないがこのままでもどうしようもない。どうするべきか、長房よ」
実休はひそかに長房を呼んで相談した。だが長房も実休同様この状況に焦っていた。結局敵を侮っていたがゆえという事であるが、今更それに気づいても遅い。
「こうなれば長慶様に援軍を頼むのはいかがでしょうか。もしくは長慶様に京に出ていただき六角家を打ち破れば畠山方も動揺し活路が開けるかもしれません」
「いい考えであるがそれはできん。一存が亡き今は俺が気張らねばならぬのだ」
実休は悲壮感にあふれたた表情で言った。猛将であった一存の戦場での存在感は強い。ゆえにそれが亡き今畠山家の意気も高いのだ。逆にここで実休が戦での存在感を示せれば畠山家を含む三好家の敵への抑えにもなる。長房はそうしたことを理解しているので実休のことばに何も言い返せなかった。
結局両軍の対陣は七か月にも及んだ。そして年が変わり永禄五年(一五六二)運命の久米田の戦いが起きるのである。
永禄五年三月、久米田寺周辺に布陣していた三好方に畠山方が攻撃を仕掛ける動きを見せた。これに対して実休はすぐに対応を指示し軍勢を五手に分ける。本陣はむろん実休。左翼に三好政勝、右翼に三好康長。中衛に三好盛政。この時長房は前衛を任された。敵の攻撃を直ちに受ける配置である。よほど信頼していないとできない。
「長房、頼むぞ。お前ならば畠山の出鼻を挫ける」
「承知しました実休様。必ずやご期待に応えます」
この時三好方は長期の滞在で士気も下がりつつあった。持参してきた兵糧も少なくなってきていて、高屋城からの補給にも限界が見えてきている。実休としてはこの戦いで畠山方に痛手を与えて戦況を好転させたかった。そしてその意図を長房は言われずとも気づいている。
「(私に前衛を任されたのは守りではなく攻めのため。その役割必ずや果たしてみせる)」
普段冷静である長房がこの時はかなりの熱の入れようである。それは最初の軍議で持久戦を主張した事への責任を感じているからであった。これは実休も理解していたゆえに危険であるが活躍しやすいともいえる前衛への配置を決めたのである。だがこの家臣への配慮が思いもよらぬ惨事を招くのであった。だが無論長房も実休もそんなことを予想だにしていない。
「実休様は私に挽回の機会を与えてくださったのだ。この戦必ずや役目を果たし勝利して見せる」
珍しく鼻息の荒い長房。畠山家の軍勢は目前まで迫っている。
畠山方は軍勢を三手に分けでまず第一陣が突撃してきた。これに対して三好方は弓矢を射かける。そして長房は突撃した。
「この戦に勝てば勝機は近づく。勝って阿波に帰ろうではないか」
長房の号令と共に三好方の将兵は畠山方の第一陣に攻めかかる。その勢いはすさまじくあっという間に第一陣は崩れていった。
「(これならば勝てる)」
勝利を確信した長房は第二陣に向けて突撃した。さらに勢いを増した長房の部隊は第二陣も切り崩していく。しかし同時に長房の部隊は敵陣に切り込みすぎて孤立しつつあった。
この状況に後方に待機していた畠山家の第三陣が動いた。迂回してまわりこみ孤立しつつある長房の後方を突こうとしたのである。そして実休はこの動きに気づいた。
「いかん。これでは長房が挟み撃ちにあう。皆、長房を助けるのだ」
実休の指示に従い実休の本陣を除く三好方の軍勢が長房の救援に向かった。つまり実休の本陣は少数精鋭の旗本のみになってしまったのである。
この事態を最前線の長房は把握していなかった。長房の目前の畠山方の第二陣はもうすぐで総崩れである。それを越えれば畠山方の本陣があった。
「(この敵を切り崩したのちは退き盛政殿と交代しよう。後方の敵は拙者たちが引き受け両側から政勝殿と康長様が攻めかかれば勝ちだ)」
長房には勝利への道筋が見えている。だがその時後方から鉄砲の音が聞こえた。その瞬間長房の脳裏に恐ろしいことが思い浮かぶ。
「(実休様本陣以外の兵は今拙者の後ろ。本陣はさらにその後方。そこをもし敵の伏兵が攻めれば…… )」
それが思い浮かんだ瞬間長房は叫んだ。
「この場は盛政殿に任せる! 我らは下がるぞ! 」
崩壊しかかった敵をそのままにして後退しろという命令に動揺が走る。しかし長房が一目散に後退していったので将兵もそれに続いた。
「盛政殿! 私は本陣の守りに向かいます」
「篠原殿? いや、わかったここは任されい」
その場を盛政に任せ後退する長房。やがて本陣のあるはずの久米田寺付近にたどり着く。だがそこに実休の姿はなく倒れた数名の旗本の姿があった。長房は周囲を見回し久米田寺の南東にある久米田池の方を見る。そこには同じ倒れている侍の姿があった。そしてその首を取ろうとする足軽が数人いる。
「退け! 退かぬか! 」
長房は足軽たちに叫んだ。足軽たちは動転し散っていく。長房は倒れ伏して動かない侍の一人に駆け寄った。その亡骸を抱えて絶句する。その亡骸は長房の主君、三好実休その人であった。
固まる長房。そこに前線からの伝令が駆け込んでくる。
「敵が実休様を討ちとったと叫んでおります。如何…… 」
そこまで行ってから伝令も長房に抱えられている亡骸が誰か理解した。そして絶句する。
一方の長房は亡骸を家臣に預け叫んだ。
「これより阿波に撤退する! 殿は私が勤める! 其方は前線にそれを伝えよ」
そう言ってから数名の家臣を呼びつけた。
「其方たちは実休様を守れ。その首を畠山方に渡すな! 」
「「承知! 」」
「任せたぞ! 」
そういうや長房は手勢を引き連れて再び戦場に戻っていった。
「(実休様。私もすぐに後を追います。この不忠者にできる最後の仕事です)」
馬上の長房は実休の遺体を背に走り出した。すでに前線が崩れ始めているのが見える。だがここで壊滅させるわけにはいかない。壊滅すればそれは三好家の敗北につながるからだ。長房は被害を最小限にするために突撃する。
こうして久米寺の戦いは終わった。三好家にとっても長房にとってもあまりにも痛恨の敗戦である。
前の主人公伊丹親興は京方面での戦いに関わっていました。今度は河内方面の戦いの話ですが、長房は関わるどころか当事者、しかも正直敗戦の一因となってしまいました。敵の攻めが巧妙であったことも理由の一つでしょうが若いころから仕えた主君を失った一因が自分にあるというのは相当こたえたのではないでしょうか。その上で長房がどのように生きていくのかを描いていくつもりなのでお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




