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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松井友閑 交渉人 第二章

 三好家の謀反により将軍足利義輝はこの世を去った。難を逃れた友閑は次なる一手のために動き出す。そしてその結果人生を決める人物と出会うことになる。

永禄八年将軍足利義輝の御所が三好家の襲撃を受けた。義輝は戦死し数多くの幕臣たちも討たれている。しかし生き残ったものも居た。松井康之もその一人である。

「何とか叔父上の書状を細川様にお渡しするのだ」

 康之は何とか細川藤孝の下にたどり着き書状を藤孝に渡した。書状にはすぐに義輝の兄弟たちを保護するべしという事が書いてある。そしてもう一つ友閑のある予測が書かれている。

「三好家は内輪もめを始める、か。なるほどな。さすが友閑殿」

 友閑は襲撃の後三好家が内紛を始めると予期していた。現状三好家は当主の義継を一族の重鎮である三好三人衆、重臣の松永久秀、三好家の本国のある四国衆で支えているといった感じである。しかし三好三人衆と松永久秀の関係は良くない。四国衆は基本静観の構えであるがどちらかと言えば三人衆より、と言った感じであった。義輝が討たれたのちは主導権争いが起きると友閑は踏んだのである。

「友閑殿はさすがであるな。しかし…… 」

 感心する藤孝であるが、それゆえに心配なことがある。友閑の安否だ。藤孝は康之に尋ねた。

「友閑殿の安否は分からぬのか? 」

「はい。私もここまでくるので精一杯であったので」

「そうか。どちらにせよいろいろと調べる必要があるな」

 藤孝は家臣を各地に送りいろいろと調べさせた。それによりわかったことが二つある。

「友閑殿が討たれたという話は聞こえない。新三郎殿や康之殿の兄上は討たれたようだ」

「それは…… いえ、叔父上が生きているだけでも構いませぬ」

 康之は自分の家族が生きてはいないだろうと覚悟を決めていたので何とか飲み込んだ。むしろ友閑が生きているだけでも知られたのは幸いである。

「大和(現奈良県)の覚慶様は松永殿の下にいるようだ」

「それは三好家の手にあるという事ですか」

「そうとも言えるがそうとも言い切れぬ。なんにせよあの油断ならぬ御仁のことだ。何かたくらみがあるのだろうよ。だがこれは好機でもあるな」

 御所の襲撃から二か月後に藤孝たちは動いた。秘かに大和に入り覚慶を奪還したのである。そして近江の矢島に逃れそこで再起を目指したのだ。康之もそれに従っている。康之としては気になるのは友閑の安否であった。

「叔父上は果たしてどこに」

「わからぬ。だがきっと生きているはずだ」

 藤孝は友閑の生存を信じている。そして実際に友閑は生きていた。とある場所で幕府再興のためにひそかに動き出していたのである。


 友閑は御所から脱出した後に京にある大覚寺を目指した。個々の住職である大覚寺義俊は義輝の母方の伯父にあたる人物である。僧籍にありながら様々な勢力とつながりを持ち時勢にも明るい人物であった。

 大覚寺に入った友閑は義輝と義俊の妹で義輝の母である慶寿院の死を知らせた。そして藤孝に覚慶の保護を依頼したことも伝える。

「よくぞやってくれた。細川殿ならうまくやるだろう。ならば我らは三好家に対抗できるものを探すべきだな」

「その通りかと。おそらく三好家は内輪もめを始めるでしょう。そうなれば時を稼ぐことはできまする。あとは京に入るに足る実力を持つものを見極められるかという事です」

「うむ。すぐに見つけよう」

 義俊はひそかに人を動かして大名たちの情報を集めた。そして候補として三人の人物を挙げる。

「差し当たってつなぎを付けれそうなのは越前(現福井県)の朝倉義景。若狭(現福井県)の武田義統。そして尾張(現愛知県)の織田信長の三人だ」

 織田信長の名を聞いて友閑は驚いた。

「織田殿の名が挙がるとは。これは驚きました」

「何でも五年前にあの今川義元を打ち破ったらしい。其方も知っているのか」

「はい。今川殿を討った前年に義輝様に拝謁された方です。なるほど、あの御仁なら」

 友閑の言葉に何か感じ取ったのか、義俊は友閑に命じた。

「これより其方は尾張に向かい私の書状を信長殿に渡すのだ。そして幕府再興への合力を求めよ」

「承知しました。すぐに向かいましょう」

 こうして友閑は尾張に向けて旅立った。これが友閑の後の人生を変えることになる。


 尾張の小牧山城。この時の織田信長の本拠地がここであった。尾張と美濃(現岐阜県)の国境に近い場所に位置している。織田家と美濃の斎藤家は対立していたのでその戦いのための城であった。

 友閑は最初信長との対面が叶うかどうかも不安であった。

「義俊様の伝手があるとはいえ、斎藤家と戦っている信長殿が上洛に手を貸すつもりがあるかどうか。正直現段階で私の話を聞く利がないな」

 不安に思う友閑であったが、驚くほどスムーズに信長への謁見は叶う。対面した友閑を見て信長はこういった。

「貴様の顔、覚えているぞ。義輝様との謁見の折、万事うまく運んだのは貴様がよく動いていたからだというのを覚えている」

 これに友閑は心底驚いた。確かに信長の謁見を取り次ぎいろいろと手をまわしたのは友閑である。しかし信長自身とそれほど多くの時間を費やしたわけではない。それなのに覚えていられるのは驚きであった。

「私のことを覚えておいでとは。驚きまする」

「有用な者を覚えているのは当然である」

 驚いている友閑に信長はそう答えた。まさか自分が有能であるから覚えてもらえているとは思わなかった友閑はまたも驚く。だがすぐに気を取り直して本題に入った。

「此度は信長殿に上洛をしていただき、覚慶様への御助力をお願いに参りました」

「いいだろう。斎藤、六角とも申し合わせの上で覚慶様のために上洛しよう」

 まさかの即答であった。これに友閑の頭の中であることが思いつく。

「(信長殿はこれを己の利につなげる御つもりなのか。しかしいったい何に)」

 疑問を抱く友閑であるが上洛を快諾されたのだからとりあえず問題ない。

「ご返答感謝します」

 友閑は信長が上洛を引き受けたことをすぐに義俊に伝えた。義俊はこれを矢島の覚慶や藤孝たちに伝える。

「友閑殿は生きていたか。それにこんなに早く味方を作るとは」

「さすが叔父上。このうえは我等で六角と斎藤を説き伏せなければ」

 友閑からの連絡を受けた藤孝たちはすぐに動いた。まず覚慶を還俗させ義昭と名乗らせる。そして次期将軍の威光を利用し六角家と斎藤家に働きかけた。その結果両家は上洛する織田家の軍勢に領地を素通りさせると返答してきたのである。幸い三好家は友閑達の見込んでいた通り三好三人衆と松永久秀とで対立し内輪もめを起こしていた。

「これで万事うまく行く。幕府もこれで再興するだろう」

 尾張の友閑は一安心した。ところがここで事態が急変する。なんと上洛のため和睦していた斎藤家が織田家の進軍を阻んだのである。さらに六角家が矢島を急襲し義昭を捕らえようとしたのだ。

 これには三好家の圧力があった。三好家の内紛は松永久秀があっさりと敗れたことで沈静化しておりその強大な軍事力で六角家に圧力をかけたのである。斎藤家は六角家と同盟を結んでいたので上洛阻止に方針を切り替えたのであった。

「何という事だ。これでは信長殿の顔に泥を塗ったことになる」

 友閑はすぐに信長に謝罪した。

「こちらの不手際で信長殿の志を無駄にしてしまいました」

「気にするな。だが斎藤、六角の非道は天下に知られたことになるな」

 信長は表情を変えずに言った。友閑はその言葉の意味を深く考え理解する。

「(信長殿はこれを利用して大義を得たという事か)」

 心の中で納得する友閑。そんな友閑に信長はこう言った。

「貴様も大儀である」

 まるで思惑通りだ。そうとれる言い方であった。


 信長の上洛が頓挫したことで義昭たちも矢島にとどまることが出来なくなった。そこで越前の朝倉義景の下に落ち延びることになる。友閑も越前に向おうと思ったが信長に引き留められた。

「貴様の才を無駄にすることは許さぬ。余の下でその力を振るうがいい」

 これに友閑はおどろいた。そこまで能力が評価されているとは思わなかったのである。しかし友閑は幕府の臣でもあった。いろいろ考えた末に友閑は信長にこう言う。

「ひとまず幕府再興までの間は仕えさせていただきます」

「構わぬ。その折に再び考えるがよい」

 こうして友閑はひとまず信長の家臣となった。与えられた役目は信長の秘書の務めや商家や寺社仏閣、公家などとの交渉である。また友閑の知りうる京の文化や情報なども信長や織田家に広めていった。

 こうして友閑は織田家臣として働いた。信長は義輝と同様に独断専行の人柄であったが、その際に家臣たちに仕事を割り振りしっかりと評価している。友閑も以前とは違って軽んじられているような感覚は抱かずうまくやっていけた。

「正直幕府に仕えていたころよりやりがいはある。しかし幕府を見捨てることはできぬ」

 悩む友閑。そうこうしているうちに月日が経ち永禄十年(一五六七)信長は斎藤家の本拠地である稲葉山城を攻略。美濃を手中に収めた。

「これで六角家をどうにかできれば上洛は叶う。朝倉家と合力すれば六角家と三好家も恐れるものではない」

 勇躍する友閑。さっそく信長に許可をもらい越前の義昭たちに書状を送る。ところが帰ってきた返事には思いもよらぬことが書かれてあった。


 友閑は書状に書かれていたことをすぐに信長に伝えた。

「越前の細川藤孝殿から書状が届きました。それによると朝倉義景様はどうも上洛するおつもりがないようです」

「ほう、そうか」

 信長は短く答えた。その短い間でも友閑は何とも申し訳ない気持ちになっている。

「越前から朝倉家、美濃から織田家が共に上洛すれば六角家も三好家も物の数ではない。だというのに動かぬつもりとは」

 珍しくいらだった様子で言う友閑。ならば受け入れなどしなければいいはずである。

「(おそらくは頼まれたから引き受けたくらいの考えなのだろう。これを己の利に変えようなどとも考えなかったはずだ。まったく、信長様と全く違う)」

 三好家に追われる義昭をかくまった以上、対決は避けられぬはずである。それを先延ばしにする意味などないはずであった。

 友閑は悔しさに歯噛みしている。ところが信長は怒った様子もいらだった様子もない。友閑が不思議に思っていると、ふと口を開いた。

「朝倉など無用。我等だけで充分だ」

「それは、織田家だけで上洛すると? 」

「そうだ。貴様はその準備をしておけ」

 そう言ってその場を去る信長。その物言いに固まる友閑であったがすぐに気を取り直す。

「信長様はああおっしゃられた。ならば私のやることは」

 友閑はすぐに動いた。まず越前の義昭たちに信長が上洛する準備があるという事を伝える。さらに義輝亡き後も在京していた幕臣たちに三好家が要する将軍候補である足利義栄の上洛を阻止するように頼む。そして最後に連絡を取ったのは松永久秀であった。

 いつの間にか再起していた松永久秀はまだ三好三人衆に抵抗している。さらに三好家の当主であるも三好義継も久秀に味方していた。

「こうなれば使えるものは使う。松永殿もおそらくはそうだろう。義継殿は分からぬがおそらくは従うはず」

 友閑からしてみれば主君の仇であるが今や数少ない畿内の義昭方の勢力である。一応ではあるが。

「あとは義昭様がこちらに来てくれるかどうかか」

 こう懸念していた友閑であるがこれは杞憂に終わった。義昭は信長が上洛すると盛があると知ると大喜びしたらしい。すぐに越前を出て美濃に向かうと言ってきた。

 友閑はこれに畿内での工作も含めて信長に報告した。

「万事うまく行きました」

「で、あるか」

 短い返事をする信長。だがその端正な顔立ちにはどう猛さと威厳を兼ね備えた笑みを浮かべている。そんな信長を見て友閑は心の中でこう思った。

「(これこそ天下に号令をかけるお方の風格。義輝様よりも上かもしれぬ)」

 そう感じる友閑。もはや心はすでに足利家から離れている。


 義輝の死後藤孝らに助け出された覚慶こと義昭は朝倉義景と織田信長を頼ります。この二人の領国はそれぞれ越前と尾張ですが、どちらももともとは幕府の中でも強大な勢力であった斯波家の領国でありました。義昭が頼ったのもそうした理由かもしれません。しかしあの当時では越前は守護代であった朝倉家に乗っ取られ、尾張は守護代の家臣であった信長の家の領国になっています。これもまた戦国乱世の象徴ともいえるでしょうね。

 さて、次はいよいよ義昭を擁しての上洛となります。友閑の本格的な活躍もここから始まりますのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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