金森長近 のっそり長近 第六章
すさまじい死闘を終え岸家に勝利した可近達。勢力を大きく伸張させた信長は美濃の完全制圧を目指す。可近はそんな信長の下で影に日向に働いていく。
永禄十年(一五六七)斎藤家家臣であり美濃西部の有力者でもある稲葉良通、安藤守就、氏家直元の三人(俗に西美濃三人衆)が織田家に寝返った。これを好機と見た信長は迅速に動きあっという間に稲葉山城を包囲する。斎藤龍興は何とか抵抗するも美濃に味方はほとんどおらず少ない家臣に助けられて稲葉山城を脱出した。稲葉山城は落城しこれで信長の美濃平定は完了する。
信長は美濃の平定に功績のあった家臣に論功行賞を行った。その中には可近も含まれている。だが可近としてはいささか不思議であった。
「信周殿の説得には失敗しているのだ。そのほかに取り立てて功があったわけではないというのに」
可近はその旨を信長にも素直に話した。
「拙者は特に武功もほかの功もあるわけではございませぬ。この場にいる必要のない者かと思います」
これに対して信長はこともなげに言った。
「貴様は確かに働いていた。皆の影となって。ほかの者の功をあげさせる功があったのだ」
「そうでしょうか。皆様方がご優秀なだけであったかと」
「ふん、まあいい。余が貴様に功があると思うから褒美をやるだけだ」
可近に与えられたのは美濃の関吉田三千石であった。多すぎず少なすぎずといった塩梅である。
「くださるのならいただきます」
こだわりなく可近は領地を賜った。信長もそれに何言わない。この主従には不思議な距離感の信頼関係がある。
信長は手に入れた稲葉山城の名を岐阜城と変え新たな居城とする。そして永禄十一年(一五六八)に足利義輝の弟である足利義昭を迎え入れた。さかのぼること永禄八年、足利義輝は家臣である三好家の攻撃を受けて落命している。弟の義昭は難を逃れて逃亡をしていた。そこで京に戻り将軍になるため信長の助力を求めたのである。
信長は義昭の要請を受け入れて上洛の準備を進める。今度の上洛は以前と違い軍勢を率いてのものであった。道中の敵対勢力や京周辺に勢力を持つ三好家への対抗の為である。
「信長様は義昭様を擁して上洛するおつもりのようだが、信長様は幕府を再興するつもりなのだろうか」
可近の知る限り織田信長と言う人物は自分の上に誰かが立つということをやすやすと受け入れない。受け入れるとするならば何か自分に利がある場合、と言った具合である。
「信長様は上洛することで何を成し遂げるおつもりなのか」
気になることであるが可近には思い至らない。ただなんにせよ自分のやるべきことをやるだけである。可近はそう考えていた。
ともかく信長は義昭を擁して上洛を行い無事に成功した。道中の敵対勢力は撃破し三好家も降伏する。幕府も再興され義昭も大喜びであった。だがここから信長の人生はさらに激動を始め、可近もその流れに飲み込まれていく。
二度目の上洛の後、信長率いる織田家はまさしく激動の年月を迎える。元亀元年(一五七〇)信長は幕府からの招集を断った越前(現福井県)朝倉家の討伐を決定した。だがこの時織田家の同盟者であり信長の妹を娶っている浅井長政の浅井家が離反し朝倉家に味方する。さらにこれに呼応して三好家のうちで信長に敵対している人々も挙兵したのだ。周囲に敵を抱えた信長は長く苦戦を強いられることになる。
「こうなっては忙しい。ともかく我らにできるだけのことをするだけか」
可近は信長の家臣として奮闘した。とはいえこの時期は主要な戦には呼ばれていない。どちらかと言うと後方支援や出陣後の留守などである。かつての同僚であった蜂谷頼隆は様々な戦に参加して武功を挙げ出世していった。秀吉や長秀は言うまでもなくさらに先を進んでいる。だが可近に焦りはない。
「こうした務めも何より大事。私は私の仕事を務めるだけだ」
そうして陰で奮闘しているうちに状況はさらに変転していく。
元亀三年(一五七三)織田家と友好的な関係であった武田家が方針を変え敵対行動をとってきた。そして織田家の同盟国である徳川家(元松平家)の領国に侵攻してくる。信長は援軍を派遣するも破られた。さらに年が明けて元亀四年(一五七四。七月に改元して天正元年)には足利義昭が信長とたもとを分かち敵対する。しかし武田家は当主の武田信玄が急死したため侵攻を中断し、同年中には義昭を追放、浅井、朝倉の両家も滅亡させた。こうして織田家の最大の危機は去ったのである。
「とりあえず何とかなった。さすがは信長様だ」
この数年間日陰で活躍していた可近は特に出世はしていない。可近自身もう五十になろうかと言う自分の年齢を考え致し方ないと考えていた。
「まあ私の年を考えればここまでついてこられたことが大したものだよ」
そうひとり呟く可近であったが、ここから金森可近の人生が躍動し始めるのである。
天正三年(一五七五)武田家が再び徳川家の領地に侵攻してきた。信玄亡き後に跡を継いだ武田勝頼は先年より徳川領への侵攻だけでなく織田家の領地にも侵攻を繰り返している。これには信長もなかなかに苦労させられていた。浅井、朝倉を滅ぼしたがまだまだ敵は多かったのである。
武田家は攻撃目標を長篠城とした。長篠城は徳川家が武田家から奪還した城であり城を守る奥平貞昌は武田家から離反した武将である。長篠城が対武田家の最前線の城であることもあって武田家としては何としてでも攻め落としたい城であった。
この城攻めに際して武田家は一万五千という大軍で出陣した。それだけに長篠城をなんとしてでも攻め落としたかったのである。これに対する長篠城の城兵はおよそ五百しかいない。長篠城は地形を生かした堅城ではあるがこの戦力差は如何ともしがたい。それでも地形や鉄砲を駆使して戦ったが次第に追い詰められていった。
「こうなったら家康様に援軍を求めるしかない」
とはいえ長篠城は完全に包囲されていた。貞昌は家臣の鳥居強右衛門を呼び出して決死の任務を命ずる。
「この城は蟻の這い出る隙もないほど囲まれている。だが援軍が来なければこの城が持ちこたえることはない。強右衛門。其方を家中随一の勇士と見込んで頼む。この囲みを突破して殿に援軍を頼んできてくれ」
「承知しました貞昌様。必ずや家康様の下にたどり着き援軍を連れて帰ってきます」
そういうや強右衛門はすぐに城を出て家康の下に向かった。包囲を突破するために人の通れるような場所ではないところを進み時には川に潜って進んだ。そして何とか武田軍の包囲を突破し家康の下にたどり着いたのである。
この時家康がいたのは三河の岡崎城であった。家康は武田家の大軍が来襲してきたのを知りすでに信長に援軍を要請していたのである。この時徳川家は八千の兵で出陣するつもりであった。ここに信長の連れてきた三万の兵が加わる。これを知った強右衛門は大いに喜んだ。
「これだけの兵がいれば貞昌様達城に皆が助かります。本当にありがとうございます。拙者はこれより長篠城に引き返し皆にこのことを伝えてまいります」
強右衛門は信長と家康に感謝を述べると長篠城に引き返した。しかし途中で武田家に捕縛されてしまう。そして長篠城に向けて援軍の情報を伏せて降伏しろと告げろと命令された。強右衛門はこれを了承するふりをして武田家の陣中から城に向かってこう叫ぶ。
「家康様は信長様の援軍と共に参られます。それまで皆様方しばらくご辛抱なされよ! 」
この叫びは長篠城に届いた。だがこれが強右衛門の最期の叫びとなる。命令に反した強右衛門ははりつけにされて処刑されてしまった。しかしこの強右衛門の決死の行動のおかげで長篠城は援軍到着まで持ちこたえるのである。
そしてその長篠城に向っている援軍の中に可近の姿もあった。
今回の戦いで織田家はあくまで援軍である。戦いの主体は徳川家であるはずであった。しかし今回武田家が当主の勝頼だけでなく主要な家臣も引き連れてきているということを知って
「ここで武田家に痛打を与えるべきだ」
と信長は考えたのである。
その結果今回織田家は大量の兵を動員するだけでなく主要な家臣もほぼそろえた。畿内の情勢が一時安定しているからできたことであるがそれだけに今回の信長の決意はすさまじい。
「此度の戦で武田家を滅ぼすつもりなのかとも感じるなぁ」
可近がそう感心してしまうほどの兵力であるし顔ぶれもすさまじい。また今回の戦のために鉄砲をかき集めて大量に用意した。準備に準備を重ねて必勝を企図しているのである。
信長率いる援軍と家康率いる本隊は長篠城の手前の設楽原に布陣することにした。ここで信長はある命令を下す。
「一塊となって布陣するのではなく少数に分かれて布陣するのだ。組み分けは言うとおりにすること」
設楽原は原と付いているが小川や沢に沿って丘陵地が南北にいくつも連なっている。信長はここに身を隠すように布陣するように命じたのだ。さらにこんな命令も出している。
「馬を防ぐ柵を建てよ。川の台地を削って斜めにするのだ。そして土は集めて土塁にしろ」
まるで築城を行うかのような命令である。実際はそこまでの規模ではなかったが、ともかく織田家と徳川家の合同で土木工事が始まった。
現在武田家の軍勢は川向で待ち構えている。この武田家が動き出す前に土木工事を終えなければならない。
「信長様はここで武田家を待ち構えて討ち果たすつもりか。兵力で上回っているにも関わらず力押しをせぬとは何をお考えなのか」
織田家や徳川家の将兵は篠城救援のためすぐに武田家の軍勢に襲い掛かると考えていた。しかし実際は陣地を張って敵を待ち構える形になっている。これが可近だけでなくほかの将兵たちにも疑問である。信長が何を思いこんなことをしているのかほとんどだれも理解できないでいた。
一方で信長の考えをおぼろげに理解しているものも居る。羽柴秀吉もその一人であった。美濃攻略の時は木下と名乗っていたが今は羽柴の名字に変えている。大分に出世していて信長からの信頼もなかなかに厚い。
土木工事の最中可近の組に秀吉が現れた。なんでも自分の組の作業が終わったので他の組の様子を見に来たらしい。
「こちらもほどなく終わりそうですなぁ」
「左様です。しかし信長様は何故武田に攻めかからぬのですかな」
可近は何となく秀吉にそんな疑問をぶつける。これに対して秀吉はこう答えた。
「こちらの被害を出さず武田家に勝つことで信長様の名をさらに高めるおつもりなのでしょう。これが天下人の強さだと」
「なるほどそういうことですか」
素直に可近は秀吉の言を受け入れた。秀吉は自分より年長の大柄な男が自分の言っていることを素直に受け入れてくれることについては好感を抱いている。そんな秀吉に対して可近はこんな疑問を口にした。
「しかし武田の軍勢がこちらに向かってこなければどうしようもないのでは? 」
「それはまあ、その通りで」
可近の疑問に秀吉は素直にうなずいた。そしてこう告げる。
「まあ信長様のことです。何か考えていらっしゃるでしょうなぁ」
「それも確かに」
秀吉の呑気な物言いにうなずく可近であった。そしてのっそりと作業に戻っていく。
この時の可近は知らなかった。この直ぐ後に自分がある重要極まりない仕事を任されることになるとは。
今回の話では織田家の美濃の制圧から長篠の戦いまで時間が大分飛びました。この間織田家と信長には様々な危機や事件があったわけですが、それらの中に可近の姿は見当たりません。出世譚で有名な秀吉ならともかく蜂谷頼隆などの比較的知名度の低い武将も活躍の様子があったのですが可近だけは見当たらないのです。別に何か悪いことがあったわけでもないようですしこの時代の可近の動きは本当に不明です。どうしようかとも思いましたが今回は陰で働いていたことにして時間を一気に飛ばしました。
さて次は金森可近の名を残すことになる重要な戦いがメインです。言った可近はどのような戦いに挑むのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




