表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
32/399

来島通総 海賊大名 第四話

 羽柴秀吉に仕えることで大名となった通総。通総は秀吉が目指す天下統一に水軍として尽くすことになる。海賊から大名へなった通総に待ち受けるものは何か。

 秀吉は天正十五年(一五八七)に豊臣姓を名乗り始める。そして同時期に秀吉に反抗的な九州の島津家の討伐を始めた。

 この島津討伐において秀吉は大規模な水軍を編成する。この水軍は豊臣家に属する大名の中で海上活動の実績があるものを中心に集められていた。勿論通総率いる来島氏も含まれている。

 今回の召集を受けて通総たちは早速準備に取り掛かった。準備は船と装備の用意、部隊の編制、情報取集など多伎にわたる。これらの準備は海賊時代も行っていたことだが大名になったことで規模も大きくなった。

 これらの準備を指揮するのはやはり吉継である。相変わらず淡々と仕事を進めているが、規模の増大からかいささか疲れているようだった。そんな吉継に通総はねぎらいの言葉をかける。

「いつもすまんな」

「いえ、これも仕事の内です。それに殿もお忙しいのでしょう」

「まあな」

 通総は通総で忙しかった。というのも今回作戦を共にするのは共に戦ったことが無い面々である。こうした面々と音信を取ったり諸事のすり合わせを行ったりと大変だった。

 こうした仕事をしながら通総はしみじみとつぶやいた。

「これは相当なものになるだろう。毛利水軍などとは比べ物にならん」

「確かに。殿だけではなく大名の方も大勢おられますから」

「全くだ。しかし加藤殿などは俺と早々変わらない石高だが国持ちの長宗我部殿もいる」

「少し前に戦った長宗我部殿までいるのですか。それがもう轡を並べるようになるとは」

「それが殿下(関白の敬称。天正十三年に関白になった秀吉の事)の御威光なのだろうよ。しかし吉継」

「何でしょう。殿」

 通総は何とも居心地の悪そうな顔をしていた。

「その、殿というのは何とかならんか」

「そう言われましても。殿は殿であるが故」

 吉継は笑いもせず言うのであった。


 こうして通総は豊臣水軍として出陣した。もっとも先に記した通り立場や出自がまるで違う人々が集まっていて正直寄せ集めといっても過言ではない。

 通総はその点を心配して連絡を取り合ったりしたのだが、その点に関して手ごたえはあまりなかった。

「大丈夫なのだろうか」

 不安を抱えつつ通総は出陣した。そして九州に到着しいざ作戦行動となる。そこで通総の心配は杞憂であることが分かった。なぜなら水軍はほとんど戦闘をしなかったからである。

 水軍に与えられた主な任務は兵糧の輸送だった。これに関しては通総もわかっていたが、木津川の合戦がそうだったが兵糧の搬入を敵が妨害することもある。そのため武装して警戒していた。だが島津家は強力な水軍を擁しているわけではない、というよりも九州に上陸してきた秀吉の本隊への対応で精一杯であっただけだが。

 そういうわけで通総の仕事はスムーズに進んだ。自身の家臣たちを率い兵糧を輸送して行く。それだけである。

「拍子抜けというほかないな」

 通総は半場呆れながら言った。それに通幸も同意する。

「全くだ。正直我々の出る必要はなかったのではないか」

 いささか不満そうに言う通幸。通総はそれを慰める。

「まあ兄上。兵糧の輸送も重要な仕事です。無難に仕事を成し遂げれば領地も守れましょう」

「それはそうだが…… 」

 通幸はまだ不満そうだった。通総はこれ以上愚痴を言っても仕方がないと思い話を切り替える。

「しかしすさまじい規模ですね」

 通総が言ったのは豊臣水軍の規模だった。実際大名・海賊を問わず集められた水軍はすさまじい規模を誇る。その威容たるや島津家臣の記録に

「数千の船が海に浮かんでいて波間も見えないほどだ」

と驚嘆のほどが記してある。

 その大船団にあって通総と通幸は一団を率いる将である。

「瀬戸内の海賊であった我々がこの大軍の一員となるとは」

「人生わからんな」

 二人は船の上でしみじみとつぶやいた。

 こうして豊臣水軍の初陣は終わった。戦闘は一度だけあったがこれに通総たちは関わっていない。特に何か起きるわけでもなく通総の島津討伐は終わった。

 

 島津討伐から年が明けて天正十六年(一五八八)。豊臣政権はある法令を発布した。海賊禁止令である。これは村上氏のように独自に海賊行為を行っていた者に対して出されたものだった。

 この法令の内容を見て通総は複雑な思いを抱く。

「要するにすべての海賊を支配下に置こうという事か」

 法令は海賊たちに対して豊臣政権に所属するか武器を捨てて百姓になるかを選ばせるものだった。

「いよいよ海賊の時代も終わりという事ですね」

 吉継はそうつぶやいた。相変わらず冷静だがだいぶ老け込んでいる。もう隠居していい年齢であった。

 通総が無言でうなずくのを見て吉継は続ける。

「もう海賊我が物顔で海を行ける時代ではない。秀吉さまはそう言いたいのでしょう」

「そうだな。殿下は天下のすべてを手にしようとお考えのようだからな」

「まあ我々はすでに秀吉さまの配下になっていますから。特に何かする必要もありませんな」

「我々はな」

 そう区切った通総が気にしているのは能島村上氏のことである。

 能島村上氏は来島氏と違い豊臣家に従わなかった。このことが秀吉の逆鱗に触れ本拠地の能島を攻め落とされてしまう。そして小早川隆景の家臣となり能島を離れた。

 通総は豊臣家に従った結果一度は追われた来島に戻ることができた。能島村上氏はそれとは逆の境遇をたどったことになる。

「わからないものだな」

「その通りです」

 同じ海賊であったがたった一つの選択でここまで違う運命をたどった両氏。運命の気まぐれさがここに凝縮されているようである。

「武吉殿はどうするつもりなのだろうか」

「さて、なかなかに強情な方ですからな」

 通総と吉継は能島村上家に思いをはせるのであった。

 この後、能島村上氏は海賊禁止令に反したとして秀吉の詰問受けた。そして小早川隆景が伊予から九州の筑前(現福岡県)に移るとそれに従っていた。のちに毛利家家臣となる。その後子孫が能島に戻ることは無かったという。


 海賊禁止令が出された翌年の天正十七年(一五八九)の終わり、秀吉から通総の下に新しい指令が届く。今度は関東の北条家を討伐するので出陣するようにとのことだった。

 これには通総も驚いた。

「まさかそのようなところまで行くとは」

 瀬戸内で生きてきた通総にとって関東とは想像もできない遠国である。今までで一番の遠出は九州であったが、関東はそれよりも遠い。だいぶ大変ではある。

「しかし、やらねばならん」

 そう気合を入れる通総のそばに吉継の姿はない。吉継は海賊禁止令が発布されたのち隠居した。

「もう私のできることはありません」

 見たこともも無いような穏やかな顔で吉継は言った。そんな姿を見せられては通総も吉継を見送るしかない。

「体をいたわるんだぞ」

「ありがとうございます。殿」

 そう穏やかにほほ笑むと吉継は去っていった。こうして歴戦の海賊にして通総の右腕であった村上吉継は隠居したのである。

 さて吉継がいなくなってから初めて大きな仕事に取り掛かる通総。勿論そこに抜かりはない。手早く水軍を編成し伊勢(現三重県)の九鬼島に向かった。

 九鬼島は大名九鬼喜隆の拠点である。喜隆ももともとはこのあたりの海を取り仕切る海賊であったが通総同様大名に取り立てられている。また木津川の戦いでは戦ったこともあった。もっともそれに関しての遺恨はすでにない。というわけで通総にとっては親近感のある人物である。

 通総は九鬼島に到着すると喜隆に挨拶をする。

「この度もよろしくお願いします」

 喜隆は豊臣水軍の中でも中心的存在であった。それだけに通総の態度も丁寧になる。

「そんなに固くなるな来島殿。此度も力を合わせましょうぞ」

 豪快に笑いながら喜隆は笑った。日に焼けた肌の快活そうな男である。

「はい。九鬼殿がいれば百人力です」

「いやいや何の。名高き来島海賊の力、こちらも当てにしているぞ」 

 双方同じ海賊であったということ波長も合うようだった。通総にとってもそれはありがたいことである。

 二人は意気投合し談笑していた。するとそこに別の人物が顔を出す。それは淡路(現兵庫県)の大名、脇坂安治だった。

 安治はいわゆる賤ヶ岳の七本槍の一人である。豊臣秀吉子飼いの武将で同じく七本槍の加藤喜明ともども水軍を指揮していた。勿論島津討伐の時も水軍の中心として参加している。

 喜隆は安治が入ってきたのを見ると少しだけ顔をしかめた。一方で通総は安治に気づき挨拶をする。

「脇坂殿。この度はよろしくお願いします」

 安治は怜悧な顔立ちの男だった。通総からしてみるとなんだか吉継に似た雰囲気をしている。

「ああ。よろしく」

 通総の挨拶に安治はそっけなく返した。その対応に通総は少し戸惑う。一方安治は喜隆に頭も下げずに行った。

「九鬼殿。此度も抜かりなきよう」

「ああ。当然だ。それよりも貴殿のほうは大丈夫なのか? 」

「当然です」

「ほう。やっとましになったという事か」

 喜隆はにやりと言った。一方の安治は喜隆を睨みつける。だがすぐに表情を戻していった。

「当然です。喜隆殿の配下の荒くれ者に比べれば私の部下はしっかりとしているので」

 安治がそう言うと今度は喜隆が安治を睨みつけた。そして二人の間に緊張が走る。

 その場にいた通総はいたたまれない気持ちになる。そして

「九鬼殿、脇坂殿」

「なんだ」

「なんでしょう」

「私はこれで。では」

そう言ってそそくさとその場を去った。

 

 通総が自分の陣所に向かう途中でさっきのやり取りを思い出す。

「(あの二人、だいぶ仲が悪そうだったな。これで大丈夫なのか? )」

 水軍の中核を担う二人が不仲というのはいささかまずい。今後の軍事行動にも差し障る。それが通総にとっては不安だった。

 自分の陣所への帰り道通総はこれから不安を抱えながら歩いていた。すると向こうから歩いてくる人物に声をかけられる。

「これは来島の殿じゃないですか」

 気さくな感じで声をかけてきたのは淡路の土豪、菅達長だった。淡路に所領を持つ達長は豊臣水軍の一人として活動している。

「これは菅殿。お久しぶりです」

 通総はあわてて挨拶する。そんな通総の姿に達長は笑って言った。

「何か心配事ですかな? 」

 そう声をかける達長は朗らかな笑み浮かべていた。それに毒気を抜かれたのか通総は喜隆と安治のことを達長に話す。

「実は九鬼殿と脇坂殿が…… 」

 通総の話を聞き終わった達長は大きなため気をついた。

「あの二人はまた噛みつきあっているのか」

「また、とは? 」

「ああ。九州の時もあの二人はいがみ合っていましてな」

 するとこんどは達長が話し始めた。

 なんでも喜隆と安治は島津討伐の時から不仲であったらしい。その理由は二人の経歴にある。

 達長は言う。

「九鬼殿は生まれてからずっと海に携わって生きた。儂や来島殿と同じくです。一方脇坂殿は殿下の命で海に携わることになりました。一方で九鬼殿は元々海賊で脇坂殿はお侍として生きてきている」

「はい。その通りです」

「九鬼殿からすれば脇坂殿は海のことを何も知らんように見えるのでしょう。だからどこか脇坂殿を舐めてみている。それがお侍の脇坂殿には気に食わんようで」

「なるほど…… 」

 そこまで聞いて通総は全部わかった。要するに二人の不仲はどうしようもない意地の張り合いである。

 通総も一応は河野家臣として生きていたころもある。だから侍の意地というものもわからないでもない。だが喜隆の気持ちも理解できる。

 だがそれは大名であるものが張る意地ではないと通総は思った。大名として家を率いるのだから家を守ることが大事である。それを通総は今までの人生で学んでいる。

「(大事なのは家を守ること。つまらない意地を張って何か失敗してからではどうしようもないではないか)」

 通総の気分は沈んだ。そして今日はとりあえず休もうと思った。

「では菅殿。これで」

「ああ。ゆっくり休まれよ」

 達長に挨拶すると通総は陣屋への道を急いだ。その胸中には何ともやるせない気持ちが渦巻いている。

 

 九鬼島にて多少のいざこざがあったものの、天正一八年(一五九〇)豊臣水軍は一帯となって東に向けて出陣した。今回豊臣水軍が攻撃目標としたのは伊豆半島である。ここには北条家の水軍の拠点が存在した。

 豊臣水軍は前回を超える規模を誇った。ゆえに水軍内では楽観的なものの見方をするものが多い。通総もだ。

「(これだけの水軍に敵はいないだろう)」

 そう皆が考えている。しかし北条家の抵抗は激しものだった。

 通総たちは北条水軍の拠点である下田城を包囲した。勿論上陸しての包囲であるが、この下田城は堅牢である。ゆえになかなか落城しなかった。

 圧倒的な戦力差を前に屈しない下田城と城将の清水康英。その抵抗を通総と達長は素直に称賛した。

「大したものだ」

「全くですな」

「私も大軍に包囲されたことがある。あれはとてもつらい」

 通総は昔を思い出してしみじみ言った。

 あの時通総は配下と秀吉のおかげで城を出て返り咲けた。だが下田城の康英は逃げ出したところで返り咲く方法はない。ゆえに死に物狂いで抵抗している。

「本当に見事だ」

 通総はしきりに感心した。

 一方でなかなか下田城が落城しないのに苛立つ将もいた。九鬼喜隆と脇坂安治である。

「まだ落ちんのか! 」

 喜隆は部下たちを怒鳴りつける。それを横で聞いていた安治は喜隆を睨みつけた。

「やかましいぞ九鬼殿」

「なんだと…… 」

 すると今度は喜隆が安治を睨みつけた。二人は剣呑な表情でにらみ合う。そうなると通総は達長をはじめとするほかの将たちが間に入って二人をなだめた。

「お二人ともやめなさい」

「そうですよ」

 周りの人間になだめられて二人はやっと矛を収める。そんなやり取りが包囲中は続いた。

 二人は思うように戦果が挙げられないことに苛立っていた。結局二人とも秀吉の評価を気にしてということは同じである。

 やがて包囲を続ける豊臣水軍に新たな指令書が届いた。

「下田には長宗我部を抑えとして残し、小田原の包囲に参加せよ」

 新たな指令は北条家の本拠地小田原城の包囲に参加するようにとの指令であった。通総たちは急ぎ支度をして小田原に向かう。

 水軍は海上から小田原城を包囲した。勿論ずっと船の上というわけにはいかないので交代制であるが。

「この包囲はいつまで続くか」

 交代制とであっても負担はある。幸い豊臣水軍はすさまじい物量を誇るので交代要員には欠かさなかった。

「しかしやることは下田と変わらんな」

 通総はそんなことを考えている。実際水軍として動員されてから海戦をした記憶はない。正直今やっていることは水夫でも事足りる。

「(そこに不満が無いことは無い。だが今の俺は大名だ)」

 不満はあったが通総には豊臣大名としての自覚もあった。結局は与えられた仕事をやり遂げるだけだ。

「(秋になるまでは終わるだろう)」

 そう通総は予想した。事実その通り北条家は七月に開城し降伏している。下田城も先立つ四月下旬には開城していた。豊臣家は北条家の降伏とこの直後の東北仕置をもって全国を統一する。

 来島に帰還した通総は吉継を訪ねた。

「皆殿下に従った。これで戦も終わりだ」

「そのようで」

「我らももう海賊の技を振るうことは無いのだろうな」

 通総は少しだけさみしそうだった。吉継は黙ってそれを見守っている。

 こうして日本は豊臣家の下に統一された。これで誰もが戦は終わりだと考える。しかし戦いはまだ終わらない。それは秀吉の目は日本の外にも向けられていたからである。


 いきなりですが二点お詫びがあります。一つは活動報告にもありましたが体調不良につき先週は更新を休ませていただきました。楽しみにしていてくれた方々には重ねてお詫び申し上げます。

 もう一つは第三話のあとがきにて次の話で終わりと書きましたが見ての通り終わっていません。これは大名になった後の通総の話が思った以上に盛り上がってしまったからです。これについてもお詫び申し上げます。

 さて大名になった通総は豊臣家旗下の水軍として働くことになりました。そして今まで関わり合いのなかった人々ともかかわるようになります。ここら辺の人間関係は次の話でも関わってきます。お楽しみに。それと話の完結ですが次の話で終わるかどうか結構微妙なところです。そこら辺は筆者のノリで決まりますのでご容赦を。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ