丸目長恵 タイ捨流流祖 第六章
己の未熟さを思い知った長恵は新陰流に入門することを決意する。その願いは思いのほかたやすくかなえられ長恵の新たな修業が始まった。
ある日信綱は長恵を呼び出した。信綱に呼び出された長恵は屋敷の一室に向かう。
「いったい何の御用なのだろう。別に何か仕出かしたわけではないのだが」
長恵が部屋に入ってみるとそこには信綱のほかに三人の男がいた。一人は疋田豊五郎である。ほかの二人は初めて見る人物であった。
一人は小柄で手足が細い。信綱も体格は良くないがそれ以下である。顔立ちは険しく頑固そうであった。長恵が入る前から瞑目して口を横一文字に結んでいる。
もう一人は信綱と同じくらいの身長であるがやや横に広い太めの体格である。こちらは細い目でにこにことしていて福々しさを感じさせる顔立ちであった。島屋宗吉を思い起こさせた。
「長恵。そこに座りなさい」
そう言われて長恵は下座に座った。長恵が座るのを見ると信綱は再び口を開く。
「豊五郎はともかくこの二人はお前に紹介していなかったな。二人とも私の高弟だ」
そう言って信綱はまずは小柄な方を指す。
「彼は神後宗治。かつて私と共に長野家に仕えていた。私のもっとも古い門人でもある」
信綱に初会されて宗治は口を開いて一言だけ言った。
「神後宗治だ」
そう言ったっきり再び口を結んでしまう。これにはさすがの長恵も面食らう。するとその様子を見ていた太めの男が口を開いた。
「宗治殿。いささか愛想がなさすぎるのでは? 」
「剣客に愛想などいらん」
「いやいや。剣客にはいらぬかもしれぬが宗治殿には少し愛想が必要ですぞ」
豊五郎がそういうと太めの男は吹き出してしまった。それを見て宗治はため息を吐く。そしてまた口を引き結んでしまった。
そんなやり取りに長恵が困惑していると信綱が太めの男を指した。
「彼は奥山公重。三河(現愛知県)の生まれだ」
長恵に紹介された公重は福々しい笑顔で長恵に話しかけた。
「改めて奥山国重です。丸目長恵殿ですね。いやなに。お師匠様や疋田殿から相当腕の立つ方が門下になられたと聞きましてね。これからどうぞよろしくお願いします」
そう言って頭を下げた。兄弟子のこの態度に長恵も驚き慌てて頭を下げる。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
最後に信綱は豊五郎を指した。
「もうすでに知っているだろうが改めて紹介しておこう。疋田豊五郎だ。豊五郎は私の甥でもある」
「改めて…… 疋田豊五郎にござる。これからも良しなに」
そう言って豊五郎は微笑んで見せた。厳ついひげ面だが相変わらず何とも言えない愛嬌がある。
三人を紹介した信綱は長恵に言った。
「この三人は新陰流の高弟でもある。これよりはこの三人より新陰流の教授を受けるのだ」
「ははっ。承知しました」
長恵は勢い良くうなずいた。こうして長恵は新たなる修業の段階に進んだのである。
三人の高弟を紹介されてから長恵の生活は変わった。今までは上流寺と道場を行き来する生活である。だが三人を紹介された日に長恵は信綱からこう言われた。
「これよりは三人の誰かが稽古に出向く時は必ず同行しなさい」
「そ、それは。俺のような新参者が同行してかまわないのですか」
「構いません。ただ同じ日に二人出稽古に向かうときは己の足りないものを考えてどちらかを選びなさい」
「承知しました! 」
こうして長恵は高弟たちの出稽古に同行することになる。また道場では高弟のうち誰かが稽古をつけてくれることになった。
三人の高弟たちの剣術はそれぞれ違った色があった。まず疋田豊五郎はその長恵にと同等の素晴らしい体格を生かした攻めが特徴である。一方で長恵とは違うところもあった。長恵はどちらかというと自分から先に激しく攻めかかる型である。対して豊五郎はこれとは正反対であった。
この日も豊五郎と立ち会った長恵はその堂々とした落ち着きぶりに攻めあぐねる。豊五郎は堂々と構え攻めを防ぎながら強烈な一太刀を浴びせてくる。長恵もそれがわかっているから攻めずに待っている。
「うううう」
長恵の口からうなり声が漏れた。表情には焦りの色が浮かぶ。こうなるともう駄目である。
「た、たあ! 」
「それは悪しゅうござるな」
そう言って豊五郎は長恵の攻めをいなして強烈な面を叩き込む。この展開は何度も繰り返していた。面を打たれた以上に何度も同じことを繰り返しているという事実に気落ちする長恵。そんな長恵に豊五郎は言った。
「長恵殿は拙者の剣術を真似することはありませぬ。ただ己の得意の型にいかに相手を誘い込むか。それが肝要」
「己の得意な型に誘い込む。ですか」
別の日、長恵は豊五郎の出稽古に同行した。そこで豊五郎は何人かと立ち会ったがすべてに勝利している。しかしその成り行きはそれぞれ違う。ある相手には泰然自若に待ち構えて攻めかかったときに打ち据える。ある相手にはあえて己から動き動揺を誘い、攻めかかってきたときに返り討ちにする。と言った風であった。
これらの立ち合いを見て長恵はおぼろげながらに豊五郎の言うことを理解し始めた。
「己の得意の型を極めそれに持ち込む。確かにそれができれば誰にでも勝てそうだ。もっともそれが難しい」
そう理解した長恵は己の型を極めるべくさらに激しい稽古に臨むのであった。
長恵と豊五郎は体格こそ似ているが得意とする戦い方は違う。逆に体格はまるで違うが戦い方が似ている男がいた。神後宗治である。
宗治は小柄で細身である。だが宗治が行水しているのをたまたま見た長恵は驚嘆した。宗治の体はまるで鉄条を編んだようなすさまじい肉体であったからである。
「あれほどの体を作り上げるのにどれほどの鍛錬を行ったのか」
長恵は驚嘆するばかりである。
さて長恵と宗治は道場で立ち会うこともしばしばある。その立ち合いは新陰流の門弟たちが皆おびえるほどの激しいものであった。
「ええい、応! 」
そう言って長恵が恵まれた体格から激しい攻めをすれば
「ふん! 」
と宗治は小柄な体を躍動させて同様に激しく攻める。その素早さや手数の多さはまるで嵐であり、長恵は何度もその攻めに屈していた。
この日も道場の床が抜けるかと思うほどの激しい立ち合いの末に長恵は敗れた。両者は一礼し長恵は宗治に礼を言う。
「今日も稽古をありがとうございました」
だが宗治は何も言わず立ち去ってしまう。その日は出稽古があるので準備に言ったのであろう。長恵は同行すると盛であったのですぐに追いかけようとする。すると立ち合いを見学していいた門弟たちの会話が耳に入った。
「神後殿の腕前はすさまじい。しかしあの不愛想は何とかならぬのか」
「まったくだ。ほかのお二方は気さくなのに。なぜああも不愛想なのだ」
二人の言っている通り宗治は無口で不愛想である。従ってほかの門弟たちから畏怖されてはいるが慕われているとはいいがたいものがあった。
だが長恵はその宗治の不愛想にそこまで悪い感情を抱かなかった。
「(宗治殿がああなのはきっと剣術に精魂を傾けているからなのだろう)」
一方の宗治は長恵をどう思っているかわからない。自分の気持ちを口に出したり態度で出したりしない男であるから当然である。だがこの日は一つだけ違った。
この日出稽古先で長恵は立ち合い破れてしまった。理由は相手の剣術が巧妙で長恵の攻めをうまく崩されてしまったからである。うまいように防がれた結果長恵は己の攻めに自信を無くしてしまいそこを突かれてしまったのだ。
出稽古の帰り道を長恵は気落ちしながら歩いていた。長恵の前をすたすたと歩いていく。やがて分かれ道になり上流寺に帰る長恵はここで別れることになった。
「それでは失礼します」
普段なら宗治は一礼して無言で立ち去る。だがこの時は違った。一礼するとおもむろに口を開いたのである。
「今日の負けは己の剣に疑いを持ったからだ」
「は、はい。その通りです」
「何があろうと己の剣は疑うな。さすればお前は誰よりも強くなる」
そう言って宗治は去っていった。一瞬唖然とする長恵。しかし宗治の言葉を飲み込むと自然と元気が湧いてきた。さっきまで来落としていた長恵は宗治の言葉を胸に同道と帰り路を歩くのであった。
上泉信綱の高弟の三人は道場での指導もしている。その中で一番人気があるのは奥山公重であった。公重は温厚なうえに気さくで物腰も柔らかい。指導をする際にも押しつけがましい言い方をするのではなく
「今の打ち込みは素晴らしい。ここをこうすればさらに良くなりましょう」
とか
「いやはやたいそうお強くなった。ここの動きを変えればより一層強くなりましょう」
といった感じで指導している。そのため門弟たちの間での公重の人気は大変なものであった。
「奥山殿は教え上手だ。俺も指導を受けて強くなれたと思う」
「物腰も柔らかいしな。こちらの気持ちも考えておられるのだろうよ」
といった感じである。しかし長恵は公重が苦手であった。その理由は
「(人柄がいいのは分かる。しかしどうも奥山殿の目は苦手なのだがなぁ。立ち合いの時の相手を見る目。あれがどうも不気味でならぬ)」
というものである。
公重は立あの時はまず相手をよく観察する。長恵はその時のこちらを見定める目が不気味に感じることが多かった。長恵も立ち合いの際にはよく観察されるがその時の居心地の悪さに耐えられず動いてしまい返り討ちにあってしまう。
また別の面でも苦手なところがあった。
「(奥山殿の攻めはこちらのいやなところばかりを突いてくる。あれも苦手だ)」
公重の攻めは相手の弱点をうまくついて勝利をもぎ取るというものであった。正直正面からの打ち合いを好む長恵はこれが好きではない。
「あの剣法は俺にはできん」
立ち会うたびにそう感じていたので長恵は公重を避け、できるだけ出稽古にも同行しないようにしていた。もっともそれを公重も気づいていたが気にしていないようである。
さてその日は出稽古に行くのが公重だけであった。長恵は迷ったが、信綱の言いつけもあるので同行する。道中公重はいろいろと長恵に話しかけたが長恵は気のない返事をしたり適当に相槌を打ったりしていた。これには公重も苦笑するしかない。
こうして二人は出稽古先の武家屋敷に到着し公重は熱心に指導をしていた。長恵もそれを手伝っていたがある一人の侍が公重にこう言う。
「先ほどから生ぬるい教授ばかり。新陰流というのはそのような軟弱な流派なのですかな」
侍は嘲笑をしているようだった。こうした手合いはたまにいる。そうしたものが現れると豊五郎や宗治は立ち合っていた。
「(奥山殿はどうなされるか)」
長恵は公重がどうするか気になったので黙ってみている。温厚な公重なら立ち合いをうまく避けるかもと思ったのだ。ところが公重はあっさりとこう言った。
「立ち合いましょう」
こうして両者は立ち合うことになった。だがここで長恵は思いもがけぬものもを見る。二人の立ち合いは思いのほか長引いて最終的に公重が勝った。侍は満足したようだったが、その内容が長恵には気に入らない。
「(幾度か圧倒する機会はあったというのに。それをなぜわざわざ長引かせたのだ)」
長恵の見たところ立ち合いは本来公重の圧勝で終りそうであった。だが公重はわざと長引かせて苦戦を演じたのである。
公重の考えていることが長恵にはわからなかった。そのため思い切って公重に尋ねる。
「何故立ち合いを長引かせたのですか? 」
すると公重はこう答えた。
「貴殿の見立ての通りすぐに勝つことはできた。だがそれではあの御仁は納得しなかったであろう。そうなればあの御仁が引き下がるまで立ち会わねばならぬよ。それをしてはあの家の面子にもかかわる。それではかえって新陰流のこの先に支障が出よう。そこでああしたわけだ」
「それであの男は納得したのでしょうか」
「したさ。だからこそ満足げに引き下がったのさ」
そう言って公重は福々しい笑顔を見せた。
「相手をよく見てこちらの動きを変える。さすれば相手の動きも操れよう。これは剣術にも取り入れられる。貴殿も分かっているだろう? 」
長恵は公重との立ち合いを思い出した。確かに公重の言っている通りである。
「相手を見るというのは万事に通じる兵法。貴殿はそこが少しばかり不得手の様だ。そこは精進したまえ」
そう言われて長恵は渋い顔となった。それを見て公重はますます笑う。それを見て長恵はこう思った。
「(そう思うのならそう思えばいい。俺も同じようなことができるようになってみせる)」
そう内心で誓う長恵。もっともその考えも公重にはお見通しであったのだが。
三人の高弟との日々は長恵にとって大きな財産となった。根が素直な長恵は三人の教えを素直に実践し飲み込んでいく。
「己の得意の型に持ち込む。己の剣を疑わない。相手をよく見る。この三つだ。これを会得できれば俺はもっと強くなれる」
長恵は道場の稽古や出稽古先で三つの教えを積極的に実践していった。それは着実に血肉となっていく。
日々成長していく長恵の姿に信綱は満足げであった。
「やはり素晴らしい才覚の持ち主であったか。さて長恵はいかなる剣を作り上げるのか」
まだ二十手前の若き剣客の将来をうれしそうに見守る信綱であった。
今回は信綱の三人の高弟が登場しました。三人の性格、剣術のスタイルはそれぞれ創作です。正直こうした描写はこれまであまりやっていなかったのでなかなかに楽しい経験ですね。
さて信綱の下で高弟と共に修業に励む長恵。次の話ではいかなる展開を迎えるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




