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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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来島通総 海賊大名 第六話

 文禄の役が終わり来島に帰った通総。しかしすでに新しい戦いの火はすでにくすぶっていた。通総は新たな戦いに赴く。来島通総最後の戦いに。

文禄五年(のちに慶長元年一五九六)大阪城の秀吉の下に明からの使節がやってくる。秀吉はこの使節を明の降伏の使者だと思っていた。

 明の使節が秀吉に伝えたのはこれだけだった。

「貴殿を王と認める」

 これを聞いた秀吉は激怒し再度大陸への侵攻を決意する。

 この頃通総は来島にいた。通総は少し前に伊予で起きた大きな地震(慶長伊予地震)の対応に追われている。

 地震の影響は来島や通総の領地にはあまりなかった。しかし周囲には大きな影響を受けた人々もいる。それらへ対処する必要がある。

 そうした対処が終わり一息ついた通総は吉継を訪ねた。

「健勝のようだな」

「はい。おかげさまで」

 にこやかに応対する吉継に以前の面影は見られない。とは言えまだまだかくしゃくとしている。

「それにしても秀吉さまがお怒りのようで」

 吉継は何気なしにそう言った。通総は驚いてお茶を吹き出しそうになるが、何とかこらえて吉継を見つめる。

「よく知っているな」

「不思議なものです。隠居してからの方がいろいろなことが耳に入ります」

「そういうものか」

「そういうものです」

「そうか…… 」

 通総は少し間をおいて話し始めた。

「殿下はこの間やってきた明の使者は、降伏の使者だと思っていたらしい。だが明の使者の方は殿下が降伏したのだと思っていたようだ」

「何故そんなことが? 」

「どうも和平を成し遂げるために小西殿と明の使節が策を弄したらしい。お互いの主君に偽りを言ってことを治めようとしたがそれがばれてしまった、ということだそうだ」

「なるほど…… 馬鹿馬鹿しい話です」

 その時だけ吉継は往年の冷徹な雰囲気を醸し出した。一方で通総はため息をつく。

「正直何故ばれないと思ったのか俺にはわからん。しかし小西殿の気持ちもわかる」

「と、言うと」

「もうみんな疲れていたのさ。だからどんな手を使っても戦いを終わらせたい。そう思ってこんなことになったってだけさ」

 通総は肩をすくめた。そんな通総を見て吉継は苦笑する。だがすぐに暗い表情となった。

「秀吉さまのお怒り。相当なものだそうで」

「ああ。おそらくまた戦を始めるのだろうな」

「左様で…… 」

 二人はそろって沈んだ顔になる。これから起こるだろう新しい戦いを思うと嫌でも気持ちは沈んだ。


 明との和平交渉決裂後、秀吉は全国の大名に動員令を発した。勿論通総も含まれている

 地震の余波が残る中で来島家は準備を進める。

「皆、苦労をかける。だが来島家の安泰のために力を貸してくれ」

 通総はそう言って家臣たちに呼びかけた。勿論家臣たちに異論はなく皆積極的働く。特に旧得居家臣であった者たちの意気は高かった。

「なんとしてでも通幸さまの仇を討つのだ」

「そうだ。我らの技を朝鮮の者どもに見せてやる」

「そうだ。日本の海賊の恐ろしさを思い知らせてやる」

 みな旧主の通幸の敵を討たんという心持である。通総にとってはそんな旧得居家臣たちの姿がうれしかった。

「(兄上は慕われていたのだな)」

 そう心の内で通総は喜んでいた。そして自身も来るべき戦いに向けて仕事をこなしていく。すると一人の少年が通総に近づいてきた。

「父上」

「おお。長親か」

 やってきたのは息子の長親であった。

 長親は通総の次男である。長男はすでに死去していて家を継ぐのはこの長親であった。

「どうした」

「はい。確認していただきたい書類がいくつか」

「そうか。見せてみろ」

 このころは長親も家臣に支えられながら仕事をこなしていた。長親は通総に比べると細身で品が良い。

「(もはや海賊という雰囲気ではないな。だがそれでいい)」

 正直長親からは海賊という雰囲気が感じられない。よくいる若い侍、という雰囲気である。

「(これよりはもはや海賊ということにこだわるべきではないのかもな)」

 通総は旧得居家臣に目を向けて思った。彼らの思いもわかるがもはや海賊が自由に生きられる時代ではなくなっている。

「(兄上は海賊として死んだ。ならば私はどうなるのだろうな)」

 兄の通幸は最後まで海賊であった。だが自分はどうなのだろう。そんなことを通総はふと考えた。自分は海賊か侍かどちらなのか。

「父上? 」

「ん、ああ。すまない。呆けていた」

 急に黙り込んだ通総を長親が心配そうに見つめる。通総は苦笑いしてごまかした。それでもまだ心配そうにしている長親に通総は表情を引き締めて言った。

「こんども私は海を渡る。留守は任せたぞ」

「は、はい」

 長親は姿勢を正して答えた。その姿はやはり海賊とは思えない。通総は思わず笑ってしまう。そして急に笑い出した父を長親は不思議そうに見つめているのであった。


 慶長二年(一五九七)秀吉は出兵の軍令を下した。慶長の役の始まりである。

今回通総の所属する部隊は基本陸上部隊として活動し、必要に応じて水軍として編成されるというあり方であった。そしてその水軍を統率する立場に選ばれたのは脇坂安治、加藤喜明、そして藤堂高虎である。以前までは中心的人物であった九鬼喜隆の名前はない。これは慶長二年のうちに喜隆が隠居しこの守隆に代替わりしているからであった。

「しかし藤堂殿が名を連ねるとは」

 通総はこの軍令書を見て驚いた。高虎とは文禄の役で通幸や安治と共に同じ城を担当した間柄である。その頃の高虎はあくまで豊臣秀保の家臣という立場であった。だが文禄の役の後秀保が死去。高虎は剃髪し隠居したが秀吉に懇願され大名に復帰していた。なおその領地は伊予にある。

 通総は朝鮮に渡海する前に高虎と顔を合わせる機会があった。

「久しぶりです。藤堂殿」

「これは来島殿。お久しぶりです」

 高虎は相変わらずの巨体を折り曲げてあいさつした。その様子が何だか通総にはほほえましく映る。

「藤堂殿はだいぶご出世の様子。私などとは比べ物になりません」

「いやいや。これも殿下の御威光のおかげです」

「しかし加藤殿共々伊予を良く治めておられているようで」

 そんなことを通総が言うと高虎は笑った。

「おほめ預かり光栄です。しかしこの度は加藤殿と共に水軍の長を任されました。領地も接していますし負けられませんな」

 豪快に笑いながら言う高虎。だがその眼は鋭く光っている。通総は思わず動揺した。そんな通総を尻目に高虎は続ける。

「またこのような戦に至った以上、戦場にて功をあげるつもりです。こればかりは来島殿にも加藤殿にも譲れません」

 高虎は意気揚々と言った。だがそれを聞いた通総は少し不安になる。

「藤堂殿」

「なんでしょう? 」

「熊川の時のようなことにはなりませんようご注意を」

 通総は心配そうに言った。あの時豊臣水軍はあわや同士討ちという事態になりかけている。そして何より通総は兄を失っていた。

 高虎は通総の懸念に笑って答えた。

「心配はご無用。功を焦り味方に手をかけるようなことはしませぬ」

「ならば良いのですが」

「しかし手柄を立てるのは武士の本懐。それだけは譲れませぬよ」

 そこだけは高虎は譲らない。少し凄みを見せて言う高虎に通総は反論できなかった。

 さて豊臣軍は四月に日本を出発し順次朝鮮に到着した。その途中朝鮮水軍に遭遇するも難を逃れている。しかし今後のことを考えると野放しにはできなかった。

 この問題について水軍首脳の三人を中心に対応が協議された。そして

「敵水軍が駐留しているに巨済島の水域に打って出よう」

「「異議なし」」

ということが決まった。こうして早くも豊臣水軍対朝鮮水軍の正面対決が始まるのである。


 豊臣軍は水陸両面から朝鮮軍を攻撃することにした。通総もこの戦いに勿論参している。

「ここでどれほど痛手を与えられるかだな」

 以前は朝鮮水軍に永い間苦しめられた。今回ここで痛手を与えられれば朝鮮水軍の動きもだいぶおさまるだろう。通総も豊臣水軍の皆もそう考えていた。

 豊臣水軍は朝鮮水軍の動きをつぶさに観察し機会をうかがう。そして朝鮮水軍が漆川梁に停泊したのを確認すると夜襲をかけることにした。勿論陸軍と連携しての作戦である。

 豊臣水軍の将たちは夜半に一斉に出陣した、のだが

「あれは藤堂殿の船か? 」

「はい。あの家紋は藤堂様のものです」

よく見ると高虎の船が一足早く出陣していた。さらに安治、嘉明の船が高虎の船を追いかける。

「抜け駆けか」

「そのようです」

 どうやら高虎は一番槍を狙って一足早く出陣したようだった。通総の脳裏にはあの時の高虎の顔が思い浮かんだ。功名のために命を賭けなんでもする、そういう顔を。

「(全く…… )」

 通総は呆れた。先陣を切って突撃していくのは皆水軍の統率を任された将たちである。だがそれを忘れてみな突撃していく。

 目の前の光景に通総は舌打ちする。しかしこのまま立ち止っているわけにはいかない。

「我々も急げ! こうなれば一気に決着をつける! 」

「「了解! 」」

 通総の掛け声に家臣たちは威勢良く応える。そして通総の船団も朝鮮水軍目指して突撃していった。さらにほかの船団も同様に突撃していく。

 この夜襲に朝鮮水軍は大混乱に陥った。しかも朝鮮水軍が停泊している漆川梁は狭く水深も浅い。混乱と地形が合わさり身動きの取れない朝鮮水軍の船は、次々と拿捕されたり撃沈したりした。

 高虎たちに後れて到着した通総は混乱している朝鮮水軍の船に乗り込み拿捕する。その手際は見事なものでまさしく海賊という手腕であった。

 拿捕の際、通総はは敵乗組員に言った。

「諸君らは兄の仇に当たるゆえに船は貰う。命が惜しいものは船を捨てて立ち去れ! 」

 通総が一喝すると乗組員たちは船を捨てて逃げていった。その様子を見て部下の一人が通総に尋ねる。

「よろしいのですか? 」

「どうせ逃げたところで陸の者たちに討たれるだろう。陸の将らはぞれで手柄になる。我々は船だけでいい」

「ですが…… 」

 部下はどこか不満そうであった。そんな部下に通総はにやりと笑って言う。

「それにこちらの方が海賊らしかろう」

 それを聞いて部下も思わず笑ってしまうのであった。

 こうして豊臣水軍の夜襲は成功する。またこの時の朝鮮水軍の指揮者であった元均は、陸に逃れたところを待ち伏せしていた豊臣軍に討たれたという。朝鮮水軍は指揮者も多数の船も失う大敗であった。

 豊臣水軍は慶長の役が始まってすぐの海戦で大勝した。水軍の将は皆この勝利を喜んでいる。通総はそう思っていた。しかしこの勝利を喜ぶどころか怒り狂っている男がいる。加藤喜明だ。

「藤堂め! 絶対に許さん」

 嘉明が怒っているのは高虎が戦功第一になったことだった。実際高虎の船団が一番敵を撃破していたのだから仕方がないと言える。とは言え高虎は抜け駆けを行っていた。喜明としてはそれが納得できない。そのため目付達と軍功を協議する場でも喜明は噛みついた。

「藤堂は無断で出撃した。これは軍令違反だ。だが私はちゃんと軍令に従い出撃し戦功をあげた。ゆえに私が戦功第一だ」

 そう喜明は訴えた。その必死さは見ていた通総にも伝わる。しかし目付達は戦功第一を高虎と認定した。

「(これは仕方あるまい)」

 通総は嘉明に多少同情したが目付達の決定には納得した。実際抜け駆けの功というものも存在する。嘉明の主張は少しばかり苦しいものであった。

「(藤堂殿も無茶をするな)」

 通総は協議の場で高虎を見た。その姿は堂々としていて嘉明の主張を歯牙にもかけていない様子である。

 さてこれで一応の決着はついたかに見えたが、事態は収まらなかった。

 高虎は戦功第一の報告を目付とは別に秀吉の下へ送った。この行為を聞いた嘉明は再び怒る。

「またも藤堂め! あの卑怯者が! 」

 今回の高虎の行動には嘉明以外からも批判があがった。もっとも当の高虎本人は気にしてはいないようである。

 通総はこの件について高虎に問いかけた。

「何を考えているのですか。藤堂殿」

 高虎は素知らぬ顔で答える。

「目付に認められたことを報告したまでです」

「ですが皆怒っています」

「それは申し訳ない」

 いけしゃあしゃあと言う高虎。通総は肩を落とした。

「とにかく足並みを乱すようなことはこれまでに」

「わかりました。しかし」

「しかし? 」

「ほかの皆が同じことをしても私は怒りませんよ」

 高虎は笑って言い去っていった。その場に残された通総は高虎の背を呆然と眺めている。


 何はともかく豊臣水軍は大勝した。これで朝鮮水軍の動きはしばらく沈静化する。これにより豊臣軍は陸上の制圧にかかった。

 陸軍は右軍と左軍に分かれて朝鮮半島を北上していった。水軍は左軍と共に進軍する。左軍の目標は南原城である。

 左軍は陸上と川を上っていく部隊に別れ進軍する。通総は川を上っていく部隊にいた。

 川を上りながら通総はつぶやいた。

「海賊が川を渡るというのも可笑しいな」

 それを聞いた菅達長は深くうなずいていう。

「河童の川流れではなく海賊の川登りと言ったところでしょうか」

「だとするならば我々は鯉だな」

 そんなとりとめない会話をしながら左軍は進軍していく。

 やがて南原城の南に位置する場所で川は終わった。ここで部隊は南原城を攻撃する部隊と港で船を警護する部隊に分かれる。通総は攻城軍に加わった。他に参加したものには脇坂、菅、藤堂、加藤の名が連ねられている。要するに水軍の主力は全員攻城戦に参加することになった。

 この時勿論一番やる気があったのは加藤喜明である。

「こんどこそ私が戦功第一だ」

 一方で高虎は平常通りである。

「やることは変わらない。戦功をあげるだけだ」

 通総と達長はそんな二人の姿が妙に面白かった。

 さて通総たちが攻撃する南原城には朝鮮軍と明軍が籠っていた。だが戦力差は圧倒的で豊臣軍が十倍近くの兵を抱えている。

「結果は見えているな」

通総がそうつぶやくまでもなく南原城は四日で陥落した。多くの朝鮮兵と明兵が通総たちに打ち取られている。通総は脇坂安治と共に打ち取った敵兵の鼻(敵を打ち取った証拠)と南原城の絵図を港で待機していた目付に届けた。

 この仕事は通総にとってはあまり気持ちよくないものであった。

「鼻を削ぐとは」

 首を獲るのは通総も今までやったことはある。しかしさらに鼻を削ぐのは初めてであった。それだけにいろいろためらいがある。

「仕方あるまい。首をそのまま送る訳にもいかんだろう」

 安治はにべも無く言った。通総もそれに納得する。結局この時代はそういう時代である。

 南原城落城後、左軍右軍は合流し今後の対応を協議した。そして再び部隊を分けて進軍することになる。この時水軍は沿岸部の制圧を担当することになった。

「やっと海に戻ったな」

 通総は長い陸上での戦いに疲れていた。だが海に戻れるとなると少し元気になる。

「(この分で行くと、この戦いも近いうちに終わりそうだな)」

 通総はそんなことを思った。このところの調子だとあっという間に朝鮮全土を制圧できそうな感じもする。

「(早く来島に帰りたいな)」

 そんなことを通総は考えていた。早く島に帰って落ち着きたい。それは通総だけでなく部下の皆も同じ気持であった。もはや戦はせずに平穏に暮らしたい。そんなことを通総は考えていた。だが戦いは終わらない。


 豊臣水軍は沿岸部を制圧するべく進軍する。しかしその前に朝鮮水軍が立ちはだかった。

 朝鮮水軍は漆川梁の海戦での敗北後、豊臣軍の目が陸上に向いている隙に戦力を再編成した。また漆川梁の海戦で戦死した指揮官元均に変わり李舜臣が着任した。李舜臣は文禄の役の後失脚していたが、これを機に指揮官の立場に返り咲く。そして豊臣水軍に対抗すべく出陣した。

 そして両軍は鳴梁にて衝突した。これが鳴梁の海戦である。

 この海戦において先鋒を任されたのは通総であった。通総は先鋒を任されたことを驚く。

「私が先鋒ですか? 」

「その通りだ。貴殿に先鋒を任せる」

 驚く通総に安治はきっぱりと言った。通総が高虎と嘉明を見ると二人もうなずいている。

「しかしなぜ」

 通総は疑問に思う。それもそのはずで高虎や嘉明は戦功をあげることにあれほどこだわっていた。それなのに先鋒を譲るというのは不思議である。

 決定に疑問を持つ通総に安治は理由を説明する。

「こんどの戦場は狭いうえに流れも速い。こうした場では我々より来島殿の方がうまく船を動かせると皆考えた」

「なるほど。そういう事ですか」

 安治の説明は簡潔であった。それだけにすぐに呑み込めるものである。

「操船の難しい場所なら我々の出番という事ですか」

「その通り。…… それともう一つある」

 そう言って話を区切ると安治は通総にささやいた。

「貴殿に任せるならと藤堂も加藤も了承した。またもめごとを起こして貰っては困る」

 それを聞いて通総は呆れた。要するにどちらかを選んで揉めるから無難な通総にしたという。

「…… 承知しました」

 通総は呆れつつも呑み込んだ。別に断る理由もない。

「(海賊の技、見せてくれよう)」

 そう心の中で決意する通総。それは兄の通幸が熊川の海戦に赴くときと全く同じものであった。

 先陣を任された通総は船団を引き連れて出陣する。今回使う船は比較的小ぶりな船であった。これは狭く流れも速いので小回りが利く方がよいだろうという事である。

 通総を先頭に突入する豊臣水軍。それに対し朝鮮水軍も迎撃態勢を取る。朝鮮水軍は数こそ少ないが大きな船を多く用意していた。さらに慣れ親しんだ海であるのか操船もうまい。

「(これは厳しいな)」

 朝鮮水軍の巧みな操船を見て通総は危機感を持った。しかし先陣を切って突入した以上後には引けない。通総は部下に檄を飛ばす。

「なんとか敵戦取り付き船を奪うのだ! 」

「「おお! 」」

 通総の檄に部下たちも応える。こうして海戦が始まった。

 果敢に攻撃を仕掛ける通総たち。しかし朝鮮水軍も必死で反撃する。

「これはいかんな」

 朝鮮水軍の反撃は強くさらになかなか船に取り付けない。機敏に動くながら攻撃してくる朝鮮水軍に通総たちは劣勢になっていく。しかも狭い海域のせいで豊臣水軍は満足に展開できなかった。

「(だが、まだ終わらん)」

 通総は先頭に立って戦いながら勝機を窺った。ここをしのげば数で勝るのだから最終的には勝てるはずである。そう考えていたその時

「あ…… 」

通総の胸に矢が刺さった。甲板に倒れ込む通総。

「お、お頭! 」

 部下たちが通総に駆け寄る。だがそのため通総の船団に混乱が生じた。そこを逃さず朝鮮水軍は一気に攻撃を仕掛ける。

 通総は立ち上がりほえた。

「海賊を舐めるなぁぁぁぁぁ! 」

 咆哮する通総に飛来する矢の雨。その雨に打たれた部下たちは看板に倒れ込む。通総は倒れなかった。

 全身に矢を受け傷だらけの通総はこんなことを考えていた。

「(俺は結局海賊か)」

 通総の意識はそこで途絶えた。そして二度と戻ることは無かった。


 朝鮮水軍は先鋒に被害を与えた後に撤退した。通総の読みと同じで長引けば不利だと判断したのだろう。豊臣水軍は戦力を温存していたが周辺海域の不案内を理由に追撃はしなかった。こうして鳴梁の海戦は終わる。戦死した将は通総だけであった。

 通総の戦死の報はすぐに秀吉の下に届けられた。秀吉はこれまでの通総の功績を認め嫡男の長親への家督の継承を認める。そのうえで朝鮮への出陣を命じた。

 長親はこの命令を受け、おじの義清と共に出陣した。

「なんとしても父の敵を討つ。これは武士の面目である」

 そんなことを長親は言った。そこには海賊の「か」の字もない。もう来島家は海賊の家ではなく武士の家になっていた。

 この後慶長の役は慶長三年(一五九八)に秀吉の死をもって終結する。その後日本では関ヶ原の戦いが起きた。この東軍西軍に分かれたこの戦いで来島家は西軍に着く。しかし西軍は負けた。これにより政治の実権は徳川家康に移る。

 来島家は不利な状況に追い詰められたが縁を頼り何とか大名として存続することになった。長親は家康から一時貰い名を康親に改める。そして豊後(現大分県)の森の地に転封された。ここは内陸部で海に全く接していない。もはや海賊の名残すらなくなった。

 来島家が転封した時、村上吉継は生きていた。しかし転封に従わず来島に残った。

「海のない場所で海賊など名乗れるか」

 そんなことを家族に漏らしていいたらしい。

 この後来島家は名乗りを「来島」から「久留島」に変えた。もう海賊来島氏は跡形もなく消え去っている。

 久留島家は江戸時代を通じて存続し明治維新まで存在した。その頃には自分たちが海賊であったことなど知っているものはわずかだったという。


 皮肉にも通総は兄と同様に朝鮮の海で死にました。何というか海の上で戦って死ぬというのが何とも海賊らしい感じを受けます。

 この話では書ききれませんでしたが通総が戦死した時水軍の仲間は通総の死を悼んだそうです。なんだか通総の人柄が感じられます。

 さて次の話の話題になりますが、次の主人公は戦国時代の中でも古い年代の人です。どれくらいかというと応仁の乱に参戦してたくらいの人物になります。そんなやつを戦国時代の人物として扱っていいのかと思われるかもしれませんが、応仁の乱以降に活躍した人物を扱うことにしているのでとりあえず良しとします。あしからず。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では

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