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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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丸目長恵 タイ捨流流祖 第四章

 京にたどり着いた長恵は上泉信綱の存在を知った。信綱の道場を訪ねた長恵はあっさりと試合が実現することとなる。長恵はこの後に待ち受ける運命を知る由もない。

 豊五郎に導かれて長恵は道場に入った。そこには数人の信綱の門弟と思われる男たちが各自稽古をしている。豊五郎が入ってくるとみな一礼したがすぐに稽古に戻った。

 長恵は稽古している男たちが木刀を使っていないことに気づく。

「(なんだあれは。刀を模した、しかし木刀ではない)」

 門弟たちが使っているのは袋竹刀というもので後の世に使われる竹刀の原型となったものである。信綱が考案したものであり木刀を使っての稽古での事故を防ぐために作られたものであった。むろんそれを長恵が知る由もない。

「(あんな軽そうなもので打ち合って稽古になるのか)」

 むしろそんな疑念を抱くくらいである。そしてその疑念は信綱や新陰流を侮ることにつながる。

「(こんな稽古をさせているのなら上泉とやらも大したことないな)」

 そう考えて道場の奥の見所を見やる。そこで豊五郎が見所に座る男に何やら話しかけていた。男は瞑目して豊五郎の話を聞いている。長恵は気づいた。

「(あれがそうか)」

 長恵は男に向かって歩き出す。門弟たちは見慣れない不敵な笑みをした男の姿に驚き稽古の手を止めた。そして見所の男、上泉信綱はすっと立ち上がると長恵に向かって歩き出す。両者は道場の中央部で相対した。身長も体格もそれほどのものではないように見える。しかしそれは長恵や豊五郎と比べて小さく見えるだけで当時の平均より少し大きいくらいである。顔立ちは素朴で穏やかな目つきをしている。口元にはひげがあってそれが若干の威厳を出していた。そしてたたずむ姿に一切隙はない。

 長恵は一礼して名乗る。

「丸目長恵と申す。九州の、天草伊豆様の下で兵法を学びました」

「そうですか。拙者は上泉信綱と申す」

 そう言って信綱はぺこりと頭を下げた。だがその姿に卑しさとかはない。ただ当たり前のことを自然にやっているだけ、という感じである。そしてこの動きにすら隙はない。

 長恵は不敵な笑みを浮かべていった。

「上泉殿。一手御指南を承りたい」


 長恵は不敵な笑みを浮かべてそう言った。正直不遜で非礼な態度である。この長恵の態度に門弟たちの表情が険しいものになった。中には長恵を睨みつけているものも居る。

 最もそんなことを長恵は気にしない。長恵が気にしているのは信綱がどう出るのかということである。

「(俺の態度に怒るか。これで怒るようだったら大した男ではないな)」

 そんなことを考えている長恵に対して信綱は気さくに言った。

「ええ、かまいません。よい修行になるでしょう」

 穏やかな声色であった。あまりの穏やかさに長恵が若干動じてしまうほどである。ついでにあっさりと立ち合いを了承されたことにも内心驚いた。正直あきれるほどである。

 信綱はそそくさと自分の竹刀を取りに行った。豊五郎は長恵に話しかける。

「まさかこんな簡単に立ち会えるとは思っていなかったようですな」

「それは当然のことだ。ふつうは弟子の誰かが出るものだろう」

「まあそれもそうですが。それにしても拙者がさっき言ったことを信じてもらえなかったのは少しばかり酷いですなぁ」

 冗談めかして豊五郎は言う。豊五郎も長恵の態度を気にしていないようだった。これから師が立ち会うというのにかなり落ち着いている。長恵にはそれが若干気に障った。

「(俺が勝てると思っていないのだな。ならば見ていろ)」

 そんなことを考える長恵に豊五郎は竹刀を差し出した。

「貴殿にはこれがちょうどいい大きさでしょう」

 これに対して長恵は眉間にしわを寄せて答える。

「無用です。俺にはこれがあります」

 そう言って木刀を指した。豊五郎は納得したのかあっさりと袋竹刀を取り下げる。それがまた長恵の気に障った。

「馬鹿にして…… 」

 怒りのあまりそんなことが口から出る長恵。そして正面を睨みつける。そこには袋竹刀を携えた信綱がいた。

「では始めましょうか」

「ああ」

 気さくに言う信綱に怒気を込めた声でかえす長恵。二人を固唾をのんで見守る門弟たち。 

 長恵は怒りを込めるようにゆっくりと木刀を正眼に構える。信綱もそれにこたえるように正眼に構えた。

 両者の準備が整ったところで豊五郎は静かに言った。

「では。はじめ」

 こうして二人の立ち合いが始まった。これは長恵にとって忘れられぬものとなる。


 立ち合いが始まるや長恵は一気に距離を詰めた。上段からの一太刀で一気に決めようと考えたからである。これは長恵の一番自信のある手であった。

「(体格は俺の方がいい。ともかく先手で攻めて流れをこちらのものにするのだ)」

 今の長恵をそのまま表したかのような力も勢いもある一撃である。並の剣豪では防ぐこともできず一太刀で倒されてしまうだろう。

 しかし今、長恵の目の前にいるのは並の剣客ではない。

 信綱は猛然と向かってくる長恵に対して動かなかった。いや、長恵には動かなかったように見えたのである。長恵の目には木刀を振り下ろす瞬間まで信綱はそこにいたはずであった。だが必殺の一太刀が決まると思った瞬間、胴を強かに打たれた痛みを感じる。そして木刀を振り下ろしきった時に目の前に信綱はいなかった。信綱は長恵の背後にいる。長恵の横を通り抜けるように胴を打ったのであった。

「(打たれた? 胴を? )」

 長恵がそれを認識した時、初めて胴に激しい痛みを感じた。並の者なら悶絶しかねない痛みであるがそれをこらえられたのは長恵もひとかどの者であったということだろう。

「それまで」

 豊五郎の声が聞こえた。だが長恵の頭は豊五郎の言葉の意味を理解するのを拒む。正直何が起きたのかわからない。ゆえにそれを認めるわけにはいかなかった。


 木刀を振り下ろした状態で立ち尽くす長恵。信綱の門弟たちは師の見事な手腕に感嘆のため息を漏らす。皆師匠の見事な勝利に浮足立ちそうなのを必死でこらえていた。

 長恵はまだ沈黙している。まだ敗北を受け入れられない。そんな長恵に豊五郎が声をかけた。

「三本勝負でしたな」

「そ、その通り。さあ、もう一度だ! 」

 渡りに船と言える豊五郎の言葉に勇躍する長恵。無論三本勝負などという取り決めなどしていない。要するに豊五郎の気遣いである。

 これは信綱も了承済みのことのようであった。

「ではもう一本」

「ああ。もう油断はしない」

 悠然と構える信綱。これに対し焦燥の色の濃い長恵。困惑の体の門弟たちが見守る中で二本目が始まった。

 

 二本目が始まると長恵は前と同じく上段に構えた。だが一揆に飛び込もうとなどとは思わず慎重に間合いを取る。

「(さっきは迂闊なことをしてしまった。今度は慎重に相手をよく見るのだ)」

 そう考える長恵。さっきの立ち合いでは正直信綱がどう動いたのかもわからなかった。気づいたときにはすでに胴を打たれていたという有様である。

「(さっきは油断したのだ。きっとそうだ)」

 内心でそう考えてしまうほど何もわからなかったのである。相手の力量がこちらの利顔が及ばぬほど上だということは考えなかった、というか考えたくなかった。そうだと認めてしまうと今まで積み上げてきたものがすべて崩れ去るような気がしたからである。

「(動きをよく見るんだ。よく見て隙をつく)」

 そう考えるが信綱のたたずまいには一切の隙は無かった。信綱も上段に構えたまま動かない。ただその怜悧な瞳で長恵を見つめている。透き通るような目で長恵は内心まで見抜かれているような錯覚に陥った。

 まだ立ち合ってからわずかな時間しか経っていない。しかし長恵はとてつもなく長い時間信綱とにらみ合っているように思えた。そうなると長恵の胸に焦りが芽生える。

「(このままにらみ合っていてもどうしようもない。いっそ一気に間合いを詰めてしまうべきでは)」

 そう考える長恵。その瞬間であった。

「なっ! 」

 長恵が気づいたときには信綱が籠手を打たんとしているときであった。長恵は回避しようと後方に飛び下がろうとする。しかし遅かった。竹刀で長恵の小手をたたく快音が道場に響き、長恵の木刀が打ち上げられる。

 後方にとんだ長恵の手には愛用の木刀はなくただ自分の眼前で落ちてくる木刀を眺めるしかない。呆然とする長恵の目の前で木刀が落ちてきた。道場の床板に木刀がぶつかり道場に乾いた音が響き渡る。

「それまで」

 豊五郎の冷静な声が響く。この瞬間に長恵は二度目の敗北をする。だが長恵はまだそれを認められなかった。頭の中では様々な感情が混ぜ合わさってしまい動けない。ただ床に落ちている愛用の木刀を睨みつけることしかできなかった。


 信綱の二連勝で道場内の緊張感は一気に無くなった。信綱の弟子たちは口々に師を称賛する。

「いやあ、さすが先生。見事な胴と籠手でした」

「左様。それに一切動じた姿を見せなかった。悠々と打ち据えて、まったく見事なものです」

 一方で信綱は静かに長恵の方を見据えていた。そんな信綱に豊五郎は気さくに話しかける。

「いかがでしたか? 」

「うむ。確かに豊五郎の言う通りであったな」

 信綱はどこか満足げである。豊五郎も同様であった。二人はまだ打ちひしがれている長恵に声をかけようとする。すると門弟がこんなことを言ってしまう。

「九州の伊豆何某とかいうものに兵法を習ったと言っていたな。所詮田舎侍に通じる兵法ということだろう」

「まったく。真の兵法との違いを思い知ったことだろう。このものはいったい何を学んで来たというのだ」

 この二人の言葉は信綱と豊五郎の耳に入った。豊五郎は二人をたしなめようとする。だがそれより前に長恵が動いた。長恵は木刀を拾い猛然と信綱に突撃したのである。

 信綱に向かう長恵の表情に怒りはない。ただ焦燥があった。

「(このままではお師匠の名に傷がついてしまう。それだけはいかん! )」

 長恵は猛然と信綱に向かっていく。豊五郎はこれを止めようとするが、信綱はそれを制した。豊五郎は信綱の意図を察して動きを止める。一方信綱は向かってくる長恵の懐に飛び込んだ。

「うおおお! 」

 長恵は気にせず信綱を弾き飛ばそうとする。体格で勝る長恵にはそれが可能であった。しかし信綱は弾き飛ばされない。むしろ長恵の体がぐらつく。そして信綱は長恵の体を捕らえるとそのまま床に投げ落とした。これには門弟たちも驚く。二人の体格差は違うし何より師匠の投げなど見たこともなかったからである。

「ぐ、うううう…… 」

 床に強くたたきつけられた長恵はそのまま意識を失ってしまった。信綱は長恵の体を担ぎ上げるとそのまま道場から出ていく。そしてその足で道場と隣接している自分の屋敷に歩いていった。門弟たちはその様子を呆然と見つめている。豊五郎だけが床に落ちている竹刀や木刀を拾っていた。


 信綱は屋敷の居間に布団を敷いて長恵をそこに寝かせた。そして枕元に座り長恵の顔を覗き込む。

「これが本当の顔か」

 先ほどまでの焦燥にあふれた顔とはまるで違う、憑き物の取れたかのようなあどけない穏やかな顔であった。

 信綱は満足げにうなずく。

「あの有様からこの顔に戻れるのならばたいしたものだ。いい親から生まれ、よき師に恵まれたようだな」

 そう言って信綱はさっきの試合を思い出す。一本目は長恵に慢心があった。ゆえにたやすく勝てた。だが二本目は違う。傍から見れば圧勝であったが、信綱にしてみればそれほどのものではない。

「(彼はあの時籠手を打つのに合わせて後方に飛ぼうとした。少し遅かったが、あそこであの反応ができるのは只者ではない。二本目には慢心もおごりもない。あの時の彼には豊五郎でも苦しい戦いを強いられるだろうな)」

 信綱の内心が示すもの。それはつまり大半の信綱の門弟が長恵に勝てないと言っているようなものであった。

「(豊五郎もそれをわかって私に立ち合いを求めたのだろうな。あの食わせ者が)」

 苦笑する信綱。豊五郎も自信がなかったわけではないだろう。だが腕の立つものを信綱に任せて圧勝してもらうことで新陰流の強さを知らしめようと考えたに違いない。

「ああ見えてそうしたことに気が回るからな」

 一人そんなことをつぶやく信綱。

「まあ、三本目のことは豊五郎も反省しているだろう」

 三本目は信綱も考えてはいなかった。おそらく二本目の段階で長恵は力の差を理解しているはずである。それがあのようなことになったのは自分の弟子たちが埒外なことを言ったからであった。信綱から見て長恵はいい修行を積んでいるし、修業を付けた人物の力量も相当なものだとわかる。それを門弟たちが理解しなかったのは信綱としても痛恨ごとであった。また豊五郎も自分が信綱に任せたのがあの事態の一因だと理解しているはずである。もっとも信綱としてみればそこも含めて自分の不徳であると感じている。

「私もまだまだ修行が足りぬな」

 自嘲気味に言う信綱。それから再び長恵の顔を覗き込む。長恵はすやすやと寝息を立てていた。しばらく起きそうにない。信綱は苦笑してその場を去った。

 こうして長恵は上泉信綱に完敗した。そしてここから長恵の新たな修行が始まる。


 上泉信綱の弟子に柳生宗厳という人物がいます。宗厳は有名な柳生十兵衛の祖父にあたる人物で、信綱に弟子入りして新陰流を習得しました。宗厳は信綱と立ち合いはできず豊五郎と試合をして敗れて弟子入りしたというともいわれていますが、信綱と試合をして敗れて弟子入りしたという伝承もあります。その宗厳もこの時点ではまだ信綱の弟子ではありませんがゆくゆくは登場する予定なのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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