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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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伊丹親興 暗中模索 第二章

 すんでのことろで木沢長政を見限りいにこのった親興。細川家の勢力はますます強まりその将来も安泰に見える。ところが思いもがけぬ問題が発生し親興も難しい選択を迫られることになる。

 木沢長政が討伐された後、親興ら摂津の国人たちはすぐに晴元に謝罪した。晴元はこれ以上の混乱を望まなかったのか親興たちを許し塩川政年についても不問とする。だが親興には不安なことがあった。

「晴元様は許してくれたが政長殿が許すかどうか」

 今回の親興たちの行動は三好政長の面子を完全につぶすものである。あの性格なら怒り狂ってもおかしくはない。だが政長から親興たち摂津の国人たちへ何もなかった。いざ対面してみるとこう言ったのである。

「いや良く帰ってきた先のことは貴様の立場を考えればおかしくはないだろう。ともかくこれからも儂のために働いてくれ」

 こんな発言を歯ぎしりしながら張り付いた笑顔で言うのだからむしろ恐ろしい。しかしそうまでして親興たちを味方にしておかざる負えない事情があるのだというのがよく分かった。そしてその答えは政長自身の口から出る。

「このところ元長の小倅が調子に乗っておる。あのような若造が好き勝手出来ないよう力を貸してくれ」

「(なるほど。そういう事か)」

 元長の小倅と言うのは三好元長の遺児である三好長慶のことである。元長が死んだときなまだ幼かったが成長し晴元の下に出仕する様になっていた。若いが有能で父に劣らぬ働きを見せている。と言うか先だっての越水城での争いで親興たちを撃退したのも長慶であった。そして長政を討ったのも長慶らしい。

「(父に続いて息子にも嫉妬しているのか。このお方は。しかしそれゆえに恐ろしいことをしでかすからなぁ)」

 元長が死んだときのことを思い出して震える親興。だが兎も角万事無事に細川家に復帰できたという事で安堵するのであった。


 天文十二年(一五四三)木沢長政を討伐しとりあえずは安心していた細川晴元を激昂させる事態が起きた。

「高国の後継者を名乗るものが現れただと? そんなはずはない。高国の子は皆死んでいるはずだ」

 調べてみると挙兵した者の名は細川氏綱。素性を調べると高国のいとこである尹賢の子であるらしい。そして高国の養子になっていたようであった。

「これ以上高国の残党に好き放題されてたまるか。一刻も早くこの氏綱とかいうものを討ち取らなければ」

 そう考えた晴元は氏綱を討つべく行動を始める。一方の氏綱も積極的に行動した。その勢力の規模は晴元や誰もが考えた以上に大きく活発である。

 これには親興も疑問を抱いた。

「これほどの規模で動けるのは後ろに相当な勢力がいるぞ」

 これは親興以外の人々も考えたことである。それは果たして正しく氏綱を後援していたのは畠山家の家臣である遊佐長教であった。長教はかつて長政と手を組んで畠山家を牛耳っていた人物である。しかし長政を切り捨ててその権力をすべて手中に収めた男であった。今では主家を凌ぐほどの勢力を持っている。

 そんな長教から表に裏に支援を受けたのだから氏綱は厄介な存在であった。そして氏綱は数度の敗北を経ては復活しさらに勢力を増していく。その動きに危機感を覚えたのは摂津の国人たちであった。

「氏綱殿が勝利すれば我らの立場も危ういのではないか。いや、だが晴元様が負けるとも思えぬ」

 親興もその一人でこの先どうするか悩んでいた。ところがほかの国人たちはさっさと晴元に見切りをつけてしまい、天文十五年(一五四六)には親興を除く大半の国人が氏綱方に付く。これには親興も仰天した。

「皆なんと変わり身の早いことだ。しかし今更氏綱殿に従うわけにもいかない」

 仕方なく晴元に味方することにした親興。この先どうなるか不安しかない。


 摂津国人の大量離反に晴元方は危機感を覚えた。この時矢面に立たされたのが長慶である。長慶はこの時晴元の命で堺にいたところを氏綱方の攻撃を受けたのだ。この攻撃は堺の有力な商人たちの仲介で和睦に持ち込まれたが、それが結果的に摂津国人の大量離反を招いている。

「所詮は小僧。この程度なのだ。儂は晴元様を守るから貴様は自分の城を守っていろ。長慶は放っておけ」

 親興の下には政長からこんな非情な命令が届いた。とはいえ周囲はほとんど敵である。幸いと言っていいのか親興と積極的に対立している国人はいないので攻撃されることはないが明日はどうなるかわからない。そんな状況で長慶への救援に向えるはずもなかった。

「今は耐え忍ぶしかない。あとはほかの方々がどうにかしてくれるのを待つだけか」

 もはや祈ることしかできない親興。一方この時長慶は反撃の手を打った。三好家の本領は阿波(現徳島県)である。さらにこれに加えて讃岐(現香川県)や淡路(現兵庫県淡路島)を領地としていた。長慶はここから将兵を呼び寄せて事態の打開を試みたのである。

 海を渡ってやってきた四国勢を率いるのは長慶の有能な弟たちである。彼らは今後の対策を協議してまずは摂津の制圧を行うことにした。そしてそれが決まるや否や電撃的に各国人の居城を攻撃していったのである。しかし無理に攻撃せず圧倒的な戦力差を見せつけることで降伏させていったのだ。結果、国村をはじめとする国人たちはそろって晴元方に帰順した。

 親興の下にも晴元への仲介を頼む国人たちが押し掛けてきた。親興はこれを仲介していき摂津は再び晴元の勢力圏に落ち着く。その後長慶は天文十六年(一五四七)に四国勢と共に遊佐長教との決戦に及び勝利した。長教の勢力を駆逐することはできなかったが氏綱の進撃を止めることに成功したのである。

「長慶殿はすさまじい御仁だ。敵対したくはないな」

 そんなことを考える長教であるが、この後でそうもいっていられない事態になるのである。


 長慶と長教の決戦の翌年である天文十七年(一五四八)、近江(現滋賀県)の六角定頼の仲介で晴元と長教の間で講和が成立した。この際に長慶は長教の娘を娶っている。この時に出来上がった長慶と長教のつながりは晴元をはじめとする多くの人々にとって思いもよらぬ事態を起こす。

 そもそも長慶は晴元に対して父元長が務めていた代官職への就任を求めていた。

「私も成人し細川家の一員として父同様尽くしていく所存です。しからば父のように河内(現大阪府東部)の代官職につき晴元様と幕府に一層の忠勤をしたく思います」

 長慶は幾度となく晴元に訴えていたがこれがかなえられることはなかった。なぜかというとこの元長の死後この代官職に就任したのはほかならぬ三好政長であったからである。

「あの小僧が何か申しておるようですが気にすることはありませぬ。この代官職は儂にふさわしい」

「うむ。そうであるな。長慶は有能であるが元長のように少しばかりうるさいな」

 晴元と政長の主従は長慶を軽視していた。まだ若いというのもあるし政長としては元長に最終的に勝利できたからという事もある。何より細川家の家臣として復帰した立場である長慶が自分たちに逆らうなどとは思っていなかったからだ。

 だがこの予測は見事に、そして最悪の形で裏切られた。なんと長慶が晴元から離反し氏綱方に味方したのである。これには晴元家中だけでなく摂津の国人たちも動揺した。以前に記した通り政長は摂津の国人たちから反感を買っている。さらに摂津の国人である池田信正が晴元の命で切腹させられた。そしてそのあとを継いだのは政長の孫である。そのため信正は政長に忙殺されたのではないかと言う風説がたちさらに政長への反感が強まっていたのであった。

 この事態に多くの摂津の国人たちが長慶の味方に付いた。ところが親興は変わらず晴元に味方する姿勢を見せている。これにはちゃんとした根拠があった。

「この事態に六角殿は晴元様への支援を明言している。確かに長慶殿と四国勢は精強であるが六角家の軍事力があれば勝てるはずだ」

 六角定頼は今畿内で随一の実力者であり晴元の舅である。その定頼がこの事態に晴元への助力を明言した。六角家の軍勢が晴元に合流すればほかの摂津の国人たちも再び寝返るかもしれない。そう親興は考えたのだ。

「今は凌ぎ晴元様の下で戦おう」

 そう決断した親興であったが、この決断が思わぬ結果と展開をもたらすことになる。


 臨戦態勢が整う中でまず動いたのは長慶であった。長慶は越水城から出陣し摂津の榎並城を攻めた。ここを守るのは政長の息子の政勝である。息子に危機に政長は対応しようとするが摂津の国人の大半が敵対しているので思うように動けなかった。そのため政長から親興に命令が下る。

「儂はこれより山城(現京都府)から丹波(現京都府)迂回して河内に向かう。お前はその支援をしろ」

 親興はこの命令に素直に従い政長の進軍を支援する。しかし長恵の軍勢は精強であり政長の軍勢は敗れてしまった。敗れた政長の軍勢は伊丹城に避難してくる。

「長慶の小僧め。生意気な真似を。なんとしてでも政勝を助けなければ」

 苛立つ政長。親興は何とか政長をなだめようとする。

「榎並城は堅城です。長慶殿も攻めあぐねている様子。しばらくは持つでしょう。晴元様も出陣なされたといいますからそこで合流すれば政勝殿を救い出すことも可能でしょう」

「そんなことは分かっておるわ! だが儂な今なにもできぬという事がもどかしいのだ」

 なだめてもいら立ちの収まらぬ政長。正直親興は内心迷惑していた。

「(このまま政長殿に居られたら伊丹城が戦場となる。それだけは避けたいが)」

 別に見限るつもりはないが内心としては早く出ていってほしい。それが親興の本心である。もっともそれを表に出すことなど出来ないが。

 さて勢いに乗るかに見えた長慶だが親興の見立て通り榎並城は堅城で兵糧も豊富にあった。そのためなかなかに持ちこたえる。さらに晴元も出陣してきた。晴元は先ず味方していた塩川家の一庫城に入り長慶の後方を錯乱する。これに連動して政長、親興も出陣し長慶に味方している城を攻めるが攻め落とせなかった。しかし親興は状況を楽観視している。

「晴元様が言うには六角定頼殿の援軍が間もなく来る。定頼殿が合流すれば形勢は一気に我らの有利に傾くはずだ。そうすれば摂津の者たちも晴元様に寝返るだろう」

 晴元も六角家の軍勢の来援に備え始めた。まず先発して三宅城を攻め落としていた香西元成に六角家来援の進路の確保を命じた。しかしこれは長慶の軍勢に阻まれる。すると晴元も三宅上に入り政長もこれに続いた。

「定頼様が参られた暁には長慶など吹き飛ばしてくれる」

 そう言って政長は意気揚々と伊丹城を出ていく。早く出ていってほしかった親興としてはとりあえず安心であった。

「現状は拮抗している。こちらも思い切って動けないがそれは長慶殿も同じ。ならば援軍の来る我らに勝機はある」

 そうつぶやいてから親興はふと思った。

「六角家の援軍が手ごわいのは長慶殿も承知のはず。ならば思い切ったことをしてくるかもしれぬな」

 そうは思うが確証はない。そのためその考えは己の胸に収めておくことにした。別に確証があるわけではなかったからである。

 だがこの危惧は的中していた。そして戦いは親興の思いもよらぬ方向に進んでしまう。

 

 政長が三宅城に入ってから一月ほど経った。いまだ六角家の援軍は到着していない。一方で榎並城の政勝は良く持ちこたえていた。

「政勝はよく耐えている。長慶も攻めあぐねているようだ。ここは定頼殿の援軍を待とう」

 晴元はその方針で進もうと考えていた。しかしこれに異を唱えたのはほかならぬ政長である。

「兵がいるのに味方を助けぬというのは腰抜けの所業。早く榎並城を助けに行くべきですそれが出来ぬのならばわざわざ出的意味はない! 」

 政長はそう晴元を一喝した。正直主君に対する物言いではない。しかし晴元は黙った。幼き頃から兄のように支えてきてくれた政長に逆らうという考えを晴元は持っていない。そして政長も晴元が自分に逆らうなどとは思っていないのである。

「ともかくすぐに榎並城を救援すべきだ。敵も長く攻めていたので疲れているはず」

 こうは言っているが政長の本心は息子を助けたいだけである。実際榎並城はまだまだ耐えれそうであるし、六角家の軍勢ももうすでに出陣しているらしい。その数はおよそ一万と言う。この圧倒的な軍勢が加わればまず負けることはあり得ないだろう。

 結局晴元の最初言い出した作戦が正解なのである。だが政長は動いた。政長は三宅城を出ると江口城に入る。江口城は三宅城と榎並城の中間の位置にあり両者をつなぐ拠点であった。さらに長慶方の拠点である中嶋城と榎並城の中間地点でもある。政長はここに入ることで榎並城への支援路の確保と長慶方の牽制の両方を果たそうと考えたのだ。その上で六角家と合流し長慶と決戦しようと考えたのである。

 この動きを知った親興は素直に感心した。

「なるほど。江口城なら牽制と支援を両立できる。政長殿もさすがだな」

 政長も伊達にこれまで幾多の戦いを乗り越えてきた男である。こうした優れた判断力も兼ね備えているのだ。

「これなら長慶殿も動けないか? 」

 何気なしにつぶやく親興。実際政長の打った手は完璧に見える。しかしどこか言い知れぬ不安も感じるのだ。だがその不安が何なのか形にできぬ親興はただ状況を見つめることしかできない。

 そして親興の不安は現実となる。


 政長が江口城に入ってから数日後、長慶たちが江口城を包囲した。江口城は三方を川に囲まれた堅城である。しかしそれは補給の難しさを意味するところでもあった。長慶は包囲にあたって水路を完全に遮断し江口城を孤立させたのである。

 この包囲で江口城の指揮は下がった。と言うのも政長の入城が急であったため兵糧を満足に確保できていなかったのである。政長は長慶への怒りで意気軒昂であるが城内の将兵の士気は下がるばかりであった。

「長慶の小僧め。だが今だけだ。定頼の殿の援軍が来れば形勢は変わる」

 政長の頼みの綱は六角家の援軍である。だが無論それを長慶も理解していた。長慶は六角家の援軍が到着する寸前に準備を整えて江口城を攻撃する。すっかり士気の低下していた江口城の将兵は次々に討ち取られた。そしてその中に政長もいる。

「こ、この儂がこんなところで。あんな小僧に討たれるとは…… 無念である」

 政長は己の不幸を嘆きながら死んだ。だがそもそもは政長が元長を謀殺したことがすべての原因である。いわば因果応報と言うべきであるが政長は最後まで気づかなかった。

 政長の死を受けて晴元はすぐに山城に撤退した。政勝も榎並城を放棄して撤退する。結果的に摂津で伊丹家は孤立する羽目になった。

「ああ、なんということだ。どうすればいい。何とかこの状況を打破しなければ」

 頭を抱える親興。三好家の軍勢はすぐそこまで迫っている。

 主人公の大ピンチと言うところで今回の話は終わりました。実際周囲の国人たちが皆長慶に味方する中で晴元を選んだ親興の心中はよくわかりません。ただ当時の六角家は畿内で最強の勢力と言っても過言ではありませんでした。その戦力を味方につけられるだろう晴元に希望を見出すのはおかしいことではないのかもしれません。まあ結果的に大きな危機を招くに至りましたが。

 さて摂津で孤立した親興はどうなるのか。そして長慶の勝利という大きな歴史の返還点を経てこの先の歴史はどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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