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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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森可成 侍の矜持 前編

 美濃の武将、森可成の物語。今の主君は自分が仕えるに値する者なのか。そんな疑問を抱いて生きる可成に転機が訪れる。

 士は己を知る者のために死す。これが侍の矜持だと可成は教えられて育った。


 森可成。幼いころは満や与三と呼ばれていたが成人してからは三左衛門尉と名乗った。親しいものなどからは三左とも呼ばれている。そんな可成は美濃の森家の嫡男であった。

 森家は代々美濃の地に根を張る歴史の古い武士の家である。と言っても歴史あるがそこまで大きい家ではない。そういうわけでこちらも代々美濃の地に根を張る土岐氏に仕えていた。その土岐氏だが可成が成人する頃には家督争いとか家臣団の内紛とかで弱体化している。さらには家の実権は家臣の斎藤氏が握っていた。

 そんな土岐家が森家の倅に目を向けることなどない。可成も自分が見向きもされていないことを感じていた。

「このまま土岐氏に仕えていてもどうしようもないな」

 子供のころから人一倍勇猛果敢だった可成には土岐の殿様はひ弱に見えた。こんな主君のために死ぬのはごめんだと内心思っている。そもそも自分を見ない主君に仕えていてもどうしようもない。そんな考えで過ごしていると、とんでもないことが起こった。なんと土岐の殿様が家臣の斎藤道三に美濃を追い出されてしまったのである。

「追い出されるのも情けないが追い出すのはどうなんだ」

 身近で起きたこの大きな事件を可成はただただ眺めるしかなかった。もっともそれを悔しいとか悲しいと思うことはなかった。それだけ土岐氏との縁が薄かったわけである。

 頼りない主君は嫌だが不義理な主君はもっと嫌だ。可成の心にあったのはそういう気持である。とは言え父に養われる身では好き勝手出来るわけでもない。

 幼いころから教え込まれたように命を賭けられる主君に仕えたい。だが身近にそんな主君はいない。どうにもならない状況で可成は漫然と生きていた。


 気付けば可成は三十一歳になっていた。いい年である。その上、妻も娶り子もいるのだがまだ家督は譲られていない。この現状の可成に父ある可行は何も言わなかった。それは息子を信じているからなのか違うのかはわからない。ともかく可成は今だ宙ぶらりんのままである。そんな可成に転機が訪れた。

 少し前に道三は隠居して息子の義龍に家督を譲った。ところが道三と義龍の中はあまりよろしくない。家中の皆はまたひと騒動起きるのかと気をもんでいる。もっとも可成にしてみればいつも変わらぬ首のすげ替え程度の認識であった。

 そんな時、可成は可行に呼び出された。なぜか真夜中に、である。

「やはり叱られるのか? 」

 幼いころから厳しく可成を鍛え上げた可行であった。そんな可行が今の可成をどう思っているのかはわからない。怒っている可能性も十分にある。大人になっても可成がそう思うのは仕方のないことではある。

 夜の森家の屋敷。闇に包まれ明かりのない屋敷を可成は歩く。勝手知ったる自分の屋敷のなのだから別に明かりは必要ない。かえって明かりをつけては妻や幼い息子の迷惑になる。そういう考えもあった。

 やがて可成は可行の部屋に到着する。可能な限り静かに、だが中に聞こえるように声をかけた。

「三左です」

「入れ」

 静かな、だが威厳のある声で可行は答えた。可成はゆっくりと部屋に入る。

 部屋の中には小さな明かりがついているだけで薄暗い。そして部屋の中央に可行が鎮座している。いかにも歴戦の将といった風貌である。座っているだけなのに威圧感があった。

 可成は威圧感など感じていないかのように素早く可行の前に平伏した。

「お呼びでしょうか」

「堅苦しいのはいい」

「左様ですか」

 可成は顔をあげた。その可成の前に可行が書状を投げてよこす。

「それを読んでみろ」

 可行に言われ書状に目を通す可成。薄暗い部屋の中で音のない時間が過ぎる。

 やがて可成は書状を置き、可行をじっと見た。その顔にはどこか困惑が浮かんでいる。対する可行は口を堅く結んで黙り込んでいた。

 逡巡の後、可成が尋ねる。

「これは本当ですか? 」

「ああ、そうだ」

 書状に書かれていたのは尾張の織田家からの仕官の誘いであった。織田家と言えば斎藤家とは幾度となく矛を交えた間柄である。もっとも今は一応婚姻関係が成り立って表立っては敵対していない。だが道三はともかく義龍は織田家を嫌っているらしいというのは可成も知っていた。

 そんなところからの仕官の誘いであった。要は斎藤家を裏切れという事である。もっとも戦国の世にそんなことはよくあることであるし、自分に利がある方につけばいいだけの話だ。

 だが可行は悩んでいる。その理由は可成にもよくわかった。

 可行は土岐家に誠心誠意尽くしてきた。それゆえに土岐家を追い出した斎藤家を快く思っていない。だから裏切るのにはそこまで抵抗は無かろう。だが前まで敵だった者どもにつくのはい義理堅い可行には抵抗があるのだろう。しかも森家の領地は織田家と斎藤家の境界に位置している。先の展開を考えれば慎重に考えるのも仕方ない。

「どうするか」

 可行は思い余った様子で口を開いた。さすがにこの決断は一人ではしかねるという事なのだろう。だが重苦しい雰囲気の可行に対し可成はあっけらかんと言った。

「行きましょう」

「…… 本気か」

「本気でなきゃあこんなことは言いませんよ。それにこれ以上ここにいても上のゴタゴタに巻き込まれ続けるだけでしょう。そんな中で生きるのを侍の道だとは教えられませんでしたから」

 そんなふうに言い放つ可成。可行は驚いたようだったがすぐに呑み込んだ。

「……尾張に行くか」

「そうしましょう」

 真夜中の親子の会話はそんなやり取りで終わった。


 あっさりと織田家への帰順を決めた可成。だが実際のところは不安もある。もっともそれは元々敵であったということや、主家が変わることへのものではない。可成が、いや彼の家族も含め全員が不安に思っていたのは織田家の現当主信長の事だった。

 織田家の先代、織田信秀は尾張の虎と言われた男である。戦においては勇猛果敢に戦い、政においては領地を栄えさせた。そんな男の息子が信長である。だがこの信長の評判はというといまいちわからない。

 ある人はうつけ者と評し、ある人は傑物だと評価する。こんな両極端の評価を持っている人物なのだ。可成も可行もいろいろ手を尽くして信長の実態を探ろうとしたのだが隣国の事なので限界があった。ゆえに可行も悩み可成に尋ねてみたのである。

 しかし、可成は決断した。もちろん可行の悩みも理解した上である。それでも決断したのは正直なところ今の主家に嫌気がさしているのが大きなところだった。だがそれだけではない。

 可成は噂だけではうかがい知れない織田信長という男に興味があった。両極端なうわさが放つ得体の知れなさに惹かれたのである。

「いったいどのような男なのだろうなぁ」

 不思議と可成は気楽だった。根拠はないがいいことが起こりそうな気がしている。

 しばらくして可成たち尾張の那古野に入った。そこで可成は信長を、一生を預けることになる主君を知ることになる。


 尾張、那古野城。このころの信長の居城である。そこで森親子は信長と対面を果たしていた。と言っても森親子は上座の信長に対して平伏している。面を上げよ、とは言われていないので二人はまだ信長の顔を見ていない。

 平伏しながら可行は震えていた。

「(な、何なのだ)」

 体が震える理由は可行にはわからない。ただ名状しがたい何かが体を押さえつけているように感じる。そしてその何かを発しているのは信長なのだということがなぜか分かった。

「面を上げよ」

 上座に座る信長は厳かに告げた。声色は優しげなのだが、名状しがたい力を感じる。

 信長に言われ可行は体を起こそうとする。だが、体は縄で縛られたかのように動かない。

「(ええい。情けない)」

 おのれの不甲斐なさに情けなくなる可行。今まで幾度となく死地を潜り抜けてきた。それなのにこの体たらくである。自分がこのありさまなら息子はどうなのだ。可行はふとそう思った。

「(三左は大丈夫か…… )」

 可行は平伏しながら自分の左斜め後ろの可成に目をやった。そして驚く。可成はすでに体を起こしてまっすぐに信長を見ていた。一瞬呆然とする可行だが、あわててすぐに体を起こす。もう体は自由に動かせた。

 可成はまっすぐに信長を見つめる。それに対し信長は無言で表情も変えず可成と可行を見下ろしている。まだ20代の若さであるがすでに風格を備えていた。それに可成は心の中で驚いている。

「(これが尾張半国の主なのか?! とてもそうは見えない。このお方はもっと大きな国を治める人だ)」

 それが理屈ではなく感覚で理解できた。不思議と全身に力がみなぎってくるようだった。

 可成の胸中の驚きは喜びの驚きだった。そして自分の選択が間違いではなかったことに思わず口角があがる。そんな可成のわずかな変化に信長が気付いた。

「なぜ笑う」

 信長は淡々とした声で可成に問いかけた。可成はさらに笑う。

「おのれの命をささげても悔いはない主君に会えたのがうれしいのです」

「そうか」

「そして、ここに来ることを選んだ己にも感嘆しております」

「ほう」

 信長は相変わらず表情が変わらない。ゆえに可成の発言に怒っているのかどうかわからなかった。

 そんな信長を前に可成は獰猛な笑みを見せた。そして胸を張って堂々と声をあげる。

「これよりはこの命、殿にお預けします。殿の行く手を遮る敵は某が打ち払って見せましょう」

 可成はそう言い切ると再び平伏した。それまで信長と可成のやり取りを聞いていた可行は呆然としている。

 しばらくの沈黙の後、信長が口を開いた。

「励め」

 そう可成に告げると信長は立ち上がる。それを見た可行はあわてて平伏した。

 信長はゆっくりとその場から立ち去ろうとする。だが途中で足を止めると可成の方を見た。そして笑顔を見せる。

「期待しているぞ。森可成」

 そう言い残し信長は部屋を出ていった。可行は体を起こし呆然と信長の去っていった方を見ていた。一方の可成は平伏したまま感動で打ち震えている。


 信長との謁見が終わり可成と可行は屋敷に帰った。この屋敷は那古野に来ると同時に信長から渡されたものである。この手際の良さに森家一同驚くとともに感激したものだった。

 謁見は無事に終わり領地も安堵してもらった。そういうわけでその日の夕食は明るい雰囲気で終わった。

 その夜、可成は可行に呼び出されていた。

「(昼間のことで叱られるのか? )」

 正直昼間の発言は非礼ともとれる発言である。可成自身はあそこでああ言ったことに後悔はないし、信長も気にしている様子はなかった。だが可成としては「父上に心配をかけてしまったか……? 」と思わないでもなかった。

「(とりあえず行こうか)」

 可成は引っ越してきたばかりの屋敷を慎重に歩く。例のごとく明かりはつけていない。幸い月が明るく見渡しもいいのですぐに可行の部屋についた。そして例のごとく静かに声をかける。

「三左です」

「……入れ」

 中から聞こえた声はどこかか細かった。可成は首をかしげながら部屋に入る。

例によって薄暗い部屋に可行は座っている。しかし心なしか元気がなさそうである。急に老け込んだ感じのする父に可成は戸惑った。

「三左よ」

 急に声をかけられどうしようかと考えていた可成はびっくりした。よくよくその声も元気がない。いよいよ父親の体調が心配になった可成は尋ねてみることにした。

「父上、どこか具合が悪いのですか」

 可行は答えない。ただ襖の間から空の月を見ている。

 しばらく親子の間を沈黙がつつんだ。そしておもむろに可行が口を開く。

「三佐」

「はい」

「儂はお前に家督を譲ろうと思う」

「は? 」

 あまりにも突然の申し出だった。これまでとても元気でそんなことは一度も言いださなかった父だった。もっともそのおかげで今まで自由にできたのだから文句はないのだが。

「父上、何をいきなり…… 」

 さすがに可成は真意を訪ねた。すると可行はどこか悲しげに言葉を続ける。

「今日、殿を眼前にして儂は震えて動けなかった。これまでどんな戦場でも臆病風に吹かれたことのない儂がだ」

「はい」

「儂は今まで自分が老いぼれているなどとは思わなんだ。だが実際にはこの通り老いぼれておる」

「そんなことは。父上はお元気ですよ」

「茶化すな。ともかく今の儂にはかつての覇気はない。だがお前は信長様に怯えず堂々としていた」

 可行は可成を見る。その眼にはわずかに涙が浮かんでいる。

「本当にお前は大きくなった。これならば森家の家督も任せられるほどに」

「父上…… 」

「これよりはお前の好きにするが良い。儂は静かに余生を送ろう」

 少し寂しげに言う可行。可成は可行の思いを受け取り、表情を引き締めた。

「分かりました父上。これより先は私にお任せください」

「うむ。ああ、それと最後に一つ言っておく」

「はい」

「士は己を知る者のために死す。これを忘れることなく生きていくのだぞ」

「はい。かしこまりました」

 可成は力強くうなずいた。そして恭しく礼をすると部屋から出ていく。部屋を出ていく可成の背中を可行は嬉しそうに、だがどこかさみしげに眺めていた。



 まずは可成が信長に仕えるまで。ここまでは前振りのようなものです。

 さて森可成ですが比較的知っている人もいるんじゃないかという人です。とは言えメジャーかと言われるとそうじゃない。そういう人物です。

 可成はこの後どうなるのか。調べればわかることですがそこは気にせずご期待ください。

 最後に。誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では。

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