松井友閑 交渉人 第六章
高屋城を巡る戦いも終わり織田家と敵対勢力の戦いも一時落ち着いた。もっとも戦国乱世で平穏な時などない。新たな戦いはすぐに始まり友閑も関わっていくことになる。
本願寺との和睦交渉が終わったのち、友閑は堺の代官に任命された。これには友閑自身驚いている。
「今までは宗久殿に堺のことは任せていたのに。堺の町衆は納得しているのだろうか」
不安に思う友閑であったがこれは杞憂であった。そもそも友閑の代官就任を求めたのが宗久をはじめとする堺の町衆であったのである。
「そもそも私の代官の職は幕府に与えられたものでした。幕府が無くなっては名ばかりのものという事です。でしたらこの際友閑殿に堺の政をお任せした方がよいと町衆の皆で決めたのですよ」
この宗久の説明に納得する友閑。もっともその裏にある目論見にも感づいている。
「どちらにせよ堺の街を動かすには町衆の方々の協力が必要です。それは宗久殿も分かているのでしょう? 」
「ええ。やはり友閑様にはお見通しでしたかな」
これまで堺は商人たちで構成される町衆の運営で成り立っていた。ここで友閑が代官に変わったところで堺の政務を取り仕切るには町衆の力が必要なのは変わらない。それはつまり今持っている町衆の権利などを認める必要があるという事であった。
尤もそこに友閑としても異論はない。
「宗久殿にはこれからもいろいろとお力をお借りします。まあ、これまで通りという事で」
「ええ。これからも変わらぬお付き合いを」
こうして友閑は堺の代官になった。とはいえやることは以前と大して変わらないのであるが。
年が明けて天正四年(一五七六)になった。この年の二月に足利義昭は中国地方の大大名である毛利家に庇護されている。これは重大な意味を持っていた。これを知った友閑も危機感を強める。
「毛利家が義昭様を庇護したという事はいよいよ織田家と縁を切るという事か」
この以前まで織田家と同盟関係を結んでいた。しかし織田家が日本統一の野心を隠さなくなり領土を西に広げていくとその関係も微妙になる。
友閑をはじめ織田家の重臣や多くの人々はその動向を注意深く見守っていたが事ここに至って同盟の破棄となった。やはり義昭を庇護したことで幕府再興の大義名分と義昭の影響力を得られたのが契機であったのであろう。
こうなってくると友閑にとって心配な要素が一つあった。
「上杉家はどう動くか」
上杉家は越後(現新潟県)の大名でこちらも織田家と同盟を結んでいる。武田家とは宿敵でありそこへの対応が一致したという事もあった。友閑は上杉家との外交に関わっている。そのため上杉家の当主である謙信の人柄や思考をある程度理解していたがゆえに現状に危機感を持っていた。
「謙信殿は関東管領の座についていて幕府への忠節も強い。それに織田家の領地が加賀(現石川県)や越中(現富山県)にはいれば上杉家と領地を接することになる。そうなれば毛利家と同じように動くこともあり得るはずだ」
友閑はそう考えた。しかし意外なほどに織田家は上杉家への危機感を抱いていない。同盟関係も早々に破綻することはないだろうと考えるものが多かった。
しかし友閑は違う。危機感を持っている。だがそれを織田家の意向にさせるということが出来る立場ではなかった。
「ともかく私だけでも上杉家の動きに注視しよう。信長様にも逐一情報を送るのだ」
危機感を抱き行動する友閑。そしてこの懸念はほどなくして現実になる。
足利義昭は打倒信長のために様々な勢力に協力を要請していた。この結果天正三年の終わりから天正四年の初頭までに織田家に従属していた小大名がいくつか反旗を翻している。それぞれはそれほど大きい勢力ではないが一気に離反されると対処が難しくはあった。
そんな中で毛利家が義昭に味方したのは大きな動きと言える。毛利家は籠城を続ける本願寺への支援を開始し本願寺もこれを受けて織田家との戦闘再開に向けての準備を始めた。
織田家もこれに対応すべく本願寺の包囲を強めた。本願寺はこれに対して逆に打って出て戦いを優位に運ぼうとする。摂津の天王寺で起きたこの戦いは織田家が辛くも勝利を収めて本願寺の包囲を強める結果につながった。
この天王寺の戦いが起きている最中に友閑の耳に懸念していた報せが入った。
「上杉家と本願寺が和睦を進めている、と。やはり上杉家も義昭様に付くのだな」
上杉家は長い間本願寺の率いる一向一揆との戦いに明け暮れていた。そのため本願寺と敵対していた織田家とも同盟を結んでいたというわけである。だが一転本願寺との和睦を選んだという事は織田家との関係の転換も意図しているという事だろう。
「このことを信長様に。しかしどうなることか」
友閑の懸念の通り上杉家は本願寺と和睦。織田家と敵対する道を選んだ。
こうした動きの中で友閑はさらに気になる情報をつかむ。
「松永殿の動きが怪しい? 見知らぬものをよく見かけるようになった? 」
それは松永久秀のところに最近頻繁な人の出入りが見られるようになったというものであった。それは久秀の主宰する茶会の参加者という事らしい。しかし本願寺の包囲に加わっている久秀の下に見知らぬ人々が出入りしているのは防諜的な問題があるのは事実である。十分な問題行動であった。
ただ友閑には少し気になることがある。
「あの久秀殿がここまで露骨なことをするのか。いったい何を考えているのか」
今回の久秀の行動は疑ってくださいと言わんばかりのものである。怪しすぎで逆に何もないのではないかと考えてしまうほどのものであった。
「久秀殿は何か意図があって行動しているのか。それとも…… 」
いろいろと不審に感じる友閑。だがこの段階では行動できることもない。逐一情報を集めるぐらいである。
「今は何事もなければいいのだが。何事も…… 」
友閑の願いの通り天正四年の間には大きな事件は起きなかった。だが年が明けて天正五年(一五七七)になると事態は一気に動き出すのである。
天正五年の七月に能登(現石川県能登地方)の七尾城が上杉家の攻撃を受けた。能登の城主畠山家は織田家に臣従している。信長は北陸方面の軍事司令官である柴田勝家を援軍に派遣した。この援軍は勝家を筆頭に羽柴秀吉など織田家の重臣たちも顔をそろえる強大な軍団であった。ともすればそれはすなわち上杉謙信率いる上杉家の軍勢を強く警戒していたといえる。
織田家は上杉家を強く警戒していた。そのためこれほどの軍勢を派遣したわけであるがそうなると当然ほかの部分が手薄になる。その間隙をついて八月に松永久秀が動いた。久秀は本願寺の包囲に参加していた突如として自分の砦を焼き払い居城である信貴山城に籠ったのである。
この久秀の動きを受けて友閑は信長から思いもよらぬ指令を受け取った。
「久秀殿を説き伏せよ、と。驚きましたな。信長様はそこまで松永殿を買っておいでであったのか」
先だっての謀反に続き再び久秀の説得を任されたのである。それはすなわち信長が久秀を評価しているという証でもあった。
友閑は急ぎ支度を整えて信貴山城に向かった。久秀はこれを予期していいたのか自ら友閑を迎え入れる。
「よく来られた松井殿。以前はできなかったが此度は茶の湯の席を用意しておいた。さ、参られよ」
にこやかに言う久秀。これに友閑の供の者は罠であると警戒した。しかし友閑は
「それはありがたい。存分にもてなしていただこう」
そう言って単身久秀についていった。
二人は信貴山城の茶室で向かい合う。やがて久秀は自ら建てた茶を友閑に差し出した。これを友閑は見事な作法で味わう。
「結構なお手前で」
そう言ってゆっくりと茶碗を返す。それを見て久秀は笑った。
「まったく。本当に見事な御仁だ。儂が毒を入れるかもしれんとは思わなかったのですかな? 」
「考えもしませんでしたな。久秀殿ほどの茶人がそのようなことをしますまい。何よりそのようなことをする者を信長様が許しますまい。思うところを信長様に存分に述べればれ許すとの仰せです」
友閑の発言に久秀は少し驚いたようだった。だがすぐににやりと笑みを浮かべる。
「まったく大した手土産ですな」
「ええ。ご満足いただけましたかな。でしたら私と共に信長様の下に参りましょう」
「ふむ…… 確かに大した土産です。しかし受け取ることはできませぬな」
久秀は少し寂しげな様子で言い切った。一方の友閑は久秀の返答に驚く。
「これを断ればもう信長様も久秀殿を許さないでしょう。それをお分かりなのですか」
「わかっておるよ。しかしあいにくと儂はこのまま信長様の下で生きていけるとは思えなんでな」
久秀は笑った。しかし寂しな様子は変わらない。
「儂は信長様の世で生きていけるとは思えぬ。ならば坊主にでもなればよいのだが生来の性分か、戦で生き残る道しか選べんでな」
確かに現状は上杉、毛利、本願寺と敵対している織田家は劣勢に見える。もし勝負するならここしかないという事なのだろう。
友閑は久秀の心中を理解した。
「見事な茶でござった」
「そうですか。ならば機があればまたご馳走しましょう」
「ええ、機があれば」
そう言って友閑は茶室を出た。そして信貴山城を出る。そこまで誰かに襲われるとかそういうことは一切なかった。
友閑は振り返らずに帰途につくのであった。
友閑の説得は失敗し松永久秀は討伐されることになった。だが柴田勝家をはじめとする主力は七尾城の救援に向かっている。そこで久秀には細川藤孝と明智光秀、筒井順慶が対応することになった。順慶は久秀と大和を巡って激しい争いを繰り広げてきた人物である。明智光秀は美濃のであるが流浪の末に義昭に仕えていたらしい。藤孝とはその時親しくなった間柄だそうだが友閑とは仕事以外であまり縁のない人物である。
光秀は義昭追放よりだいぶ前から織田家に仕えるようになっていたらしい。怜悧で頭脳明晰な人物である。信長からの信頼も厚い。今回の軍勢も光秀が大将である。
さて久秀への対応が行われる最中七尾城の援軍に向かった柴田勝家たちは大変な目にあった。と言うのも七尾城は勝家たちの到着を待たずに落城してしまった。勝家たちは仕方なく引き返そうとしたのだが子ここで上杉家の攻撃を受けて大敗を喫したようである。
この勝利に義昭がまとめる反信長の面々の意気も上がったようだった。それは友閑も聞き及んでいる。しかし慌ててはいない。
「確かに上杉家は大勝したようだ。しかしそのまま畿内になだれ込めるとは思えない。冬になれば北陸も越後も雪深くなる。上杉家の方々もそれは分かっているはずだ」
この友閑の見立てが当たったのか上杉家は勝家たちを打ち破った後は動かなかったのである。そしてその結果窮地に陥ったのが松永久秀であった。久秀は謙信の来襲をあてにしていたのだがそれが出来なくなってしまったのである。それに加えて信長は上杉家に敗戦により生まれた負の印象を払しょくするために久秀へ全力で攻撃を仕掛けたのだ。
結果信貴山城は落城し久秀は命を落とした。
「惜しいな。生きていればまた茶の湯を共にできたというのに」
友閑は久秀の死を惜しんだ。もしかするとそれは信長もそうだったのかもしれない。
松永久秀と言う人物は最近評価がいい方向に変化してきた人物ではあります。以前は主殺し、将軍殺し、大仏殿放火の三つの悪逆を行ったとんでもない人物と言われていました。ところが今はその三つはほとんど冤罪でむしろ三好長慶に見いだされて主君を支えた良い家臣と言った風に変わってきてはいます。もっとも義輝死後の混乱期の行動を見るとそれだけの人物でもないというのは分かります。ともあれ不思議な魅力を持った人物であることは間違いないでしょう。今後は様々な媒体でどう扱われるか気になる人物ですね。
さて久秀は死にましたがいまだ信長に敵対する勢力の連帯は続いています。損暗赤で友閑も予期せぬ新たな仕事を任されることになります。いったい何が起こるのか。お楽しみに。
なお次週の投稿ですがお盆休みという事で休ませていただきます。ご容赦を。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




