上杉朝良 転換点 第十四章
顕定の死から始まった山内家と古河公方の内紛。そして蠢動を始める伊勢宗瑞。関東の情勢は混迷に陥りつつある。その中で朝良は扇谷家を守るためにもがき続ける。その果てにあるものは一体何か。
永正八年に朝良は憲房と顕実の仲裁に動いた。朝良は二人の在所を自ら訪ねてこう説得する。
「山内の内内で争えばむしろ関東管領の権威は失墜するでしょう。ここは一度矛を収めて和睦していただくわけにはいかぬでしょうか」
これに対して顕実はこう答える。
「そもそも憲房が道理に合わぬことを言い出したのだ。そもそも養父上は私を後継ぎにすると言っている。それを聞かず争いを起こしているのは憲房だ。私は戦など望んでいない」
一方で憲房はこう答える。
「顕実では家中の信を集められん。長尾や横瀬たちは顕実のふるまいに不満を持っているのだ。だが顕実はそれを知らない。ここで俺が退いて顕実が関東管領になれば景春殿が謀反を起こした時以上の混乱になる。そうなれば関東管領の権威は地に落ちよう。ここで退くわけにはいかん」
両者一切和睦するつもりはなさそうである。それは朝良も分かっていたがこうはっきりと見せつけられるとますます気が重くなった。
「やはり二人とも譲るつもりはないか。おそらくはすぐに自分が勝つと思っているのだろう。もしかするとそうかもしれないが、結局家の力を削ぐだけということを気づいてい派にないのだ。そこは顕定様とまるで違う」
山内顕定は頼りなく粗忽なところもあったが一応、大局観はあった。だが二人の養子は自分のことしか考えていない。自分が山内家の当主になって関東管領になればすべてが丸く収まるとすら考えているようだった。
「それではいかんというのに」
朝良はため息を吐きつつももう一度二人を説得しようと考える。そんな姿を気の毒に思った家臣の一人がこう言った。
「もう仲立ちするのはあきらめてどちらかについてしまえばいいのではないでしょうか。この際早く諍いを収めることだけを考えるべきでは」
これは正直魅力的な提案である。だが朝良は承知しなかった。
「御二方の戦には古河公方様も関わっている。そう簡単に決着はつかないだろう。そうしている間に伊勢殿に動かれたらどうするのだ」
これを言われた家臣は黙るしかなかった。宗瑞の狙いは関東進出である。そのための最初の標的が扇谷家であった。そしていずれは古河公方にも山内家にも牙をむくだろう。
「それだけでも理解してもらいたいものだが」
いずれ来る脅威よりも己の立場。それだけで争いをする者たちが関東を支配する存在なのである。そして自分はその下について頭を悩ませている。そう考えるとますます暗澹たる気持ちになる朝良であった。
永正九年(一五一二)山内顕実は鉢形城に入った。鉢形城は顕定が長く拠点としていた城である。ここに入ることで顕定の後継者としての立場を明確にしようと思ったのだろう。だがかえってそれが憲房たちの軍事行動を引き起こすこととなる。
「顕実は我らに断りもなく鉢形城を奪った。これは山内家の人々を蔑ろにする行いである。このうえは私が山内家を継ぎ不届きもの顕実を討ってくれよう」
そう言って自分を支持する家臣を引き連れて鉢形城を攻めた。この素早い動きは顕実にとって予想外であったようであり、鉢形城はあえなく落城した。しかし顕実は生きている。
「このうえは兄上を頼ろう」
城から落ち延びた顕実は政氏の古河城に逃れた。
こうした動きを朝良は好機ととらえた。
「ここは顕実様を説き伏せて山内の争いを収めよう。今が不利ということは顕実様も分かっているはず。一時の講和でいいから何とか承知してもらわなければ」
朝良は双方に使者を出して和解させようとする。憲房は自分が山内家の家督と関東管領の座を手に入れることを条件に承知したが、顕実派は頑として聞き入れなかった。
「山内家の後継者は私だ。それを憲房が無法な形で奪い取ったのだから和睦などせぬ」
顕実は政氏の後援があれば憲房に勝てると信じていた。実際のところは政氏と高基の戦力は同程度で結局顕実の戦力の分、憲房、高基同盟より劣っているのだが。
ともかく顕実は徹底抗戦の構えである。憲房も顕実が抗戦するなら叩き潰すつもりであった。
「こうなれば私が直接顕実様を説き伏せるしかないか」
それがどの程度効果があるかどうかは分からない。だが朝良の取れる手段としてはそれぐらいしかない。
ともかく朝良は顕実説得の準備を進めていった。だがここで一番恐れていた事態が起きるのである。
その報せが入ったのはまさに顕実の説得に赴かんというときであった。
「伊勢家が相模に攻め込んできました! 三浦殿は伊勢家を抑えるために出陣したようです。朝良様からの援軍をご所望しております」
ある程度予想はしていたと言え朝良にとって最悪の報せである。
「この機に攻めてくるか。いや、この時だから攻めてくるか」
朝良は迷った。このまま顕実の説得に向かうべきか義同の援軍に向かうべきか。
「(顕実様には私が出向くと伝えてしまった。ここで私が行かなければ気位の高い顕実様のことだ。約束を反故にした私の言葉など聞かぬだろう。だが)」
朝良は少しだけ逡巡した。そして決断する。
「これより兵をまとめ義同の救援に向かう。急ごう」
「しかしそれでは顕実様の方は」
「もう私が直に話しても戦は止めぬだろう。形勢は憲房様に傾いている。いずれは憲房様の下で山内がまとまるのだから無用なことだ」
淡々と、だがどこか物悲しそうに朝良は言った。そしてすぐに出陣の準備を始める。
「(とはいえ今から出て行って間に合うのか。ここまで早い動きをしているということは、宗瑞殿もよくよく準備を進めてきたのだろう)」
朝良は宗瑞への警戒を解いていたわけではない。しかし最近は山内家の仲裁に忙殺されていておろそかになっていた部分はあった。むろん宗瑞はそれを察して動いたのである。朝良もそれは分かっている。
「結局は己の力のみで戦うしかない。初めからそう決意していればあのような無駄なことをせずに済んだのになぁ」
自嘲する朝良。だがそれでもあきらめるわけにはいかないと、一縷の望みを抱いて出陣するのであった。
朝良は急いで義同の救援に向かった。しかし宗瑞の侵攻は思いのほか早い。
「間に合うか、間に合うか」
急ぐ朝良。一方の宗瑞も急いでいる。
「この好機を逃すつもりはない。しかし朝良殿も急いで救援に来るだろう。それまでに三浦殿を追いやるのだ」
待ちに待った好機である。山内家の内紛は収まらずそこから援軍が来ることはないだろうが、できるだけ早く相模を制圧し掌握しておきたかった。
「相模を支配すれば相模の海は我らの手に落ちる。そうすればさらに伊勢家を飛躍させられよう」
宗瑞の頭の中にはこうしたものもあった。すべては将来伊勢家が関東を支配することを目指しての手段である。宗瑞は未来にすべてをかけている。
一方の朝良は己の領地を守ることだけを考えている。それは間違いではないが守りに入りすぎれば動きが鈍くなるのも必然であった。もっとも状況も考えず内紛をするばかりの者共よりははるかにマシであるが。
その後宗瑞はすさまじい勢いで義同の籠る相模の岡崎城を攻め落とした。義同たちは城に籠っての抗戦をあきらめて後退する。朝良は間に合わなかったがそれを攻める義同ではない。
「朝良様は多くのことを任されすぎたのだ。山内のもめ事がなければこんなことには」
一方朝良は間に合わなかったことを悔やむ。
「義同が生きてくれたのは幸い。だがこれから伊勢家はますます相模を侵食していくだろう」
そう言って嘆く朝良。そこに顕実からの伝令が駆け込んできた。
「朝良殿。顕実様は貴殿がお約束を破られたことにお怒りです。このことを一体どうなされるおつもりですか」
薄ら笑いを浮かべ朝良を侮った様子で言う伝令。朝良はそんな伝令にこう言い返した。
「貴殿も何もわかっておられない。顕実様もそうだ。もう私は山内のことに関わらないので好きになされればいい。さあ、さっさとお帰りになられよ」
朝良がそう言うと家臣たちが伝令を引きずっていった。伝令は先ほどとは打って変わって怒りの表情を浮かべていたが、一瞥もしていない朝良は気づいていない。
「これからどうするか。相模をどう守ればいいのか」
そんな都合のいい手段などない。そう分かっていても朝良はそうつぶやくしかなかった。
義同は弟の道香の住吉城に籠って抵抗しようとした。朝良はこれを後方から支援しようとするが宗瑞の猛攻に動揺した相模の領主たちが思うように動かず撤退を余儀なくされる。
「すまぬ義同」
結局年が明けて永正十年(一五一三)の正月に住吉城は落城し道香は討ち死にした。それでも義同は生き残り三浦家最後の拠点である新井城に立てこもる。この動きに合わせて朝良も義同の娘婿であり太田道灌の子である太田資康を援軍に送った。
「名将太田道灌の子である資康なら必ず義同を救ってくれるはずだ」
資康も気合十分である。
「父は不幸な最期を遂げた。それを朝良様はちゃんと謝ってくれたのだ。もうわだかまりもない。このうえは私が舅殿を救い太田の名を知らしめて見せよう」
その発言を聞いて朝良も安心する。
「資康なら成し遂げてくれよう。必ずや扇谷家の窮地を救ってくれるはずだ」
朝良はそんな希望を抱いて資康を向かわせた。本来なら朝良も出陣したいところであったが宗瑞の猛攻と古河公方、山内家の内紛の影響で領内が動揺しておりその収拾に専念しているところであった。
だがここで資康が勝利し伊勢家を追い払えれば形勢は変わる。少なくともここから悪化するようなことはないはずであった。
「頼むぞ資康」
そんな朝良の願いを受けて資康は出陣した。朝良や資康の想定では新井城に向かう伊勢家の軍勢を背後から突く形になるはずである。ところがいざ会敵してみると伊勢家の軍勢が資康たちを迎え撃つ形になった。これには資康も動揺する。
「どういうことだ。奴らは舅殿の下に向かったのではないのか」
朝良と資康は伊勢家の破竹の勢いを見てこのまま三浦家を滅ぼそうとするのだと考えていた。だが宗瑞の考えは違う。
「新井城は海に面した堅城だ。勢いだけで攻めても攻め落とせまい。むしろ扇谷家の援軍に背後を襲われるだろう」
実際その通りであったわけで宗瑞の読みが当たったのである。一方の資康は迎撃の構えをとっていたことに動揺した。これが勝敗を決めることになる。
「ここまで来たらもう退けん。敵は攻め疲れているはずだ。この勢いで攻めかかれば勝てる」
資康は動揺を抱えたまま攻めかかる。一方の宗瑞は予想通りの攻撃を落ち着いて迎撃した。疲れも資康が来る前にしっかり休んで解消している。
果たして扇谷家の援軍は大敗し太田資康は討ち死にした。もしかすると父太田道灌なら迎撃態勢を見て一度後退していたかもしれない。だが資康にはそれができなかった。それが名将であった父と子の差なのかもしれない。
朝良は資康が戦死したことを聞いて絶句した。一縷の望みが完全に立たれたのである。もはやここから挽回することは不可能であるということを朝良は理解していた。
伊勢家は三浦半島の付け根の部分に玉縄城を築城した。これにより朝良と義同の連絡は絶たれる。朝良は本来なら築城を妨害したかったが、先だっての敗北からの立て直しがうまく行かず玉縄城が出来上がるのを眺めることしかできなかった。
「義同なら数年は持たせられるかもしれん。だが私には義同を助ける手立てがないのだ」
扇谷家中の動揺はいよいよ強くなっている。相模の領主たちは次々と伊勢家に従う姿勢を見せていた。残る領地である武蔵の領主たちも扇谷家から心が離れつつある。
そんな状況でも朝良は何度か玉縄城に攻撃を仕掛けた。その結果は散々なものであり扇谷家の勢力を衰えさせただけである。だが何もしないでいては先に待つのは扇谷家の滅亡である。
「せめてあの城だけでも落とせれば。だがそれを成したところでもう…… 」
朝良の頭には絶望しかない。それでも何もせずにはいられぬのである。
それから時が経ち永正十二年(一五一五)になった。この年山内顕実がこの世を去る。病死だったらしい。
「結局憲房様と高基様の勝ちか。いや、誰も勝っていないのかもしれぬな」
永正九年に政氏の下に逃れた。しかし同年中に政氏も古河城を追われて小山城に入っている。古河城には高基が入り実質的に古河公方となった。ただその後も政氏も高基も抵抗をつづけたので戦いは泥沼化し、古河公方と山内家の勢力は大きく衰えた。
「笑っているのは伊勢家ぐらいか。まったく馬鹿馬鹿しい話だ」
永正十二年には古河公方の争いも終結し政氏は隠居した。高基は正式に古河公方に就任している。憲房も正式に関東管領となったがそれがどれほどの意味を持つのだろうか。朝良はそんなことを考えている。
そして翌年の永正十三年(一五一六)伊勢家は新井城に総攻撃を仕掛けた。義同は一族郎党を引き連れて最後まで抵抗し敵味方すさまじい数の死者を出す。そして新井城は落城し三浦家は滅亡した。これで相模は完全に伊勢家に掌握されたことになる。
「ああ、もうこれで終わりだ」
朝良はいよいよ絶望する。もはや衰え切った扇谷家に伊勢家に抵抗する手段はない。
「扇谷家は伊勢家に滅ぼされる。ゆくゆくは古河公方も山内家もそうなるだろう」
そんな未来が朝良には見えていた。むろんそれを止める手立てはない。
相模を失い絶望した朝良は政務からも遠ざかった。そして失意のまま永正十五年(一五一八)にこの世を去る。最後に言い残したのは朝興への遺言であった。
「藤王丸が大きくなったら扇谷家の当主にしてくれ」
藤王丸は朝良の晩年に生まれた実子である。すべてに絶望した朝良が最後に抱いた希望は実の息子が扇谷家の主になることであった。だが後年にこれは果たされず、藤王丸は扇谷家の当主の座を狙った朝興に殺されてしまっている。その後扇谷家は朝興の子の朝定の代に滅亡した。
なお朝良が亡くなった翌年に伊勢宗瑞が死去している。そしてその息子の氏綱は名字を北条に改称した。そして北条家は両上杉家を駆逐し関東に一大勢力を築く。而してその前に立ちふさがったのは越後の上杉謙信。山内顕定を葬った長尾為景の息子であり当時の山内家の当主である山内家督とから家督と関東管領の座を譲られた男である。何とも皮肉な話である。
朝良が生きた時代はまさしく歴史の転換点である。そして結局のところ扇谷朝良は何も残せなかった。だが歴史の転換点という激動の中で必死でもがいたということだけは事実である。
扇谷上杉家は太田道灌の活躍で存在感を強め定正の代で勢力を大きくしました。朝良はそれを台無しにしてしまったともいえるのですが、正直情勢が悪すぎたともいえます。山内家と古河公方は内紛状態に陥り強力な新興勢力である伊勢家は侵攻してくる。この中で朝良は自分のできる精いっぱいのことをしているとは思います。ですがそれが実るとは限らず悲惨な末路につながってしまうのも戦国の世の過酷さではありますね。しかしそんな中でも必死で生きた人にはある種の敬意を覚えます。英傑とは言えませんが彼らもまたひとかどの人物であったのでしょう。
さて次の話はある剣豪が主人公です。正直こう言った人物を取り上げるのは初めてなので若干緊張しておりますがよい話にしていきたいです。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




