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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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丸目長恵 タイ捨流流祖 第八章

 将軍御前の兵法上覧での打太刀を見事勤め上げた長恵。これで長恵の名も知れ渡った。ここからさらに剣の高みを目指そうと考える長恵であったが、ここで思いもよらぬことが起きる。

 兵法上覧の後で新陰流と上泉信綱の名はさらに知れ渡った。そして新陰流の伝授を願うものが殺到し信綱の道場はますます忙しくなった。

「これでは修行もできませんなぁ 」

 そう公重が苦笑するほどのである。一方で道場が忙しくなるにつれて信綱が物思いにふける姿が見られるようになる。長恵はそこが少しばかり心配であった。

「お師匠様は最近物憂げな姿をしておられる。いったいどうしたのか」

 豊五郎に聞いてみると少し思案してこう答えた。

「何となくであるがわかるような気はするな」

「なるほど。それは何ですか」

「いや、拙者とてもうまく言えんのだ。しいて言うならば新陰流の今後のことであろう」

「今後? それはどういう」

「深い意味はない。だが長恵殿も己の剣の行く先を考えてみるのもよいでしょう」

 そう言って豊五郎は稽古に戻っていった。長恵は豊五郎に言われたことを反芻し考えてみる。

「(俺の剣の行く末。一体どういうことだ。わかるようなわからぬような)」

 長恵としても疑問が浮かぶばかりである。だが朧気ながらに今後自分がどう生きていくかということに思い至った。そしてかつて伊豆に言われたことを思い出す。

「幸い見聞は広められた。剣も大分に磨けた。そして新たな兵法、か」

 そう言ってみてから頭を抱えた。

「新陰流の印可もないのに新たな兵法も何もないだろう。結局稽古をするしかない」

 そう言って長恵も稽古に戻る。この先もそうしていくのだろう。そう考えた。だがここで長恵にとって思いもよらぬことが起こる。

 

 その日長恵は出稽古を終えて上流寺に帰ってきた。すると小坊主から手紙が差し出される。差出人は島屋宗吉であった。

「島屋殿からか。いったいなんだろう」

 何か嫌な予感を感じた長恵は自室に戻って手紙を読む。手紙の冒頭には

「急を要する内容でしたので私が詳細を記して京に送る荷物と共に送りました」

と書かれてあった。その内容は実際に急を要するものであった。

 夕食の場に長恵は青い顔をして現れた。そして玄静が尋ねる間もなく話始める。

「親父殿が戦で深手を負ったそうです」

 手紙は宗吉の下に長恵の母からの手紙が届いたということ。そしてその内容は長恵の父の与三右衛門が戦で深手を負ったということ。与三右衛門はこのことを長恵に知らせてはいけないと言っていたが独断で知らせようとしたということ。それに加えて天草伊豆から緊急の連絡の際には島屋宗吉を頼るようにと言われていたということが記されていた。そして最後にはこう記されていた。

「「急いで帰ってきてほしい」とのことです」

 与三右衛門は相当の深手であるという。正直長恵の下に手紙が届くまでに命があるかどうかも分からないほどであった。

「親父殿は俺が京で強くなっていることに相当喜んでいたらしい。だからそのまま修行を続けろと言っていたそうです」

「そうか…… して、どうする」

 玄静の問いに長恵は沈痛そうな表情で答えた。

「国に帰ります」


 翌日長恵は信綱に挨拶に行った。幸い信綱はこの日は特に用事もなく道場にいる。

 長恵から事情を聴いた信綱は無念をにじませていった。

「そうですか…… そういう事情ならば致し方ありません」

「はい。そもそも京に出られたのも親父が送り出してくれたおかげですので。死に目には会えないかもしれませんが葬式ぐらい執り行わないと親不孝になります」

「無念です。君はこれからまだ強くなる。それを見られないのはひたすらに残念です」

 嘘偽りのない言葉であった。長恵は思わず泣きそうになるがぐっとこらえる。

「それでいつ発つのですか」

「準備が済み次第。明日にでも」

「そうですか。豊五郎たちには私から言っておきましょう」

 この時三人の高弟たちは皆遠方に出稽古に出ていて不在であった。そのことについては長恵としても後ろ髪を引かれる思いである。とはいえ父がいつ死ぬかわからないのであれば急がなければならない。苦渋の決断であった。

「お三方にはお世話になりました。そのことを伝えていただけないでしょうか」

「勿論です。皆もさみしがりましょう」

 うっすらと涙を浮かべる信綱。それを見ていよいよ長恵も泣きそうになる。だがそれをぐっとこらえて平伏した。

「入門してからこれまで本当にお世話になりました」

「いえこちらこそ。それにこれが今生の別れになるとは思いませんよ」

「はい。いずれ必ず会いましょう」

 そう言って長恵は部屋を出た。顔を伏せて寂しげな背中である。その背中に信綱が声をかけた。

「新陰流のその先に至ることを期待していますよ」

 長恵は答えなかった。だが顔を上げ胸張り堂々と歩んでいく。それを見て信綱は満足げに微笑むのであった。


 長恵は上流寺に帰ると急いで出立の準備をした。もっとも荷物は多くない。かつて道中で使っていた幟と持参してきた木刀。それに加えてわずかな衣服である。そしてそこに加わるのは新陰流の象徴と言える竹刀であった。入門した時にもらったものはすでに使いつぶしている。それから何度か新たに作り替えた。

 長恵は竹刀を懐かしげに眺めた。ここには道場での思い出がすべて詰まっている。

「そう言えば最初は木刀で挑んで返り討ちにあったのだな」

 それがすべての始まりである。そこから入門し高弟たちとの修業を経て今に至った。

 長恵は思いを断ち切るように竹刀をしまう。気づけば夕食の時間になっていた。長恵は夕食の場で改めて玄静に礼を言う。

「この二年お世話になりました。感謝の言葉しかありません」

「何の。こちらこそ楽しい日々を過ごさせていただいた」

 玄静はいかめしい顔をほころばせていった。その表情から本当に楽しかったのだろうということがわかる。

 長恵は涙をこらえて言った。

「これでお別れということになりますね」

 長恵は故郷に帰って父の跡を継ぐつもりである。そうなれば京に来ることもないだろう。そう思っての言葉であった。すると玄静はこう答えた。

「拙僧はそうは思いませぬ。長恵殿とはまたいずれ会うことになりましょう」

 これに驚く長恵は言葉が出なかった。だが玄静の表情に疑問の色はない。それを不思議に思う長恵であったがともなく和やかにその日の夕食は終わるのであった。


 長恵は堺から船に乗り海路で帰国することにした。船は島屋の物である。瀬戸内海を通り博多を目指すが途中で豊前(現大分県)の港に立ち寄るのだが、そこで長恵はそこで降ろしてもらうことになった。博多よりは八代に近い。

「島屋殿には感謝しつくしても足りないな」

 本来なら博多で直接礼を言いたいところであるがそんな時間的余裕はない。

 幸い道中は天候に恵まれ順調に豊前についた。そこで船を降りた長恵は急いで故郷を目指す。鍛え上げられた長恵の足は山道もものともせず数日で故郷にたどり着いた。

 故郷の村の様子は相変わらずである。村人たちは長恵が帰ってきたことに驚きを隠せないようであった。だが長恵はそれを無視して一目散に実家に入る。

「親父殿。おふくろ。今帰った」

 そこには看病をしている母の姿とすっかり病み衰えた父の姿があった。長恵は急いで父の下に駆け寄る。

「親父殿。今帰ったぞ」

 長恵は与三右衛門の顔を覗き込む。顔は青白く頬もこけ死人のようであった。しかしまだ眼は変わらず力強い。与三右衛門は長恵の顔を見てこう言った。

「馬鹿者が。修業を放り捨てて帰ってくるとは」

 この言い草に苦笑する長恵。そんな長恵を見て与三右衛門は力なく微笑んだ。

「強くなったようだ。だがその先を見れぬのが無念であるなぁ」

「そんなことを言うなよ親父殿。まだ生きてくれ」

 泣きそうな長恵の懇願に寂しげな笑みを浮かべる与三右衛門であった。

 この数日後、丸目与三右衛門はこの世を去った。葬儀は母の手助けを受けて長恵が取り仕切る。村の人々が次々に弔問に訪れたのは与三右衛門の人徳であおる。長恵はそれがうれしかった。


 与三右衛門の葬儀の数日後、長恵に来客があった。

「久しいな長恵よ」

 現れたのは天草伊豆である。これには長恵も驚いた。

「お、お師匠!? ど、どうしたのですか」

「いや、お前の親父殿が亡くなったと聞いてな。手を合わせに来た」

 伊豆は連れてきた数人の高弟と共に与三右衛門の位牌に手を合わせる。伊豆は与三右衛門より高齢であるがまだまだ矍鑠としていた。長恵はそこが心配であったので元気な姿を見て一安心する。そしてまずは謝った。

「京にいる間は手紙も出せず申し訳ありません」

「そうだな。道中では大したことのないものばかりだとか言っている手紙がよく来たのにのう。京では鼻をへし折られたようだな」

「はい。まったくもってその通りです」

 長恵は頭をかいた。京への道中では試合に勝つたびにそれを誇る手紙を両親や伊豆の下に出していたのである。だが信綱に敗れ新陰流に入門した後は邪間の後ろめたさもあり伊豆への手紙は出せなかったのだ。

 もっとも伊豆は長恵が新陰流に入門したことを知っていた。

「儂もいろいろなつてがある。島屋がそれを知って儂に知らせてくれたのだよ」

「いやぁ。さすが島屋殿」

 島屋の情報力に舌を巻く長恵であった。

 さて話もそこそこに伊豆はこう切り出した。

「おぬしが京で学んだ新陰流の技を見せてほしい」

「それは勿論かまいません」

 長恵も伊豆の申しでを快く受け入れた。長恵とは高弟たちが立ち会うことになる。長恵の知っている顔もあったが知らない顔もあった。

「それではまいる」

 長恵は竹刀を正眼に構える。それを高弟の一人が訝しげに見た。長恵の知らない男である。

「そんなもので打ち合うのか」

「ああ、そうだ。それが新陰流だ」

 そうまっすぐに答えた長恵が腹立たしかったのか、その男は木刀構えて猛然と襲ってきた。だが長恵はそれを悠然と迎撃し木刀を叩き落す。それに続いてほかの高弟たちも長恵に挑んだが皆あっさりと敗北した。すると今度は伊豆が木刀を構える。長恵は止めようとするがその目を見てやめた。伊豆の目は本気の目である。

 両者は向かい合う。先に動いたのは長恵であった。長恵の激しい攻めを伊豆は柳が風邪を受けるように悠然といなす。すると一瞬長恵が退いた。

そこをすかさず攻める伊豆であったが、その瞬間に気づく。

「(誘いおったか)」

 それは長恵が巧妙に作った隙であった。長恵は伊豆の打ち込みに合わせて打ち込む。伊豆はむしろ思い切って懐に飛び込んだ。両者は竹刀と木刀を振りぬき交差する。交差の瞬間鋭い音が響いた。すると伊豆は肩をさすりながら膝をつく。長恵はゆっくりと息を吐いて伊豆に手を差し伸べた。

「大丈夫ですか? 」

「問題ない。いや、だが見事だ。本当に見事だ」

 伊豆は子供の用に喜んでいた。長恵の成長がうれしかったのであろう。長恵も伊豆に一礼し改めて礼を言う。

「ここまで強くなれたのは先ずお師匠の教えがあったからです」

「そうかもしれん。だが強くなったのはお前の才だ」

 改めて長恵を称賛する伊豆であった。


 長恵が新陰流を習得し天草伊豆を打ち破ったことはあっという間に相良家の領内に広まった。これを知ったのが相良家の現当主の相良義陽である。義陽の幼名は万満丸。長恵の初陣の活躍に喜び丸目の姓を与えた人物であった。あの時は十代の幼子であった義陽も立派に元服し今や青年である。

「七年前の戦の折に活躍した者が何やら京で兵法を学んできたと聞く。せっかくであるから私も見てみたい」

 そういうわけで長恵は義陽の前で新陰流を披露することになった。披露と言っても上覧の時とは違い相良家の家臣達と試合をする形式である。

 長恵に立ちふさがるのは剣だけでなく槍など様々な武術に優れた者たちであった。無論、全員屈強の者である。だが長恵は何も恐れることはない。

「お師匠様に比べれば何も恐ろしくはない。お三方にも遠く及ばない方々ばかりだ」

 飄々とも不遜ともいえる態度で長恵は試合に臨んだ。これに相良家家臣たちは怒りながら襲い掛かるも皆返り討ちにあう。結局長恵は汗一つかくこともなく全勝した。

 これに大興奮したのが誰であろう相良義陽である。

「まったく見事なものだ。どうだ。私のそばに仕えぬか。禄もはずもう」

 興奮しながら言う若き大名。だがこれを長恵は拒否した。

「拙者はまだまだ未熟者。新陰流の印可もいただいてはおりませぬ。もしこの後に新陰流の印可を授かることがあればそのお誘いをお受けします」

「そうか。それならば仕方あるまい。だが印可を得たのちは必ずや我が家臣になるのだぞ」

「承知しました」

 長恵は恭しくうなずいた。だがこの約束が後に思いもよらぬことを引き起こすことになるとはまだ誰も知らない。


 実は長恵が故郷に戻った時期ははっきりとしていません。兵法上覧より数年後に帰国したというのもあればそれより前に帰国していたのではないかと思われる記述もあります。今回は後者を参考にしました。そこはよろしくお願いします。

 さて今回の話で万満丸こと相良義陽が登場しました。肥後の戦国大名であり相良家自体かなり古くから続く家でもあります。果たしてこの後長恵にどうかかわるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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