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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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浦上則宗 成り上がり 第一話

 備前の武将、浦上則宗の話。

 浦上則宗は幼いころ主君がおこした大事件のおかげで落ちぶれた。そして浪々の身となり荒れ果てた則宗に好機が訪れる。果たして則宗は這い上がることができるのか。

浦上氏は赤松家の家臣である。赤松家は複数の国の守護を務めていて、浦上氏はその一つである備前(現岡山県)の守護代を務めていた。それゆえに浦上氏の命運は赤松家とともにあるといっても過言ではない。

 嘉吉元年(一四四一)時の室町幕府将軍足利義教が殺害されるという事件が起きた。義教を殺害したのは赤松家の本家の当主教康とその父満祐である。

 この異常事態に赤松家中は騒然とする。勿論浦上氏でも大騒ぎとなった。そんな大騒ぎの中でのちに浦上則宗と名乗る少年はどうすることもできないでいる。

 大騒ぎの中で家臣を呼び止めて訊ねる則宗。

「いったい何が起きているのですか」

「殿がとんでもないことをしでかしました」

「とんでもないこと? 」

「それは後で説明します」

 家臣はそう切り上げると足早に去っていく。残された則宗はただ不安そうに立ち尽くすしかなかった。

 則宗は何もすることできないでいた。もっとも浦上氏の大人たちも何かまともな対応ができたわけではない。主君の赤松家は播磨(現兵庫県)の居城に籠り幕府の討伐軍と対峙する。しかし勝てるはずもなく教康も満祐も死に赤松本家は滅んだ。

 赤松家の領国の一部は分家の人々が継いだが備前は違った。浦上氏は新しく備前の守護になった山名家に追い出されて没落する。

 この時十二歳であった則宗は訳も分からないまま流浪の身となった。

「いったい何が起きたんですか」

 その問いかけに周りの大人は何も答えてくれはしなかった。

 こうして幼くして浪々の身になった則宗。だがその苦難はこれで終わらなかった。新しく備前の守護になった山名家は残党狩り行い浦上氏をはじめとする旧赤松家臣を打ち取っていく。則宗も追われて何度も命の危機を味わった。

「何で私がこんな目に…… 」

 則宗は自身の身の不運を嘆いた。だが現実が変わるわけでもない。目の前の現実は厳しく則宗を追い詰めていった。

 しかし則宗は生き残った。

「私は死なない。こんなみじめな姿のまま死んでたまるか。私は這い上がって見せる」

 厳しい環境は少年の心を荒々しいものに変える。この境遇から這い上がってかつての地位、いやそれ以上の場所にたどり着くと心に決めていた。どんな手段を使ってでも。

 そして嘉吉の変から十四年もの月日が経った。年は享徳四年(のちに康正元年。一四五五)則宗は二六歳になっている。将軍も足利義政となっていた。

 このころ則宗は京にて赤松家の旧臣やならず者たちと行動を共にしていた。則宗はその中でもリーダーである。これは則宗が浦上氏の家督を継いでいたからである。もっとも浪人とも野党とも変わらない一団のリーダーでもたいしてうれしくはない。その日食うにも困る有様の一団であった。

「腹が減ったな」

「へい。頭」

「だれが頭だ! 侍らしい呼び方をしろ! 」

「ヘ、へい。すみません」

 このころの則宗はやせていて服も汚く肌も薄汚い。しかし狼のような獰猛な目をしていて一団からは畏怖されていた。

 そんなある日、則宗たちを訪ねてくるものがいた。

「浦上殿はおられるか」

 やってきたのは身なりの良い侍である。則宗はその侍を睨みつけて言った。

「誰だ」

「拙者は赤松家旧臣石見太郎左衛門でござる」

 この出会いが則宗の人生を大きく動かすことになる。


 石見太郎左衛門は現在公卿の三条実量の家臣となっていた。

「(道理で身なりの良いはずだ)」

 則宗は自分と太郎左衛門の境遇の違いに嫉妬とする。太郎左衛門はそんな則宗の内心を知らずに話し始めた。

「実は浦上殿のお力をお借りしたく参りました」

「拙者の力を? 」

 こんな恵まれた男になんの力が必要なのか。則宗にはそれが分からない。

「どういうことですかな」

 素直に疑問を口地にする則宗。太郎左衛門は興奮気味に言う。

「今拙者が仕えている実量様は公方様と御昵懇の仲であります。また赤松家とも親戚の間柄にあります。そこで赤松家再興の働きかけを行っていたのですが」

「ほう」

 太郎左衛門の言葉に則宗は身を乗り出した。もし赤松家が再興されればこの状況から這い上がれる。

「この度公方様より赤松家再興の許しが出ました。しかし」

「しかし? 」

「いささか厄介な条件を出されまして」

 そこで太郎左衛門は言葉を区切った。そしてさっきの興奮した様子とは打って変った沈んだ雰囲気になる。だが則宗はそれを気にせず話を聞いた。

「厄介な条件、とは」

「浦上殿。禁闕の変はご存知ですかな」

 太郎左衛門にそう問われたが則宗は首を横に振った。聞いたことのない話である。

「そうですか。ならば説明しましょう」

 そう言って太郎左衛門は説明しはじめた。

 時は嘉吉三年(一四四三)嘉吉の乱から二年後のことである。この事件は内裏(天皇の私的な在所)に後南朝の兵が侵入するというものであった。侵入した一団は警護の人々を殺害しさらに火を放った。

 これだけでも恐るべき挙であるが、さらに後南朝の兵は三種の神器のうち宝剣と神璽を奪い去っていった。

「と、言うことがありまして」

「なるほどな」

 説明を聞き終えた則宗は内心怒っていた。

 則宗の怒りは尤もで、則宗は当時一四歳である。生きていくのに必死な時代であった。そんなわけで禁閥の変のことを知っているはずもない。

「(俺が知っているわけないだろう)」

 いらだつ則宗。だが太郎左衛門はそれに気づかず話を進める。

「この後宝剣は見つかりましたが神璽は今だ見つかっていません」

「ふん。なるほどな」

 そこまで聞いて則宗は理解した。

「その神璽を取り戻して来いという事か」

「左様で…… 」

 そう言って太郎左衛門はへこたれた。確かにかなり難しい案件で太郎左衛門の気持ちもわかる。しかし則宗は違った。

「(やっと来たぞ。やっと這い上がれる機会が)」

 則宗は笑った。たとえどんな困難でもずっと待っていた機会がやってきたのだから。


 則宗は太郎左衛門の計画に参加することにした。勿論配下の旧赤松家臣やならず者共々である。

 太郎左衛門の計画は後南朝の本拠地がある吉野に侵入し、神璽のありかを探るというものだった。

 則宗は尋ねた。

「それでどうやって侵入するつもりなのだ」

「はい。それについては考えがあります」

 太郎左衛門の考えとは後南朝の配下になるふりをして内情を探るというものだった。

「なるほどな」

「彼らも手勢が欲しいと考えているでしょう。そこをつくのです」

「そうか。ならそれについては拙者に任せてもらおう」

「浦上殿に? 」

「ああ。確実に成功させるいい手がある」

「そうですか。ならば任せましょう。あとは決行の日取りなどを」

「ああ。わかっている」

 こうして二人は計画を煮詰めていった。

 康正二年(一四五六)則宗や太郎左衛門。それに則宗の手下やほかの赤松遺臣を含めた一団は吉野にいた。この旧赤松家臣団は皆みすぼらしい恰好をしている。

「浦上殿。このいでたちはいったい」

「まあ見てろ。おい五郎兵衛」

 則宗は手下の一人を呼び出した。この五郎兵衛というならず者は則宗との付き合いが最も長い。また頭の回転も速く口も達者で則宗から信頼されていた。

「へい、殿」

「手筈通りに頼むぞ」

「わかってますぜ」

 そう言って五郎兵衛は出かけていった。それを太郎左衛門は不思議そうに見つめていた。

 五郎兵衛は後南朝の侍を見つけると駆け寄った。

「もし、そこの御仁」

「なんだ。お前は」

「拙者は赤松満祐様の家臣飯田五郎兵衛と申すものです」

 五郎兵衛は引き締まった顔で言った。その姿はみすぼらしいながらも侍であるように見える。元も五郎兵衛が赤松家臣であったことは無く名字も嘘である。

「その赤松家臣が何の用だ」

「はい。拙者たち赤松家臣は先年の乱以降主を失い流浪の身となりました。それから早十数年拙者を含めた皆はもう疲れ切っております。この上は吉野の主上に仕えその手助けをしたく…… 」

「そうか。だが貴殿だけでは」

「もちろん拙者だけではありませぬ。今吉野に三十余名の同志がおります。皆も同じ気持ちです」

 そこまで言われて侍も感心したようだった。そして

「しばし待たれよ」

 侍は去っていった。そしてしばらくすると手紙を持ってきた。

「今上役に伺ったところまずは会ってみようとの仰せである。貴殿のほかにあと何人か連れてきてもらえるか」

「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 そう言うと五郎兵衛は則宗と太郎左衛門を連れてきた。三人は侍の上役と面会する。

「貴殿らが赤松家臣の」

「はい。浦上則宗と申します。この者が家臣の飯田五郎兵衛。こちらが同士の岩山太郎左衛門殿です」

「岩山太郎左衛門です」

 太郎左衛門は苗字を偽っていた。これも用心である。

「拙者は大見隆元と申します」

「大見殿ですか。この度はお目通りいただきありがたく思います」

 則宗は恭しく礼をした。その姿にはならず者を引き連れていた時の面影はない。身なりはともかく立派な侍雰囲気を出していた。大見も騙されている。

「この度は我らに助力をしたいと」

「はい。我らはこのところの世を憂いております。今の世を治められるのは吉野の君と考えました。それに」

「それに? 」

「足利の者どもは主君赤松満祐の仇。我々はどんなに落ちぶれようとも必ず仇を討つと誓ってきました。我々はこのような姿になりましたがその心は消えておりません」

「左様ですか…… 」

「しかしながら見ての通り食うにも困る有様。これでは主君の仇も打てません。ゆえにここは吉野の君の御恩情にすがりたく…… 」

 則宗は涙を流した。それに大見も太郎左衛門も驚いている。勿論この涙は芝居なのだがたやすく騙されるほど迫真の演技であった。

 大見は則宗の言葉と姿を見て感心したようだった。大見から見れば則宗はみすぼらしくなりながらもなき主君を慕う武士の鑑、そう見えるのだろう。

 則宗の言葉に感激したのか、大見は涙を流して則宗の手を取った。

「これよりは力を合わせましょう」

「大見殿。かたじけない」

 則宗は深々と頭を下げた。その時大見に見えてない顔は笑っている。

 こうして則宗たちの一団は後南朝に侵入することに成功するのであった。


 その後、後南朝に潜入した則宗たちは内偵を進めていった。そして神璽の保管場所に関する情報をついに手に入れる。場所は吉野の北山であった。

 則宗たちは二手に分かれ行動することにした。一手は神璽のある北山。もう一手は河野郷である。この両地には後南朝の皇子の一の宮と二の宮がそれぞれ住んでいた。

「二手に分かれると? 」

 則宗は疑問に思った。だがそれを太郎左衛門は遮る。

「万が一ということもあります。それに二点を同時に攻撃すれば敵も対処に困りましょう」

「ふん…… 」

 自信満々に言う太郎左衛門。しかし則宗は不満だった。

「(各個撃破されたらどうするつもりなのだ)」

 則宗はそう思ったが口にしなかった。いざとなったら自分と配下だけで逃げればいいと思っていたからだである。

 長禄元年(十月に康正より改元、一四五七)一二月。則宗を含む旧赤松家臣は神璽奪還の作戦を始めた。長禄の変の始まりである。旧赤松家臣たちは手筈通り二手に分かれて北山と河野郷を襲撃した。

 この一年で則主たちを信頼していた後南朝の人々は動揺する。

「旧赤松の残党どもめ裏切ったか」

 則宗たちを信頼し迎え入れた北山で大見は狩り狂った。大見は部下を引き連れ一宮の警護に着く。周りには草木が生い茂り見通しが悪い。

 しばらくして大見の前に則宗が現れる。

「お元気ですかな大見殿」

「浦上…… 貴様! 」

 怒り心頭の大見は部下を引き連れ則宗に切りかかった。それに対し則宗はじりじりと後退する。そして大見があと一歩で則宗に切りかかれるというところで、則宗の陰から槍が突き出された。

 槍は大見の胸に吸い込まれるように刺さった。

「な」

 不意の一撃に大見はそれしか言えなかった。そしてそのまま力尽きる。槍を突き出したのは五郎兵衛であった。

 則宗は大見に槍が刺さると同時に叫んだ。

「出てこい! 野郎ども」

 その叫びに呼応して則宗の部下たちが飛び出し大見の部下に襲い掛かる。大見の部下たちは隊長が死んだ上に不意を突かれ混乱した。こうなればもはや一方的な則宗たちの勝利である。

「中の連中はうまくやっているかな」

 則宗が気になったのはそこだった。本当は不承不承引き受けたおとりの役である。譲った神璽奪還の役は果たしてもらわないと困る。

 やがて神璽が保管しているはずの屋敷から声が聞こえた。

「神璽を取り戻したぞ! 」

 それを聞いた則宗はすぐに叫んだ。

「急いで撤退だ! 」

 則宗の叫びと共に赤松家臣は迅速にその場を去った。

 迅速に撤退を開始した則宗たちだが、それをやすやすと逃がす後南朝の人々ではなかった。則宗たちは河野郷に向かった部隊との合流地点に向かう途中で後南朝の襲撃を受ける。

「こうなれば合流はあきらめて吉野から出よう」

 則宗は言った。神璽は奪還できたのだから長居は無用である。しかしそれに神璽を奪還した丹生屋兄弟が反発した。

「石見殿たちを見捨てれん」

「神璽を奪われれば元も子もないのだぞ」

 則宗は怒ったが丹生屋兄弟は聞き入れなかった。結局後南朝の激しい攻撃に合い神璽は奪われてしまう。丹生屋兄弟も戦死した。

「だから言ったのだ」

 則宗は追撃を躱しながらそうつぶやいた。

 

 赤松家臣たちはあと一歩のところで作戦に失敗した。生き残った一団は吉野に潜伏しながら機会をうかがう。しかし妙案は浮かばない。

「どうするべきか」

 太郎左衛門は唸った。手数が減った上に敵も警戒している。

「どうにか協力者でも得られないか」

 則宗はそう唸った。すると仲間の一人である小寺藤兵衛が進み出てきた。

「そう言えば高取の越智殿は幕府とつながりが深いとのこと。もしかしたら御助力が得られるかもしれません」

「なるほど。いい手ですな」

 則宗は素直に感心した。一方で太郎左衛門の表情は重い。

「できることなら我々だけで成し遂げたかったが」

「この上は仕方なかろう」

「浦上殿の言う通りです。それに神璽を京に戻すときに我々だけであれば大丈夫でしょう」

 則宗と藤兵衛にそう言われて太郎左衛門もうなずいた。

 こうして赤松家臣たちは高取の越智家栄に協力を要請した。家栄はこれを快諾するそして長禄二年(一四五八)の三月に再び奪還作戦を実行。この作戦を成功させ神璽を奪還した。

「こうもうまくいくとは」

 則宗は呆れながらも喜んだ。これで何はともあれ赤松家再興の望みは果たされる。

「(その暁には拙者も)」

 神璽を京に送る護衛の道中で則宗はほくそ笑んだ。いろいろあったがこれで這い上がれる。それを思うと胸が躍るのであった。

 さて則宗を含めた赤松家臣に守られ神璽は無事に内裏に戻った。将軍足利義政はこれを非常に喜ぶ。そして

「赤松家再興を許そう」

と、赤松家を再興させた。これに則宗たち赤松家臣たちは喜び安堵する。

「やっと悲願が成りましたな」

 太郎左衛門は涙を流して喜んだ。則宗もうなずく。さらに太郎左衛門は言う。

「これよりは殿を支えていきましょう」

「ああ、もちろんです」

 則宗はこれもうなずくが内心は違った。則宗はかつて殿様が大それたことをやったせいで没落したことをまだ恨んでいる。

「(支えるかどうかは殿次第だ)」

 そう則宗は考えていた。

 この年の十一月には正式に赤松家の再興が許された。新しく当主となるのは赤松満祐の弟の孫である赤松次郎法師である。

 次郎法師はのちに名を赤松正則と改める。この政則と則宗は強い因縁で結ばれ、数奇な運命をたどっていくのであった。


 いよいよこのシリーズに応仁の乱より前に生まれた人物が登場しました。一応則宗は戦国時代の初期ともいえる時代に活躍したのでコンセプトからは外れてはいません。ですがまあ戦国武将かと言われると若干の疑問があるのも事実ですが。

 今回の話は赤松家再興のきっかけとなった騒動が中心となっています。いわゆる長禄の変という事件ですが、創作のような実際にあったとされる事件です。事実は小説より奇なりと言うべき事件が戦国時代では頻発しますが長禄の変もその一つです。こういう事件があるから戦国時代は本当に面白いと感じますね。なおこの事件に則宗がどうかかわったかは不明です。そういうわけで則宗が活躍している部分はほとんど創作です。その点については留意してください。

 さて無事に赤松家は再興しました。創作ならここでハッピーエンドなのですが則宗の物語はここからが本番です。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では

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