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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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関一政 道の果て 第二章

 織田家の従属下に入った関家はその運命をことごとく織田家に左右される。そんな中で幼くし家を継いだ関一政。その道の果てはいまだ遠い。

 天正十年(一五八二)突如として関盛信、神戸具盛への処罰が解除された。両者は盛信も亀山城に戻ってきている。この時一政は立派な青年に成長していて関家の運営にも携わっていた。家臣との関係も悪くないのでここで父親が戻ってきたのは少しばかり不満である。

「いったいなぜ処罰が解かれたのですか」

「いや、儂にもわからぬ。しかし具盛も許されたというのはどういうことなのだろう」

 罪としては養子に入った信孝を追い出そうとした具盛の方が大きい。それを戻すというのは何か別の動きがあるのだと考えられた。もっともそれが何なのかは一政にも盛信にもわからない。

「まあこれよりはこの父が家のことを取り仕切ろう。万事安心するがいい」

 自信満々の盛信の様子に辟易する一政であった。


 盛信が関家の当主に復帰したころ、織田家は天下統一に向かって邁進していた。そして有力な重臣たちに将兵を預けて軍団を作り各地方の敵対勢力を撃破させている。

 この時の織田家の攻撃目標の一つが四国の長宗我部家である。天正十年の五月に信長は四国を攻略する軍団を立ち上げた。そしてその総大将として選ばれたのが信孝である。

 信孝は父からの指令に勇躍した。

「父上は柴田や羽柴たちに任せるような大事を俺に任せたのだ。父上は俺のことをそれほどに認めてくれていたのだ」

 狂喜する信孝であるがこれには理由がある。信孝は信長の三男として扱われていたが、次男である信雄とは同年齢であった。それなのに三男とされたのは信孝の母の身分が低かったからである。また信孝も信雄も伊勢の勢力の養子に入ったが、信孝は地方領主の関家の分家である神戸家。方や信雄は伊勢の大勢力である北畠家と扱いに差があった。これも母の身分の低さが影響していたのである。

 だが今回信孝は軍団の総大将として抜擢された。しかもゆくゆくは四国で歴史を持つ三好家の養子に入ることも決められていたのである。これはとりもなおさず信長が信孝の扱いをよくしようと考えている証と言えた。

「必ずや今回の戦に勝利して見せる。俺の強さを皆に証明するのだ」

 信孝は気性も強く自己顕示欲が強い。それは生まれからくる不遇への反抗心から生まれたものであった。信孝は自身の激情を抑えることを知らない。ただ激情のままに進むだけである。

 さて信孝が大軍を率いて出陣することになったというわけで関家にも出陣の命令が下った。これを受けて盛信は自ら兵を引き連れて出陣することにする。

「この戦いで活躍すれば関家の扱いもよくなるかもしれん」

 そんな願望を抱く盛信。しかし一政はそうは思わなかった。

「(我々はあくまでこの辺りをうまく納めていればよいと思われている。大した期待もないのだろう。父上が戻されたのはもう別に警戒しなくていい存在になったからだ)」

 意気揚々と出陣する父を見送る一政はそんなことを考えていた。今回の戦も大軍で攻め入るのだからそれほどの損害もなく楽に終わるだろうと考えている。

 しかしこの直ぐ後に大事件が起きる。そしてそれが関家の、一政の人生を大きく変えることになるのであった。


 信孝率いる軍団の四国進出の準備は着々と進んでいた。ところが天正十年六月二日、四国への渡海が始まろうというときに大事件が起きる。

 一政はその事件を知った盛信からの報せを受けて驚愕した。

「信長様が横死? しかも重臣の明智殿の謀反で!? 」

 その事件とは後の世にいう本能寺の変である。京の本能寺に滞在していいた信長が明智光秀に攻められて防戦むなしく戦死したという事件であった。

 この大事件で畿内は大騒ぎになる。その一旦が盛信からの続報にあった。

「信孝様の軍勢は多くの者が逃げてしまったのか。各地よりの寄せ集めであったらしいからか。一応父上はとどまっているようだが」

 信孝率いる四国攻めの軍勢は盛信ら伊勢勢と信孝を補佐するためにつけられた丹羽長秀や信孝のいとこの津田信澄らの軍勢。それに各地から集められた将兵たちであった。そしてこの後者が数の上では中核をなしている。それが信長の突然の死で動揺し逃げてしまったらしい。

 しかもこの手紙が出される少し前に信孝は長秀と共に信澄を殺してしまったらしい。理由は信澄の妻が光秀の娘であったため、今回の事件への関与を疑われたからだった。しかしこれはどうも勘違いであったと盛信からの手紙に記してあった。

「信孝様は勇猛だが短気が過ぎる。一応今は皆まとまっているがこの先どうすればいいのか全く見当がつかぬ」

 盛信からの手紙の最後にはそう記してあった。一政も父の置かれている状況に同情する。

「父上もとんだ目にあっているな。ともかく無事に帰ってきてくれればいいのだが」

 普段は父を嫌っている一政もさすがにこの時ばかりは心配するのであった。


 父の帰還がいつになるかわからない以上は一政が関家の責任者である。とりあえず城の守りを固め情報の収集に勤しんだ。それはほかの伊勢の領主たちも同様のようで一政は神戸家などほかの分家達とも連携してこの事態に対応することを決める。

 正直本来なら織田家の有力な武将に指示を仰ぎたいところであったが、それを出来無い理由がある。

「信雄様は我らに何も言わず出陣してしまったからなぁ」

 伊勢の北畠を継いでいた信長次男の信雄は辺の当日居城にいた。そして信長横死の報を聞くとすぐに出陣したらしい。正確な情報もないこの行動は多くの人間に拙速な行動ととられた。

 一政もそうであるがそもそも信雄に対しての評価は多くの人間が低いものを付けている。

「信孝様に劣らぬ短慮の上に人の話を聞かぬらしい。その上見栄を張ってしくじるということも多いらしい。まったく頼りにならない」

 以前には独断で軍事侵攻を行い失敗している。しかもそのせいで信長に勘当されそうになった。そういうわけで信雄の評価は低いわけである。

 尤も伊勢の領主たちは大半が信孝に付き従っているので動員できる戦力も少なかった。結局出陣した信雄は情勢が不安定であったためすぐに引き返している。この際信長の妻子を保護したがそもそも蒲生賢秀が脱出させた。賢秀は盛信の舅の定秀の息子である。同時に一政の舅でもあった。賢秀は絶えず情報を関家に届けてくれている。

「頼りになる舅殿だ。しかし明智家に敵対して立てこもっているらしいが大丈夫なのか」

 父に続き舅のことも心配する一政。だがこれは次に届いた驚きの報告をもって安心に代わる。

「明智殿が羽柴様に討たれた?! 一体どういうことか」

 思いもよらぬ報告に驚く一政。ともかく目下の問題は解決するのであった。


 ことの次第の詳しい報告を一政は帰還した盛信の口から聞くことになった。

「いやな。信澄様を討った後は信孝様も丹羽殿もまるで動けず途方に暮れるばかりであった。何せ兵は減り続けるし伊勢の者たちの中にはひそかに帰ろうとするものも居る始末。だが明智殿が謀反を興したのが京で我らは摂津(現大阪県北部)正直いつ攻められるかまるで分らぬ状態であった。ところがそんなときに羽柴殿が現れたのだ」

「羽柴様が? 一体どうやって」

 一政は驚いた。賢秀からの連絡では重臣たちは各方面に散って戦っているはずである。羽柴秀吉も中国方面で毛利家と戦っていたはずであった。

 盛信は一政の疑問に答えた。

「どうやったかわからぬが羽柴殿は明智殿の謀反を知ると毛利家と和睦し急いで引き返してきたそうだ。いやはや全く驚くばかりであるな」

 しきりに感心する盛信。それは一政も同じである。毛利家との戦いは秀吉が優位に進めていたらしいがそれでも相手は大大名。講和をしたとはいえ背を向けて引き返しなどと言うのは大変な賭けであった。

 なんにせよ秀吉はその賭けに勝ちやってきた。そして光秀も討ってしまったという。

「舅殿は羽柴様が明智殿を討ったと報せてきました。信孝様はどうなされていたのですか? 」

「信孝様も丹羽殿も共に戦ったのだ。しかし戦に先立つ準備は何もかも羽柴殿すでに終わらせていた。兵の数も羽柴殿の手勢の方がはるかに多くてな。我らは信孝様と共に後ろで戦いを眺めているだけだ。あれでは信長様の仇を討ったのは羽柴殿の伝わってもおかしくはなかろう」

「なるほど。そういうことでしたか。まあ、兎も角父上もご無事でよかった」

「ああ、それは儂も僥倖だと思っておるよ。しかしまあ今回のことは肝が冷えた」

 そう言って大きくため息を吐く盛信。額には冷や汗が浮いている。本当に命からがらのことであったのだろう。

 一方で一政は別のことを考えている。

「(やはり羽柴様は素晴らしいお方なのだ。なんとかお仕えすることはできないだろうか)」

 そんなことを考える一政。そしてそれは案外簡単に実現してしまう。


 光秀が討たれ一応は混乱が収まった。しかし織田家は重要な問題を抱えている。と言うのも変の折に信長の嫡男で後継者と決められていた信忠も京で討ち死にしてしまっていたのだ。そのため織田家の後継者を早急に決めなければならない。

 幸いと言っていいかどうかわからないが信忠には息子がいた。齢三歳の三法師である。無論大名家の運営など出来ないので名目上のお飾りの当主であった。そして織田家の運営は秀吉ら重臣たちの合議で行われることになる。こうした事の主導権を握っていたのが羽柴秀吉であった。秀吉は信長の仇を討ったことでさらに名を上げ天下に信長の跡を継ぐものだとささやかれ始めている。

 こうした状況に怒っているのが信孝であった。信孝はひそかに織田家の家督をねらっていたし自分が信長の事業を継ぐのだと言う意識がある。

「織田家の政を織田家の者が行わずしてどうするのだ。それに羽柴が父上の跡を継ぐだとか馬鹿馬鹿しい話も出ている。そんなわけあるものか」

 怒り狂う信孝。一方で重臣の仲にも同様に怒っている者がいる。織田家筆頭家臣と言われた柴田勝家であった。

「秀吉は織田家を蔑ろにして好き放題している。これを止めなければ織田家は秀吉に乗っ取られてしまうだろう」

 危機感を感じた信孝と勝家は手を組んだ。またこれに織田家重臣の滝川一益も同調する。一益は信長に関東の統治を任された矢先に本能寺の変が起きた。そのため十分な戦力がないまま在地の勢力と戦い破れてしまっている。そしてその責を負わされ重臣であったにもかかわらず織田家の運営から外されてしまったのだ。

 こうした動きに対して秀吉は信雄と手を組んだ。信雄は信雄で織田家の家督をねらっている。そんな矢先に秀吉から

「信雄様が織田家を継げる様に手を尽くしましょう。そのためには信孝様が妨げになります。それに柴田殿も反対成されましょう。まずは私と手を組み邪魔者を退けるのです」

と言われた。信雄は一もにもなく秀吉の提案に飛びついた。

 こうした動きが続く中で関家は少しばかり難しい立場に立たされる。伊勢南部は変わらず信雄の領地である。しかし北部は滝川一益の領地であった。間に挟まれた伊勢中部は信孝の管理下ともいえるが独立性は強い。さらに今信孝は引き継いだ岐阜に入っていて伊勢にはいないのである。

「さてどうするか。一政よ」

「それは、考えるまでもありませんよ」

 この一政の返答に盛信は驚く。盛信としては悩ましい状況であったが一政にはそうでもないようである。実際一政の心は決まっていた。

「安心してください父上。私に任せてくれれば関家は安泰です」

 自信満々に笑う一政。盛信は驚きつつも一政に任せることにした。


 一政が自信満々な理由。それは舅の蒲生賢秀からの情報である。

「もう織田家の主要な方々は羽柴様に従う旨を示している。信孝様の配下も羽柴様に従うつもりのものも居るようだ。実のところ柴田殿や信孝様は孤立している。関家も羽柴様に従うのなら私や息子が間に立とう」

 この賢秀の文句を一政は信用した。本能寺の変の折の混乱も賢秀からの情報に助けられている。疑う理由は皆無であった。

「天下は羽柴様の方に傾きつつあるのだ。それに従わぬ理由はない」

 一政は秀吉の傘下に入ることに決めた。盛信も秀吉の手腕を何度も目撃しているので異論はない。

「戦になれば舅殿たちがすぐに助けに来てくれるそうです」

「そうかならばそれは安心だ」

「とりあえずまずは我らが舅殿の下に出向き証を立てることとしましょう」

「それもそうだな。せっかくだから分家の者たちも羽柴殿の傘下に入れてもらおう」

「それもそうですね。そのためには父上も来てもらう必要がありますな」

 そういうわけで関親子は連れ立って蒲生家の居城の日野城に出向いた。ところがこれが思いもよらぬ事態を起こすのであった。


 これからおいおい触れていくことになることですが、本能寺の変から数年間の伊勢、特に関家に縁が深い中部は動乱に巻き込まれます。これらの動きは当時起きていた織田家の主導権争いにも関連している部分でもあり日が当たらないところではありますが重要なところでもあります。その動乱の中で一政たちがどう動くのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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