丸目長恵 タイ捨流流祖 第十章
長恵は新陰流を修めるために京に向かう。だがしかしそこには師匠の姿はなく京の街も荒れ果てていた。この現状を目の当たりにした長恵はあることを思いつく。
長恵は上流寺の一室に籠ると何か作り始めた。これを不安に思ったのが吉兵衛である。
「師匠はいったい何をするつもりなのだ」
吉兵衛はまだ十八歳の若者であった。長恵と同じくらいの体格で健康そうな浅黒い肌をしている。きりっとした眉の目鼻立ちのしっかりした男前であった。剣の才能も有りめきめきと実力をつけているが、精神面はまだまだである。もっとも長恵もそれを理解しているので今回の旅でそのあたりを成長させようと考えている。
さて吉兵衛は不安そうである。だが残りの二人の弟子たちは逆に安心しきっていた。
「そう我々が気をもんでも仕方ありませぬよ」
そう言うのは木野九郎右衛門である。周りからは九郎と呼ばれ親しまれていた。吉兵衛とは真逆の細身で小柄、肌は白い。顔立ちも起伏は乏しく眼もとじられているかのような細さであった。年齢は長恵より少し下の二十四歳。弟子ではあるが剣の筋はあまり良くなくどちらかと言えば道場の経営を助ける秘書のような立場であった。
そんな九郎であるが見かけによらずなかなかに真が太くこの状況にも慌てる様子はない。長恵もよくあてにしている図太さである。ただこの時においてはその図太さが吉兵衛の癇に障った。
「師匠の師匠はいないし京の街もあれている。師匠は部屋に閉じこもるしこのありさまは大変なことじゃないのか」
「それはそうでしょう。ですがまあ長恵様も何か考えがあるのでしょう。だから部屋に閉じこもられたのです」
「何の確証があってそんなことを言うのだ! 」
怒鳴る吉兵衛に対して涼しい顔のままの九郎。大なり小なり二人のこのようなやり取りはよくある。そしてこういう状況を収めるのがこの男の役割であった。
「まあまあご両人。とりあえずは落ち着こうか」
からからと笑いながら言う寿斎は長恵より年長の三十九歳。前にも記した通り元は天草伊豆の弟子で長恵の兄弟子でもあった。それが今や進んで長恵の弟子になったという変わり者である。而してその人柄も実力も道場内で一目置かれていた。
「吉兵衛が不安になるのも分かる。しかしさっきのご住職とのやり取りでお師匠は何かを思いついたようだ。こうなったらついていくのが儂らの務めであろう」
「それはそうかもしれんが…… 」
「お師匠がお前を連れてきたのは何かあったときに役に立つと感じたからだ。ここはその期待に応えようじゃないか」
こう寿斎に言われて吉兵衛も悪い気はしなかった。そして不安も収まったのかすっかり落ち着く。一方九郎は何やら楽しそうに長恵のいる部屋の方を見た。
「長恵様は何をなされるのか。さて、親父殿に怒られなければいいのだがな」
そういう九郎の口元には笑みが浮かんでいた。
翌朝長恵は弟子たちにあるものを差し出した。
「これは…… 高札ですかな」
「ああそうだ。高札だ」
寿斎の疑問に淡々と答える長恵。だが弟子たちの本当の疑問はそこではない。九郎と寿斎が何とも言えない表情のまま口ごもる中、一人興奮した様子の吉兵衛がそれを口にした。
「こ、ここに書いてあるのは、い、一体どういうことですか! 」
「そのままの通りだ」
長恵はにやりと笑っていった。
高札にはこう記されている。
『兵法天下一 丸目長恵』
「つまり! 師匠は自分の兵法が天下一だと知らしめるおつもりなのですね! 」
興奮冷めやらぬ吉兵衛の問いに長恵は無言で頷いた。それを見て九郎は苦笑しながら尋ねる。
「まあ何か意図はあるのでしょうが、それは聞きませぬ。それでこれをどうするのですか」
「高札を作ったのだ。やることは一つだろう。しかるべく所に建てるだけだ」
「高札を立ててどうするのですか? 」
「決まっている。腕試しだ」
長恵は不敵に笑っていった。これに吉兵衛はますます興奮し九郎は苦笑する。そして寿斎はこう言った。
「何やら、面白くなりそうですなぁ」
長恵が弟子たちを連れて向かった先は清水寺であった。ここには乱世であっても、もしくは乱世であったからこそか参詣の人々でにぎわっている。中には侍も多い。
そこに高札を担いだ一団が現れたのでどよめきが起こった。だが長恵はそれを気にせず進み、人通りの多い参道に立つと吉兵衛が高札を掲げた。
『兵法天下一 丸目長恵』
再びどよめきが起こる。吉兵衛は得意そうな笑みを見せた。一方の長恵は無言である。九郎と寿斎は長恵の両脇に立った人々がざわめく中で長恵は叫ぶ。
「我は兵法家丸目長恵。我が兵法は天下一である。これに異議のあるものは我と真剣にて立ち合いをせよ! 」
そのあたりに響き渡る大音声であった。どよめきは一瞬で止み誰もが無言で長恵を見つめる。するとその中から屈強な男が現れた。男は侍である。槍を持っていて身なりはきちんとしている。おそらくどこかの領主に仕えている身なのだろう。
男は嘲るような表情をしながら長恵に近づく。
「(どうせはったりだ。脅せばすぐに逃げるだろう)」
そんなことを考えて近づくが途中でその足が止まる。理由は分からない。だがこれ以上進めば自分の命はない。そう感じたのだ。
「(な、なんなんだ)」
男は気づいた。長恵の目がまっすぐにこちらを見据えている。まるで男のすべてを見透かしているような目であった。何を考えているかもどう動こうとしているかも。もし戦えばその打つ手がすべて読まれているような感じがする。
戦えば何もできずに死ぬ。そう感じた男は踵をかえして逃げ去ってしまった。再びどよめきが起こる中で吉兵衛が叫ぶ。
「誰か、名乗り出る者はいないのか! 」
誰も動かない。だれもが長恵の得体のしれぬ雰囲気にのまれている。結局誰も名乗り出ず立ち合いは一度も起らなかった。
これを一人の男がこの様子を見つめている。笠をかぶっていた男は長恵を値踏みするように見つめる。長恵もそれに気づき一瞬男の方を見た。笠の男も見つめ返す。だが笠の男は目をそらしその場を去っていった。長恵はその後姿を一瞬見たがすぐに元通り正面を見据えて挑戦者を待つのであった。
翌日長恵たちは愛宕山に向かった。ここでも兵法天下一の高札を立て諸国の武芸者や通行人に立ち合いを挑む。しかし清水寺同様に誰も名乗り出ることはなかった。その翌日に誓願寺でも同様のことを行うがここでも誰も名乗り出ない。
長恵は誓願寺から帰ると再び部屋にこもる。弟子たちは別の一室に集まりこの三日間のことを話している。このことに吉兵衛は大喜びであった。
「誰も師匠に挑まなかった。これは皆が支障を天下一の兵法家だと認めたのだ! 」
一方の九郎は思案顔である。
「さて、長恵様はこれをすることで何を成そうというのかな」
「別に何もないだろう。師匠は己が天下一だと世に広めようと思っただけだ」
「さてどうかなぁ」
九郎の言葉に食って掛かる吉兵衛。だが九郎はうまくごまかして話を逸らす。
「何にせよ、これでお師匠の名が広まったのは事実だろう。存外それが目的なのかもなぁ」
呑気な風に寿斎が言った。これに九郎は再び思案顔になる。
「なるほど名を広めることが目的。しかし長恵様がそれだけでこうしたことをするとは思えませんな」
「まあそれはそうだ。ともかく我らとしてはこれ以上できることはないだろう」
「まあ、そうですな。これ以上は長恵様の胸の内ということなのでしょう」
弟子たちの話はこれでお開きとなった。
一方部屋にこもった長恵は清水寺で見た笠の男のことを思い出していた。
「(あの男相当に強い。俺が勝てるかどうかわからぬほどだ)」
あの一瞬のやり取りで長恵は笠の男の体つきや動きなどを見て図っている。おそらくそれは笠の男も同様で、あの場で立ち会わなかったのは長恵と同様に勝てるかどうかわからなかったからなのだろう。
だが長恵にとって気になることはもう一つあった。
「(おそらくあの男、新陰流だ)」
笠の男の動きからわずかであるが新陰流の雰囲気のようなものが感じられた。それゆえに長恵には気になっていたのである。
「(俺と同等以上。ならばあのお三方のだれかしかいない。だがあのお三方のだれでもないはず)」
豊五郎たち高弟の内の誰かなら上流寺に顔を出しているはずである。それがなかったということは違う人物なのだろう。だとすれば長恵が京を去った後に迎えた弟子だと考えられる。
「(いったいどのような奴か。気になるなぁ)」
長恵は気になったがわかるはずもない。そうしているうちに長恵は寝てしまった。
長恵が眠りこけているころ大和(現奈良県)のある城に清水寺の笠の男の姿があった。男は書状をかいている。だから室内にいるわけでむろん笠はかぶっていない。
男の年は三十六。長恵よりも十以上年が上である。顔つきは精悍で彫も深くりりしい顔立ちで口ひげが似合っていた。体格は並であるが着物の下の体は鍛え上げられている。
この男の名は柳生宗厳という。大和の剣客で長恵の思った通り新陰流の使い手である。無論師匠は上泉信綱。長恵が京を去った翌年に弟子入りした男である。柳生家は大和の領主で小さいながらも城も持っていた。宗厳は居間の柳生家の当主である。
宗厳は筆を進めながら清水寺で見た長恵の姿を思い出していた。
「(豊五郎殿から聞いていた通り見事な体であった。それに立ち姿からも相当の腕前であろうことがわかる。あの若さであそこまで鍛え上げたというのだからすさまじい)」
一目見た年下の兄弟子のことを思い出して感心とも畏怖ともとれる感情を抱く宗厳。そして今書いている書状はその兄弟子のやっていたことについてのことである。
「あのふるまいは是か、非か何はなくともお師匠に聞かねばならぬな」
そうつぶやいているうちに書状は出来上がった。宗厳は書状を知り合いの山伏に託す。
「この書状を上野の上泉信綱様の下に」
山伏はうなずくとすぐに発っていった。この者は山伏であるが同時に各地に散って情報を集める密偵でもある。ゆえに健脚であるがさすがに上野は遠い。
「さて、返事はいつになるか」
宗厳は上野の方を見つめて溜息交じりにつぶやくのであった。
長恵が京に滞在して数か月が経った。もう年も明けて永禄十年(一五六七)になっている。この間長恵は上流寺にとどまって弟子たちに稽古を付けながら過ごしていた。
長恵が稽古を止め休んでいると九郎が現れた。九郎は苦笑いしながら長恵に話しかける。
「父上から書状が来たそうですね。早く帰りなさいという」
「ああ。その様子ではお前には何とか説き伏せろとか言う書状がきたか」
「ええ。その通りです」
先だって二人の下には八兵衛からの書状が届いていた。長恵に向けての物は帰還を求める内容である。九郎への物は長恵の説得を求めるものであった。
「あまり気にしないでください。父上も、お家のことが心配なのですよ」
「それは分かっている。だがいましばらく待ってもらいたいのだがな」
苦笑する長恵。八兵衛の気持ちはわかるつもりである。だがまだ戻るつもりはない。
「今しばらく待ってほしいのだ。一年でダメならば俺も帰るつもりだ」
九郎は少し驚いた。長恵の口からはっきりと期限が出るとは思わなかったのである。
「(長恵様も分かっていらっしゃる。しかし何を待っているのか)」
疑問に思った九郎はそれを訪ねようとした。するとそこに玄静が駆け込んでくる。普段から落ち着いた人物である玄静らしからぬことであった。
「玄静殿。どうした? 鬼でも現れたか」
からかう長恵。だが玄静の言葉で表情が一変する。
「上泉様が参られました」
「そうか。わかった」
長恵はすぐに立ち上がると玄静に導かれていった。九郎も慌てて追いかける。そこであることを考えた。
「(長恵様は上泉様が現れるのを待っていたのか)」
さっきの表情からそれが答えなのだろう。九郎は一人納得して歩いていった。
長恵と信綱は僧堂で再開した。信綱は宗厳を伴ってきている
「久しいですね。長恵よ」
「はい。お久しゅうございます。本当にご無事でなによりです」
「なに。少しは老けました」
何も変わった様子のない師匠の様子に長恵は安堵した。一方で信綱の方は長恵との再会がうれしいのか喜んだ様子である。
「そうだ。紹介しておきましょう。彼は柳生宗厳。大和の者で、長恵が去った後で弟子にしたのです」
「柳生宗厳にござる」
信綱は自分の後方で控えている宗厳を長恵に紹介した。長恵は宗厳を見て気づく。
「もしや先だっての清水寺の」
「その通りにござる。此度お師匠が参られたのはその儀を拙者がお伝えした故にござる」
精悍な顔で淡々という宗厳。一方の長恵は満足そうであった。
「何とかお師匠様に俺のことが伝わればいいと思いあのようなことをしました。柳生殿がお伝えしてくれたのならばありがたく思います」
素直に感謝する長恵。これが予想外であったのか宗厳は少しばつの悪そうな顔をした。信綱は微笑まし気にそれを見ていたが長恵に向き直るとこう言った。
「宗厳から件の話は聞きました。ただの一人とも立ち会わなかったそうですね」
「はい。だれとも立ち会うことはなかったです」
まっすぐな目をして言う長恵。信綱はそれに嘘がないと理解した。そしてこう長恵に問う。
「何故誰も立ち会わなかったと思う? 」
「正直分かりませぬ。あのような高札を掲げれば怒るものも居るはずだというのに」
「いや、怒るものはいたのでしょう。だが戦う前に負けると悟ったのです。戦わずして勝つというのは兵法の至るべき一つの答え」
そう言って信綱は二つの巻物を長恵に差し出した。一つには『殺人刀太刀』もう一つには『活人刀太刀』と記されている。
「これは? 」
「新陰流の印可状です。今の君ならば授けられます」
長恵は絶句した。そんな長恵の手に信綱は自ら印可状を手に取って渡す。そしてすっと立ち上がり背を向けた。
「君ならば新陰流の先。新たな兵法を興せるでしょう。それを期待していますよ」
そう言って信綱は去っていった。残された長恵は号泣し平伏している。
こうして長恵は新陰流の印可状を授かった。当初の目的が果たせたのである。長恵としては感無量であった。
だがここから長恵の人生に大きな波乱が巻き起こるのである。
今回の話で長恵は思い切った手を打ってその結果新陰流の印可を得ることができました。その間をつないだのは柳生宗厳。宗厳は剣士として著名ですが同時に大和の領主でもありました。城も持っていたようです。さらに宗厳が仕えていたのは永禄の変にもかかわっている松永久秀です。そこを考えると領主として様々な問題に対処しつつ新陰流を修めたのですからものすごい人物と言えますね。
さて今年の投稿は次回の戦国塵芥武将伝特別編で一度終わりです。新年最初の日曜日に次章を投稿しますのでお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




