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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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丸目長恵 タイ捨流流祖 第十二章

 大口での戦いで大敗を喫した長恵。現実に打ちのめされて失意に陥った長恵はいったいどうなるのか。

 命からがら帰還した長恵はおとなしく頼金の指示を聞いて城の守りについた。そのおかげか勢いに乗って攻め寄せてくる島津軍を何とか撃退する。この時長恵は前線に出て太刀を振るい大暴れした。何人かの敵将を討ち取ってもいる。島津家もこれ以上の城攻めは無理だと判断して撤退した。もっとも戦力は温存されたままである。

 長恵の戦いぶりを城兵たちは称賛した。

「さすがは兵法家だ。太刀を振るえば敵はいない」

「丸目様と戦場に出れば何も恐れることはない」

 この称賛が長恵には苦しかった。迎撃の作戦をとったのは頼金である。長恵は何も関わっていない。それはいいとして結局長恵にできたのは一兵卒としての働き以上のものはない。

「何が兵法指南役。新陰流免許皆伝だ。所詮は一介の剣客でしかない」

 長恵はそう自嘲していた。できれば前線で戦って死にたいと思っていたほどである。この時の長恵はそれほど憔悴していた。

 ここまで気落ちしている長恵に頼金は

「殿から命があるまでこの城で戦っていただきたい。何より長恵殿がこの場にいることが敵への抑えになりますので」

としか言えてない。師に急いでいるような長恵を何とか引き留めていたいが今の長恵は助言を聞き入れられるほどの余裕がなかった。また実は義陽から召喚命令が出ているのだが頼金は拒否している。今の長恵が義陽に責められれば即座に腹を切りかねない状態であった。

「丸目殿はまだ若い。せっかく新陰流の兵法を修めているのだから、まだ生きて相良家の力なってほしいものだ」

 そう考える頼金であるがいつまでも義陽の命令を拒否できるわけでもない。そこが気がかりであった。


 大口城は敗戦の後もしばらく持ちこたえていたがやがて勢力を回復した島津家の攻撃の前に追いつめられる。またそもそも大口を統治していた菱刈家の内部で島津家への恭順を願うものも少なからず出てきた。

「深水殿。これではもはや戦えないのではないでしょうか」

 疲れきった顔で長恵は言った。同じく疲れ切った顔の頼金は長恵の言葉にうなずく。もはやこれ以上大口を守るのは不可能に近い。

「何もかも俺のせいです」

 長恵は頼金に頭を下げた。だが頼金は首を横に振る。

「勘違いしないでいただきたい。ここの城将は拙者。すべての責は拙者にあります」

「しかしあの時深水殿の言葉を聞かず出ていった俺にこそ責任が」

「それを無理にでも止めるのが拙者の役割でした。それができなかった以上は拙者の責任でしかありませぬ」

「深水殿…… 」

「しかしながら丸目殿は兵法指南役でもあります。お互い殿からのお叱りはあるでしょう。しかしそこですべてをあきらめてはいけませぬよ。武士たるものまずは生きてこそ」

「はい。ありがとうございます」

 そう言って頭を下げる長恵の目からは涙がこぼれていた。改めて自分の浅慮と過信を深く反省したのである。

 この後大口城は開城し菱刈家は島津家の傘下に入った。こうして相良家は要所である大口の地を失ったのである。


 頼金と共に帰還した長恵。長恵は当然義陽に呼び出される。

「俺の生涯もここで終るか。いや、仕方あるまい。これ新陰流の兵法を汚し、兵法指南役としての務めも果たせなかったのだ。腹を切れと言われて当然だ」

 すべてをあきらめ覚悟した長恵は義陽の前にひれ伏した。義陽は長恵を無言で見下ろしている。表情はなくただ無機質に長恵を見下ろしていた。

 しばらくは無言であった。その場に緊張が走る。長恵は微動だにせず平伏したままであった。そんな長恵に義陽はゆっくりと告げる。

「あのような失態を犯したのだ。覚悟はできているのだろうな」

 静かな、しかしかなりの怒気をはらんでいる。その場にいた小姓や家臣たちにしてみれば心胆が冷え切るような声色であった。だが長恵は動じていない。平伏したまま諦観の交じった声で答える。

「いかなる処罰も承る所存です。義陽様の言に従います」

 動ぜず静かな声で答える長恵。これがかえって義陽の怒りを買った。

「お前は真に己の失態を理解しているのか! 大口を失った今相良家はさらに島津の脅威にさらされる! その状況を引き起こしたのもお前の失態にある! 」

 平伏した長恵を怒鳴りつける義陽。しかし長恵は動ぜず平伏していた。その長恵の姿に逆に義陽は平静を取り戻す。

「お前は本当に優れた武士なのだろう。今も死ぬかもしれぬということしっかりと受け入れておる。しかし優れた将ではないし臣でもない」

 荒い息をして義陽は言い切った。そしてゆっくりと告げる。

「兵法指南役は解任だ。そして五十日の逼塞とする」

 これを聞いて長恵は思わず顔を上げた。

「そ、それでは罰が軽すぎるのでは」

 逼塞は武将にとっては重い罰であった。しかし形式はともかく死を命じられると思っていた長恵にとっては軽い罰と言える。

 これに対して義陽はこう答えた。

「お前は失態を犯した。だがその一回で死なねばならぬほどの失態ではない。だがこれよりはお前は一介の武士にすぎん。そこを考えて月日を過ごすのだ」

 そう言って義陽は去った。残された長恵はどうすればいいのかと呆然とするしかなかった。


 逼塞は屋敷の門を閉ざし昼間の出入りを禁ずる処罰である。長恵は外に出ることもできないが誰かを呼ぶことも原則できない。また門を固く閉じるので周囲に知らしめるという意味もあった。

 人の出入りが禁止であるから当然道場も閉鎖となる。だが少し前から長恵の弟子は減り始めていた。それはすべて大口での敗戦が原因である。

「天下一の兵法家と言っていたが実際の戦では役に立たなかったではないか」

「左様。そのようなものの下にても何も得るのはない」

「まったくだ。兵法指南役の任も解かれたようだ。丸目殿もこれで終わりだろう」

 長恵の弟子であった者たちはそう口々に言って長恵の下を去っていった。もっとも残るものも居る。

「俺は何があっても師匠の下を離れん」

 そう息巻くのは吉兵衛である。吉兵衛は故郷から離れて人吉城下にある長恵の屋敷に住み込みで弟子をやっていた。長恵を慕う気持ちは変わらない。そんな吉兵衛同様寿斎も長恵の下から離れるつもりはない。

「確かに戦に敗れはしましたがお師匠が稀代の兵法家であることは変わりない。私たちはそれを見ているのですから何も同様することはないでしょう」

 このように吉兵衛や寿斎同様に長恵の下に残る弟子たちも多くいた。それだけ長恵の指導がすぐれていて多くの人々を成長させていったということである。

 そんな長恵の弟子たちと対照的に頭を悩ませているのは木野八兵衛、九郎右衛門の親子である。二人は丸目家の家臣であるから離れる理由などない。しかし武家としての丸目家が立ち行かなくなりそうなのは問題であった。

「あの者たちはまだ長恵様を慕っている。それはいいが丸目家の今後はお先真っ暗であるなぁ」

「兵法指南役の任も解かれてしまいましたからね。あのような負け戦をしては武将として立身していくのは不可能でしょう」

「領地は取り上げられなかったのは幸いか。しかしこれからどうするか」

 二人は額を寄せ合って悩む。しかし答えが出るわけはない。これからどうするのかを知っているのは長恵のみである。しかし逼塞から数日たった今でも長恵から何か知らされるということはなかった。

「長恵様は道場に籠っておられるのだろう」

 八兵衛が九郎に尋ねた。今長恵の周りにいるのは世話をする者たち数人だけである。家臣たちや弟子たちも面会することが叶わなかった。

「屋敷の小者どもを捕まえて話を聞きましたが、道場で鍛錬をするか瞑想をするかのどちらかだそうです」

「早まったことをしていないだけでも良し、か」

 八兵衛としては追い詰められた長恵が自ら命を絶つようなことをしないかということが心配である。一方の九郎は長恵の行く末については楽観視していた。

「もともと長恵様は武将として大成成されるような方ではないのでしょう。これを機に剣術一筋になられる方がよいのかもしれません」

「それはそうかもしれんが。しかし丸目家の行く末はどうなる」

「さて。それは私も分かりかねます」

 あっけらかんという九郎。そんな九郎の物言いにあきれ果てる八兵衛であった。


 弟子や家臣たちの思いをよそに長恵は一人で道場に籠っていた。道場で新陰流の型を繰り返すか瞑想にふっける毎日である。

 初めは命を断とうとも考えていたが、いざ逼塞となり屋敷に閉じ込められるとその気力も湧かない。自分が相良家の武将として生きる道を断たれたのだということをまざまざと見せつけられている気分である。それが長恵の心に影を落とした。

「俺の兵法で相良家を助けて新陰流を知らしめるということはもはやできまい」

 そんなことを考えていた長恵であるが、気分転換に素振りでもするとその心の影もあっさりと消えた。そして最初はそんな自分にあさましさを感じたがそれもすぐになくなる。

「俺は結局武将としての立身はできんのだ。そもそもそのために剣術を学んだわけでもない。もともとそうなのだ」

 そう前向きな気分になるが、またしばらくすると別のことも考え始める。

「俺はあの戦で生き残り深水殿にも生きよと諭された。しかし兵法を生かせず生き残った俺がこれ以上生きる意味は何なのか」

 また自害しようと思ったわけではない。長恵はただ前向きに生き残った意味を考えるようになった。

 長恵は思案と剣の稽古を五十日間欠かさず行った。その初めのうちは幾度も悩み、幾度もそれを振り切りそして悩む、ということを延々と繰り返す。そうしているうちに長恵はあることを思い出した。

「そもそもは剣術、兵法を修めることが楽しかったのだ。それがいろいろなことがあってここに至っている。ならば初心に帰るしかあるまい」

 またこんなことも考えるようになる。

「これまでのおのれの失態も受け止めるしかない。生きているのだから何が何でも先に進み続けるしかないのだ」

 長恵の思案と稽古の内容は己をさらに高めるものに変わっていった。そしてその中であることを思い出す。それは二人の師の言葉である。

「見聞を広げ新たな兵法を作る。そして新陰流の先に至ること。これは同じことだ。つまりは新陰流の先にある新たな兵法を作るのが俺の剣の行く末、そして生き残った意味。買ったこと、負けたこと。すべては俺が知ったことだ。それらすべてを新たな兵法に残す」

 逼塞が終わりに近づく中で長恵は己の進むべき道を確信した。

「俺は兵法家として生きる。己の剣を高め新たな兵法を作り上げるのだ。そしてそれに至るには迷いを捨てること。雑念を捨てること。ただあるがままでなければならん」

 やがて長恵が命じられた逼塞の帰還は終わった。道場から出てくる長恵の目には何の陰りもなく迷いもない。ただ己の剣の行く末のみを見据えていた。

 大口での敗戦での責任を取らされる形で長恵は逼塞となり武将としての道は閉ざされました。この大口での敗戦以降は相良家は島津家との戦いで苦戦して行きます。大口を奪われたことは相良家の行く末も左右したわけです。そう考えると逼塞という罰は厳しいものでありますが命まで奪わないのは何かしらの意図があったのでは? とも考えられます。まあ真相は分からないのですが。

 さてここから長恵は一介の剣客、兵法家としての道を歩み始めます。そしていよいよ長恵は新たな兵法を作り上げるのですがそれは次回のお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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