丸目長恵 タイ捨流流祖 第九章
長恵は後ろ髪を引かれる思いで京を後にした。そして父の死を看取り自分の家を継ぐ。だが剣の道をあきらめたわけではない。
相良義陽の誘いを断った長恵は今後のことを考え始めた。
「さらに剣を学んでいかなくてはいけない。しかしお袋を置いて武者修行に出るのも悪いなぁ」
父なき今母を一人残してどこかに旅立つわけにはいかない。何より与三右衛門なき今は一応丸目家の当主という立場である。丸目家は小さい家であるが家臣もいた。彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないのである。
「当主としての務めを果たしつつ剣の道を究めるにはどうするか」
一瞬悩む長恵であったが幸いにも最良の手本があった。師である天草伊豆である。伊豆は兵法家として弟子を取りながら天草の領主としての活動を行っていた。
長恵は伊豆にいろいろと相談した。伊豆も長恵の相談に快く応じる。
「まずは親父殿に代々仕えていた者がいるだろう。その男に相談するのだ」
伊豆の助言を受けて長恵が頼ったのは木野八兵衛である。八兵衛は父の代から丸目家に仕えている男で、当然長恵とも面識があった。
「若かお家を継いでいただいて与三右衛門様もお喜びになっているでしょう」
丸目家の家臣はこのほかに二人しか居ない。その中で最年長なのが八兵衛であった。
長恵は八兵衛にこう言った。
「まず家のことは八兵衛に任せたい。俺はお前から学ぼう」
「それは恐れ多い。ですが全力をもって働かせていただきます」
「そうか。それはいい。とりあえず頼みたいことがある」
「はい。仰せのままに。それで何でしょう」
「ああ。い家の隣に道場を立てたいのだ」
これには八兵衛も絶句した。しかし長恵はやる気である。
「ともかく俺が剣の道を捨てるのも親父殿は喜ばぬはず。こればかりはどうしても譲れない。たのむ」
長恵にこう頼まれては断れない。八兵衛は何とか資金を工面して道場を作った。これで剣の修業もできる。そう考えて満足する長恵であった。
当主となった長恵の新たな生活が始まった。とはいえ基本的に大した領地もない。与三右衛門の時代は家臣達と共に農地を耕して暮らす日々であったという。
長恵もそのことは知っていたし自分もそうなのだろうと考えていた。ところが長恵が当主になって一月も経つと思いもがけぬ事態になる。
その日も八兵衛がその報告にやってきた。
「長恵様。また弟子入りをしたいと申すものが現れました」
「またか。まったく。どうしたものか」
長恵の下にはその武名を知った者たちが弟子入りの志願者がやってきていたのである。これに長恵は困っていた。
「俺はまだ新陰流の印可をもらっていない。そんな俺が新陰流の伝授などしてはいかんだろう」
確かに道場は作ったがそれは自分と家臣の鍛錬の為である。伊豆のように弟子を取ろうとなどとは思っていなかった。なのだがこうして弟子入りを求める人々が次々とやってきているのである。
この現状に困惑しているのは八兵衛も同様であった。
「こうして次々と来られてはどうしようもありませぬ。このうえは弟子にするしかないのでは」
「そんなことをしたら面倒を見なければならない。俺の家でそんなことができないのはお前も知っているだろう」
「それはそうです。こうなればこの際弟子にする代わりに我が家のことや村のことなど仕事をさせてみるのはいかがでしょうか」
「それでうまく行けばいいのだが」
長恵は八兵衛の言ったことを条件として弟子入り志願者に問いかけた。するとおよそ半分以上が辞退したのである。しかし熱心なものは残った。こうなると長恵の考えも変わってくる。
「そこまで熱心ならばそれで良し。こうなれば俺の知る限りのことは教えよう」
長恵は弟子を取ることを決めた。それが自分の修業になるかもしれないと考えたのもあった。ともかく長恵は兵法家として、剣客として新たな一歩を踏み出したことになる。その後の長恵は弟子たちに稽古を付けつつ己の剣を磨き当主としての役割も果たした。そんな生活がしばらく続くことになる。
長恵が家を継いでから四年が経った。時は永禄九年(一五六六)になっている。この前年に長恵の母がこの世を去った。
「あなたの立派な姿を見られて私は誇らしいですよ」
そう言って長恵の母は安らかに眠ったという。
母の喪も開け年も開けたころに長恵はあることを決意する。それを八兵衛だけにひそかに打ち明けた。
「八兵衛。俺は京に行こうと思う。俺の今の剣をお師匠様に見ていただき新陰流の印可をいただきたいと思っている」
今長恵は剣客として気力も力量も十分すぎるほどであった。その力量は肥後だけでなく近隣にも響いている。そういうこともあったので八兵衛は長恵の願いを疑問に思った。
「長恵様の武名は轟いております。わざわざ京に向かい新陰流の印可を得ることもないのではないでしょうか」
「そんなことはない。俺は新陰流の修業を途中で切り上げてきた。それからも修業は積んできて今やその真髄に違づいていると思う。それをお師匠様に見ていただいて認めてもらいたいのだ。それに、相良の殿様との約束もある」
これを言われて八兵衛は黙った。新陰流の免許取得は義陽と約束した仕官の条件である。八兵衛としても相良家への仕官は願ってもないことであった。
「八兵衛頼む。別に前のように数年がかりで京にとどまるつもりはないのだ」
そう言って長恵は八兵衛に頭を下げた。八兵衛としても主君にここまでされれば認めざる負えない。
「承知しました。留守のことはお任せください」
八兵衛の子の返答を聞いて長恵の顔は一気に明るくなった。昔と変わらぬ愛嬌のある子供のような笑顔である。
「(これがあるから長恵様の頼みは断れないのだよなぁ)」
長恵の笑顔を見て内心苦笑する八兵衛。だがいやではないとも同時に思っている。
長恵が京に上るにあたって八兵衛は二つの条件を出した。一つは海路を使うことである。
「海を渡れば早うございます。島屋殿にお願いをした所、快く引き受けていただきました」
「俺の断りもなくか。だが仕方ないか」
正直以前のように陸路を進み諸国を見て回りたかったが、こうも準備されては仕方ない。また京に急ぐというのも悪くはないとも思ったので納得はした。ただしこれに関しては長恵も条件を出す。
「出るのは博多からだ。島屋殿にも久しぶりに会いたいからな」
「それは構いませぬ。長恵様の出立の日時が決まったら連絡をするようにと思っていたので。構いませぬ」
八兵衛はあっさりと了承した。長恵は自分の考えが読まれていたことに何とも言えな気持ちになったが文句は言えない。
長恵が納得したので八兵衛はもう一つの条件を出した。
「一人旅はなりませぬ。供を連れて行ってください」
これには長恵も何も言わずうなずいた。実際で師のうち何人かを連れていくつもりであったからである。長恵は少し考えこんでこう言った。
「寿斎と吉兵衛を連れていく」
寿斎はもともと伊豆の弟子であったが長恵の話を聞き弟子入りした男である。長恵よりも年長の男で剣の修業をしたくて隠居したという変わり者である。吉兵衛は長恵の領地の村の豪農の次男で優れた体格の青年であった。二人とも弟子入りにあたって長恵から丸目の姓を賜っている。
この二人に加えて長恵はもう一人を選んだ。
「九郎も連れていくぞ」
これには八兵衛が驚いた。九郎というのは八兵衛の息子の九郎右衛門のことである。
「九郎は剣の筋もいいが気の利く男だ。ついてきてくれるとありがたい」
九郎は長恵とは同年である。弟子ではあるが気さくな付き合いをしていた。八兵衛もこれもいい機会だと了承する。
こうして長恵の旅の準備は整ったのであった。
弟子たちを連れて長恵は海を渡り無事に堺の港についた。船に乗る前に久々に島屋宗吉と再会している。
「丸目様もご立派になられた。いやはやあの時助力したのは正解でしたな」
そう言って福々しく笑う宗吉の姿はあの時とあまり変わらない。
さて境にたどり着いた一行は直ぐに京に向かった。長恵としては四年ぶりの京である。
「お師匠様や皆は健勝であろうか」
不安と期待を胸に京に入る長恵。そこで見たのは街のあちこちが焼け落ちていて、それの復興に挑む町人たちの姿であった。
「師匠。どうしたことですか? これは」
吉兵衛が不安そうに長恵に尋ねる。道中の船旅で長恵は三人にこう言っていた。
「京の街は平穏でにぎやかだ。八代の城下では見られないような建物がたくさん並んでいる。それを眺めているだけでも満足してしまいそうになるほどだ」
そう言っていたが目の前の景色に平穏はない。長恵の驚いた建物の多くも焼け落ちていた。これには長恵も瞠目する。
「どういうことなのだ。何が起きたのか」
長恵は急いで弟子たちを連れて新陰流の道場に向かう。だが道場も焼け落ちていて人影はなかった。無論信綱や豊五郎たち三人の高弟たちの姿もない。これには長恵も動揺した。
「何故人一人いないのだ。お師匠様や皆はどこに行ったのだ」
あまりにも予想外の光景にうろたえる長恵。すると動揺する長恵に九郎がこう言った。
「件のお話になられていた上流寺のご住職に話を聞いてはいかがでしょう」
九郎の言葉に長恵は冷静さを取り戻した。
「それもそうだ。すぐに向かおう」
長恵は京にいる間は上流寺に泊まろうと考えていた。宗吉を経由して玄静にも連絡し了承をとっている。長恵はひとまず上流寺に向かった。幸い上流寺は変わっていない。そこでこちらも変わらぬ玄静と再会する。玄静はいいかめしい顔を崩して喜んだ。
「お元気そうで何よりです」
「玄静殿もお元気そうで。しかし京の街は何があったのですか」
長恵の質問に玄静は先年に起きた大事件を説明した。
その大事件は永禄八年(一五六五)に起きた。この年幕府の家臣でもある三好家が御所を襲撃し将軍足利義輝を殺害してしまったのである。これには長恵も驚く。
「義輝様がそのような目に。あのような立派な方であったのに」
長恵の脳裏には兵法上覧の場で信綱と自分の実力を認めてくれた義輝の姿が思い浮かんだ。あの聡明そうで立派な人物が家臣によって討たれたとは信じがたい。
「そもそも義輝様はご家臣の三好家と争われていた時期がありました。もっとも長恵殿が居られたときは争いも止んでいたのですが」
三好家は先代の当主の三好長慶が義輝と争っていた。しかし最終的には和睦している。ところがその長慶が亡くなり養子の義継が跡を継ぐと徐々に険悪な関係になっていったらしい。そして将軍を襲撃し討ち取るという大事件になってしまったようだ。
「義輝様がお亡くなりになられた後は次の将軍も決まらず、三好家も内輪で争っているそうです」
玄静はため息交じりに言った。それを聞いて長恵も嘆息する。長恵の住んでいるところでは耳にはいらなかった事件である。もしかしたら相良家は把握していたかもしれない。そこを考えると長恵は今の自分の立場に若干の危機感を覚えるのであった。
長恵は沈思してから玄静に尋ねる。
「お師匠様や新陰流の門弟の方々はどうされたのでしょうか」
「それにつきましてはご安心を。二年ほど前に上泉様は何人かのお弟子を連れて上野に帰られております。此度の争いにも巻き込まれてはおりません」
「そうですか。しかし道場は焼け落ちておりました」
「上泉様がいなくなられてからは道場に通う方も減り、その上このようなことになったので皆道場に通うどころではなくなってしまったようです」
玄静はまたもため息交じりに言う。一方の長恵は何か思案をしていた。それを見て玄静は微笑む。
「何か面白そうな事を考えられましたな」
これに長恵も笑って答えた。
「はい。上野まで届くであろう面白いことです」
長恵が帰国してふたたび京に向かうまでの間に将軍への謀反という大事件が起きています。この永禄の変と呼ばれる大事件は戦国塵芥武将伝でも何度か取り上げています。この事件はゆくゆくは織田信長を畿内に呼び寄せる結果となりそこから天下統一に向かって進んでいきます。そういう意味では日本史でも大きなターニングポイントではあります。ただまあ今回の主人公である長恵にはそれほどかかわりのない話でもありますが。
さて今回の話は新たな話の前章と言った内容です。ここから長恵はさらに波乱万丈の人生を送るのですがそれは後のお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




