表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
336/399

松井友閑 交渉人 第四章

 織田信長は重大な危機を足利義昭と共に辛くも乗り越えた。信長に仕え幕府の再興に尽くした友閑にとっては万感の思いがある。しかし蜜月に見えたこの関係も急速に終わりを迎えることになる。その時友閑は何を思うのか。

 激動の元亀元年が終わり年の明けた元亀二年(一五七一)、この年も激動の年となる。まず二月には浅井家臣の磯野員昌を調略し味方に付けた。さらに伊勢(現三重県)で起きた一向一揆にも対応するがこれは失敗に終わる。三好三人衆は一時四国に撤退していたが再び上陸してきた。これだけならばよいが三好義継と松永久秀が三好三人衆と連携する動きを見せ始めたのである。ここに至ったのは単純に義昭との関係悪化が理由であった。

「義昭様はあの二人を許していなかったようだな。致し方ない」

 義昭から見れば兄の仇でもある二人である。早々許すという事など出来ないという事なのだろう。

 こうして再び戦いが始まりつつある中で衝撃的な事件が起きた。信長が比叡山を焼き討ちにしたのである。これは先年浅井、朝倉両家をかくまったことに対する報復行為であった。この事態に幕府や朝廷を含む今日の人々は動揺する。

「比叡山を焼き討ちするとはなんと罰当たりな。信長様には仏罰が下るのではないか」

「こんなむごいことをする者が幕府を支えているのはどうなのか。義昭様はどう考えているのか」

 幕臣の中からもそんな声が聞こえてくる。しかし義昭は変わらなかった。

「信長殿は間違ったことなどしない。絶対にだ」

 相も変わらず信長を信じ切っている義昭。友閑はそれがどうも少し不気味でもあった。


 比叡山の焼き討ち後も信長は自身に敵対する勢力と戦い続けた。このころ友閑は堺での取次を真面目に勤めながら信長の戦いの後方の支援に努める。それと並行して情報収集も行っていたが、最近はあまりよくない報せも入ってきていた。

「このところ幕府の中で信長様への不満が高まってきているのですか」

「その通りのようで。幕府の方々は好き勝手出来なくなっていらいらしている用ですね」

 その日は友閑と宗久の会談が行われていた。話題は幕府の内部の動きである。豪商である宗久は独自の情報網を抱えており友閑はその情報網をあてにしていた。そんな宗久からのこの言葉に頭を抱える友閑。

「先だって藤孝殿からも幕臣たちは自分たちのやり方に異を唱える信長様を疎んでいる者が多いという話を聞いた。特にこの前の比叡山の件以降は信長様を恐れるものも多くなってきているらしい」

「信長様はやり方がいちいち派手ですからな。まあそれを恐れる者が多いのも分からないでもないですね」

「義昭様の周りには信長様を排するように言うものも居ますので不安ではありますな」

「ですが義昭様は信長様をたいそう信じておいでなのでしょう」

「ええ、不安なほどに」

 この友閑の言葉に宗久はうなずいた。強烈な信頼は翻った時にすさまじい憎しみにも変わりうる。それは二人ともわかっていた。そして友閑にとって危惧していることがもう一つある。

「信長様は幕臣たちのやり方に相当お怒りのようで」

「それは…… 不安ですなぁ」

 もしかしたら決裂のきっかけを信長から与えるかもしれない。そう考えるといろいろと憂鬱になる友閑。そしてその懸念は現実になる。


 元亀三年(一五七二)九月。義昭の下に信長からの書状が届いた。内容は全十七条からなる詰問状であり義昭や幕府のこれまでの行動を強く咎める内容になっている。

 これを読んだ義昭の表情は狂乱した。

「信長殿が私にこのような書状を送るはずがない。これは私と信長様の間を裂こうという何者かの陰謀だ」

 義昭はそう叫び狂ったらしい、と言うのを友閑は藤孝から聞いた。

「やはり義昭様には受け入れられなかったか」

「そのようです」

 二人とも溜息交じりにつぶやく。友閑の聞き及ぶところ信長の義昭や幕府に対する怒りは相当の物になっているらしい。信長としては敵対勢力との戦いに専念したいところで義昭や幕府が問題を起こしていることが我慢ならなかったようだ。

 藤孝はさらにこう続けた。

「このところ義昭様は幕臣を集めてひそかに談合しているようです」

「だろうな。大方上野あたりが上機嫌で取り仕切っているのだろう」

「そのようです。それでですが拙者もこの前その談合に呼ばれましてな」

「そうですか」

 友閑は少し思案してからこう言った。

「ここに来ることはどう話したのですか」

「あちらの動きを探ると伝えています」

「なるほどそれは良い。ならばそのようにお願いします」

「承知しました、と言っておきましょう」

 藤孝の返答に満足げにうなずく友閑。二人の間には確かに信頼がある。


 義昭に詰問状が届いたころ事態を織田家の不利に傾けかけない大変な事態が起きた。甲斐(現山梨県)、信濃(現長野県)などを支配する武田信玄が徳川家康の領地である遠江(現静岡県)に侵攻したのである。徳川家は織田家の同盟国で織田家から東の守りを任されていた。そんな徳川家の領国に侵攻するというのは明確な織田家への敵対行動である。信長はすぐに徳川家に援軍を送りこれに対処しようとした。

「これは大変なことになってしまったな」

 この情報はほどなく畿内にも知れ渡った。おそらくは織田家に敵対する勢力が意図的に流したものなのだろう。武田家は強大な戦国大名であり織田家以上の強豪国であった。しかも織田家は西にも敵を抱えているのだから十全の力は出せない。

 友閑はすぐに藤孝を呼んだ。この武田家の動きを見て確実に義昭周辺でも動きがあるだろうと見込んだのである。それについては藤孝の口からはっきりと伝えられた。

「上野が武田家に通じたようです。この速さならおそらくは以前よりつながりがあったのだろう」

「そうか。此度武田家が動いたのは義昭様のお墨付きでも貰ったという事か」

「おそらくは。ただ義昭様はまだ迷っておいでのようです」

「そうですか。ですがそれも時間の問題か」

 友閑の得た情報によると義昭は敵対していた三好家との和睦を進めているらしい。この動きから見るに本格的に織田家を見限る動きになっている。最後は義昭の決断次第と言ったところか。

 思案する友閑。そんな友閑に藤孝は尋ねた。

「友閑殿は織田家に付き従うおつもりか」

 この情勢は圧倒的に織田家の不利である。藤孝もそう考えているのだろう。その心配から出た発言である。これに対して友閑はこう応えた。

「いかにも」


 元亀三年十二月遠江の三方ヶ原で徳川家と武田家が激突した。織田家は先んじて援軍を送っていたが武田家の軍勢の圧倒的な力に敗れ去る。

 この動きを受けてついに義昭は決断した。

「我らは織田を見限る。幕府を蔑ろにする愚か者を幕府の名のもとに討ち取るのだ」

 年が明けて元亀四年(一五七三)の二月義昭は二条御所に籠り挙兵した。この動きに対して細川藤孝は決断する。

「私は織田家に味方しよう。おそらく義昭様は武田家が来るまで持ちこたえられまい」

 これはある種の賭けであるが、現在徳川家を攻撃している武田家が早々に織田家の領地を攻めることはできないだろうと藤孝は踏んだのである。藤孝はすぐに織田家に義昭の挙兵を報告した。するとすぐに友閑から書状が届く。そこにはこう書かれていた。

「年明けの頃から武田家の動きが泊まっている。おそらくは何か支障が出たのだろうと信長様やほかの方々も考えている。信長様は義昭様との講和をお望みのようだがそれが叶わぬのならば一戦も辞さぬつもりだ。藤孝殿も準備を進めておいてくれ」

 実際この友閑の書状の通り信長は先ず義昭との講和を望んだ。しかし義昭はこれを却下している。

「これまでの非礼を詫びず講和など。そう願うのならばまずはすべての領地を私に差し出せ。それならば考えてやろう」

「まったくですな。まあ近いうちに武田家の軍勢が攻め込むでしょう。どちらにせよ信長は尾張や美濃から追われるに違いありません」

 義昭と上野秀政は信長からの提案をせせら笑った。この時点で義昭たちは武田家の進軍が止まったことを知らない。武田家からは万事順調との連絡を受けていたのでそれを信じていたのだ。それに信長に敵対する勢力がこれだけいれば動くことはできないだろうと考えていたのである。

 ところが信長は動いた三月には軍勢を編成し京に向かったのである。武田家は進軍を止めており浅井家は織田家の牽制を受けて動けなかった。

 三月の終わりの頃には織田家の軍勢は京の付近に着陣する。藤孝もそこに合流した。藤孝は信長の目の前で平伏し忠節を述べる。

「これよりは織田家の家臣として働きます。以後よろしくお願いします」

「で、あるか。友閑から話は聞いている。これまで幕府の内情伝えていたのは大義である。今後のことは信長に任せるがいい」

「ははっ。ありがたき幸せ」

 こうして藤孝が合流した織田家の軍勢はおよそ一万六千まで増えた。一方で二条御所に籠る幕府方は半分の八千ほどである。この事態に義昭は苛立った。

「信長はこんなに早く来たのに我らに従う者たちは碌に集まらないのか」

 これはもう信長の動きが速すぎただけである。ともかく信長の迅速な行動にうろたえた義昭たちはまともな対応ができなかった。このころ幕府には碌な武官がいない。藤孝は数少ないその一人であったがそれも離反しているのである。

 信長は事態を迅速に終わらせるために思い切った手に出た。幕府を支持する者が多い上京を焼き討ちしたのである。これは義昭たちを動揺させる算段であったが効果はてきめんであった。

「ひ、秀政よ。信長殿に歯向かうのはやはりまずかったのではないか」

「そう言われましても…… しかしこれで引き下がっては幕府の権威が」

「うむ。それもそうであるな」

 動揺はしつつも義昭は降伏しなかった。もっともそれも読んでいた信長は朝廷を動かし講和の仲介をさせる。朝廷の頼みという事なら義昭のメンツも一応立った。

「朝廷が動いたのならばしようがない」

 義昭は満足げに講和に同意する。この際秀政は信長の下に出向き謝罪した。

「こ、このような不始末を起こしてしまい申し訳ありませんでした! 」

 震えながら平伏している秀政。たまたま友閑はその横顔をちらりと見たが、どうも反省しているように見えない。

「(あの愚か者はまた何かしでかすだろうな)」

 そんなことを考える友閑。信長は秀政を一瞥もせずにその場を去っていった。


 義昭との和睦が結ばれた頃、織田家と敵対勢力の戦いは一時小康状態に陥った。浅井家や朝倉家をはじめとする敵対勢力は武田信玄の存在を頼みにしていたらしく、武田家の進軍が鈍ったことに不信や不安を抱いて動きを止めたようである。一方織田家も武田家の動きを注視するために一時岐阜に戻っていた。

 そんな最中友閑の耳に不穏な情報が入る。

「義昭様がまた挙兵を企んでいる? 本当ですかな? 」

「いえあくまで噂です。とはいえ幕府出入りの商人の筋からの情報なので」

 今井宗久が言うには義昭はこのところ武器や兵糧の購入に力を入れているとのことであった。それは一応隠れて行われているが京の商人の間では公然の秘密になっているらしい。

「この前の時もそんな動きがあったみたいですな。まああの時は信長様を恐れていなかったので隠していなかったようですが」

 どうも上京焼き討ちの件が効いてきたらしい。ともかく義昭の挙兵の噂は信ぴょう性が高そうである。これには友閑もあきれるばかりであった。

「せっかく和睦して難を逃れたというのに。いったいなぜ勝てると思っているのか」

「おそらくは武田家がやってくるのを期待しているのでしょうな」

「まあそれでしょうが。しかしその武田家もどうやら引き返しているようです。それでも頼みとするのはもはや愚かとしか言えませんな」

 友閑は知る由もないが武田信玄は帰国の途中で死去している。もはや京に向かうなどということはできるような状態ではない。

 にもかかわらず義昭は挙兵した。元亀四年七月のことである。この時義昭は二条御所を家臣に任せ自身は味方する勢力のいる槙島城に入った。もっともこの行動を予測していた信長はすぐに出陣し二条御所を開城させる。そして槙島城を攻撃した。城はあっさりと陥落し義昭は捕らえられたという。そのころには上野秀政の姿はなかったそうである。

「佞臣の言葉に耳を傾けたのだ。当然の結果に過ぎない」

 槙島城落城の経緯を聞いて友閑はため息を吐いた。そして話に来た細川藤孝に尋ねる。

「義昭様はどうなされた」

「信長様も義昭様を斬っては面目がよくないと思ったのでしょう。そのまま放逐したそうです」

「そうですか…… これで幕府も終わりか」

 友閑は吐き捨てるように言った。今後義昭がどうするかわからないがおそらくは京に戻ることはないだろう。信長が次の将軍を立てるとも思えない。幕府はこれで滅亡したといえる。義輝の死から幕府再興のために働いてきた二人にとってあまりにもむなしい末路であった。

「虚しいな。本当に虚しい」

 そうつぶやく友閑と黙然としている藤孝。蒸し暑い日のことであった。


 足利義昭は信長と二度挙兵し信長と敵対しました。一度目は三方ヶ原の戦いの頃なので信長が四面楚歌の状況にあるわけですから戦略としては分かります。ところが二度目の頃はすでに武田家が撤退をした頃なので何を期待して挙兵しいたのかがいまいちわかりません。義昭は信玄の健在を信じていたのかもしれませんがそれであの結果なのですから何ともむなしい話です。個人的にはもう少し様子を見た方がよかったのではとも思います。

 さて幕府が滅亡し信長の戦いも新たな段階を迎えます。その中で友閑はいったいどんな役割を果たすのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ