丸目長恵 タイ捨流流祖 第二章
九州一の兵法家と名高い天草伊豆に弟子入りした長恵。伊豆の下で長恵は順調に成長していった。だが修業日々にも終わりが来る。そこから長恵の新たな物語が始まるのである。
長恵が天草伊豆の下で修業を始めて二年が経った。この時の長恵はまだ十代であったが剣客としても兵法家としてもひとかどの物となっており、伊豆の門弟の中でも敵う者はもはやいなくなっていた。
そんな長恵だがある日伊豆に呼び出された。大事な話があるという。
「いったい何の話だろう。何もしでかしてはいないはずなんだが」
叱られるのかもしれないという不安を抱え長恵は伊豆の下に向かった。伊豆は屋敷の縁側に腰かけて庭を眺めている。
「丸目長恵参りました」
「おお来たか。まあ、そこに座れ」
長恵は促されて伊豆の横に座る。伊豆は何も言わなかったので一緒に庭を眺めていた。少しの間二人は無言で庭を眺める。すると伊豆が口を開いた。
「正直悔しいな。いや、残念というべきか。どちらにせよ庭を眺めていると儂の器の限界を思い知らされるよ」
唐突にこんなことを言い出した。長恵はびっくりする。
「そんなことはありませんよ。師匠は九州一の兵法家と呼ばれているわけですから」
「それも周りの者が言っているだけだ。儂の名などせいぜい肥後とその周りぐらいで知られているぐらいだ」
それでもすごいことだ。長恵はそう言おうとしたが、伊豆の言葉にさえぎられる。その伊豆の言葉は長恵を驚かせるものであった。
「儂の器がこの庭ならお前は天草の地、いや肥後だと言ってもよい。ゆえにこれ以上は儂が教えられることはない」
そう言うや懐から書状を取り出す。それは印可状であった。つまり長恵は伊豆の兵法の免許皆伝を受けたということである。
予想外の事態に絶句する長恵。そんな長恵に伊豆はこう言った。
「お前は肥後で収まるには大きすぎる。これよりは見聞を広め己を磨き、新たな兵法を作るがいい」
反論を許さぬ断定的な言い方である。しかし声には慈愛がこもっていた。長恵は平伏し印可状を抱くとその場を静かに去る。伊豆はそれを見送らず庭ではなく空を眺めていた。
伊豆から印可状を授かった長恵。しかしこの後どうすればいいのかということは全く考えてはいない。
「免許皆伝になった以上は師匠の下にいるのもおかしい。とりあえず親父殿やおふくろ様にこのことを伝えるか」
長恵は伊豆に弟子入りしてから実家に帰っていない。それだけ伊豆の下での修業が楽しかったということなのだが、さすがに何度か母から心配する手紙が来ている。
「とりあえずひとかどの兵法家にはなれたのだ。胸を張って帰れる」
ひとまず両親のもとに顔を出すことを決めた長恵は兄弟弟子に見送られ故郷への途に就いた。伊豆は見送りに来ていない。
「(あれがお師匠様なりの見送りだったのだろう)」
長恵はまた天草に行くつもりであったから気にしてはいない。何より大きな土産をもらったのだから十分である。
それから一週間ほどで長恵は故郷にたどり着いた両親は突如として帰ってきた息子に驚きを隠せない。そんな両親に長恵は胸を張ってこう言った。
「お師匠より印可状をいただいた。免許皆伝だそうだ」
そう言って懐から印可状を取り出す。両親はそれを受け取らず微笑んだ。
「大きくなりましたね。立派になりました」
「そうだな。二年前とはまるで違う。よい修業を積んだのだな」
そう言って息子をねぎらう。長恵は両親の温かい言葉に思わず涙ぐむのであった。
無事に故郷に帰れた長恵。だが困ったことにやることがない。
「まだ私も耄碌しておらん。さりとて戦が起こる気配もない。今ここでお前ができることなどないはずだ」
与三右衛門からもそう言われてしまった。もともと天草伊豆の弟子になったのも与三右衛門に言われたからである。父の言葉は長恵にとっての大きな指針であった。それがないのだから小々困っている。
「親父殿よ。俺もゆくゆくは家を継ぐのだろう? ならば親父殿についていろいろ学んだ方がよさそうなものだが」
「お前が私と同じ道を歩めるとは思わん。ゆえに伊豆殿の下に預けたのだ。伊豆殿はお前に印可状を渡すとき何も言わなかったのか? 」
そう言われて長恵は伊豆の言葉を思い出した。
「お師匠は「お前の器は肥後で収まるには大きすぎる」と言われた。あと「見聞を広めろ」とも」
「なるほど確かにそうだ。ならばやることは決まっているだろう」
与三右衛門にそう言われて長恵は少し考えこむ。そして何かいいことを思いついたのか明るい顔になった。
「そうか。お師匠は武者修行をして来いと言ったのか。なるほどそうか。しかしあの言いようでは肥後を旅してもいかんということだろうし」
長恵は再び悩みだした。そんな息子に与三右衛門はこんなことを言い出す。
「どうせやるならば思い切った方がいい」
「なるほど。ならばどうするんだ親父殿」
尋ねる息子に与三右衛門はこう言った。
「京に行け。王城の地ならばお前も学ぶことがたくさんあるだろう」
「それもそうだ。さすがは親父殿だ」
こうしてあっさりと長恵の京行きは決まった。
肥後から京は遠い。しかも交通の発達した現代と比べて手段は大分限られる。基本的には徒歩で船も使わなければならない。肥後からは船が出ているわけではないから豊前(現福岡県東部)か豊後(現大分県)から船に乗ることになる。豊後からの船であれば瀬戸内海を通り港のある堺あたりにつく。ここからからなら京にも近い。
「しかしそれでは大分金がかかる。俺には無理だ」
長恵は早々と瀬戸内海を進むことをあきらめた。もっとも金があってもその選択をするつもりなどない。
「親父殿も師匠も俺に見聞を広めろと言ったのだ。ならば京に向かう道中でいろいろなものを見聞きした方がいいに決まっている。船の上で過ごしていたら意味がない」
そこは長恵も分かっている。結局肥後から北上し、豊前から本州に上陸して山陽地方を進んでいくことにした。
長恵は旅の準備を始める。差し当たって必要なのは銭である。だが長恵自身が貯めていた銭などない。
「まあ道々で銭を稼ぐ方法をもあるだろう」
戦国の世は大きな戦だけでなく小さな小競り合いもある。それらに参加して活躍すればそれなりの銭は稼げた。そして長恵の腕があれば小さな戦いで大活躍することなどたやすい。なにより
「腕試しにもなってちょうどいい」
ということであった。
とはいえ旅立つ時点で手持ちの銭がないのは非常に困る。というわけで長恵は与三右衛門に相談した。
「旅に出ようと思うが銭がない。どうすればいいか」
息子にそう言われた父親は何も言わずに布袋を差し出した。長恵がそれを受け取るとその重さに驚く。
「旅の費えにしろ。お前のために貯めておいた」
長恵は驚いた自分の家にこんな貯えがあるとは思っていなかったのである。ふと見れば長恵の母も微笑んでいた。こうなるともはやいうことは一つである。
「親父殿。おふくろ。ありがとう」
長恵は床に伏して両親に感謝するのであった。
いよいよ旅立ちの時である。長恵は両親に見送られて故郷を後にした。
「お師匠の下に行った時よりさらに大きくなって帰ってくる」
そんな強い決意を胸に長恵は歩を進める。その足取りは力強い。まだまだ若い長恵が確実に未来へと歩を進める力強い足取りであった。
長恵のひとまずの目的地は筑前(現福岡県西部)の博多である。博多は九州随一の貿易港であり九州で最も栄えている街と言っても過言ではない。
「お師匠のお知り合いがいて船を出してくれるらしい。まずはそれからだ」
鍛え上げられた長恵の健脚をもってすればそれほど日をかけなくても博多にたどり着く。そしてたどり着いてみて長恵は驚いた。
「これはすごい。こんなに人が多いのは見たこともない。建物も俺の知らん形のものがたくさんある」
当時の博多は日明貿易や日朝貿易の拠点としての役割も果たしていた。周辺の大大名が貿易から出る富を求めて博多の確保に力を尽くすほどである。
興奮冷めやらぬ長恵は博多の街をくまなく歩いた。そこには自分の知らない世界が広がっていている。
「ここにきて本当によかった。肥後に籠っていては知らぬことばかり。出てきて正解であったな」
大喜びする長恵。だがここでもともとの目的を思い出す。
「俺の目的地はここじゃない。船に乗せてもらえるように頼まないと」
長恵は急いで伊豆の知人である島屋宗吉を訪ねた。島屋は中ぐらいの大きさの店であるが腕のいい船乗りを揃えているとのことである。
「これは驚いた。伊豆様の高弟と言われていましたがこんなお若い方とは。しかしながらなかなか良い顔をしておりますなぁ」
恰幅もよく福々しい風貌をした宗吉は邪気なく言った。長恵もそれが感じられたので特に気にせず素直に頭を下げる。
「京に行くには島屋さんの力を借りなければいけません。どうぞよろしく」
そう言って頭を下げる長恵の姿を宗吉はますます気に入った。
「丸目さんは力ばかりの人ではなさそうですな。よいよい。船のことはお任せください」
「本当ですか。ありがとうございます」
長恵は素直に喜んだ。これを見て宗吉は確信する。
「(見た目だけのでくの坊ではない。素直に相手の懐に入れるのは良いこと。腕は分からないがなるほど伊豆様に気に入られることはある)」
まだあどけなさの残る風貌の長恵見てそんなことを考える宗吉であった。
船の準備が整うまで長恵は島屋に滞在することになった。その間長恵はやることがなかったので宗吉に相談する。
「どこかで俺の腕を試せるような場所はないでしょうか。見聞を広めることが目的とは言え師匠に習った剣術や兵法を試してみたい」
「そうですか。でしたら大友家の立花様が腕の立つ剣客を集めて試合をするとおっしゃっております。その試合に出られるように取り計らいます」
そう言うや宗吉はその場を去り次の日には言ったとおりに立花家の試合に出られるようになった。これには長恵も驚く。
「島屋さんは大したお方だ。武家のことにも通じているらしい」
島屋の計らいで立花家の主催の試合に出られるようになった長恵。立花家は九州の大大名の大友家の重臣である。当代は立花道雪。雷神とも称される名称でこの時は中国地方の毛利家と壮絶な戦いを繰り広げていた。今回その戦いの間を縫ってこうした試合を催したのは毛利家との戦いに備えて腕の立つものを揃えておきたいという目的もある。
試合の場には長恵を含め腕自慢の剣客や兵法家が十人ほど集まった。この中で長恵は一番体格があるが一番若い。それゆえか剣客たちや立花家臣達からどこか侮るような視線が長恵に注がれている。もっともそれを気にする長恵ではない。むしろそうした視線でやる気になった。
「(俺を侮りたければそれでいい。お師匠に学んだことを存分に見せてやる)」
そして試合が始まった。二人一組で試合をしていく。長恵は最後の試合である。
立ち会った相手はいかめしい表情視したいかにも剣客と言った男である。その男は長恵と向き合うやあざ笑ってこう言った。
「小僧。怪我をしないように気を付けろよ」
長恵はそれに答えない。自信満々の笑みを浮かべている。むしろこれで剣客の男の方が怒りに表情を引きつらせるほどであった。
やがて試合が始まる。すると始まるや否や長恵は猛然と打ちかかった。別に不意を討とうというわけではない。相手を侮っていなかったので全力で先手を打ちに行っただけである。これに対して相手の剣客は驚きつつも冷静に対応しようとした。だができない。なぜなら長恵の打ち込みが激烈で早すぎたのである。
「な! ぐぁっ! 」
剣客の防御はまるで間に合わず長恵の木刀の一撃を肩に食らい悶絶して倒れた。
あまりに早い決着に審判も立花家家臣も参加者たちも呆然とする。長恵も剣客が起き上がってくるかもしれないと構えを解かないでいた。剣客はまだ悶絶している。
「それまでだ」
そこに静かで威厳のある声が響いた。声の主は立花道雪その人である。道雪の声に皆は気を取り直して家臣は剣客の介抱に向かった。長恵はゆっくりと構えを解いて剣客と道雪に一礼した。これに道雪は静かに声をかける。
「若くしてその強さ。いったい誰に兵法を習った」
「はい。天草伊豆様に兵法を学び印可もいただきました」
この発言にその場がどよめく。「さすがだ」といった声や「あの若さでとはなんという男だ」とかそういう声がする。これが耳に入り思わず長恵は得意な顔になった。
一方道雪は動じていない。変わらず静かだが威厳のある声で言う。
「その若さでその腕ならばますます強くなるだろう」
「さようですか! ありがとうございます」
「だが心もまだ若いな。そこはまだ修練が必要だろう」
「は、はい。ゆえにこれから見聞を広める旅に出ようと思います」
「それは良し。これよりも鍛錬に励むといい。世の広さを知れば其方もまた変わるだろう」
そう言って道雪はその場を去った。こうして長恵の初試合は終わったのである。後日長恵の耳に自分以外の勝者が立花家に召し抱えられたたということを知った。長恵は声をかけられてもいない。
「これはさすがに失礼なのでは」
不機嫌になる長恵。宗吉はこういって長恵をなだめる。
「立花様も長恵様がこの場に収まる男ではないということをわかっておいでなのですよ」
「そ、そうか。それならば良し」
長恵の機嫌は一転してよくなった。これを見て宗吉は少しばかり呆れかえる。
「(長恵様はいささか単純すぎるし心が若くもある。だから立花様は召し抱えなかったのでしょうなぁ)」
得意げな長恵の横で宗吉はそんなことを考えていた。ともかくこの一件で長恵の名は少しだけ九州に広まることとなる。だがそれをこれから九州から出ていく長恵が知る由はない。そもそも知る理由もない。長恵の目指す先はここから先にあるのだから当然である。
基本話の中で創作した人物は出さないようにしています。これに特に意味があるわけではない何となくのことですが、珍しく今回は創作した登場人物が出ました。島屋宗吉です。当時の博多に島屋という店があったかどうかも分からないし島屋宗吉という人物はいなかったと思います。ただ長恵が旅をするにあたってこうした商人の後援者がいた方がいろいろと都合がいいので登場させました。それと今回の話に出た立花家での試合も創作です。一応立花家に関わらせたのはちゃんと理由がありますが重ねて試合については創作です。そこはご理解ください。
さて京を目指して旅に出た長恵は運命的な出会いを果たします。その出会いで長恵の人生は大きく変わり道も定まるわけですがいったいどんな出会いがあるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




