丸目長恵 タイ捨流流祖 第三章
立花家主催の試合で見事な勝利をした長恵。そこでついた自信を胸に長恵はいよいよ九州から本州にわたる。目指すは京の都。長恵にいったいどんな運命が待ち受けるのか。
立花家主催の試合の数日後、長恵は船に乗ることができた。
「こうして海を渡れるのも島屋さんのおかげです。ありがとう」
「いえいえ。私たちも伊豆様にたいそうお世話になっていますので。その伊豆様からのお頼みならば精いっぱい答えなければなりませぬ」
「そうですか。やはりお師匠は素晴らしい方だ。俺もこの旅で少しでも追いつかなければ」
宗吉の言葉に改めて決意を強くする長恵。そんな長恵に宗吉は書状を二つ渡した。
「こちらには京への道中にいる知り合いの名と居場所が記されています。もう一つは私から丸目様をよろしくということが記されています。旅のお役に立てると思うのでどうぞ」
「それは…… ありがたい。本当に何から何までありがとうございます」
長恵は深く頭を下げた。その心中では師への途方もない感謝の念が湧き出ている。
「(島屋さんがここまでよくしてくれたのはお師匠のおかげ。この恩義をかえすにはお師匠に追いつくだけでなく越えるような男にならなければ。そしてそれは島屋さんへの恩返しにもなるはず)」
そう考えた長恵は改めて宗吉に礼を言う。
「本当に、本当にありがとう」
「何の。先のありそうな方に金を惜しむのは商人ではありません。丸目様が考えていらっしゃる通りに大きくなられたときに我らの名を出していただければ元が取れるのですよ」
長恵はびっくりした。自分の心中があてられたからである。そんな驚く長恵も見て宗吉はますます福々しい笑顔を見せるのであった。
長恵は博多から長門(現山口県西部)の下関に渡った。ここから改めて長恵の旅が始まる。
「目指すは京都。だが、道々で腕試しをしていくのも悪くはないな」
このころの長門は大友家と敵対している毛利家の支配下にある。毛利家は中国地方で随一の勢力でありその領内は比較的安定していた。従って毛利家の領内を抜けるまでは長恵が参陣できるような戦はない。かといってつてもないので博多の時のように試合に出るということも難しかった。そこで長恵はとんでもないことを思いつく。
長恵は周りの町人に頼み長さの布を手に入れ筆と墨を借りる。そして落ちていた棒切れを組み合わせて幟を作った。さらにそこそこの大きさの板も譲り受けて看板。幟にはこう書かれている。
『兵法家 丸目長恵』
看板にはこう書いた。
『我は兵法修行の者。我と戦い勝った者には銭一貫差し上げる。ただし我が勝った時は銭三〇文いただく』
長恵は幟と看板を持って街の一番人通りの多いところに立った。町人たちは最初何事かと驚いたがすぐになれたのか無視していく。長恵は何も言わずただ立っていた。するとそこにこぎれいな格好をした侍が二人近づいて来る。どこかの領主か大名に仕えている侍らしい。
侍たちは看板を見てから長恵を見やる。そして冷笑を浮かべた。
「こんな小僧がたいそうなことをしているな」
「まったくだ。銭をめぐんでほしいのならほかにやりようがあるだろう」
そんな事言う侍たち。すると長恵は懐から銭一貫の一部を取り出して見せた。
「銭ならある。出なければこんなことをせぬ。そんなことも分からんのか」
完全に馬鹿にした口調である。これには侍たちも怒った。
「馬鹿にしおって。いいだろう小僧。身の程を教えてやる」
「負けたら三〇文だぞ。それでいいか」
「ああ! 構わん! 」
侍の一人は抜刀し長恵にいきなり切りかかった。長恵はそれに動ぜずゆっくりと侍に向かって歩き出す。そしてすれ違いざまに侍は刀を振り下ろす。しかし長恵は侍が刀を振りおろうそうとするや一気に距離を詰めて腰に差した木刀を抜き打った。そしてそのまま向こう側へ抜ける。胴に猛烈な一撃を食らった侍はその場に倒れて悶絶した。
長恵は悶絶する侍は放っておいて無事な侍にこう言った。
「あんたはどうする」
長恵の技に愕然としていた侍は顔を真っ青にして悶絶している侍に駆け寄る。そして抱き起すとそのまま去ってしまった。その様子を見て長恵は愉快そうに笑っていた。しかしそこであることに気づく。
「しまった。三〇文損した」
長恵は下関から山陽地方を進み京に向かう。道々の街で下関の時と同様に幟と看板を用意して挑戦者を待った。幸いと言うべきかどの町でも若い長恵を侮ったのか挑戦者は後を絶たない。長恵はそれらをすべて返り討ちにした。おかげで路銀に困ることもなく父母からもらった銭には手を付けずに済む。毛利家領内から脱した後は戦が起きているところもあったがそれにも巻き込まれずに無事であった。
こうした状況の中で長恵はこんなことを考えていた。
「いざ肥後から出てみてもお師匠より強いものなどいない。皆俺に手も足も出ないではないか。これでは武者修行にはならん」
確かにこれまでの挑戦者たちは皆長恵に負けた。だがそれは結局偶然のことで凄腕の者に長恵が出くわさなかっただけである。また実際のところはそれなりの腕のものも居たが、伊豆に鍛えられ道中で実践を積んだ長恵にはかなわなかっただけである。だが今の長恵はそんなことが考え付かない。
「結局大したものはいない。お師匠の兵法がどれだけ優れていたか。そして免許皆伝となった俺が強すぎるだけなのだな」
こんなことを考えていた。要するに調子にのっていたのである。
ともかく長恵は順調に京にたどり着く。ここで長恵は運命の出会いをするのだが、同時に非常に苦い思いもすることとなる。
永禄二年(一五五九)長恵はついに京にたどり着いた。
「これが京の都。いやこれは驚いた。博多より人が多い」
当時の京は政治の中心地と言える。戦乱の影響で若干の戦火にさらされていたりもするが人も多くにぎわっていた。
「しかし博多とは違うな。なんというか落ち着きがある」
貿易の中心地であった博多と比べると人々や建物の雰囲気が違う。博多は賑やかな雰囲気であったが京はどこか落ち着きがある。その上で活気があった。
長恵はひとまず京の街を見て回る。多くの人々でごった返しているが長恵のような旅姿の者はいない。これまでの旅の汚れもあったのか正直みすぼらしくも見えた。時々長恵を見て笑う人もいる。
尤も長恵はそんなことを気にしない。見聞を広めるという目的があったので周りの目を気にせず京の街を見て回った。もっとも京は大きいのでその日で回り切れるわけはない。長恵はひとまず宗吉に紹介してもらった寺を訪ねることにした。京は寺も多いので探すのは一苦労である。なんとか日が暮れる前に探し当てて住職を訪ねた。
「島屋さんの知り合いならいいでしょう。京にいる間はこの寺に逗留しなさい」
寺の名は上流寺。住職は玄静という名である。僧にしては驚くほど体格がよいのだが妙に愛嬌のある顔立ちをしている。ある意味長恵と似ていた。
「ご住職は立派な体をしておりますなぁ」
「何の。狭い寺には無用の物でございますよ」
そう言って朗らかに笑う玄静。長恵も同じように朗らかに笑うのであった。こうして二人はあっさりと打ち解ける。夕餉の全も共にしたそして夕餉の場で玄静は長恵にこんなことを伝える。
「一年ほど前に上泉信綱殿という方が兵法、剣術の道場を開きましてな」
「ほう。そんな道場があるのですか」
「ええ。新陰流という流派らしく公方様もお認めになられるほどの腕前だそうです。道場を開いたのも公方様に頼まれてとか。丸目殿も一度様子を見てまいられたらいかがですか」
玄静は呑気に言った。あくまで勉強をしに行ってみたらいかがとかそう言う程度の発言である。しかし長恵は全く違う受け取り方をした。
「(その上泉とかいう男を倒せば俺の腕前は京に広まるだろう。いや、公方様に認められるほどのものを倒せば俺の名は天下に鳴り響く。玄静様の言う通り試合を申し込んでみるか)」
長恵は道場やぶりを強いて来いと言っているように受け取った。もっとも博多にいたころまでの長恵だったら玄静の言葉通りに受け取っていたはずである。今の長恵は調子に乗っていた。
「なるほど。では明日うかがってみます」
「ああ、それがいい」
呑気者の玄静は長恵があくまで修業のために行くと思っている。ゆえに長恵の浮かべる獰猛な笑みに気づかなかった。
上泉信綱は上野(現群馬県)の出でかつては秀綱と名乗っていた。もともとは関東管領に仕える長野家の家臣である。だが長野家は甲斐(現山梨県)の武田信玄に滅ぼされてしまった。信玄は秀綱の腕を高く評価し仕官を求めるも秀綱はこれを断り剣術修行の旅に出たという。この際秀綱は信玄から一字授かり名を信綱と改めた。そして門弟共に新陰流の修業と相伝の旅に出てやがては将軍足利義輝に認められるようになったという。
現在信綱は畿内で随一の剣客と呼ばれている。それだけでなく天下無双と評するものも居るそうだ。
「天下無双か。果たして本当かどうか試してやろう」
長恵は愛用の木刀を携えて意気揚々と信綱の道場に向かった。場所は玄静に教えてもらっている。
「人が増えてきたな。侍も多い」
道場が近づくにつれて町人より侍の方が多くなっていった。なかなかに屈強なものが多い。歩く姿も隙が無く腕が経つのであろうと感じられる。
「(こいつらは例の道場に通っているのか。なるほどはったりじゃあなさそうだ。少なくとも今までの連中とは違うのだろうな)」
長恵もそれくらいのことは感じ取れる。だが心の内では
「(この連中より俺の方が強い。ならこいつらの師匠はどれほどのものか。俺と互角かどうか。なんにせよ恐れるものではないだろう)」
なんてことを考えている。
やがて長恵は道場にたどり着いた。立派な門構えの道場である。門の前に立った長恵はそこでどうしたものかと考えた。
「さてどうしたら立ち合いができるのか」
さすがの長恵もいきなり道場に入って試合を求めようなどということは考えない。とはいえ何と言えば道場主である信綱と試合ができるのかもわからなかった。
門の前で長恵がどうしたものかと思案していると大柄な男が近づいてきた。ひげ面で厳つい顔の大男である。大男は顔に似合わぬ気さくさで長恵に話しかけてきた。
「貴殿も新陰流の稽古に来たのかな? ならば遠慮は無用。入られよ」
「いや、そうじゃない」
「なるほど。ならば腕試しか」
大男は不敵な笑みを浮かべた。その大男は大柄な長恵より若干身長が大きい。長恵は少しばかり大男を見上げてこう言った。
「いかにも。それはともかく貴殿は誰だ」
悪びれもせずに言う長恵。だが大男は気にせず長恵の問いに答えた。
「ああそうだな。名を名乗らぬのは無礼であった。すまぬ。拙者は疋田豊五郎と申す。新陰流の兵法を学ばさせてもらっている」
そう言いながら豊五郎は長恵を見下ろす。その目は油断のないもので長恵の力を計っているようだった。一方の長恵も豊五郎を見てその実力を感じ取る。
「(これは相当な腕前だ。おそらく上泉の高弟の、いちばん上の奴だろう。まずこの男を倒せば上泉も俺と立ち会わなければならないはずだ)」
長恵の想像通り豊五郎は信綱の高弟であり腕前も相当なものである。もっとも長恵は負けるとも毛頭思っていなかったが。
ともかく長恵はいい機会だとまず豊五郎と試合をしようと考えた。ところが豊五郎は長恵の思いがけぬことを言い出す。
「貴殿もいい師に恵まれたようだ。相当の腕前だろう」
「それは…… もちろん」
「ふむ。その腕ならばお師匠と立ち会うのが手っ取り早い」
思わず伊豆を褒められて喜んだ長恵であったが、そのあとに出た言葉にあっけにとられる。まさかあっさりと当初の目的が果たされそうだからだ。
「(俺に臆したのか? だがまあいい。確かに手っ取り早い)」
驚く長恵だがこれはこれで良しと考えて豊五郎についていく。こうして長恵は上泉信綱と試合をすることになった。それは長恵にとって苦い思い出となるとともに人生を変える出会いとなる。
今更なんですし分かっていられる方が大半だと思いますが上流寺も玄静和尚も架空の人物です。悪しからず。ついでに道中での修行の様子も創作なのでそこもよろしくお願いします。
そう言うわけで創作の部分が多い話ですが、話の大まかなところは史実に基づいているはずです。はず、としたのは理由があって本編内で出てきた上泉信綱の来歴にある長野家の滅亡ですが、実は長恵が京に上った時より後とされている出来事です。ところが長恵に関わる情報をまとめるとあの年代に信綱は在京していたことになっています。ここら辺については詳しく調べられなかったのですが、今回は長恵の話ということで長恵サイドの情報を採用させてもらいました。その点はご容赦を。
さて長恵はいよいよ上泉信綱と試合をすることになります。いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




