松井友閑 交渉人 第三章
幕府再興のために動き出した友閑。そして出会った織田信長の大器に友閑は感服し感動した。この出会いこそが人生を変えるのだと。
永禄十一年(一五六八)七月、足利義昭は美濃に入り信長と面会した。その場に友閑もいたわけであるが、友閑からしてみれば初めて見るわけである。
「(これが義昭様か。なんというか、義輝様とは大分に違うな)」
義輝は体格のしっかりとした偉丈夫であった。一方の義昭は小柄で線も細い。柔和な容姿である種の品のようなものはあったが威厳には欠けていた。
「信長よ。其方の忠義、見事であるぞ」
声は高い。気品がある様にも聞こえるが、やはりというか威厳はなかった。
「ありがたき幸せにございます」
信長は短く応える。その姿は堂々としていた。比べるものではないが義昭は大分に見劣りする。もっとも義昭は気にしていないようであったが。
二人の面会が終わると義昭はその場をすぐに離れた。友閑の存在には一瞥もしない。もっとも顔も知らぬのだから当然であるが。友閑もそこについては気にしてはいない。気になるのは別のことである。
「(果たして義昭様は将軍の座にふさわしき御方なのかどうか)」
ひっそりと義昭のことを値踏みする友閑。今見たところでは期待できそうにないが。
永禄十一年月、織田信長は総勢六万に及ぶ軍勢を率いて岐阜を出陣した。道中の近江は現状、南北を六角家と浅井家で分け合っている。浅井家は先年信長妹の市を浅井家当主浅井長政に嫁がせ同盟を結んでいた。従って敵対しているのは六角家だけである。もっともその六角家も近年は内紛で弱体化しており物の数ではない。織田家の軍勢はあっという間に六角家を撃破し近江南部を制圧した。また三好家は松永久秀の撃破に戦力を集中させていたので織田家の進軍を阻むことが出来ない。結果信長はあっさりと山城(現京都府)に入ることが出来た。
「さすがは信長殿。いやぁ見事見事」
大喜びする義昭。一方の信長はそれを尻目に勢いそのままに三好家の討伐に移る。これに対し三好家は不利を悟って撤退に専念し、城を多く失うも戦力は温存した。
こうして信長の上洛は成功し義昭は京に入ることが出来た。そして将軍宣下を受けて征夷大将軍の座につく。幕府も一応復興された。
この時幕臣の多くが元の職に戻った。しかし友閑は戻っていない。実はこの時信長からこのまま残留し京やその周辺の政務に携わる様に命じられている。
「信のおけるものを京に残す。貴様もその一人だ。ほかの者はこのあたりのことに不案内ゆえ貴様の知恵を貸してやるとよい」
実際信長は複数の家臣を京に残留させている。もっともあくまでも京周辺の政務は幕府が行うべきであり信長家臣はその補佐や信長への取次業務のための残留であった。
友閑はこの名を引き受けた一方で以外でもあった。
「信長様は幕府を本気で再興するおつもりなのか」
正直信長自身が幕府に取って代わろうとしているのではないかとも思ったので、友閑にしてみれば意外であった。ともかく友閑は久しぶりに京の地で仕事に励むことになる。
友閑は京で同僚たちと共に職務に励む。その同僚の中で特に働きが目立ったのは木下秀吉であった。秀吉は人当たりの良い明るい人物で。すぐに誰と打ち解けることが出来る人柄であった。その上に明晰な頭脳を持っていて職掌もすぐに把握し友閑などから得た新たな情報や知識もすぐに生かすことが出来る。
「いやはや。拙者は卑しい身分の出でしてなぁ。こうして人の数倍働かぬといかぬのよ」
秀吉はある日友閑にそんなことを言った。実際に友閑が聞き及んでいたところによると秀吉は尾張の農民の出らしい。
「秀吉殿は人の数倍聡明だ。一のことでも十にしてしまうほど頭がいい。信長様に重用されるのもよくわかる」
「そうですか。いやぁ、松井殿のような御仁に褒められるとうれしくてたまりませぬ」
そう笑顔で言う秀吉。もっとも友閑としては秀吉の発言がすべて本心だとは思っていない。秀吉がこういう言い方をして相手の懐に潜り込むところを何度も見てきた。
「拙者はそれほどの人間ではございませぬよ」
そう言って友閑は話を切り上げた。別に秀吉のやり方が気に入らないわけではない。友閑はあまり仕事の場で深い関係や、懐に潜り込まれるようなことに積極的ではなかった。だれとも適度な距離を持ち客観的に人を見ていたい性分なのである。
「そうですか。そうですか」
秀吉はそう言った。友閑は何気なしに秀吉の顔を見る。そこで秀吉が一瞬酷く冷徹な目になったのが見えた。無論をそれで動揺して表情に出るようなことはない。しかしひそかに戦慄した。
「(秀吉殿はこんな目をするのか。私は同輩だぞ)」
一瞬垣間見えた秀吉の性根。この経験が友閑の人生を決定づけることになる。
幕府が再興してから月日が経ち元亀元年(一五七〇)となった。この前年信長は独立した勢力でもあった堺に対する支配力を強めている。堺は豪商たちの資金力を背景に特定の大名に従わぬ独自の勢力を維持していた。しかし信長はそれを否定し自らの支配下に置こうとしたのである。
この時友閑は堺との取次を任されている。そしてその際にある意見を信長に具申した。
「堺の今井宗久殿は商家でありながら堺にある幕府の御料所の代官を任されています。まずは宗久殿の代官職をそのまま認め、宗久殿を介して堺を支配していくことが肝要かと思います」
「そうか。ならばそうするがいい」
友閑は信長の許可と宗久の代官職安堵の書状をもって堺に向かった。この時堺は信長に屈するかどうかで剣呑な雰囲気である。そんな最中に信長の手の者である友閑が向かったのだから緊張が高まった。
まず友閑は宗久に会いに行った。そして代官職安堵の書状を渡す。
「ほう。信長様が代官職をお認めになると」
「左様です。もっとも宗久殿にとってはあまり意味のないものでしょうが」
「ほう…… 」
友閑の物言いに宗久は驚いたようだった。実際宗久はこの安堵状にそこまでの意味を見出していない。欲しければ金の力で何とかすると思っていたからである。一方で信長が今までの大名達とは違うとも感じていた。それを見定めるために友閑と面会しているのである。
床の間で両者は見つめあった。やがて友閑は口を開く。
「信長様の所望するのは堺。しかし無理に自分の手で治めようとはとは思っていませぬ」
「それは、私たちに堺の政を託すと」
「ええ。信長様は堺の方々と商売をしたいとお考えなのです」
「わたしらは金を出します。では信長様は? 」
「堺の街を守ります。これ以降は三好家であっても手が出せぬようにするでしょう」
「ふむ。そうですか。ならばこの書状はお受けしましょうか」
宗久は安堵状を懐にしまった。これはともさず信長の体制に従うという証ともいえる。
「ほかの皆には私が話しておきましょうか」
「それはありがたい。そのようにお願いしますよ」
こうして両者の会談は終わった。これ以降堺は信長の支配下にはいるもその自由な商売はそのままとなる。
友閑が堺との取次に任じられた元亀元年は織田家に危機が訪れた年である。そもそもは信長が越前の朝倉義景の討伐を決定したことにあった。信長は義昭の名で各地の大名に上洛を促したが義景は無視している。これを大義名分として織田家は朝倉家の領国に攻め入ったのだがここで予想外の事態が発生した。織田家とは婚姻関係にあった浅井家が離反し朝倉家に味方したのである。浅井家と朝倉家は代々のつながりがありそれを重視した故の行動であった。ともかくこの浅井家の離反を受けて信長は朝倉家の討伐をやめて撤退する。その後織田家は同盟家の徳川家と共に浅井、朝倉連合軍と合戦に及び勝利した。これでひとまず難を逃れたかに見えたが今度は信長に敗れたのち潜伏していた六角家が挙兵。さらに四国に逃れていた三好三人衆が再び畿内に上陸し敵対行動を始めたのである。
この目まぐるしく動く事態に義昭をはじめとする足利幕府は織田家と一体となって対応した。この際友閑もいろいろと動いている。もはやすでに友閑はなし崩しに織田家の家臣となっている立場であるが今でも幕府内に顔が利くので諸々の交渉役という事で重宝されたのだ。
その日友閑は義昭に三好三人衆の討伐を織田家と合同で行うことを義昭に説いている。信長は幕府の権威を利用し義昭と幕府は信長の武力を後ろ盾にその立場を守っていた。今回の三好三人衆の討伐も両者にとってはメリットのある軍事行動になるはずである。友閑はそう理解していた。
「信長様は三好三人衆を討つために義昭様のお力が必要だとおっしゃられています。これは幕府の武威を示すのにもってこいのことかと」
「そうだな。兄上を討った三好家の者どもを討たずして幕府の権威は元に戻らぬ」
友閑の進言に義昭は意気揚々と答えた。義昭は信長のことを何一つ疑っていない。何なら友閑が不安に思うほどである。
「(義昭様は信長様を信じ切っておられる。今は良いがふとしたことで妙なことにならねばいいが)」
義昭の信長への思いはある種盲目的である。そうした感情はふとしたことで負の感情に変わりやすいものだと友閑は知っていた。とはいえ現状義昭や幕府と信長の関係は良好である。問題はないと友閑は考えていた。だがここで思わぬ発現が幕臣の中から出る。発言したのは最近義昭に取り立てられた上野秀政であった。
「此度の戦、義昭様が関わるご必要はないのでは? 」
これに友閑は驚く。しかしそれを表情に出さず秀政に尋ねた。
「それはどういった意味ですかな」
「三好も織田も我らの家臣。家臣同士の諍いに公方様が出ていく必要はありますまい」
「三好三人衆は義輝様の仇。それを討つのだから義昭様が出ていくのは必定」
「仇と言うならば三好や松永をそのままにしておくのはおかしいでしょう」
「彼らは誤りを認め降りました。それを攻めるのは天道に反しましょう」
この答えに秀政は冷笑を浮かべた。狐のような顔立ちの秀政の冷笑は癪に障るものがある。だが友閑は冷静に義昭に言った。
「これも今後の幕府のために必要なこと。支えるものを助け、過ちを認めるものを許し、非道を働くものは討つ。これこそ天下の公方の成すことと存じます」
「有無、その通りよ。秀政よ、急ぎ出陣の支度をいたせ」
義昭に促されて秀政は出ていった。その際一瞬友閑の方を睨みつける。もっとも友閑は動じない。しかし内心では危惧を抱いていた。
「(あのような者が義昭様のそばにいてはゆくゆく幕府の禍になるであろうな)」
秀政の狐のような顔立ちを思い出して不安を覚える友閑であった。
義昭は信長の要請を受けてともに出陣した。そして三好三人衆との戦になるが、この戦いは終始織田家の優勢で推移する。
「信長殿と我らの力が合わされば何も恐れることはない」
「左様にござりますな」
上機嫌の義昭につれない返事をする信長。信長としては迅速に三好三人衆を鎮圧して浅井、朝倉との戦いに戻りたかったのであるだがしかしここで思いもよらぬ事態が起きた。石山本願寺率いる一向宗が三好三人衆に味方し織田家と敵対したのである。さらにここで浅井、朝倉家も動いた。両家は三好三人衆と交戦中の信長の背後を攻め、さらに京を制圧しようとしたのである。
この事態に信長は三好三人衆の討伐をあきらめ浅井、朝倉両家の迎撃に向かった。義昭たちも一時京に帰還し情勢の推移を見守る。
友閑は細川藤孝ら幕臣たちと今後の対応を協議した。
「友閑殿。浅井と朝倉の動きはどうなっておりますか」
「坂本を抜けて京に迫っていたようですが、信長様の反転を知り後退したようです。どうも比叡山に籠ったようで」
「延暦寺も敵に回ったという事か」
「信長様は延暦寺に働きかけているようですが返答は思わしくないようです」
「これはいかぬな。いかぬ」
藤孝は重苦しい表情で言った。友閑察したのか藤孝にこう尋ねる。
「上野が何か申しておりますか」
友閑の問いに藤孝は重々しくうなずいた。これにため息を吐く友閑。
「この事態に何を言っておるのか」
「義昭様に信長様を見限るように言ったらしい。義昭様は取り合わなかったが、一部の者は信長様を恐れている。上野に同調する者も少なくないのだ」
「そうか。だが信長様は一部の幕臣が好き勝手しているのを苦々しく思っておられる。それが伝わっているのかもしれん」
そう言ってまたもため息を吐く友閑。だがすぐに気を取り直す。
「今はこの事態を治めることが肝要。藤孝殿は義昭様に和睦の取次をお願いしてくだされ。拙者は朝廷に働きかけます」
「承知した。まあ義昭様なら嫌とは言わぬだろう」
「お任せします。今はともにこの窮地をどうにかしましょう」
「あい分かった」
二人は会談が終わるとすぐに動いた。藤孝は義昭に掛け合い朝倉家に織田家との和睦の仲介をさせた。
「朝倉も織田も幕府の臣。それが諍いあうなど馬鹿馬鹿しい。いいだろう。今こそ幕府の威光を見せつけるとき」
義昭はすぐに上機嫌で動いた。友閑も知り合いの公家を通じて朝廷を動かし和睦の仲介を行う。また織田家は各敵勢力と個別で和睦していった。この結果ひとまず織田家を取り囲む勢力たちとの戦いは一時中断される。
「とはいえ一時的なものか」
ひとまず窮地は去ったと言え火種は残っている。友閑はそこに懸念を抱くもひとまずは安堵するのであった。
友閑に限ったことではないのですが後方支援や吏僚としての活躍が多い武将の描写はなかなか難しいものがあります。表題になっている交渉事もちゃんとしたやり取りを描くには頭を大分使わなくてはならずそれでもなかなかうまく行きません。もっといろいろな本を読んだ方がいいのかなとも思います。
さて幕府は再興し信長と義昭の関係も盤石に見えます。しかし次の話では友閑の不安が的中してしまいます。その時友閑はどうするのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




