篠原長房 臣の務め 第一章
阿波の戦国武将、篠原長房の話。戦国時代、畿内は管領細川家の内部抗争で混沌の極みにあった。その中にあって頭角を現すのが細川家家臣の三好家である。この話は三好家を支えたある男の話である。
室町幕府の管領職と言えば将軍に次ぐ立場の役職である。その管領になれるのは細川、畠山、斯波の三家しかなれない要職であった。その一つの細川家は複数の国の守護を務めているがそのうちの一つが阿波(現徳島県)である。そして阿波の守護代が三好家であった。
前置きが長くなったがこの三好家は細川家の家臣の仲でも特に力のあった家である。しかし一方で一族同士の内紛も起きていた。
享禄五年(一五三二)阿波の三好家の屋敷に駆け込んでくるものがいた。名は篠原長政という。長政は三好家本家の当主元長に仕える身であった。そんな長政が駆け込んでくるのだからただことではない。
長政は相当に憔悴しきった様子で迎え入れた同輩たちに話す。
「政長殿が殿を陥れた。今堺の顕本寺に立て籠られているがおそらくは勝てぬだろう」
「何だと! 長政殿。貴殿ほどの御仁が殿を見捨てられたのか」
同輩の非難に長政は静かに答えた。
「殿より千熊丸様と奥方様を阿波に逃せと命ぜられました。そして生きて千熊丸様を支えよとも」
この答えに同輩たちは黙った。改めて長政を見れば傷だらけであり表情からは無念が浮かんでいる。
この後長政の家臣に守られた元長の嫡男の千熊丸と元長の妻の春が屋敷に入った。それを見届けた長政は同輩たちに後事を任せ自分屋敷に戻る。
疲れ切った長政を迎えたのは妻のよしと嫡男の孫四郎であった。
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ、父上」
よしは夫の疲れ切った表情から何か読み取ったようである。一方の孫四郎は幼いゆえかよくわからないといった雰囲気であった。
長政は疲れ切った表情を引き締め穏やかに言う。
「ああ。今帰った」
よしに伴われて屋敷に入る長政。その後姿を見つめる孫四郎。その何かを背負ったようにも見える背中が孫四郎少年の心に強く残ったのである。
長政の帰還後しばらくして三好元長の葬儀が行われた。喪主は千熊丸でありその弟たちも参列している。もっとも千熊丸は幼いので実際は長政がすべて取り仕切った。
この葬儀に三好家の家臣一族の大半は参列している。また阿波守護の細川氏之も参列した。氏之は現細川家当主細川晴元の弟である。
「兄上はどうかしている。元長のような忠臣を切り捨てて政長のようなものを取り立てるとは」
今回元長が死に至ったのは細川家臣で同族の三好政長との抗争の末のことである。そもそもの発端は元長の活躍を政長が妬んだことであるが、主君の晴元は何かと政長の肩を持った。これは抜きんでた実力を持つ元長を警戒してのことだと誰もが確信している。今回の抗争も晴元は黙認し政長を秘かに支持していた。
ともかくそうした事情を知っている氏之としては兄晴元に怒り心頭のようである。それ故か長政を強く労った。
「よく千熊丸を連れて戻ってきた。まさしくお前こそが真の忠臣である」
「もったいなきお言葉。ならば三好本家の家督は千熊丸様に…… 」
「無論の事だ。これよりは其方が千熊丸を貢献するがよい」
「承知しました。家臣一同千熊丸様を支えていく所存です。一族の方々も同じお気持ちのようです」
「そうか。それは何よりである。良きことだ」
元長の葬儀はしめやかに終わりそれから三好家は当主死亡の後のいろいろな後処理に追われてあっという間に一年が経った。ここでなんと細川晴元から三好家にこんな要請が入る。
「一向一揆が暴走している。和睦をしたいのだがその仲介をしてほしい」
この要請に長政は怒った。そもそも一向一揆が決起したのは元長を討つために晴元がそそのかしたからである。それが暴走して手に負えなくなったからどうにかしてくれと言ってきたのである。
「一向宗に討たれ晴元様にも見限られた元長様の子なら間に立つにはちょうど良いという事か。浅ましい振る舞い。元長様と千熊丸様を愚弄するにもほどがある」
怒り狂う長政であるがこれをなだめたのは元長の弟である康長であった。
「落ち着け長政よ。むしろこれで晴元様に貸しができる」
「ですが康長様。千熊丸様の気持ちを思うと私は」
「お前の言うことも分かる。だがこれを利用して兄上の領地を取り戻せば兄上の無念を晴らす機会もめぐってくるのではないか」
康長にこう言われて長政は黙った。それがもっともだと思ったのである。結局千熊丸は晴元の要請を受け入れた。もっとも実態は康長と長政でどうにかしたのだが。その後氏之の仲介もあり千熊丸は晴元の家臣に復帰している。
晴元の家臣に復帰した千熊丸はやがて元服して長慶と名乗るようになる。その弟たちも次々と元服し次男は之虎、三男は冬康、四男は一存と名乗った。このうち冬康は淡路の水軍を統率する安宅家に養子に入り、一存は讃岐(現香川県)の有力な国人である十河家の養子に入っている。
同じころ長政の子の孫四郎も元服し長房と名乗るようになった。長政は長房を之虎に近習させることにする。長慶ではなく之虎なのは理由があった。
「長慶様は畿内での働きを主にしている。となれば阿波の三好家を取り仕切るのは之虎様になるだろう。お前はその時に之虎様の第一の臣として長さえするのだ」
「かしこまりました父上。必ずや父上のお望みに敵う働きを見せましょう」
「よい答えだ。お前は儂よりもはるかに聡明だ。いずれは三好家を支える柱石の一つとなるだろう」
長政が褒めた通り長房は若くして聡明であった。文武も両道に優れていて周囲からの評判も高い。また長房自身もとてもまじめでありそうした評判にうぬぼれることなく日々精進していた。
やがて長政は長房を之虎に引き合わせる。
「これは息子の長房です。これよりは之虎様の臣。存分にお使い下さい」
「篠原長房にございます。この先も之虎様の臣として働かせていただきます」
恭しく頭を下げる長房。それを見て之虎は笑った。
「堅苦しいな。貴様と俺はさほど年は変わらん。そうかしこまらなくてよい」
「ですが…… 」
「お前は俺の第一の臣だ。そんな堅苦しくては引きまわせんだろう。もっと砕けろ」
「しかし私は家臣ゆえに」
「なんと頑固な奴だ。まあいいさ。これよりはよろしく頼むぞ」
「承知しました。この一身思うままにお使いくだされ」
「ああ、もちろんだ。ともに兄者を支えよう」
この二人のやり取りを長政は満足げに眺めていた。相性の良さを感じたのだろう。実際この先二人は力を合わせて成長していった。
長房が之虎に仕えるようになってから忙しい日々が続いた。之虎の兄の長慶は細川晴元の下で畿内の各地で転戦し活躍している。之虎も時には共に出陣し兄を支え、長房はそんな之虎を支えた。
そんな日々が続いて時が流れて天文十七年(一五四八)になった。このころ長慶は摂津(現大阪府)に拠点を置き、之虎は阿波の勝瑞城にとどまって兄を支えている。この年長慶はある重大な決断をするのだがそれを弟たちには前もって伝えていた。家臣達にも伝えてはいなかったことだが之虎は長房だけにこれを伝えている。
「兄上は晴元様を見限るようだ。晴元様は政長を庇いだてしているからな。このままでは俺たちの宿願は果たせない」
この話を聞いて長房は驚くでもなく沈思した。そしてこう尋ねる。
「いよいよ政長殿を討つという事でしょうか。このままではただの謀反人になってしまうのでは? 」
「さすが長房。話が速いな」
長房の反応に之虎は満足げであった。一方の長房は黙って質問への返答を待っている。
「兄上は氏綱様を主とすると言っている。もっとも建前のことだけだ。実際は細川家から独立するつもりなのだろう。まあどうも氏綱様は名目上の主君でも構わんと言っているようだが」
氏綱は細川家の一族で晴元と敵対している勢力である。長慶はこちらに従うことで謀反という印象を薄めようと考えていたのだ。
「なるほど。しかしそうなると我らも覚悟を決めなければならんのでは」
「それはそうだ。できれば穏便に済ませたいがな」
「左様ですね」
二人の頭に思い浮かんだのは主君の氏之のことであった。晴元と長慶の仲を取り持ったのは氏之である。その立場からしてみれば晴元からの長慶が離反するのは氏之の面目をつぶす行為であった。何より氏之は晴元の弟である。長慶と晴元が争えば晴元に味方するであろうという事は容易に思い浮かぶ。
「兄弟の絆というのは強いものですからな。之虎様を見ているとよくわかります」
「まったくだ。俺も身に染みてわかっているよ」
そう言って二人は笑いあった。確かに氏之のことは懸念事項であるが何も恐れることはない。現在阿波では之虎を頼るものが多く実権は之虎に握られつつある。氏之が何か行動を起こそうとしてもすぐに把握できるようにはなっていた。
「さすれば我らの務めは阿波を守ることにございますな」
「そうだ。いざ戦となれば冬康や一存が支えるだろう。そこは問題ない」
この時すでに淡路も讃岐も三好家の勢力下に入っている。阿波の軍勢が動けなくても問題はない状況であった。準備は万端に整っている。そして之虎と長房の密談があってからしばらくして長慶は晴元から離反し氏綱に仕えた。そして翌年三好政長と戦い討ち取っている。十数年かけて父の仇を討ちとった形となった。
この戦いのとき之虎と長房は阿波にとどまっている。どうも氏之が両者の和睦を仲介しようとしているからのようだった。長房はこれを察知し未然に防いでいる。しかし氏之を捕らえるようなことはしなかった。
「晴元様に兵を送るような真似ならともかく、和睦を持ちかけようとしただけでしたので」
「ああ。それでいい。兄上も晴元様まで打つつもりはないようだからな」
この発言に長房は少し考えてから言った。
「長慶様らしいお考えかと思います。しかしこれが災いにならなければよいのですが」
「心配するな。兄上の成さることを疑っても仕様がない」
「左様ですね」
この話はここで終った。しかしのちに長房の懸念は当たることになる。
三好政長を失った細川晴元は将軍足利義晴と嫡男の義輝を伴って京を脱出した。それから長きにわたって長慶と晴元の争いは続く。基本長慶が優勢であったが長慶は晴元を討ち取るようなことはしなかった。旧主への配慮か謀反人の汚名を避けるためかはわからないがともかく長慶と晴元との緊張状態は続いていくことになる。
一方で晴元との戦いが長期化してくると阿波でも不穏な動きが見え始めた。氏之が一部の家臣と共に晴元の支援に動き出したのである。もっとも之虎の手前表立ったことはできないのでわずかな支援しかできなかったが。
之虎も長房もこうした氏之の行動を放置していた。之虎としても主殺しの汚名は避けたいところである。支援も大したことがないので長慶からも黙認していいとお墨付きももらっていた。ところが天文二十二年(一五五三)そうもいっていられない情報が長房の耳に入る。長房はひそかに之虎を呼び出して仔細を伝えた。
「氏之様が之虎様を討とうと動いておられるようです。戦ではなく暗殺するつもりのようで。四宮殿が密告してくれました。四宮殿の話の裏付けをしましたところ確かに不審な動きがあり、本当に之虎様を暗殺するつもりのようです」
「そうか。いや、残念だ。このままでいてくれればよかったのに」
この時点で二人の覚悟は決まった。二人は氏之の命を取るような真似はするつもりはなかったが、向こうから命をねらっているのならば話は別である。
「氏之様には消えてもらおう」
之虎はすぐに動いた。すぐに兵を集めると氏之の屋敷に向かったのである。一方の氏之もこの動きを察知したが之虎の行動が早く戦力を集められなかった。とりあえず屋敷にいる者たちと共に脱出すると阿波見性寺に入り援軍を募る。しかし間に合わずあっという間に包囲されてしまった。
「まったく馬鹿なことをしてしまった。兄上を見殺しにはできなかった。しかしならば阿波から出ていくべきであったな」
氏之はすべてをあきらめ切腹した。これを受けて之虎は氏之の死亡を公表し息子の真之を阿波細川家の当主に据える。しかしこれは誰がどう見ても傀儡の主君であった。これに怒った細川家臣の久米義広は怒って挙兵する。
「そもそも氏之様が三好の者どもを受け売れたからこそ今まで生きてこられたのだ。それ無下にした三好の無法は許せぬ。必ずや仇を討つ」
これに之虎も即座に対応し合戦となった。この戦いは之虎の勝利で終わり義広も命を落とす。義広の息子は難を逃れて阿波から脱出した。
こうして阿波での之虎の権力は盤石になった。とはいえ世話になった氏之を討ったことを少しばかり悔やんでいるのも事実である。そのため之虎は剃髪することにした。
「法名も考えている。実休だ」
「よい考えではあります。しかしいましばらくお待ちください。討ってからすぐではむしろ反感を買いましょう」
「そうか、そういうものかもしれんな。だがいずれは頭を剃るぞ」
「ええ、それは構いませぬ」
実際時が流れて永禄元年(一五五八)之虎は剃髪して実休という法名を名乗るようになった。このころになると阿波だけでなく畿内でも三好家の権力は盤石になりつつある。
「阿波だけでなく畿内も治め、この先はどうなることか」
この先のことを想像しようとする長房であるが思いつかない。実際長房の思いもよらぬような激動が待ち受けているのだが。
篠原長房の主の名は三好之虎こと実休です。これについて「実休はともかく之虎ではなく義賢ではないか」と思う人もいるのではないでしょうか。実際一時期は実休=義賢とされていました。ところが実際は義賢と名乗った一次資料は存在しないようで、実休と名乗る前は之虎と名乗っていたようです。さらに加えると之相と名乗っていた時期もあるようですがこの話では之虎とします。ご理解を。
さて氏之を討ち阿波を実質的に支配した実休と長房。しかし次回とんでもない悲劇が二人を襲います。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




