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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松井友閑 交渉人 第一章

 松井家は足利幕府に仕える家である。友閑はその次男。仕えるのは十三代将軍足利義輝。激動の時代の将軍であり、友閑も否応なしに激動に巻き込まれていく。

 松井家は足利幕府に仕える家である。と言っても代々の家であるとか幕府創設の頃よりの家であるわけではない。足利幕府八代将軍足利義政の治世の頃より仕えた家である。奇しくもこの義政の代から幕府の弱体化が始まったと言えた。特に義政の後継者を巡る争いである応仁・文明の乱は幕府を弱体化させ各地の勢力の台頭を許す結果となっている。

 幕府はますます弱体化しているわけでそれに仕える家も様々な選択を迫られた。幕府を見限る家、幕府での内部抗争に打ち勝ち絶大な権力を握る家などがある。松井家はそのどちらも選ばず従順に幕府に仕える道を選んだ。

 松井家の当代は松井長之という。息子が三人いて上から正之、友閑、新三郎という名である。正之は線が細くいかにも頼りない風貌である。だが達者な文字を書き頭も切れ真面目であったので信頼されていた。三男の新三郎は長男と真逆の厳つい立派な体格の持ち主である。ただ忠誠心は強いがいささか粗暴であった。

 そんな二人の間の友閑は身長こそ高くないががっしりとした体つきをしている。顔立ちは穏やかであるがその目は意思の強さを感じさせるものであった。しかし地味な雰囲気であまり目立たない。

「拙者は皆様方の影となり支えられればそれでよい」

 若いうちからそんなことをよく言っているような人柄であった。そんな友閑がこの話の主人公である。


 友閑が初めに仕えた将軍は足利義晴で義晴が亡くなるとその息子の義輝に仕えている。この時代の将軍と言うのは幕臣との対立が常態化しており本拠地である京を追われることも多々あった。そのたびに自分に味方する勢力の助力を得て対立していた幕臣と和睦して今日に復帰する。しかしその和睦が破綻すればまた流浪の生活に戻った。

 こういう状態だから必然的に目に見えないところでの様々な折衝と言うのが重要になる。友閑はそうした役目に携わることが多く実績も上げていった。

 友閑が評価され始めると弟の新三郎はいささか不服であった。

「兄者は戦場での武功があるわけでもない。それなのに上様に好かれているのはどういうことだ」

 これに対して友閑はこう答える。

「いかに地位が高かろうと武力があろうとこうしたことを成し遂げられなければ何もできぬという事なのだろう。だが私のしていることだけではだめだ。兄上のように知に秀でている方も必要で、お前のような武に秀でている者も必要だ。上様はそれをお分かりなのであろう。皆で一丸とならなければ上様をお助けできんのだよ」

 この友閑の言葉に新三郎も納得したようである。

 さて流転の日々を送っていた足利将軍家であるが永禄年元(一五五八)年には対立していた三好家と和睦し京に戻ることが出来た。今日に戻った足利義輝は精力的に活動し友閑達も忙しい日々を送る。だが永禄六年(一五六三)に松井家の長男である正之がこの世を去った。もともと体が弱かったうえに将軍家の放浪に付き添ったことでさらに体を弱らせたらしい。家督は長男の勝之が継ぐ。

「京に戻ってこれからだというのに。これが何か良くないことの前触れでなければいいのだが」

 言い知れぬ不安を抱く友閑。だがそれは最悪の形で実現してしまう。


 京に戻って以来将軍足利義輝と三好家の関係は良好であった。もっとも内実としては強大な戦力を持つが権威を持たぬ三好家と権威はあるが自身の戦力に乏しい幕府の持ちつ持たれつつと言ってもよい。ゆえに表面上の友好関係とは裏腹に関係がいつ崩壊してもおかしくないような状態であった。

 そんな中で永禄七年(一五六四)三好家の当主である三好長慶がこの世を去った。長恵は稀代の傑物と言っていい人物であったが幕府との関係についてはできるだけ穏便にという考えの持ち主である。そんな長慶がいなくなったことで幕府内外の誰もが剣呑な空気を感じ取っている。

 ところがそうでない人物がいた。その人物はむしろ長慶の死を歓迎するかのように受け取っている。その人物はほかでもない将軍足利義輝であった。

「長慶が死んだか。これで三好家は弱まろう。この機を生かして我等幕府の力を取り戻す。必ず」

 義輝は衰退した幕府の立て直しと権力の再強化を常に考えていた。それは誰よりも日本の最高権力者であるはずの将軍であることを意識した故であり、父の代から将軍の権力を蔑ろにされてきた恨みがそうした考えに至らせている。

「三好家を支えてきた長恵の弟たちももういない。私の邪魔をするものは誰もいないのだ」

 この義輝と将軍は自らすさまじい剣術の上で前を持ち精力的で情熱的で真面目な人物ではある。しかし己の力と血筋を頼みにしすぎている嫌いがあった。この点については友閑も危惧している。

「義輝様は覇気のあるお方。しかしそれゆえに周りを顧みないところがある。今はまだ幕府も三好家とうまくやっていかなければならぬのに」

 この友閑の危惧に同感するものも居た。同じく幕臣の細川藤孝である。

「松井殿の言う通りよ。義輝様は幕府を盛り立てようとしているがそのやり方が性急に過ぎる。今は三好家の力を利用しなければならぬのにむしろないがしろにしているようではいかぬ」

「細川殿もそう思うか。どうか義輝様を諫められぬものか」

 友閑の願いに藤孝はため息を吐いた。

「それで聞き入れてくれるのならば苦労はせぬよ。義輝様は己が道を信じぬくお方ゆえ。その道を変えさせるようなことを聞き入れさせることなど出来ぬ」

「ことは幕府の存亡にもかかわるようにも思う。義輝様もそこにお気づきになられてほしいのだが」

 友閑もため息を吐いた。日に日に幕府と三好家の関係は剣呑になっている。それをどうにかするのが友閑の仕事でもあるのだがうまく行かない。もっとも一番上の立場の人間が阻んでいるのだから当然ではあるのだが。

「三好家は最近の義輝様の振る舞いをむしろ恐れている。義輝様はそれをうれしく思っているようだが、それが何か恐ろしい事を引き起こすのではないか」

 予言めいたことを言う友閑。藤孝も険しい表情になる。

「またいつぞやのように京を追われるようなことになるかもしれぬか」

「左様です。それを防ぐのも私の仕事ではあるのですが」

 そうつぶやく友閑であるが、とてもではないが果たせそうにない。幕府と三好家の関係はさらに悪化し剣呑な雰囲気になっていく。やがてその空気は重大でとんでもない事態を引き起こしてしまう。


 永禄八年(一五六五)その報告は突然入ってきた。三好家の軍勢およそ一万が京に向かっているという報せである。軍勢を率いているのは三好家の当主の三好義継。なんでも清水寺に参詣するために京に向かっているとのことであるが信じられるものではない。そもそも軍勢は明らかに御所の方を目指しているのだ。

 御所に詰めている侍たちは義輝を中心に対応を協議する。まず出たのは急いで御所を脱出して京から逃れるという提案であった。

 友閑はこれに賛成している。

「一度身を隠して再起を図るというのはこれまでにもあった常道にございます」

 理にかなった話である。そもそも今御所にいる兵力ではとてもではないが三好家一万の軍勢に抵抗できない。

 だがこの提案に渋るものも居た。新三郎もその一人である。

「天下の主たる将軍が謀反人から逃げてどうするのだ。御所に籠り戦って時を稼げば我らに味方する者がきっと駆けつける」

 この提案に少なくないものが賛同した。これは一見理屈が通っているようにも見えるがその幕府に味方してくれるものがどれほどいるかと言うのがあまりにも未知数である。もし助が来なければ敗北は必須であった。

 両提案を聞いた義輝は苦渋の表情で口を開く。

「三好家の軍勢は強大だ。しかしそれに臆して御所から逃げ出せば幕府の権威は再び地に落ちよう」

 これに友閑は反論した。

「それはその通りかもしれませぬ。ですがここで命を落とせば元も子もありません」

「しかし逃げるといってもどこに逃げる。頼みにしていた六角家は今三好家と結んでいる。そもそも今日から無事に逃れられるとも思えんではないか」

 義輝の反論に友閑は黙った。義輝の表情を見れば苦渋のものであるが覚悟は決まっているようにも見える。

「このうえは戦うのみ。そして幕府の武威を天下に知らしめるのだ」

 ここで皆義輝が討ち死にするつもりであるという事を知った。その覚悟に多くの者が共感し涙を流す。しかし友閑は違った。

「(皆命を捨てて名をとるという事か。しかしそれだけではだめだ)」

 義輝と共感している者たちの覚悟は立派であるがそれでは足利幕府の滅亡につながってしまう。この時友閑は万が一の時のことを考え始めていた。

「(以前よりもしもの時のことは考えていた。しかしここにいる私ではそれはできない。ならばそれができる方に託すだけだ)」

 ここで別の覚悟を決める友閑。すでに戦いのときは迫っている。


 京に入った三好家の軍勢は各所に続く道の封鎖に入った。新三郎をはじめとする侍たちは迎撃の準備を整え抗戦の構えをとる。

 一方そのころ友閑は書状を書いていた。あて先は細川藤孝である。藤孝はこの時所用で領地に帰っていたので御所にはいない。友閑は書状をしたためると甥の松井康之を呼んだ。

「康之よ。お前はすぐにここを離れ、この書状を藤孝殿に渡すのだ」

 康之は驚いた。

「義輝様だけでなく叔父上たちや兄上を置いて行けというのですか?! そんなことは私にはできませぬ」

 そう言って泣き出す康之。無理もない。まだ康之は元服したばかりの若者である。父をすでに失い兄や叔父とも離れることなど考えたくもないだろう。

 だが友閑はあえて康之に頼むことにした。

「お前はまだ若く御所の者にも知られてはいない。知っているのは我ら松井家の者とわずかな幕臣。細川殿などだけだろう。ゆえにここから出ていっても敵方にも悟られぬはず。お前に託す書状は幕府の未来に関わるものなのだ。頼む」

 そう言って友閑は頭を下げた。叔父にここまでされては康之も受け入れるしかない。康之は友閑の書いた書状とかさばらない程度の銭をもらってすぐに出ていった。そのあとで友閑は義輝に報告する。

「甥の康之を六角殿への使いに出しました。どうにか我らと三好家の間を取り持ってくれるよう頼んだものです」

「そうか…… だがもはや意味はあるまい」

 ここで友閑はあえて嘘を吐いた。どうも御所の中に三好家に通じている者がいるらしい。また義輝を見限るものもちらほらいる。今回の書状はどうにか藤孝に届けてもらいたいので一計を案じたのだ。

「(あとは我が身のことか。私も取るべき道は間違わぬようにしなければ)」

 友閑は内心でそう考えている。義輝への義理は果たすつもりだが最期を共にしようなどとは考えていない。

 

 いよいよ三好家の軍勢が御所に攻めかかった。義輝も自ら太刀を振るい新三郎たちも奮戦する。その気迫はすさまじく数で勝る三好家の軍勢を次々と討ち取っていった。友閑も太刀を振るい奮闘した。

「御所に敵を引き付ければ康之も逃れやすくなるはず」

 友閑はこうなった以上、義輝は死ぬまで戦い続けるだろうと感じていた。新三郎をはじめとする幕臣たちも同様である。しかし友閑は違った。義輝が果てるまで戦おうとは思っているがそもそも死ぬつもりはない。戦っているのは己が死なぬためと、康之に託した策を成功さるためである。

「私は死なぬ。死んで名を残そうなどとは思わない。生きて成すべきことを成してこそ侍だ」

 傷を負いながら必死で奮闘する友閑。しかしいよいよ劣勢になってきた。新三郎も討ち死にしたようである。そこに勝之が駆け込んできた。

「叔父上。敵が義輝様の下に。このうえは義輝様の下に赴いて殉じましょう」

「何を言うのだ。こうなったらここを逃れて生き残るべきだ」

「叔父上こそ何を申すのです。義輝様を失っては足利の幕府は終わりです」

「まだ義輝様の弟君がいる。彼の方を擁して幕府を復興するべきだ。そのために康之を藤孝殿の下に送ったのだ」

「なんと…… だから康之の姿がないのですか。ならば叔父上はここを御離れください。私は義輝様の下に向かいます」

「馬鹿を言うな。松井家のことはどうなる」

「叔父上と康之が居ります。では御達者で」

 そう言って勝之は義輝の下に向かった。ほどなくして御所のあちこちから火の手が上がり三好家の将兵が殺到する。勝之を止めることなど出来なかった。

「ええい。このうえは何としてでも生き乗るぞ」

 友閑は燃える御所の煙に紛れながら逃走を図った。幸い三好家の軍勢は義輝の方に殺到しているので友閑が見つかることはない。なんとか脱出できた。

 逃げ延びた高台の上で友閑は燃え尽きる御所を眺めていた。おそらく勝之は義輝と共に討ち死にしたのだろう。

「私は生き残った。ならばやるべきことがある」

 そう言って友閑はその場を去った。

 今回の主人公は松井友閑です。この先以前取り上げた村井貞勝と似たような立場になるのですが今回の話はその前段階と言った感じです。しかしサブタイトルが交渉人なのに交渉のカケラもない話になりました。おいおいそうなっていくのでお楽しみに。

 さて何とか生き残った友閑。しかし孤立無援の状態でどうするのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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