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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松井友閑 交渉人 第五章

 将軍足利義昭は追放された。これにより幕府は滅亡し織田信長による新たな時代が始まる。そんな時代を作り出そうとする信長の下で友閑は己の仕事に邁進する。

 元亀四年は途中から改元されて天正元年となっている。義昭の追放を機に信長が改元を行わせた。

 改元が行われた翌月の八月に信長は朝倉家を、その翌月には浅井家を滅ぼしている。近年の織田家を攻撃していた中核勢力の二家であった。彼らが滅亡したことで近江と越前は織田家の支配下にはいる。そして十一月には義昭と講和していた三好義継を攻撃し自害させた。三好三人衆も織田家の攻撃を受けて壊滅している。

 残るは松永久秀である。この時友閑は信長から思いがけない指令を受けた。

「松永を降らせて来い」

 これには友閑も驚いた。もはや三好家は壊滅状態でありそこに属する松永久秀も風前の灯火である。久秀に敵対する大和の勢力も傘下に加えている信長にとって久秀はどうでもいい存在のはずであった。

 しかし友閑は何も言わなかった。

「お任せください」

 そう言って友閑は久秀の下に向かう。友閑からしてみれば信長の考えていることなど到底理解は及ばない。ただ自分の役目を果たすだけである。その一心で友閑は信長の家臣として働くのであった。


 友閑は松永久秀の居城である多聞山城に向かった。城は包囲中で城内に使者としてやってきた旨を伝えるとあっさりと通される。

 友閑は一人で向かおうとした。これに懸念の声が上がる。

「松永は信頼できぬ。一人で入ったらもしものことが起きるかもしれない」

 だが友閑は一人で向かった。

「一人一身で向かってこそ相手の信も得られるというもの。何心配はいりませぬ」

 城内に入った友閑は久秀の下に通された。驚くべきことにその場には久秀以外いない。当の久秀はくつろいだ様子で城を包囲されている様子ではなかった。

「おお、よく来たのう。すまぬが茶の湯の準備はしておらんでな」

「お気になさらず。久秀殿の御返事によっては堺で茶会の準備をしましょう」

 友閑と久秀は双方とも茶人としての顔も持っていた。とはいえ茶の湯の席に同席したことはない。友閑の仕えていた義輝は久秀の旧主の三好長慶を嫌っていたので二人もゆっくりと茶の湯をかわすことが出来なかった。だがそもそも友閑は久秀に悪い感情を持っていない。

「(義輝様を襲ったのは久秀殿の意思ではなくご子息と義継殿の意思だという。長慶殿は幕府との協調を考えていた。その第一の家臣である久秀殿も同じような考えだったようだ)」

 これまでに調べた限り友閑は当時の久秀の行動をそう考えていた。もっとも息子のやらかしで義昭からは恨まれていたが。

 友閑は降伏の話を切り出そうとした。ところが先に口を開いたのは久秀である。

「のう友閑殿。貴殿は信長様をどう思う」

 思いもがけぬ質問である。友閑は深く考えずにこう答える。

「今の世を改めるお方かと思います。して、久秀殿は? 」

 久秀はしばし考えてこう答えた。

「似たようなものだ。しかしその先のことについては拙者と貴殿では見ている物が違うのだろう」

 遠くを見て言う久秀。これに首をかしげる友閑。正直問いかけの意味も久秀の言っている意味もよくわからない。

「信長様が改めた世は儂も生きられるのかのう」

 そんなことをつぶやく久秀。友閑は自分の持ってきた話が久秀の心を慰めるとはないと思いつつも言った。

「ご心配はいりませぬ。城を開ければ信長様は久秀殿をこれまで通り使うと申されていました」

「そうか。しかし」

「その先のことは…… 久秀殿次第にございます」

 友閑は突き放すように言った。これに久秀は納得したようである。

「そうか。生きられぬと思えばそうするしかあるまい。まあ今は生き残るとしよう」

「承知しました。このことを信長様にお伝えします」

 こうして松永久秀は降伏した。信長に謝罪した久秀はこれまで通りの扱いを認められる。これを不思議がるものも多くいた。友閑は一応、納得している。

「信長様は久秀殿が必要だと思われたのだ。しかしその逆は」

 友閑は久秀のこの先のことを考える。しかし先のことなどわからない。


 松永久秀も投降しほかの織田家に敵対している勢力の大半も壊滅している。唯一勢力を温存していたのは本願寺くらいであったが、彼らも織田家との和睦を選択した。

 ところがここで思いもがけないことが起きる。なんと追放された義昭が京への復帰を目指して蠢動し始めたのだ。

「まだ幕府は死んでいない。将軍の威光をもって信長を討ち滅ぼしてくれる」

 義昭は各地の大名に書状を出して味方につけようとした。これに対し諸大名の動きは鈍い。彼らにも彼らの立場があるのだから当然ではあるが。だがこの動きに喜んだのが信長に敗れた三好義継の残党であった。彼らは一部の勢力と四国の三好家の軍勢を頼みに挙兵する。これだけなら小規模であったがここに本願寺も再び参戦した。そして天正二年(一五七四)に阿波(現徳島県)の三好康長を大将として河内(現大阪府)の高屋城に立てこもったのである。信長はこれに対して重臣である柴田勝家に細川藤孝や明智光秀たちを付けて派兵した。

 三好康長は頑強に抵抗して織田家の攻撃をよく防いだ。またこの時織田家は伊勢長島の一向一揆の鎮圧も並行して行っていたため戦力を十分に回せていない。そのため織田家は抑えの軍を置き一時撤退した。

 こうした動きを友閑は堺から見守っていた。戦場ともほど近いからいろいろと後方支援を行っていたのである。その過程で興味深い情報も得た。

「康長殿がひそかに堺の町衆に接触している? 」

「そのようです。ただどちらかと言うといざと言うときのつなぎのためのようで」

 今井宗久が言うには康長は万が一、戦いに敗れた時のために堺の町衆を間において信長と講和しようと考えている、とのことだった。これについては友閑も納得する。

「康長殿はあくまで担ぎ上げられただけという事か。本人もそこまで義昭様に味方することに乗り気ではないのだろうな」

「そのようで。しかしとりあえず友閑様の耳に入れておきましたがどうしましょうか」

 宗久の問いに友閑は少し考えこんだ。

「(康長殿はこれ以上の戦いは難しいと考えているという事か。しかし他の者はまだまだやる気で身動きのとれぬ状況なのだろう。単身降伏するのも難しいという事か)」

 考えこんだ後で友閑はゆっくりと口を開いた。

「私の存在は伏せてうまく康長殿に信長様に逆らう不利を説いておいてくれ」

「かしこまりました」

 この情報は必ず役に立つ。友閑は確信していた。


 年が明けて天正三年(一五七五)になった。三月に本願寺が織田家の高屋城への抑えとして配置していた軍勢に攻撃を仕掛ける。しかしこれは守備していた荒木村重の活躍で撃退に成功した。

 この状況を好機と見た信長は四月に軍勢を率いて出陣した。当時信長は京で待機していたため迅速な進軍が可能であったのである。信長率いる軍勢は高屋城に進軍した。これに対して三好康長も出陣して迎撃しようとする。しかし数で勝る織田家の軍勢に敗れて命からがら後退した。

 この敗戦の直後、宗久の下に康長から書状が届いた。宗久は書状を見ずに友閑に渡す。友閑は封を開けて書状に目を通した。そして大笑いする。

「宗久殿の気遣いは素晴らしい。しかし此度は無用のことであった」

 書状の内容は友閑への取次を頼むものであった。それを知った宗久は苦笑いする。

「つまらぬ気をまわしましたな」

「いや、さすがの商人の気遣い。見事ですな」

 友閑はすぐに康長に取次の了承をしたという書状を書く。それと同時に信長の下に向かった。

「康長殿はもう降るおつもりのようです。しかし新堀城の者たちは戦いをやめるつもりはないようでして」

「そうか。友閑」

「はい」

「康長を手元に置く価値はあるか」

 信長は無表情のまま言った。もともと感情の起伏が少ないのが信長である。友閑も慣れてきていた。そして信長の発言がそのままの意味であるという事も理解している。

「康長殿は三好家の重鎮。手元に置けば四国を治めるときに役立つでしょう」

「そうか。なら許そう」

 この翌日信長は新堀城を攻めた。ここは本願寺と高屋城を結ぶ重要な拠点である。そして信長に反発していた主だった者たちが多くいたので容赦なく殲滅させた。

 新堀城の落城の後で友閑は康長の下に単身向った。城兵も新堀城が攻め落とされたのを聞いて戦意を喪失しているらしい。織田家からの使者に対して恐れるばかりであった。

 友閑はあっさりと康長の前に通される。そこで友閑は初めて康長と顔を合わせた。康長はこの時七〇歳位の老人であった。しかし体格は立派で顔にも体にもしっかりと肉がついている。目は大きく年相応のしわはあるがどこか愛嬌のある顔立ちであった。

 康長は友閑にしっかりと頭を下げた。

「ご足労申し訳ない。このような次第に至ったことを改めて信長様に謝りたい」

「いえ、お気になさらず。此度のことは康長殿の本意ではないという事を信長様もご理解しておいでです」

 これは実際のところ嘘である。信長は康長の本意であるかどうかは考えていないし気にしていない。とはいえこういう風に言っておけば相手の緊張のも解けるだろうという考えである。

「それはうれしいこと。真ならば本当にうれしいことですな」

 康長は愛嬌のある笑顔で言った。しかし発言の内容は友閑としてはなかなかに厳しいものである。だが友閑は動ぜず言った。

「こちらの浅慮を見抜くとはさすがにございます。しかし信長様は康長殿を許すとおっしゃられました。これは真にございますよ」

 この発言に康長は少し考えこんだ。そして不思議そうに言う。

「このおいぼれがまだ役に立ちますかな」

「無論のこと」

 友閑ははっきりと言い切った。そこに嘘がないとはっきりと分かったのか康長はまたもにやりと笑う。

「かしこまった。ならば頭を剃って城を出ますかな」

「お手数をかけますが。そうしていただけるとありがたい」

 康長はこの日のうちに剃髪し高屋城を出た。こうして高屋城を巡る戦いは終結したのである。


 康長は降伏したがまだ本願寺との戦いは継続している。信長はこれを機に本願寺との決着を付けようと考えた。しかし武田信玄の後を継いだ息子の勝頼が三河に侵攻したとの報告を聞きそちらへの対応を優先することにする。

 友閑はこの間も情報の収集に努めた。そして本願寺の戦意が下がってきていることを知る。やはり情報源は堺の町衆であった。

「義昭様の命に従いほかの者も決起すると思っていたようだが当てが外れたか。もしやすると康長殿のように町衆を通じての働き掛けがあるかもしれぬな」

 そう考えた友閑はさらに本願寺の動静に注目する。また康長に本願寺との接触を依頼した。

「本願寺が講和を願っているのなら康長殿からのつなぎを喜ぶでしょう。しかし拒絶されたのならまだまだ戦うつもりという事です」

「なるほど。確かに。だが本願寺は講和しても再び牙をむきましょう」

「それは承知の上。信長様も武田への対応を優先したという事はこの機に本願寺を討とうとは思っていないはず。武田との戦いがどのようなことになるかわかりませぬがまとめて相手にしようとは思わぬはず」

「それもそうですな。ではうまくやりましょうか」

 友閑の依頼を受けた康長はひそかに本願と接触。そしてその動向を逐一友閑に伝えた。一方信長と勝頼の戦いは五月に合戦に及び織田家が大勝をしている。

 それから時間がたち十月になると康長から連絡があった。

「本願寺が講和をしたいと言ってきました。その仲介を私と友閑殿に頼みたいとのことです」

 友閑はすぐに準備を整えて本願寺と接触した。講和の条件は戦闘の停止のみである。本願寺側も戦力はまだあるので当然のことと言えた。

 とはいえ現状本願寺が不利であることには変わりない。

「なにがしかの手土産は必要でしょう。人質とは言いません。茶器でも名画でもいいのです」

 本願寺は悩んだ末に三軸の名画を信長に差し出すことにした。これで表面上に本願寺側が不利なのを見せられる。信長もこの条件で承諾した。

 そのうえで友閑は信長に言った。

「おそらく一年もすれば本願寺は和睦を破るでしょう」

「だろう。まあ、かまわぬ」

 信長も本願寺の目的が時間稼ぎなのはお見通しである。とはいえ信長としても織田家の体制を再編したいと思っていたのでちょうどよかった。

 こうして織田家と本願寺の和睦は成立した。もっとも双方時間稼ぎのためのものである。それは誰の目にも明らかなものであった。

 今回の話の中心は高屋城の戦いです。時期的にみるといわゆる信長包囲網の間の時期に起きた戦いであまり知名度のない戦いではあります。正直筆者も知らなかったのですが友閑のことを調べるうちに知ることが出来ました。こういうのも戦国塵芥武将伝をやるうえでの楽しみの一つであります。

 さて本願寺との和睦も成立し一時的な平穏が訪れたかに見えます。しかしこれも新たな展開への小休止にすぎません。この先の様々な動乱に友閑は如何にに関わるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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