金森長近 のっそり長近 第八章
武田家との決戦を制した織田家。長近はその戦いの中で確かな活躍を見せた。巨大な勢力になった織田家の中でその存在を示した長近。次の戦いはすぐそこまで来ている。
長篠城の救援、と言う形で行われた設楽原での織田、徳川連合軍と武田家の決戦。のちに長篠の戦と呼ばれる戦いは連合軍の圧勝で終る。この敗戦で尋常ではない打撃を武田家は受けた。しばらくは織田家や徳川家への攻撃は行えなくなる。それすなわち織田家に軍事的な余力が生まれることでもあった。
「大敵に大勝した今、信長様は次に何をするのか」
現状当面の敵となりそうな勢力で思い浮かぶのは摂津(現大阪府)石山に本拠地を持つ本願寺率いる一向宗である。一向宗は各地で信長に対して反抗しておりその結束力もあってやっかいな敵であった。長篠の戦の先年の天正二年(一五七四)には伊勢(現三重県)の一向一揆を徹底的に殲滅している。これは織田家の本国である尾張に近い長島が本拠地であるうえに幾度となく織田家に痛手を与えているからと言うこともあるが、それだけ自分を苦しめている一向宗への信長の怒りが強いかという事も分かる。
これで長島の一向宗は壊滅したが本拠地の石山はまだまだ抵抗を続けている。織田家としても目の離せない敵であった。
「さて次はどこに行くことになるのか」
長近は呑気なことを言いながらいずれ来る次の戦いに備える。そしてその戦いは長近の思ったよりすぐに行われることになった。
長篠の戦の後、信長は京に入り朝廷との様々な折衝を行う。それが終わると各武将たちに出陣の触れを出した。行く先は越前、敵は一向宗である。
「やはり一向宗。それに越前か。なるほどいよいよ奪われた地を取り戻すということか」
この陣触れに長近も納得している。そもそも越前は織田家と敵対した朝倉家の領地である。その朝倉家は織田家が滅ぼしたわけであるが、その際に少なくない数の朝倉家臣であった者たちが織田家に降伏した。信長は新たに似て入れた越前の地を旧朝倉家臣たちに任せている。と言うのも越前はそもそも一向宗の勢力が強い地であった。そのためもともとこの地を支配していた経験のある旧朝倉家臣に統治を任せることにしたのである。
この時越前の支配を実質的に任されたのが桂田長俊である。長俊は織田家にいち早く降伏し朝倉攻めの道案内を務めた。そうした功績もあってか織田家の越前支配における責任者を任されたのだ。
しかし長俊はもともと朝倉家でそれほど高い地位にいた人物ではない。織田家に降伏した旧朝倉家臣の中には長俊よりも格上のものも居た。彼らは誰よりも早く朝倉家を裏切った功績で自分たちの上に立った長俊を快く思っていなかったのである。
一方の長俊も越前支配を任されてから増長し昔の同僚たちに尊大な態度をとった。
「拙者は世の流れを読み見事に出世した。あとからのこのこと降伏した者たちとは違い目端が利くのだ。それを妬む者共のなんと醜く哀れなことか」
長俊は折に触れてこんなことを言っていた。これを知った旧朝倉家臣たちはさらに長俊への憎悪を強めたのである。もはやこの時点で長俊の体制の破綻は見えてきていたのだが、それが一向宗と結びつきだれも予想できない方向に向かい始めるのである。
長篠の戦の一年前の天正二年(一五七四)越前の府中の領主である富田長繁が挙兵した。目的は桂田長俊の打倒である。長繁は旧朝倉家臣の中で特に長俊と不仲な人物であった。長俊もまた長繁を軽んじており両者が徹底的に対立するのは時間の問題であったといえる。
この動きに多くの朝倉家臣は静観の構えを見せた。長俊は憎いかもしれないが身内どうして戦ってもしようがない。それが信長にバレたらせっかく安堵された領地も失うかもしれなかった。もっとも長繁もそれは予想済みである。そのため長俊打倒のための戦力として一揆を扇動し自分の味方にした。
「桂田は己の為だけに政を行っている。俺と共に桂田を成敗するのだ」
長俊は確かに厳しい支配をしていたので一揆勢も長繁に同調した。そして三万の軍勢にまで膨れ上がった一揆勢は長繁に率いられて長俊のいる一乗谷城を攻撃。圧倒的な一揆の軍勢になすすべもなく長俊は敗死した。
これで長繁の目的は達せられた。ところが長繁は一揆勢と不和になり始める。桂田長俊という共通の敵がいたころならともかく、それがいなくなれば別にみ方でも何でもないということであった。一揆勢は新たに指導者として本願寺の坊官である七里頼周と杉浦玄任を招く。そして二人の指揮で一揆勢は長繁を攻撃。長繁は奮闘するも敗れて敗死した。さらに一揆勢は旧朝倉家臣達にも攻撃を加えて敗死させていく。結果越前から織田家の勢力は追い払われ一向一揆の支配する土地になったのであった。
こうした経緯もあって現在越前は織田家の支配下から離れていた。しかし当時は武田家など敵対勢力への対応に追われていてどうしようもない状況であったのである。しかし武田家に大打撃を与えた今は思う存分越前の平定に臨めた。
さらに越前の一向一揆には分裂の気配が見えてきた。これは指導者として入ってきた本願寺の坊官たちが織田家への対抗の為と言う名目で重税や賦役を課し領民たちの反感を買っていたのである。
信長が長篠の戦から数か月と言う早いスパンで出陣を決めたのもそうした状況の変化がったのだ。そして今回動員される総兵力はおよそ三万。長篠の戦の時に匹敵する兵力である。さらに沿岸から攻撃するために水軍も動員していた。主な武将の顔ぶれも長篠の戦の時と同じような面子であった。つまりは織田家の主力たちであり今回の戦いに対する信長の並々ならぬ力の入れようが感じられる。
「此度の戦いで信長様は越前の一向宗を根絶やしにするおつもりなのだろう」
長近はそう考えた。一向一揆の厄介さは織田家の人間であるならば誰でも知っている。長近は三戦しなかったが先年長島の一向一揆のときは今回をはるかに上回る兵力で臨み長島の一向宗を根絶やしにしていた。そこまでしなければならないと考えるほどの被害を一向宗から受けているのである。
今回は長近も出陣することになった。そして今回も特殊な任務を任されている。信長率いる織田家の主力は羽柴秀吉が治める近江に集結し、越前の敦賀城を経由して進軍する予定であった。そんな中で長近は別動隊を任されている。
長近は陣触れを受けた翌日に信長の下に召集されていた。何か別命があるらしい。信長の下には長近のほかには同じく美濃に領地を持つ原長頼が呼ばれている。
信長は二人にこう言った。
「余が率いる本隊は敦賀から北上する。お前たちは美濃から越前を攻めよ」
確かに美濃と越前は領地を隣接している。兵力が多いから別方向から攻めるのも理にかなった話であった。だがこれにはある問題がある。長頼はそれに気づいていたのでおずおずと口を開いた。
「殿。確かに美濃と越前を接しております。しかしその接しているところは山と谷ばかりでとてもではないですが進めませぬ」
これに対して信長は短く言った。
「それでも攻めよ。それが貴様らの務めだ。道案内は長頼が務めよ」
そう言って出ていってしまう。呆然とする長頼。一方の長近は呑気に腹をかいていた。
信長からの命令を受けた長近と長頼はさっそく話し合うことにした。場所は長頼の城である美濃本巣の花木城である。
長頼の表情は暗い。
「信長様からの命。いったいどうすればいいのか」
そう言って頭を抱える長頼。実際信長の命令を実行するのは難しい。先にも記した通り美濃と越前の国境は山ばかりであった。そこを通り抜けて進めと言うのは難題である。
だが長近はあまり悩んでいないようだった。長近より十以上年下の長頼はその態度に焦るばかりである。
「金森殿。そのようにのんきに構えていてはとんでもないことになりますぞ」
「そうですなぁ。しかし特に焦ることもありますまい。信長様は無茶をおっしゃられるが無理は言いませぬよ」
この長近の言葉に首をかしげる長頼。するとその場に長近の家臣が駆け込んできた。
「殿。おっしゃられていた通り本巣から越前につながる道があるようです」
これを聞いて長頼は動転した。
「一体どういうことですか金森殿」
「何先ほどの信長様のお言葉を考えたのだ。わざわざ長頼殿に道案内を頼むという事は何かあるというのだろうと」
「な、なるほど」
「それで、その道はどのようなものだ」
「以前越前から朝倉家が攻め寄せた時に使っていた道のようですある程度の兵が通れるくらいのものであるようで」
部下からの報告を聞いた長近は長頼に言った。
「原殿の領地にはその道に詳しいものも居るでしょう。すぐに呼び寄せては」
「しょ、承知した。すぐに手配しよう」
促された長頼はすぐに動いた。長近は相変わらずのっそりとしている。
織田家全軍の準備が整い越前に向けて出陣した。信長率いる本隊は無事に敦賀から越前に進軍している。それと同じくして長近と長頼の率いる部隊も越前に向けて進軍している。長近たちは美濃と越前の国境にある温水峠を通り越前に向かっていた。先にも記した通り朝倉家が行軍に使ったこともある峠なのでちゃんと道はある。とはいえ峠ではあるので無理は禁物であった。
「急がなくてよい。確実に越前に入ることを優先するのだ」
長近は将兵にそう声をかけながら進む。予めの本隊に先立って出陣していたので本隊の戦闘が始まるころには越前に進入できた。到着したのは越前大野。ここを守るのは本願寺の坊官である杉浦玄任。幾度も一揆を率いて戦った強者であるという。だが粗暴なところもあり人望はあまりないようだった。現に長近と長頼が大野に入った時点で降伏する一揆勢がいたほどである。
「戦ばかりしている坊主など信ずるものはいないという事でしょう」
長頼は呆れかえっている。それも無理もない話でそもそも一揆がおきたのは織田家の支配を嫌ったからではないか。それが結局本願寺の支配に嫌気がさし織田家に再び下っているのだ。これにあきれるなと言う方が難しい。
「まあこれで戦が楽になるという事でしょう。越前の各地に織田家の軍勢が攻め入っているという情報を流せば味方にならずとも戦うのをやめる一揆も多いはずです」
「そうなれば敵は本願寺の坊主だけになりますね」
二人は玄任が鉢伏山上に籠っていることを知っている。どうやら兵数でもこちらの方が上のようであった。玄任は堅牢な山城に籠り一揆の更なる蜂起を待つつもりのようである。
「まったく無駄なことを」
長近はこの玄任の行動にあきれた。もはや本願寺は越前の一揆の信頼を失っている。それに気づかずか気づいているのかわからないがどう考えても悪手であろう。
この状況において長近は思い切った手段をとる。
「降伏するなら良し。敵対するならば撃ち滅ぼす。それを徹底的にやります」
この宣言通り長近は敵対する一揆勢を徹底的に殲滅していった。もっともこれは織田家全体の方針でもある。とはいえ普段大人しくのっそりとした長近が率先して殲滅戦をしているのが長頼にとってはどこか恐ろしい。
「金森殿は歴戦の将。こうした荒ぶる面も持ち合わせているという事か」
一揆勢は次々に討ち取られ徹底的に殲滅されていった。生き残った者たちやそもそも一揆に参加していない領民は皆織田家への服従を申し出る。そして鉢伏山城にたどり着く頃には城から逃げ出すものも出始めた。結果戦力差はさらに大きくなる。それでも玄任は抵抗をやめなかった。
「これで逃げればこの杉浦玄任の名折れよ。このうえは織田家の連中を道ずれにしてやる」
玄任は打って出るが多勢に無勢。結局長近たちに大した損害も与えられず戦死した。こうして大野の平定は終わったのである。長近たちの圧勝、と言うかそもそも戦にもなっていない。当初の織田家の目的通りの殲滅戦であった。
長近たちが担当した大野以外での戦闘もほどなく終わった。織田家の圧倒的な軍事力の前に一向一揆は壊滅し少なくない人々が虐殺されている。これも戦国時代の非情さと言えるものであるが、それだけに信長の一向宗への敵意は強いのであった。
ともかく越前一向一揆の殲滅は終わった。信長は改めて越前の国割を発表する。この時の越前は十二の郡に分けられていた。その内の三分の二の八郡を柴田勝家に与えている。この決定に柴田勝家は感涙した。
「拙者にこのような大封。まことにありがたきことにございます」
勝家はそもそも信長にたてついた弟の信勝の家老であった。それが信長に降りここに至る。長近よりも年長でありながらここまでも幾多の戦いで武功を挙げた猛将でもあった。そのこれまでの苦労が報われたかのような形であるから勝家の感涙も当然と言えよう。
さらに信長は残った四郡のうち二群を前田利家、佐々成政、不破光治の三人に任せている。三人にはそれと合わせて勝家の補佐、監視も任せた。
光治は旧斎藤家臣である。そして利家と成政はともに信長の旗本の出身であった。彼らもこれまでに無い大封を得て大喜びの様子であった。そして敦賀を中心とする一郡は敦賀城主だった武藤舜秀に与えられる。
残りの一郡は長近たちが制圧した大野郡である。信長の決定はこうであった。
「大野郡は長近と長頼に任せる。長近に三万石。長頼には二万石を与える」
制圧した二人に任せるという単純な決定であった。一郡そのものは与えられなかった者の二人ともこれで大名格である。
「やりましたなぁ金森殿」
「なに、これも原殿のお力があってのこと。本来ならば私が二万石のはずでしたのに」
「いえいえ。金森殿は長く織田家に仕えられました。それゆえのことでしょう」
こう言われて長近も悪い気はしない。ともかく金森長近は五十を超えてついに大名と言っていい領地を手に入れるのであった。
越前の一向一揆はその発生から終焉までともかく荒々しく血なまぐさいものばかりです。特に富田長繁の暴れぶりはすさまじく狂犬とも揶揄される人物です。今回はその点について省略しましたが気になる方は調べてみるのもいいでしょう。
さてついに大名と言っていい地位に上った長近。織田家も天下統一に向けて突き進んでいきます。しかしその道の先にあるのはあの大事件。果たして長近はどうかかわるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




