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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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戦国塵芥武将伝特別編 その六

毎年恒例の特別編。毎度同じような内容ですがご容赦を。


伊東義祐(1512~1585)

関わった出来事 飫肥役、木崎原の戦い、伊東崩れ、耳川の戦い

来歴 日向(現宮崎県)の戦国大名伊東家に生まれる。家を継いだ兄が早世したのち叔父が反乱を起こす。だがこれを鎮圧し伊東家を継いだ。以後は日向の掌握を目指し島津家と戦う。やがては日向の体部分を掌握し伊東家の最盛期を作り上げた。しかしそののちは覇気を失い島津家との戦いに連敗する。やがては家臣の離反を招き日向を追われた。そののちは大友家を頼るも大友家も島津家に敗北。四国にわたり家督を三男の祐兵に譲った。祐兵が羽柴秀吉に仕えると完全に引退しついに故郷に帰ることなくこの世を去った。

作者の一言 栄枯必衰を体現したかのような人生です。しかしながら戦国時代屈指の実力を持つ島津家と死闘を繰り広げた全盛期の実力は本物でしょう。最後は旅先で病に倒れた上に見捨てられるという悲壮感ある最期がなんとも悲しみを誘います。

波多野秀治(生年不詳~1579)

関わった事件 黒井城の戦い

来歴 丹波(現京都府中部)の生まれ。畿内の有力勢力である三好家に父や弟たちと共に戦った。織田信長が上洛したのちは従い丹波の所領を確保する。しかし織田家に敵対した赤井直正が明智光秀の攻撃を受けると織田家を離反して光秀を攻撃する。その後は光秀と戦い続けるも及ばず弟たちと共に捕らえられて処刑された。

作者の一言 天下統一の流れにあらがった地方領主、と言った雰囲気の人物です。こうした人々は情勢や様々なしがらみを検案しつつ生き残りのための判断を強いられました。しかしながらそれらは紙一重のものでした。秀治は結果的に判断を間違えたといえるのですがもし自分がその立場であったら正解が出せる自信はありません。本当に、生き延びるのも難しい時代であったのだろうと考えさせられます。

木曽義昌(1540~1595)

関わった出来事 信濃侵攻、甲州征伐、天正壬午の乱、小牧、長久手の戦い

来歴 木曽義仲の流れを汲むという木曽家の出身。当初は父に従い武田信玄と争うも降伏。領地であった木曽谷が要所であったからか信玄の娘を娶ることとなった。その後は武田家に従うが武田勝頼の代に離反。織田家を引き入れて武田家滅亡の一因となった。それからしばらくして起きた天正壬午の乱では領地を広げようと暗躍。しかしうまく行かず最終的に徳川家の傘下に入る。徳川家が関東に入封されると従って木曽谷を離れた。最後は新しい領地である下総(現千葉県)の阿知戸で息を引き取る。

作者の一言 領地である木曽谷を守ることに人生の大半を費やした人物です。その過程で妻の実家を裏切り人質とされていた家族も死ぬこととなりました。当時領地や家を守るということは自分だけでなくそこに属する人間の命を守ることにもつながります。その過程で出た犠牲を肯定することはできませんがそうまでしなければならなかった義昌の心情も思いあまるものがありますね。しかし最後はその守り抜こうとした領地を奪われる結果になります。何ともむなしい話です。ですが新しい領地を何とか栄えさせようとした痕跡がありそれが評価されているのはわずかではありますが救いと言えそうですね。

少弐冬尚(1510~1559)

関わった事件 田手畷の戦い

来歴 肥前(現長崎県、佐賀県)の少弐家の生まれ。少弐家は大宰府の周辺を拠点としていたが冬尚の父の代に一度滅亡。その後は肥前を拠点として旧領の復帰を狙った。そして有力家臣である龍造寺家兼の奮戦で少弐家を再興し旧領への復帰も目前となるも果たせなかった。その後かつて家兼が父親を見捨てたのではないかという疑心が生まれ、家臣の馬場頼周が龍造寺家を滅ぼすのを黙認する。しかし生き残った家兼により頼周は討たれて龍造寺家と敵対することになった。最後は家兼の孫である隆信に攻められて自害する。少弐家も滅亡した。

作者の一言 よくも悪くもこの人が具体的に何かをやったというわけではない、という感じの人です。家兼が冬尚の父を見捨てたかどうかは微妙なところで冬尚の言い分も微妙です。ただそれを信じていたからか頼周の行動を黙認していたのも事実でありそれが命取りになります。龍造寺家を信頼で来ていたならその後の展開も変わったのでしょうがせんのない話です。

上杉朝良(1473~1518)

関わった事件 長享の乱、長享三戦、立河原の戦い、永正の乱

来歴 関東管領山内上杉家の一族である扇谷上杉家に生まれる。叔父の定正の養子となり扇谷家を継いだ。定正が山内家との抗争をしていたのでこれに従い、定正の死後も山内家と戦う。新興勢力である伊勢家などと連携しながら挑むも最終的には敗北し山内家に降伏した。だが山内家は内紛をはじめ朝良はこれを収めようとするも失敗。伊勢家が関東に進出して来たのでこれに抵抗するもこちらもうまく行かず勢力を衰えさえせた。朝良も扇谷家の衰退を眺めながらこの世を去る。

作者の一言 激動の戦国時代の関東。その前半戦の主要人物の一人です。養父の興した戦いを引き継ぎ戦い続けるも結局それは勢力を衰えさせるばかりの結末になります。朝良自身の戦下手も一因であるでしょうが、周囲の事情や情勢も多いにかかわっており総じてみると周囲の人間に振り回され続けた人生と言えるでしょう。


 今年も終わりが近づいてきました。振り返ってみれば去年以上の激動の年で年明けもいろいろと荒れそうです。個人的には職場が変わりいろいろと苦労しております。しかしそれでも何とか元気に生きてはいますのでご安心を。皆様におかれましても無理をせず体を大事にして生きていきましょう。

 さて来年の投稿は新年一月七日となります。来年も投稿は続けていこうと思いますのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。今年もお世話になりました。よいお年を

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