上杉朝良 転換点 第十二章
山内家に降伏してからの朝良は思いのほか平穏な日々を送った。しかし関東ではさらなる戦乱の種が芽吹きつつある。そんな中で山内顕定は弟の敵討ちのために越後に向かった。これが朝良の人生を大きく狂わせることになる。
越後で起きた事件から早くも二年がたった。この永正六年(一五〇九)は朝良にとっては絶望的な時代の幕開けとなる。
この二年の間朝良の身に特に何もなかった。二年前と同じく外敵の侵攻もなく関東内での戦もほぼない。だがかといって平和だったわけではなく古河公方の内の剣呑な空気は消えておらず、いつかは起きるであろう顕定の越後への遠征に備えるための緊張感のある日々を送っていた。
朝良にしてみれば古河公方の内紛がおさまった時が顕定の動く時だと思っている。
「今度はこちらから越後に向かうのだ。関東が穏やかでなければそんなことはできない。しかし高基様はいつになったらあきらめるのか」
高基は顕定に何度説得されようと父政氏への反抗をあきらめない。それはとりもなおさず山内家の影響力の低下を浮き彫りにさせているわけであるが、かといってほかに高基を説得できる立場の人間などいないのである。
それでも何とか説得を続け一応和睦が成立したのが永正六年の六月のことであった。顕定としてはこの二年間ははらわたが煮えくり返り続けていたのだろうが、ともかくこれで関東の問題は一応解決したことになる。
「やっとだ。やっと、房能の仇を討てる。越後に向かうぞ! 」
この二年の間に顕定は着実に出陣の準備を進めてきた。それは弟の敵討ちであると共に越後を再び自分の影響下に収めるためである。
「この戦に勝利すれば山内家の未来は安泰だ。そうなれば古河公方も伊勢やほかの者共も恐れるに足らぬ」
悲願の達成のために顕定は出陣するのであった。
永正六年の八月、顕定は軍勢を率いて越後に向けて出陣した。朝良は従軍することなく関東にとどまることになる。とはいえ何の役目も与えられなかったわけではない。上野などの山内家に反抗的な態度を見せる勢力への牽制を任せられた。
「お前も上杉一族の者ならば関東の平穏のために働くのだぞ」
これに別に朝良も文句はない。おとなしく上野へ出陣する準備を進めていった。
「越後に向かわずに済んだのは良かった。山を越えて戦いに行くなど考えたくもない」
安堵しながら朝良は上野に向けて出陣した。一方顕定は順調に越後に入り定実や為景と交戦を始めたようである。どうやら優勢らしい。
「この分なら早々に関東に帰ってくるだろう。まあこれで万事よしか」
そんなのんきなことを考える朝良。だが上杉定実も長尾為景も討たれておらず健在であった。顕定は潜伏している両者への対応や越後国内の安定のためにとどまることになる。
そしてこの状況をうかがっていた者がいた。伊勢宗瑞だ。
「為景殿はうまく逃げたようだ。それならば顕定殿も関東には戻れまい。今が好機」
宗瑞は以前から為景と連絡を取りひそかに同盟を結んでいた。為景も顕定が攻め込んでくるであろうということは予期していたようである。そのため関東での味方を欲しており、関東進出をもくろむ宗瑞に目を止めたということであった。
「山内家は越後に出ている。古河公方は内輪もめで忙しい。敵は扇谷家のみ。何も恐れることはない」
以前はともに戦った関係であるということを宗瑞は気にしていない。そもそもその当時から両上杉家の共倒れをねらって動いていたのだから当然ではあるが。
一方朝良は驚いた。朝良は以前同盟を結んでいたということでどこか油断していたのである。
「宗瑞殿はなんと非情な御仁なのだ。だがこうなった以上は仕方ない」
幸い上野の敵勢力はおとなしくなっている。引き返すことは可能であった。
「急ぎ退き返して伊勢家を追い払う。かつてはともかく今は敵。我らの領地を奪おうとしている不届きものである」
朝良はすぐさま引き返した。いずれは顕定も戻ってくるだろうからそこまで凌ぐつもりである。だがその目論見は破綻することになる。
急いで引き返した朝良は江戸城に入り迎撃の体制を整えた。幸い三浦義同がうまく宗瑞の侵攻を防いでいたようである。朝良は急いで義同と軍議を開き今後のことを話し合った。
「越後では顕定殿が勝ったようだ。おそらく年明けまでには戻ってくるだろう。山内家に援軍を頼んでもよいとの返事ももらった。我らでしのぎつつ援軍を待って反撃すべきだと思うが」
「それでよいと思います。しかし伊勢宗瑞は油断ならぬ男。何をしてくるかはわかりませぬ。気を付けましょう」
「そうだな。それは味方でいてくれた時から身にしみてわかっているよ」
かつて同盟を結んでいたときの宗瑞の戦ぶりには何度も助けられた朝良である。ゆえにあれが敵になった恐ろしさは理解で来ていた。
尤も義同が気にしているのはほかにもある。
「あの者は謀議調略にも長けています。我らが隙を見せればそこを突かれましょう」
「それは…… いや、心配することに越したことはないか。不利になれば内からも敵が出るというのは乱世の習いであるからな」
朝良としては山内家に逆らってまで自分の助命を訴えてくれた家臣を疑いたくはない。だがそうした悲劇が起きてしまうのも戦国の世の常である。
「ともかくまずは宗瑞殿攻めを防ぐことからだ」
とりあえず攻撃を凌げば不利だと思われることはない。さらに山内家の援軍を期待できるのだから情勢は確実にこちらの有利である。
「派手なことをする必要はない。堅実に着実に守り切るのだ」
朝良は比較的賭けの要素の少ない戦術で宗瑞を迎え撃った。これだけならば宗瑞は対応できそうだが、三浦義同は宗瑞に引けを取らぬ音に聞こえた名将である。朝良をよく助けて宗瑞の攻撃を防いだ。
「三浦義同か。扇谷家にもなかなかの将がいるらしい。それに朝良殿も一皮むけたようだな」
これ以上の攻撃で戦果が見込めないと判断した宗瑞は攻撃の手を止めた。だが帰国はせず相模で扇谷家とのにらみ合いを始める。
これが朝良には不思議であった。
「ゆくゆくは山内の援軍も来る。それがわからぬ宗瑞殿ではないであろうに」
そう考える朝良だが、年が明けての永正七年(一五一〇)になっても山内家の援軍は現れなかった。
「いったいどうなっているのだ」
豪疑問を口に出す朝良だが義同をはじめとした家臣達にもわからない。実はこの時顕定は越後に釘付けにされていた。というのも定実と為景を追い払ったのはいいものお越後の領主たちに反抗されこれを治めるために身動きが取れないでいたのである。またこの時顕定の二人の養子が山内家の後継者をねらいひそかに反目し始めていたのだ。
だがこれらを朝良は知らない。そしてこの後起きるとんでもない悲劇のことなど想像だにしない。ただ今は宗瑞とのにらみ合いを続けるのであった。
永正七年六月。関東のほぼすべての武将の運命を変える事件が起きた。この月の少し前に山内顕定は越後からの撤退を決断している。
「もう越後に入ってから大分経った。これ以上関東を留守にしていては関東管領の務めにも影響が出る。伊勢も相模に攻め入ってきているようだし一度帰って体制を立て直そう」
顕定は定実と為景を追いやったのはいいもののその後の越後の統治に大分苦労していた。越後の領主たちは全くいうことを聞かず逃亡した為景たちの探索もままならない。これ以上越後に滞在してはただただ消耗するばかりだと判断したのである。
「連れてきた将兵も帰りたがっているしなぁ」
顕定についてきた山内家の将たちは長く続く越後滞在に不満を募らせている。兵たちも同様であった。このままでは山内軍は瓦解しかねないということも撤退の理由の一つである。この判断を疲れ切っていた将兵たちが喜んだのはむろんのことである。
こうして山内家の軍勢は撤退を始めた。だがこの機会をうかがっていいた者がいる。長尾為景だ。
「やっと退き上げたか。だがあれほど消耗しているのならば元は取れる」
為景は顕定が越後に入ってきた時点で徹底抗戦せずに逃亡することを決めていた。越後の人間である為景は越後の領主たちが関東からやってきた顕定の支配を受け入れないだろうと読んでいたのである。それは実際予想度通りの展開になり顕定達山内家が消耗することも織り込み済みであった。そして消耗した顕定達が敵ではないことも。
そして永正七年の六月になった。為景は撤退している顕定達を追撃する。そして顕定達は越後の長森原で追いつかれた。
「こうなったら返り討ちにしてくれる! 」
気勢を上げる顕定であるが将兵の疲労は明白であった。もはや戦う余力すらない。戦いは一方的な展開になり山内家の将兵たちは次々と討ち取られていった。
「ここで私は果てるのか。せっかく扇谷家を下したのに」
関東管領山内顕定は長森原で果てた。部下や一門の反乱。古河公方の内乱。ともかく周囲の事情に翻弄された人生であった。その最期は皮肉にも生まれ故郷である越後の地である。
顕定戦死の報を聞いた朝良は危うく気を失いそうになった。というかその場に義同がいなければ気絶している。
「朝良様。お気を確かに」
「すまぬ。だがこれはあまりにも…… 」
「はい。正直拙者いったいどうすればいいかと懸念しております」
青い顔をして義同は言った。この時の顕定は関東を事実上支配する立場であり現状の関東で最も権力のある男である。そんな男がいなくなれば何が起こるかは容易に思いつく話であった。
実際顕定死亡の次に入ってきた情報は悪い報せであったが予想通りの物でもある。
「長尾景春様が挙兵されました」
「上田政盛殿ご謀反! 」
入ってきた報せのうちの一つは長尾景春の謀反の報せであった。景春は扇谷家の降伏後はおとなしくしていたようである。しかし顕定の死亡を機に再び山内家への反抗を始めたのであろう。
もう一つの報せは上田政盛の謀反であった。上田政盛は扇谷家の重臣である。それが謀反を起こしたのならば相当の事態であるはずだが朝良は動じなかった。
「正直謀反を起こすものは出てくるだろうとは思っていた。そうであってほしくないとも思っていたが」
現状の扇谷家は山内家の存在があってのものという側面もある。そんな中で山内家に大事があったのだから朝良を見限るものが出てきてもおかしくはない。悲しいことであるが朝良は常にそう考えていた。むしろ現状謀反を起こしたのが一人だけであるということで安堵しているほどである。
「おそらく後ろで糸を引いているのは宗瑞殿でしょう。おそらくは為景殿とも手を結んでいるはず」
「そうだな。そう考えると宗瑞殿の手のひらの上で踊らされていたということか」
義同の言葉に同意しため息をつく朝良。改めて伊勢宗瑞という男の恐ろしさを理解するばかりである。正直対峙するのも嫌であった。だがここであきらめれば扇谷家はおしまいである。
「この危機は山内家の方々も理解していよう。手を組んでこの事態を打開するしかない」
力強く言う朝良。これに義同もうなずく。そして二人は急いで反撃の準備を整えるのであった。
この時朝良はかなり迅速な行動に出ている。まず上野で待機していた顕定の養子の山内憲房に援軍を要請した。憲房は越後に入った顕定の後詰を任されていたが出陣はしていない。その前に顕定が討たれてしまったわけであるが、その結果戦力は温存されていた。
朝良は憲房をこう説いた。
「私は憲房殿の軍勢と共に政盛を討ちます。そうすれば此度のことに動揺して上杉に逆らうものもいなくなるでしょう」
「なるほど。いい策だ。山内の次期当主としての仕事をしなければならんからな」
憲房は景春の牽制のために上野に残ったが、引き連れていた将兵の大部分を朝良に預けてくれた。この時の景春の挙兵には賛同者が少なく宗瑞や政盛以外に味方がいなかったのである。そのため少数の兵でも牽制はできた。
「ありがたき幸せ。政盛を討ち関東に攻め込んできた逆賊を追い払って見せましょう」
この宣言通りに朝良は一気呵成に政盛を攻め立てた。政盛は予想外の素早い動きに抗しきれずあっさりと討たれてしまう。またこの時義同は宗瑞の砦を攻めてうまく動きを封じていた。そして政盛を売った朝良たちと合流し宗瑞に対して反撃に出たのである。
「何とかこの戦で相模を取り戻さなければ。せめて小田原だけでも」
朝良は今後に備えてできるだけ伊勢家から領地を取り戻したいと考えていた。しかしそれについては伊勢家も同様である。
「朝良殿もよくやるものだ。今回ばかりは守りに入るしかない。だがこの攻めてもこの時だけだろう」
宗瑞はこの戦いの先に起こるであろうことを予期している。そしてそれが起きれば扇谷家はおしまいだろうということも。
「この困難を凌げば相模をすべて手に入れることも夢ではない。そのためには何としてでも今の領地を守り切らなければ」
こうして双方死力を尽くした戦いが始まった。朝良たちは果敢に攻め小田原を包囲するところまで行く。だが宗瑞たちも必死で守り戦いは一進一退の状況になっていった。こうなると不利なのは朝良たちである。年が明けて永正八年(一五一一)になると山内家の将兵たちの戦意は落ちていった。それも当然で別に山内家の領地を守るための戦いではない。それが長期化してくればやる気がなくなるのも当然である。憲房も援軍を戻してほしいと言ってくる。
「ここで伊勢を止めなければ山内にとっての禍根になるというのに。憲房様はそれがわからないのか」
「やめるんだ義同。こればかりは仕方ない」
結局朝良は相模の奪還をあきらめざる負えなかった。領地を失うことはなかったが、小田原城を攻め落とすことすらできていない。だが山内家なしでは戦い続けることも難しかった。朝良は泣く泣く伊勢家と和睦することになる。
「この先どうなるのだ」
朝良は漠然とした不安を抱えながら撤退していく。その不安はあまりにも大きな災厄として的中することになる。
ご存じの方もいるでしょうが長尾為景は上杉謙信の父親にあたります。謙信は後に関東管領の職に就きますが、為景のしたことを考えるとある意味むごい仕打ちともいえますね。しかも謙信の関東管領就任のきっかけは山内家の衰退にあります。そのきっかけは顕定の戦死ですから本当に皮肉な話です。因果の恐ろしさすら感じますね。
さて顕定の死は関東の新たな混乱を引き起こします。朝良はそれに対処するわけですがそれはうまく行くのか?そして朝良や扇谷家はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




