金森長近 のっそり長近 第五章
織田信長の美濃侵攻。その過程で美濃東部への調略が行われた。そして可近は父と親しかった岸信周の説得を任される。
秀吉の要請を受けた可近は自分の家臣数名だけを連れて堂洞城に向かった。可近は道中で家臣の一人である伊東権六に尋ねる。
「権六は信周殿にお会いしたことがあるのか? 」
「はい。定近様のお供をした際にお会いしたことがあります」
権六は可近の父の定近の代からの家臣である。上洛の際に金森に滞在したときに定近に
「今後美濃のことに詳しいものが必要になるかもしれませぬ。特に私より年長の権六ならばいろいろと詳しいこともあるでしょう。どうか私に預けてはいただけませんか」
と頼んだのだ。定近も快く了承してくれて金森にいた数人の家臣ともども可近について来たのである。
道中で権六は信周の印象をこう語った。
「岸様のお体は可近様よりもさらに大きく素晴らしい体格のお方でした。腕も足も太く丸太のようで岩のような肉がついていました。目つきも鋭く始めてあったときは鬼のようだと感じましたが気さくなお方で我らのような者にも気配りを絶やさぬお方でしたよ」
「そうか…… そんな御仁ならば織田家に迎え入れたいものだが」
「はい。わたくしもそう思います。しかし義理堅いお方でもありますので」
そう言って権六は言葉を募らせた。暗に説得は難しいと言った様なものであると気付いたからであろう。
馬上の可近は悩まし気に顎を撫でた。
「こちらにあるのは父の代の縁だけ。それだけで説き伏せられるような御仁だとは思えぬなぁ 」
馬上の体をのっそりと揺らしながら進む可近。その心中はなかなかに重苦しい。
やがて堂洞城に到着した可近を出迎えたのは大柄な男であった。道中で聞いた信周の特徴に大分合致している風貌であるがさすがに若い。
馬からのっそりと降りた可近は呑気な笑みを見せて尋ねた。
「貴殿が信周殿ご子息の信房殿か」
「いかにも。貴殿が織田家からの使者でござるか」
「その通り。金森可近と申します。我が殿から言付けを預かっており、この度はそれを伝えに参りました」
そう言ってぺこりと頭を下げる可近。これに対し信房もゆっくりと頭を下げる。
「丁寧なごあいさつかたじけなく思います。ではこちらにどうぞ」
そう言って信房は可近を城内に導いた。可近は何の疑いもなく城にはいろうとする。それを権六が引き留め耳打ちする。
「岸殿は我らと敵対しております。そのような無防備はさすがに危なかろうと」
これに対して可近は笑っていった。
「この状況で斎藤家への忠義を貫こうという御仁だ。そのようなことをするはずもない。それにお前が以前お会いした信周殿がそんなことをするのかと思うのか」
こう言われて権六は黙った。可近は信房に頭御下げる。
「申し訳ない。ありがたいことだが我が家臣はいささかに心配性でしてな」
「いえ、お気になされるな。敵方の城に入るのだから警戒は当然でしょう」
信房は『敵方』と言い切った。これには可近も苦笑いする。
「(これでは説得もしようがないな。ご子息がこれなら信周殿を説き伏せるのは難しかろう。と言うより無理か)」
改めて岸親子の決意の重さを感じる可近であった。
可近は何の問題もなく信周の前に通された。権六の言っていた通りの容姿であるが年のせいか髪に白いものが大分ある。それでも肉体は衰えておらずいまだ筋骨隆々であった。
「金森可近にございます。かつては大畑と名乗っていました」
膝をつき恭しく述べる可近。いつもののっそりとした様子とはまるで違う。可近の同僚がいたならば驚いたことであろう。
可近の挨拶を受けた信周は懐かしそうな表情を見せる。
「定近殿のせがれか。定近殿は健勝であるか」
「はい。今は近江の金森の地にて平穏に過ごしております」
「そうか。それとそこにいるのは確か伊東権六であったか」
信周は権六の姿を見てこういった。これには権六も驚く。
「わ、わたくしのことを覚えておいでですか?! 」
「ああ。定近のそばでよく仕えていたであろう。覚えているぞ」
「そ、それは…… ありがたき事」
そう言って権六は平伏した。落涙している。よほど感動しているのだろう。それは可近も理解できた。
「(客人の家臣の顔まで覚えているとはな。なるほどただ武辺だけがすぐれているだけの御仁ではないということか。確かに信長様も手元に置きたがるだろう)」
可近はこの信周の振る舞いに感心した。そして信長が何とか説き伏せようとしていることにも納得する。可近は改めて言った。
「此度は信周殿によき返事を聞きにまいりました。どうか我等の味方になってはくれないでしょうか。貴殿ほどの武士が御味方になっていただければどれほどありがたいか」
何の駆け引きもない素直であった。たとえ言葉巧みに弄したり利益をちらつかせても信周は動かない。可近そう考えたのである。
「(これで駄目ならばどうするべきか。この御仁の意思を動かすのは難しすぎる)」
正直この説得もうまくいくとは考えていない。だがそれでも任せられた仕事は何とか果たすつもりの可近である。
しばしその場を沈黙が包んだ。そして信周がゆっくりと口を開く。
「申し訳ない。拙者の考えは変わらぬ」
「そうですか…… 」
信周の返答を聞いた可近は信房の方に目をやる。
「信房殿の御返答も同じくと言うことでしょうかな」
可近に問われた信房は何も言わず出ていった。不思議に思った可近だがすぐに信房は戻ってくる。十歳にも満たない幼児を連れてきていた。これに可近は怪訝な顔をする。
「その子は? 」
「某の子にございます。金森殿。これが我らの答えにございます」
そういうや信房は刀を抜き我が子に向けて振り下ろす。信房は我が子の首を切り落とし、我が子の返り血を浴びながらこう言った。
「我が家は一族郎党皆この世に未練などございませぬ。武士の筋目を通すため皆戦にて死に果てる所存」
鬼気迫る表情で言う信房。これに可近も権六たちも驚愕するばかりである。だが可近は何とか言葉を紡ぐ。
「己の命だけでなくお家の命運もすべて捨てるおつもりか」
「左様だ。我等は何があろうと降りはせぬ。命はもう捨てた」
「子の命だけでも残し、岸家の命運をつなごうとも思わぬのか」
これに信房は沈黙した。かすかにふるえている。それを見て可近も信房が望んでこうしたわけではないということに気づく。
「(ここまで抗すれば嫡男の命は助からない。ならば、と言うことか)」
可近は大きくため息を吐く。そして信周の方に向き直るとこういった。
「明日の戦でお目にかかりましょう」
「ああ、承知した。貴殿の主が所望した岸家の武勇、とくとご覧になるがいい」
信周がそう言い終わると可近はゆっくり立ち上がった。
「権六、皆。帰ろう」
可近に言われて気を取り直す家臣達。立ち去る可近達を信周たちは追わなかった。
戻った可近はありのままを長秀と秀吉に伝えた。両者とも岸親子のすさまじい覚悟に呆然としている。
「ともかくこのことを信長様に伝えましょう」
長秀が信長に岸家が降伏を拒否したことを伝える。すると信長はすぐに動いた。自ら軍勢を率いて出陣すると堂洞城を睨む高畑山に布陣する。ここは斎藤家の城である関城と堂洞城の間にあった。つまりは両城の連携を遮断し数の有利を生かして攻め落とすつもりなのである。
堂洞城を攻める部隊を率いるのは丹羽長秀、河尻秀隆、森可近の三人。これに先んじて織田家に降伏していた加治田城の佐藤忠能である。忠能はかつて岸信周と関城の長井道利と斎藤家に尽くすという盟約を結んでいた。その際自分の娘の八重緑を人質として岸家に送っている。八重緑は堂洞城が攻撃される前に処刑されていた。磔にされた八重緑の遺骸は見せしめとして加治田城の場所にさらされていたが、佐藤家の家臣がこれを奪還している。
こう言った事情があるから忠能含む佐藤家の士気は高い。
「信周殿が織田家に降っていればこんなことはなかった。こうなれば娘の仇はとってやらなければならん」
忠能はそう息巻いているらしい。
一方可近は信長の本陣に置かれた。理由は不明である。
「これでは信周殿の最後の武勇も見られないか」
先だっての約束は果たせないと知った可近は申し訳ない気持ちになるのであった。
丹羽、河尻、森の三名率いる軍勢は二手に分かれ堂洞城の西と南から攻め入った。佐藤忠保は北から攻め入る。
堂洞城の西側は堅牢なうえ険しい道である。さらに岸家の伏兵も潜んでいたので西側の織田軍は苦戦を強いられた。南から攻め入っている部隊も岸家の激しい抵抗に苦戦している。一方北から攻め入っている佐藤忠能はこの近辺の地理に詳しいこともあり険しい地形も何のその、であった。
「このうえは我らが誰よりも早く城に入り娘の無念を晴らしてくれる」
怒りに燃える佐藤忠能は息子の忠康ら将兵を率いて突き進む。だがその前に立ちふさがるものがいた。岸信房である。
信房の姿を確認した忠能はこう叫んだ。
「よくも娘を晒しものにしてくれたな。絶対に許さぬぞ」
怒り吠える忠能。だがこれに対して信房も怒り叫んだ。
「そもそもは貴殿らが我らを裏切ったことが原因。恨みを買われる覚えはない! 」
「強き者に従うのが乱世の常道。それをわからぬお前たちのようなものと盟を交わしたのが間違いであった! 」
双方罵り合いながらにらみ合う。そしてどちらからともなく将兵が駆けだし戦いとなった。怒りに燃える佐藤家の将兵は激しく攻めかかるも岸家の将兵も一歩も引かず退ける。そして信房も前線に出てきた。
「この道、通れると思うな! どうしても通りたければ我が屍を越えていくがいい」
そういうや槍を振るい佐藤家の兵を打ち倒していく。音に聞こえた以上の豪勇に佐藤家の皆は攻めあぐねた。だがここで止まるつもりもない。
「こちらが多勢だ! あ奴も人。必ずや倒せる」
忠能の号令を受けてさらに攻め寄せる佐藤家の将兵たち。だがそれを信房は返り討ちにしていく。
「さっき言ったとおりだ。通れると思うなよ! 」
その武勇を見せつけるかの如く暴れまわる信房。それに決死の覚悟で挑む佐藤家一同。戦いはさらに激しくなっていった。
岸家の激しい抵抗の前に織田家の軍勢は徐々に消耗していった。しかし高畑山の信長は動く気配がない。これには可近も疑問である。
「(信長様は何をお考えなのか。このままでは…… )」
ふと可近の頭に信長への疑念が募る。だがその疑念が吹き飛ぶ情報がもたらされた。
「関城の長井道利が出陣しました」
これを聞いた信長は突如として動く。驚く将兵たちであるが信長の意図に気づいた秀吉はいち早く叫ぶ。
「信長様に続き長井殿の軍勢を迎え撃つのだ! 」
可近もやや遅れて動き出す。高畑山は堂洞城と関城の間にある。ここならば長井家の軍勢がどこを通って堂洞城を目指すのか丸わかりであった。
「信長様はこの機をねらっていたのか」
ここで信長の意図気づいた可近は疑念を振り払うように巨体を走らせる。やがて信長率いる本隊は長井家の軍勢の先頭を横から攻撃する形になる。本隊の軍勢は二手に分けられもう一隊は後方から襲い掛かった。道利は突如として現れた敵に動揺する。その隙が勝負を分けた。挟み撃ちされる形になった長生の軍勢は散々打ち倒される。道利は動揺を抑えなんとか立て直したがとても援軍に行けるような状態ではない。
「すまぬ。岸殿」
道利は生き残った者たちと共に撤退していくのであった。
堂洞城への援軍を撃退した信長たちは移動して堂洞城の本丸前の茶臼山に移動する。岸家の将兵はさらに敵が増えたことで動揺した。一方信長自ら前線に出たことで織田家の軍勢の士気は高揚する。ほどなくして西と南の軍勢は岸家の軍勢を突破し堂洞城に到着した。
「これで終わりだ。攻め落とせ」
信長の号令と共に丹羽長秀ら三人はそれぞれ軍勢を率いて城内に殺到する。迎撃に出る岸家の将兵たちだがもはや戦力差は明らかであった。
佐藤家の軍勢と戦っていた信房もこの事態に気づいた。しかし多くの兵を失い自らも手傷を負って満身創痍である。ここで信房は覚悟を決めた。
「もはやこれまで。負けた武士の最期、とくとご覧になるがいい」
そう言って脇差を引き抜くと自分の腹を十字に切りその場で果てた。そのすさまじい最期に佐藤家の人々も唖然とするばかりである。
「これで仇は討てた。だがもう戦えぬなぁ」
忠能はそうつぶやいた。確かに信房のすさまじい暴れぶりで佐藤家の将兵たちは皆傷ついている。ここから城攻めに参加するのは難しかった。
「忠康、信房の首をとれ。それで我らの戦は終わりだ」
父に促されて忠康は信房の首をはねた。これで佐藤家の敵討ちもひとまず終わったのである。
信房が果てたのと時を同じくして堂洞城も落城した。岸信周は妻とともに自刃し最後まで抵抗していた信房の弟の信貞も討ち死にしている。ともかくこれで堂洞城は落城した。
この戦いで織田家も少なくない損害を受けた。
「それと知られた武士の最期。やはりすさまじいものであった」
焼け落ちる城を眺めて可近はそうつぶやいた。自分にはそこまでできないという思いも載っている。ともかくこれで東美濃の制圧は完了し織田家の美濃攻略もいよいよ大詰めに入っていった。
今回の話はかなりショッキングな部分がありました。信房が降伏を断る際に我が子の首を切り落としたという逸話は確かに存在します。ですが内容が内容だけに話に入れるか迷いましたが、戦国時代の血なまぐささと岸親子の壮絶な覚悟がわかる逸話でしたので盛り込みました。その点はご容赦を。
さて信長の美濃侵攻のうち東美濃は信長の手に落ちました。ここから信長の覇道は加速していき可近もいろいろなことが起こります。いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




