丸目長恵 タイ捨流流祖 第十一章
ついに新陰流を免許皆伝した長恵。意気揚々と故郷に帰った長恵はある約束を果たすことになる。それが長恵の人生に大きく関わる事態を引き起こす。
永禄十年(一五六七)。印可状を携えて長恵は帰国した。帰国した長恵たちを出迎えた八兵衛は開口一番こう言った。
「おめでとうございます。なれどこれからはこのようなことはなされぬように」
祝いの言葉もそこそこに説教をする八兵衛。これに長恵は九郎ともども苦笑するのであった。
さて長恵が新陰流の免許を皆伝したという話はあっという間に肥後に広まった。当然相良義陽の耳にも入る。義陽はすぐに長恵を呼び寄せる。
「先年の約束を覚えているだろう? 当然良い返事をするのだろうな」
「はい。不詳の見ながら義陽様のために働かせていただきます」
「おお、そうか。これは良い。天下に名高き勇士が我が下に来た」
長恵の返事に義陽は大喜びであった。長恵としても相良家に仕えることに自分なりの意義を持っている。
「(お師匠様もかつては大名に仕えていた。それが剣の道を究めることに何か役に立つかもしれない)」
長恵は信綱に言われたことを成し遂げたいと考えている。その手段として相良家に仕えることを選んだのだ。だがそれが後に思いもよらぬことを引き起こすことになる。
相良家に仕官した長恵の役目は兵法指南である。当主である義陽を含む相良家の家中の人々に兵法を指南し、時には軍事的な指導をすることも求められた。前者はともかく後者に関して長恵はあまり経験がない。だからと言って断れるものでもない。
「ともかく新陰流を学ぶ中で得てきたことを殿にお伝えすればいいのだろう」
長恵は義陽に時折助言をするという形で何とか役目を果たしていった。この時の相良家は大勢力である島津家との敵対関係が続いている。そうした状況で生き残る術を義陽は求めていた。長恵を抜擢したのもその一環である。
「長恵の体得した新陰流は天下の兵法。それを知られれば島津との戦いもうまく行くはず」
そうした希望をもって義陽は長恵からの兵法の指南を受けるのであった。
さて長恵の主な役目は兵法指南である。だがもう一つ別の役割も秘かに与えられていた。それは防諜の任務である。このところ相良家は島津家の忍者の諜報活動に手を焼いていた。
「新陰流の兵法の中には忍びの者への対処もあるのか? 」
義陽にこう問われると長恵は自信満々に答えた。
「いかにもその通りです。新陰流の兵法には忍びの技に関するものもあります。それを生かせば忍びをどうにかすることもできましょう」
「そうか。ならばそれについても長恵に任せよう」
こうして防諜の任務に就いた長恵は吉兵衛や寿斎など腕利きの弟子や木野親子などの家臣を動員し相良領内での防諜の任務にあたった。幸いこうした任務は長恵に向いていたようである。瞬く間に十数名の忍者を捕縛し対処した。
これを知った義陽は大いに喜んだ。
「さすがは長恵。九州一の兵法家である」
この義陽の賛辞を長恵は素直に受け入れた。今やそれだけの自負がある。
「俺は九州一の兵法家だ。たとえ相手が大家であろうと俺がいれば相良家は負けぬ」
大いに自信を深める長恵。しかしながらその驕りがしくじりを導くことになる。
相良家の領地に大口という地域がある。ここは肥後ではなく薩摩(現鹿児島県)の北端にあった。交通の要所でもあり様々な意味で要所である。そういうわけで島津家は奪還を虎視眈々と狙っていた。
大口は菱刈家が統治している。今の当主は菱刈隆秋という。この隆秋から義陽に救援の要請があったのが永禄十年(一五六七)のことである。この年の十一月に島津家が大攻勢をかけてきて多くの砦が攻め落とされたという。隆秋は家臣を連れて大口城に逃げ込んだらしい。この事態に義陽は素早く対応した。
「大口が奪われては一大事。すぐに手を打たなければ」
そう考えた義陽は相良家の中でも勇士と名高い赤池長任を派遣した。翌永禄十一年(一五六八)の長任は隆秋と共に大口城に攻め寄せる島津家を撃退した。これで一時島津家の大口侵攻は止んだが剣呑な状態はいまだ続いている。
そんな状況下で長恵にこんな命令が下った。
「大口城に入り島津家の攻撃を防いでほしい」
この命令には義陽なりの考えがある。
「近隣に名高い兵法家の長恵がいれば島津家も迂闊には攻め寄せまい」
要するに長恵の武名をうまく利用しようと考えたのである。長恵はそこを理解していない。ただ自分の兵法が当てにされていると考えたのである。
「いよいよ実際の戦場で俺の兵法を披露する時が来たというものだ」
こうして長恵は意気揚々と大口城に入るのであった。
長恵が大口城に入ったのは永禄十二年(一五六九)のことである。九州で名高い兵法家である長恵の入城に城の将兵たちは沸き立った。
「あの丸目殿がこの城を守られるのならば何も心配はいらない」
「ああ。必ず島津の者たちを追い払ってくれるだろう」
またこの時板城将の中で内田伝右衛門という男がいた。小太りで背が低いが髭面の厳つい男である。そして伝右衛門は長恵の弟子であった。
「お久しゅうございます長恵様。此度はよろしくお願いします」
「いやいやむしろこちらこそよろしく頼む。このようなことは初めてであるからな。そこは良く支えてほしい」
ここで長恵の言っている通り城を守るというのは長恵の初めての体験である。とはいえ口ではこういうものの長恵には絶対の自信がある。
「(俺の兵法ならばいかなる敵も打ち払うことができよう)」
そんな自信満々の長恵の前に一人の男が近づいてきた。背丈はふつうであるが枯れ木のような細身の男である。顔色は白く陰気な顔立ちであった。
「足労であった。拙者はこの城を任されている深水頼金だ」
「おお、そうかそうか。これよりはよろしく頼むぞ。深水殿」
にこやかに言う長恵。そんな長恵に頼金はこんなことを言った。
「島津の者どもはいつ襲ってくるかわからない。丸目殿は城を守るような戦はしたことがないらしいな。とりあえず城で控えていてくれ」
陰気な表情を変えずに言う頼金。言っていることはそれほどおかしいことではない。だが自信満々の長恵の気には障る発言ではあった。
「(こんなひ弱そうな男に戦のことが任せられるか)」
内心そう思う長恵。だがこれが頼金には見抜かれてしまったようだ。
「この城を任されているのは拙者だ。戦の時は拙者の言うことに従ってもらう」
長恵を見上げるようににらみつける頼金。長恵は睨み返すが頼金が動じた様子はない。ともかく長恵は大口城の守備に携わることになった。
大口城に長恵が入ってからしばらく後、いよいよ島津家の侵攻が始まった。島津家の軍勢を率いるのは島津家久。島津家当主義久の末弟である。まだ若いが祖父の島津忠良から「軍法戦術妙を得たり」と評価された名将であった。
家久は攻め入るにあたって大口城の内情を調べている。そして長恵が城に入っていることを知った。
「九州随一の兵法家がいるということか。しかし優れた兵法家がすぐれた将であるとは限らない。ここはひとつ手を打ってみるか」
そう言ってにやりと笑う家久であった。
島津家の侵攻が始まってから雨の日が続いていた。その日は大雨の日である。長恵の配下の斥候が駆け込んできて長恵に報告した。
「島津のものと思われる荷駄隊が城の麓を進んでおります」
「ほう。この雨で迷い込んだか。だがこれは使えるかもしれぬ」
実は数日前に攻め込んできた島津家の動きが補足できなくなっていたのである。どこかに潜んでいるのは確実であるがどこにいるかまでは分からない。だが長恵は斥候の報告を聞いてひらめいた。
「荷駄隊を襲い物資を奪い、さらに敵を逃げさせてそれを追って敵の本隊の位置を確かめるのだ。敵は物資も失い士気も下がる。そこに攻めかかれば一網打尽だ」
この長恵の考えに賛同したのが伝右衛門であった。
「さすがのお考えです。まさしく一石二鳥の策。島津も長恵様の兵法に恐れをなすでしょう」
「そうかそうか。この際だから俺が切り込んで大将の首でも取ってやろうか」
伝右衛門の言葉にまんざらでもない長恵はこんなことまで吐いてしまう。実際今や一軍の将でもあるのでそんな軽率な真似はするべきではないのだが。
一方で長恵の策に懸念を示したのが頼金であった。
「ここまで見つからなかった敵方がこうも簡単に姿を現すとは。さすがに怪しい。何か裏があるのではないか」
この頼金の発言を長恵は鼻で笑った。
「我が手の者は優秀なのだ。今まで敵方を見つけられなかったのは貴殿の手の者がしくじっているからであろう」
この発言に伝右衛門の表情がひきつった。いくら兵法指南役という立場とは言え城を任されている人間に言う言葉ではない。もっとも頼金は陰気な顔色を一つも変えてはいなかった。むしろそれに長恵が苛立つぐらいである。
「ともかく! この機を逃しては敵を見つけることもできない。敵にこちらを攻め入る準備の時間を与えるだけだ」
「奴らの目標はこの城だ。我らは守りを固めていればいい。そもそもここまで隠れて潜むことができるのならば小勢なのだろう。むしろ打って出ては相手の利になるばかりだ」
そう言って長恵をじろりとにらむ頼金。もっとも長恵は動じない。むしろ自信満々にこう言った。
「ならば俺は従う者だけを連れて出陣しよう。それならば文句はないな? 」
「ある。ここの兵は拙者の指揮下だ。勝手に動かれては勝てる戦にも勝てぬ。今は敵の動きを待ち慎重に行かねばならぬのだ。この城は相良家に取って要の城。ここを失うは相良家に取って一大事。それだけは避けねばならぬ」
ここにきて強い口調で言う頼金。だがここで思いもよらぬことが起きる。
「我らは長恵様に従います」
「その通り。このまま城に籠っても意味はない。打って出るべきだ」
そう城の将兵が口々に言いだしたのだ。これには頼金も驚く。
「お前たちは何を言っているのかわかっているのか? 」
そう問いかけた頼金に対して将兵たちは皆うなずいた。これに頼金は頭を抱えるしかない。一方の長恵は得意そうである。
「これがこの城の者たちの考えだ。文句はないな? 」
「あるに決まっているだろう。皆が何を考えていようと打って出ることはいかぬ。絶対にだ」
繰り返す頼金だが自分の言葉が通じないということも理解している。陰気な顔をしかめてため息を吐くしかない。長恵はそんな頼金を尻目に出陣の準備を進めるのであった。
長恵は自分に従う将兵を連れて出陣した。その数はおよそ城にいた将兵の三分の二ぐらいである。
「これならば負けはしまい」
自信満々で出陣した長恵。標的の荷駄隊はあっさりと見つかった。雨をよけて休んでいたようである。
「よし。まずは攻めかかり荷駄を奪った後でわざと敵を逃がす。その上で後を追うのだ」
雨は変わらず降っていたので島津勢もこちらに気づいていないはずである。この状況で襲い掛かれば島津勢は慌てふためくはずであった。
ところが突如として荷駄隊は動き出した。その動きは思ったより早い。まるで長恵たちの動きに気づいたかのようである。ここで長恵は違和感を覚えた。
「(まるで我々がいることに気づいたかのようだ)」
この思考は一瞬のことである。だがこの一瞬で長恵の連れてきた兵たちは動揺して荷駄隊の追撃を勝手に始めてしまった。長恵は押しとどめようとするがそれもできない。仕方ないので長恵も追撃に移る。
「(敵の荷駄だけでも奪えれば一応の結果は出せたことになる)」
この考えが命取りになる。追撃していた長恵たちはやがて山に囲まれた狭い道に入った。すると後方から鬨の声が上がる。
「どうした!? 」
長恵は馬を止めて叫ぶ。すると後方から絶望的な報告が入る。
「敵の伏兵です! 」
「何だと!? 」
絶叫する長恵。引き連れてきた将兵たちは動揺した。しかし長恵は何とかすぐに状況を把握し指示を出す。
「急いで反転する。ともかくこの道から出るのだ」
指示自体は的確である。しかしそれができるような状態でないのは分かっていた。長恵は伝右衛門に指示を出す。
「伝右衛門。お前は下がる者たちの指揮をとれ」
「な、長恵様はどうなされるのです」
「殿を務める」
そういうや自分の手勢を引き連れ後退する軍勢とは反対方向を向いた。それと時を同じくして島津家久率いる軍勢が姿を現す。それはさっきまで追撃していた荷駄隊である。正しくは荷駄隊のふりをしていた一隊である。
「あ奴らは俺が止める。お前たちは何とか逃げろ」
「し、承知! 」
伝右衛門は駆け出していった。長恵は家久率いる軍勢と相対する。
「絶対に、俺は死なぬぞ。皆も生きて返す」
そう口には出すがそれがどれほど難しいかもよくわかっている。だがそれでもやらねばならぬと突撃する長恵であった。
それからしばらくして長恵は大口城に帰還した。長恵の手勢は半分くらいになっている。ぼろぼろの長恵を出迎えたのは深水頼金であった。
「内田殿は討ち死にした。しかし出ていった者たちの半分くらいは戻ってきている」
「そうか…… 」
長恵はそれしか返す言葉はない。自分の失策であまりにも大きな被害を出したからである。心身ともに疲れ切った長恵に言葉をつづける余裕などあるはずもなかった。
こうして長恵は大きな失敗をしてしまった。そしてこれが長恵の人生を決定づける。
新年あけましておめでとうございます。新年の初めからからとんでもないことが起きてしまいましたが無理をせずできる範囲のことをしていきましょう。合わせて今年も戦国塵芥武将伝をよろしくお願いします。
さて、戦国時代の剣豪は戦国大名に仕え武将として活躍していた人物も多くいます。長恵の師匠である上泉信綱は上野の長野家に仕え武田信玄と戦いました。柳生宗厳は大和で様々な大名に従い合戦に参加しています。長恵もそうだったわけですが武将時代のエピソードで一番大きいのは今回の話に合った敗戦です。当時の剣豪は兵法家としても評価されたわけですがそれを台無しにしてしまう失敗です。長恵がこれからどうするのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




