上杉朝良 転換点 第九章
いよいよ決戦の時が来た。朝良は河越城を出て援軍の宗瑞、氏親の下に向かう。山内顕定も決着を付けるべく動いた。様々な人間の思惑がうごめく中で両上杉の決戦はどのような結末を迎えるのか。
宗瑞は武蔵の枡形城に入り翌日には氏親もやってきた。
「いよいよですな叔父上」
氏親は宗瑞の甥にあたる。今川家の家督をめぐって争いが起きた時、宗瑞が氏親を助けたことが二人の縁の始まりであった。宗瑞が今川家の下で戦うこともあれば宗瑞の戦いを氏親が助けることもあるという関係である。
宗瑞は氏親の物言いににやりと笑った。
「こうもうまく事が運ぶとは。これはまさしく天命かと思うところであるな。この戦に勝てばの話であるが」
「なんの。叔父上がここまで出られたのだから何の心配もいりはしますまい」
「そうだな。こうして氏親殿に出てきていただいたのだ。必ずや勝てるだろう。改めてお礼申し上げる」
「いやなんの。これも母上のたっての願いでもあります。それに叔父上の望みが果たされればそれは今川にとっても最良の道にございます」
「そう言ってもらえるのはありがたいな。あとは扇谷の動きか」
そんなことを言っていると伝令が駆け込んできた。
「扇谷朝良様が河越城を出られたそうです。こちらに向かっているとのこと」
これを聞いて宗瑞は笑った。
「あの慎重居士が自ら出てくるとは。随分と思い切ったことをする」
「これも叔父上の考え通りなのですか? 」
「さて、な」
そう言って意味深な笑みを浮かべる宗瑞。それを見て苦笑する氏親であった。
このやり取りを枡形城に向かっている朝良は知る由もないし想像もしていない。
氏親到着の少し後で朝良も枡形城に入った。朝良はいつになく上機嫌である。
「宗瑞殿だけでなく氏親殿まで援軍に来られるとは。まさしくこれは好機。このうえは山内家を打ち破って関東の覇を我らが手にしましょう」
鼻息荒く言う朝良。そんな朝良を氏親は落ち着かせる。
「まあまずは落ち着きましょう。戦に臨むのならばまずは冷静に」
「さ、さようですな。これは申し訳ない」
朝良と氏親は同年代である。しかし貫禄には大分に差があった。
「(こうも違うか。各々の素養かおかれた環境の差か)」
内心でそんなことを考える宗瑞。朝良は養父の座を受け継いだだけだが氏親は熾烈な家督争いの中で艱難辛苦を味わっている。そうした経歴の差が貫録に差を出しているのかもしれない。
それはさておき今回の戦いの中心であるはずの朝良が到着したことで軍議となった。
「山内家は河越城から退き後方の白子に入っています。これに攻め入るのは少しばかり難しかろうと思いますが」
落ち着いた朝良はおずおずと言った。実際問題朝良はこの二人より自分が劣っていることは自覚している。だからこそ両者の来援を喜んだのだが。
宗瑞も氏親も朝良のそうした心情を理解している。そして宗瑞と氏親の出した案を丸呑みしようとも考えていることも察していた。だからこそ遠慮なく意見が出せる。
「朝良殿の言う通り白子に攻め入るのは難しい。しかし時をかければ越後からの援軍もやがては来ましょう」
「先ほど入った報せによれば山内殿は政氏様とともに白子を出たという。これは好機でありましょう」
「なんと。さすが宗瑞殿。ならば我らも城を打って出るべきですな」
宗瑞たちは朝良が来る前に顕定達が白子を出たということは知っている。その時点で城から出て野戦を仕掛けるということは決めていた。あたかもここで決まったようにしているのは朝良の面子への配慮である。
「いやあ、お二方の存在は心強い」
邪気なく言う朝良。その姿に少しばかり呆れる宗瑞と氏親であった。
宗瑞たちの得ていた情報通り顕定と政氏は白子を出ていた。これはむろん宗瑞たちの動きに対応してのことだが焦ってのことではない。
「そもそも扇谷が伊勢や今川に援軍を頼むのは必定であった。ならばこの際援軍事打ち倒して扇谷を完全に屈伏させてしまおう」
そう意気込む顕定。だが気合だけでなくそのための策もすでに打ってある。政氏もその策に期待を寄せていた。
「武田からの援軍は来るのだろうな」
「はい。必ず援軍を送ると色よい返事をもらっております」
顕定達の必勝の策は武田家からの援軍であった。武田家は伊勢家と敵対関係にある。山内家から見れば敵の敵という立場であった。敵の敵は味方。これは万事に通じる事柄であり戦においてはもっとも活用すべき要素である。
「幸い大森の者たちが武田にかくまわれております。あ奴らを通じて援軍を要請したので心配はいりますまい」
かつて宗瑞に小田原城を奪われた大森家は甲斐に逃げ込み武田家の世話になっている。大森家を受け入れることで武田家も伊勢家へ攻撃する名目が来たということでもある。
大森家は山内家に従っていた立場である。そのため山内家と武田家の間をつなぐことは容易であった。何より自分たちが小田原に帰還できるかもしれないことならなんでもやるつもりなのである。武田家も伊勢家を打倒する機会ということで援軍を快く了承したのであった。
「武田家の兵と我らの兵があればいくら援軍が来ようと問題ない。いずれは越後からも援軍が来るのだから我らの勝利は必定だな」
「その通りでございます。政氏様」
上機嫌な様子の政氏に自信満々に言う顕定。実際この政氏の言っている通りになれば勝利は確実と言えた。だがそうはいかないのが現実の厳しさである。
白子を出た顕定達は南下をしていく。うまく時間を稼いで武田家の援軍を待つつもりであった。しかしこの動きはすでに宗瑞たちに察知されているのは先に記したとおりである。
「こちらは多摩川を上り山内たちの機先を制すとするか」
多摩川をそって北上すればどこかで顕定達と遭遇するはずである。その準備を整えておけば機先は制することができた。
朝良は宗瑞に尋ねた。
「武田家からの援軍が来ると聞いています。ならば白子にとどまるか鉢形に籠ればいいのだと思いますが何故出てきたのでしょうか」
宗瑞たちはすでに武田家が山内家に援軍を送ったという情報を手に入れていた。出陣する前から宗瑞は武田家の動きを絶えず見張っていたのである。何より顕定が武田家と手を組むということは予測していた。
「(手を組むにしても援軍を頼むか小田原あたりを攻めるように頼むか。そのどちらかがわからなかったが、これで一安心だ)」
武田家が援軍を出したという情報を聞いた宗瑞は安心していた。もし武田家が山内家への要請で小田原など伊勢家の領地に攻め入るようなら戦力もそちらに割かねばならない。しかしこちらに来るのならばある程度の防衛ができる戦力だけで問題はない。
そう言う意味では宗瑞は賭けに出たといえる。そしてそれに勝ったのだ。今の伊勢家の軍勢、氏親の軍勢、さらに朝良は扇谷家の主力を引き連れてやってきている。
「(ここまで戦力が充実できるとは思わなかった。今の状態なら山内と古河公方の軍勢とならば勝てる。そう考えれば朝良殿も役には立ってくれたな)」
正直宗瑞は朝良に大した期待はしていない。しかしここで宗瑞にとって最適な行動をしてくれたというのはありがたい話であった。そういうわけで内心ある程度の感謝はしているのである。
そんな内心の感謝などわからない朝良は自分の質問に答えず黙り込んだ宗瑞に不安になった。何か気分を害するようなことを言ってしまったとも考える。
「ど、どうしました? 宗瑞殿」
「ああ、いや。なんでもありませぬ。おそらく山内は城に籠って守るより兵力を頼んで野戦をした方が勝てると考えたのでしょう。南下したのは武田と合流しやすくするためかと」
「ならば先手を打って攻めるという我らの策は大当たり。おそらく山内殿は我らが河越に向かうと考えているのではないでしょうか。朝良殿がここにいることも知らないはず」
氏親がそう言うと朝良は喜んだ。
「私の思い切った動きがやつらの計算を狂わせたということなのですね」
嬉しそうに言う朝良。それは間違っていないのだが実際のところいろいろな動きが重なっての現状である。宗瑞も氏親もそれをわかっているがあえて言わない。
「「(ここは調子に乗ってもらう方がよさそうだ)」」
今の二人はそう考えて朝良をうまく動かしている。知らぬは朝良のみである。
朝良たちの軍勢は多摩川を渡り立河原に上陸した。野戦で戦うとならば広い場所にこの辺りに高い山はない。ならばいっそ広い平野に陣取った方が戦いやすいという判断である。
朝良は若干不安であった。
「こうも広いと敵に必ず見つかりますな。機先を制されるということもあり得るのでは。そうなるのならば川を渡らぬ方がよかったのでは」
これに対して宗瑞はこういう。
「それは相手方も同じ。それに川向うは狭くうまく動けませぬ。ならば見晴らしのいい平野にとどまり敵の動きを待ち構えるのも一手」
「なるほど。そういうものですか」
「それに我らの手の者が山内の軍勢の動きを見張っております。彼らの動きは逐一届きますのでご心配成されぬよう」
「そうでしたか。それは安心です」
本当に安心しきったように朝良は言った。朝良は宗瑞を信じ切っている。
「(ここまで信じ切られるとは。少しばかり心苦しいな)」
朝良は宗瑞を信じて頼れる味方とみている。一方で宗瑞は朝良を自分の野心のための手段としてみていた。そういうわけでから若干の心苦しさはある。もっとも止まるつもりもないが。
「伊勢殿がおられるのはありがたい」
そんなことを言う朝良。とそれを哀れに思う宗瑞。そんな二人が談笑していると氏親がやってきた。
「叔父上。朝良殿。伝令から報告が。山内殿は我等を見つけたようです。もう近くに陣も張っているようで」
それを聞いた朝良の表情に緊張が走った。
「それではおそらく明日ぐらいには合戦となりましょうか」
震えながら言う朝良。それに対して二人は余裕しゃくしゃくに言う。
「まあそうなるでしょう。幸い武田の援軍がまだいないようです」
「家臣に下知を出しておきますかな。まあ恐れることはありませんよ。朝良殿」
「そ、そうですな。私も家臣に下知を出しに行ってきます」
そう言って朝良はその場を離れた。
朝良は家臣達の陣に向かう途中で一人決意を固める。
「この戦で山内に勝利するのだ。そうなれば扇谷が戦う必要もない。きっと平穏な日々が送れる」
そんな淡い希望を抱いて朝良は歩いていくのであった。
その日の朝は深い霧が出ていた。一寸先も見通せぬほどの霧である。無論戦など出来ない。山内の軍勢が近くにいるということで緊張していた朝良も拍子抜けする。
「これでは戦になりません。うかつに動いては同士討ちになってしまいましょう」
「それはそうですな。さてどうするか」
朝良に同意しながら氏親は思案した。これほど深い霧では動きようがない。一方宗瑞は自分の家臣達に何か指示を出している。
「無理に動かなくていい。だが時が来たら誰よりも動いてもらわねばならん」
宗瑞の指示を受けた家臣たちは一様に何かの準備を進めている。朝良は気になったが
「(まあ何かお考えがあるのだろう)」
と思ってきかなかった。
それから数時間がたち昼頃になった。霧は徐々に晴れつつある。やがて遠くに山内の軍勢が見えてきた。
「そろそろ準備を下知しなければな」
朝良は家臣達に指示を出そうとする。するとそこで地鳴りが聞こえてきた。
「な、なんだ? 」
驚く朝良は地鳴りのする方向を見る。そこには山内の軍勢めがけて突撃する宗瑞たちの軍勢があった。それを見てさらに驚く朝良。するとそこに氏親が駆け込んでくる。
「同も叔父上は霧が晴れると同時に攻めかかるつもりだったようです。敵方もまだ準備が整っていないようで。では私たちも叔父上に続きます」
そう言うのと同じく今川家の軍勢が伊勢家の軍勢に続いて突撃していた。慌てた朝良は家臣達に向かって叫ぶ。
「急げ! 我らも続くぞ! 」
そう言うや朝良は一人で飛び出す。それを見て重臣たちは慌てて追いかける。そしてそれに兵たちも続く。朝良の目指す先ではすでに戦い始まっていた。
宗瑞を先頭にした伊勢家の軍勢の攻撃を受けて山内、古河公方連合軍は動揺した。近くにいることも分かっていたが、霧が晴れるや否や攻撃を仕掛けてくるとは夢にも思っていなかったのである。
「い、急いで迎撃しろ! 」
顕定はそう檄を飛ばす。だが戦慣れしていない政氏は慌てるばかりであった。さらにそれが率いる将兵に波及し統制が取れない。さらにそこに今川家の軍勢も攻めかかってきた。これには顕定も慌てる。
「こんな簡単に機先を制されるとは。このままでは危うい。だがどうするか」
ここで顕定に迷いが生まれたここで踏みとどまり何とか迎撃するか、思い切って撤退するか。なんにせよ即決が必要なことである。だが迷ってしまった。ゆえにその空白により将兵の動きは鈍り損害がさらに広がってしまう。古河公方の軍勢の動揺も収まらなかった。
一方自ら敵陣に切り込んだ宗瑞は大勝を確信していた。霧が晴れるや否や襲い掛かるというのは賭けでもある。しかしそれが成功した以上はもはや勝ち筋しか見えない。
「年甲斐もない大博打だがうまく行ったようだ」
敵味方入り乱れる戦場でにやりと笑う宗瑞であった。
朝良たち扇谷家は今川家に続いて山内家の軍勢に攻めかかった。すでに山内家の軍勢は大分に消耗している。
「今が好機だ! 今までの雪辱をここで晴らすのだ」
意気揚々と攻めかかる朝良たち。結果的に追い打ちをかけるような形になった。山内家や古河公方の将兵は次々と討ち取られていく。ここで顕定は決断した。
「撤退だ。一目散に逃げるぞ。それと政氏様をお守りするのだ」
幸い撤退の指示を聞いて古河公方の軍勢の動揺は収まった。政氏を含む一同は一目散逃げ出していく。顕定もなんとか逃げ延びた。
戦は終わり山内、古河公方連合軍は多大な損害を出して引き上げていった。一方朝良たちの連合軍にはほとんど被害はない。まさしく大勝である。
「養父上見てくれましたか。私はやりました」
そう言って感涙する朝良。確かに定正が生きていれば狂喜乱舞するような大勝である。
こうして両上杉の決戦と言える立河原の戦いは終わった。そしてこれをきっかけに両上杉家の戦いも終結に向かう。その結末は朝良の思いもよらなかったものになる。
長享の乱の事実上の決戦である立河原の戦いは幕を閉じました。ここで扇谷家はこれまでの劣勢を跳ね返すような勝利を収めます。そしてこの勝利が扇谷家の運命を決めるのですがそれは朝良にとって思いがけぬものになります。いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




