上杉朝良 転換点 第六章
突然すぎる定正の死。そしてそれに伴う朝良の家督継承。この扇谷家の変化は両上杉家だけでなく関東の騒乱にも影響を及ぼしていく。しかし朝良は突然の家督継承に戸惑い恐れるばかりであった。
定正の死後一年ほどは両上杉家の間で目立った争いはなかった。関東全体でも小さいものはともかく大きな戦乱もない。
「この平穏が長きにわたり続けばいいのだが」
そんなことを願う朝良であったがそんな都合のいい話はなかった。明応四年(一四九五)の冬ごろには山内家が扇谷家領への侵攻のための準備を進めているという情報が入る。しかもその目標は朝良の父の城である七沢城周辺らしかった。
「ああ、いよいよこうなるのか。なんにせよ城を奪われるわけにはいかないな」
消極的ながらも朝良も侵攻に備えての準備を始める。伊勢宗瑞への連絡も密にとった。そして山内家の侵攻が始まったら援軍を送るという約束も取り付ける。
一応準備を進める朝良であったがともかく不安であった。
「山内家は我らより大きい。それに越後の援軍や古河公方様を味方につけている。勝てるのだろうか」
不安を抱える朝良。ともかく朝良を当主とした扇谷家の戦いが始まったのである。
明応五年(一四九六)山内家は古河公方の援軍と供に相模に向けて出陣してきた。朝良の読み通りと言えたが予想外のこともある。山内家の軍勢の数が思ったよりも多かったのだ。
「古河公方様の援軍もいると聞く。相当の兵力らしいが果たして防げるのか」
とりあえず朝良は三浦義同と大森氏頼の息子の藤頼に対応を命じた。朝良は河越城に籠り北からの攻撃に備えるつもりである。
この考え方自体はそこまで間違っていない。しかし家臣達には少し不満ではあった。
「定正様は自ら前線に出られた。朝良様はそうではないらしいな」
そう漏らすのは大森藤頼である。藤頼としては戦いを自分たちに放り投げたように見える朝良の対応が不満であった。これを義同がたしなめる。
「山内家は大きい。扇谷家は周囲を囲まれているのだ。それを考えれば致し方のないことだろう」
「それはそうかもしれんが…… 」
義同の妻は氏頼の娘、つまり藤頼の姉妹である。要するに二人は義兄弟の関係にありこうした本心も打ち明けられる気安い関係であった。もっともそれゆえに藤頼の言葉が本心であることに気づき、若干の懸念を覚えないでもない義同である。そのためこうも付け加えておいた。
「朝昌様の話によれば伊勢宗瑞殿から援軍が来るそうだ。朝良様ももしもの時には長尾殿とともに援軍に来られるらしい。心配はいらん」
この時朝昌も自分の城に入り敵襲を待ち構えている。一応の準備は整えてあった。
「我らは我らのやるべきことをやるだけだ。ちがうか? 藤頼」
「ああ、それはそうだ。ともかく戦って生き残らなければ」
そう言いあって二人は戦の準備に取り掛かるのであった。
いよいよ顕定が相模に向けて兵を動かした侵攻してきた。これに対して朝昌達扇谷家の武将たちは各自の城に拠って迎撃を試みる。また宗瑞からの援軍も小田原城に到着した。だが宗瑞の姿はなく藤頼が思っていたより兵は少ない。
「伊勢弥次郎にござる」
そう藤頼にあいさつしたのは宗瑞の弟の弥次郎であった。藤頼は宗瑞自身が来なかったことなどをそれとなく訪ねる。すると弥次郎はこう答えた。
「今兄上は甲斐(現山梨県)の武田家と争っていて伊豆から動けないのです。ですが扇谷家を蔑ろにするわけにはいかぬということで私が送られたのです。兵が少ないのは武田家への備えのため。そこは申し訳なく思います」
「そうですか。しかしなぜ武田家と戦に? 」
「伊豆から落ち延びた茶々丸殿を武田家がかくまっているようです。伊豆を奪い返そうとしているようでして。正直我らも簡単には動けない状況なのです」
弥次郎のその言い方は恩を売るような雰囲気にも聞こえた。しかし言っていることも道理なので。藤頼は黙る。とりあえず援軍が送られてきただけでもありがたい話であった。
「ともかくこの窮地をどうにかせねば。どんな手を使っても大森家は残さねばならん」
そう考えて目の前のことに対処しようと考える藤頼であった。
朝良は河越城で山内家の侵攻に関する情報を聞いていた。一応臨戦態勢は整えておりいつでも出陣できるようにはなっている。もっとも朝良は及び腰であった。
「ともかく父上たちがうまく防いでくれればそれでいいのだが」
いまだ朝良は戦場に出ることを恐れていた。まだ若いが二十を超えているので立派な当主である。その一家の主がこう戦いを恐れていては周囲も期待感は持てない。
そんな戦を恐れる朝良の下に次々と伝令が駆け込んでくる。彼らは皆一様にこう言った。
「山内家の兵の数が多く支えきれません。援軍をお願いします」
朝昌の下からも義同の下からも、藤頼の下からも同じような要請が届いた。この惨状に朝良は頭を抱えることしかできない。
「城に籠って守り切れぬならどうしようもないではないか。こうなっては行くしかない」
この事態においては朝良も出陣することを決意する。幸い長尾景春も合流し兵の数もある程度そろった。
朝良は景春に尋ねた。
「どの城を助けに行った方がよいのでしょうか」
判断を丸投げしたかのような発言に景春も驚く。しかし戦下手そうな朝良が判断するよりも自分が考えた方がいいと思いこう言った。
「敵は相模の西部から東部に手を伸ばしている。まだ城を攻めている兵もいるだろうから東部に出た連中は少ないはず。それを我らが打ち破り山内の者どもを追い返すべきだ」
「なるほど。それでいいと思います。そうしましょう」
朝良はあっさりと景春の判断を採用した。これにあきれ返る景春であったが。気を取り直して進軍することにした。
山内家の軍勢は景春の考えていた通り東進してきた。朝良と景春はこれを迎撃して何とか進軍を止める。しかし小田原城などは包囲されたままであった。七沢城は落城してしまったらしい。義同は城の防衛をあきらめて本領に帰還したようである。状況はかなり悪かった。
「何とか小田原城だけでも守らなければ」
朝良も危機感を強め小田原城に向おうと考える。だがこれを景春は制した。
「先ほど七沢城から逃れた朝昌殿の軍勢がこちらに向かっているらしい。これと合流することを先んじるべきだ」
「しかし小田原城もいつまでもつかわかりませぬぞ」
珍しく朝良は反論した。しかし景春の中での考えは決まっているようである。
「私が手勢を連れて向かいましょう。その上で小田原城内の将兵とともに野戦をして敵に痛手を与えます。そこに朝良殿たちが来れば問題ありますまい」
「なるほど。ではそうしましょう」
あっさりと朝良は景春の提案を了承した。相変わらずの主体性のなさである。これには景春も内心苛立っていた。
「(定正殿と比べるのは悪いと思っていたがこれではそれ以前だ。こんな奴に戦場に来られても足手まといにしかならん。このうえは俺が戦場で力を示し今後は扇谷の戦も仕切らねばならん)」
苛立つ景春はそんなことを考えていた。だがその考えを実行するには小田原城を守り切らねばならない。その最低限の目標を果たすために景春は小田原城に向かった。だが敵の兵力は思いのほか多い。
「思ったよりも多いな。しかし山内家の兵は弱兵だ。恐れるに足らん」
実際今までの戦いでは数で劣る扇谷家に負けることもあった山内家である。景春の見立ても間違っていない。
景春は城内の将兵とうまく連絡を取った。そして景春の要請を受けて弥次郎が打って出ることになる。藤頼は景春の提案を信じなかった。
「無駄に兵を死なせるわけにはいかん。行くのならば伊勢殿だけが出ればよい」
この発言に弥次郎も怒った。
「そのように臆病では城も守れますまい。打って出て血路を切り開いてこそ先が見えるというもの」
この発言に藤頼は何も言い返さなかった。その代わり冷ややかな目を弥次郎に向ける。弥次郎も藤頼を睨みつけた。だが何も言わずにその場を去った。
しばらくして景春が山内家の軍勢に攻めかかった。これと同じくして弥次郎も城から出て攻めかかる。山内家は思いもがけぬ攻撃に一瞬ひるむ。しかしすぐ立て直した。
それができたのはある一人の男のおかげである。
「敵は我らより少ない。我が軍勢が後詰を抑えている間にほかの方々は城から打って出てきた方を討ち取られよ」
そう叫んだのは景春の息子の景英であった。優れた将である父に劣らぬ景英は冷静に状況に対応する。そしてその攻めてきたのが父親だと知っても動じなかった。
「大方我ら山内家を侮ってのことだろう。戦場では親兄弟は関係ない。討ち取らせていただきます」
一方の景春も景英が相手であることを知っても動揺しなかった。しかしここで別の懸念が生まれる。
「景秀の率いるのはもともと俺の兵。弱兵なわけがない」
実際戦ってみれば手ごわく容易に打ち倒せない。城から打って出た弥次郎も劣勢のようであった。こうなると当初の目論見も水泡に帰す。
「もうどうにもならん。なんとか引き上げるぞ」
景春は撤退を決断した。そしてそれを弥次郎たちにも伝える。弥次郎も景春の行動を了承し自分たちは小田原城に戻ろうとした。だがここで予想外のことが起こる。
「門が開かぬだと! 大森殿は我らを切り捨てるつもりか」
藤頼は山内家の軍勢が城に入るのを防ぐために門を開けなかったのである。つまりは弥次郎たちを見捨てたのだ。
「このような仕打ち。必ずや覚えておれ! 」
弥次郎は城内に入れないと悟り撤退を始める。しかし行く手には山内家の軍勢が待ち受けていた。弥次郎は自ら先頭に立ち切り込んで損害を出しながらもなんとか撤退する。
一方で小田原城の藤頼はある決断をした。
「もはやこれ以上戦っても無意味だ。山内家に降ろう。扇谷家に従うよりずっとましだろう」
こう言って本当に降伏してしまったのである。こうして小田原城をめぐる攻防は終わった。だがここで生まれた伊勢家と大森家の因縁は思いもよらぬ事態を引き起こすのである。
小田原城で合戦が起きているとき、朝良は朝昌と合流していた。
「父上。よくぞご無事で」
「そんなことを言っている場合ではない。このままでは我らは劣勢に立たされるばかりだぞ。なんとかせねば」
朝昌達が守っていた相模西部の拠点はほぼ攻め落とされてしまっている。このままでは相模が山内家の手に落ちそうであった。
朝良はどうにかせねばと考えるが名案は浮かばない。するとそこに伝令が駆け込んできた。そしてこんなことを伝える。
「顕定殿の率いる山内家の軍勢が小田原に向かっております。ですが我らには気づいていないようです」
「そうか。うーむ。ならば攻めた方がよいでしょうか。父上」
「それくらい自分で決めるのだ。しかしこれは好機ではあるな」
この時顕定は小田原城の藤頼から降伏の用意があるという連絡を聞き小田原に向かっていたのである。急いでいたので周りの警戒もおろそかであった。それが思わぬ好機を扇谷家にもたらした。
「急ぎ攻めましょう」
「よし行くぞ」
朝良と朝昌の親子は全軍を率いて顕定の軍勢に襲い掛かる。顕定は思いもよらぬ攻撃を受けて動揺した。だが幸いにも兵力は上である。
「このうえは返り討ちにしてしまえ」
そう言って反撃を始めた。こうなると兵力で劣る扇谷家は不利になる。朝良もそれを悟って素早く決断した。
「敵に痛手を与えて勢いは削いだ。ここは引き上げよう」
朝昌は何も言わなかったが不利なのは事実である。朝良に従って撤退していった。一方山内家も思いのほか損害が大きかったのか、これ以上の侵攻はやめて撤退していく。ともかくこれで明応五年の山内家の侵攻はとりあえず終わったのであった。
山内家の相模侵攻は大成功に終わったといえる。確かに最後は朝良と直接戦い被害を受けて撤退したもののほかの面では大勝利であった。そして翻って見れば扇谷家の大敗ともいえる。
この事態にさすがの朝良も危機感を覚えた。
「七沢城だけでなくほかの城も。しかも景春殿が破れるとは」
朝良にとって衝撃的であったのは長尾景春の敗北である。景春は何とか命からがら逃れたようであったがしばらくは戦力の立て直しに時間がかかりそうだった。そしてもう一つ衝撃的なことがある。
「藤頼が寝返るとは。これでは伊勢殿との連携も取りづらくなってしまう。どうしようか」
大森藤頼は山内家に降伏したのちそのまま家臣になってしまった。そして変わらず小田原城に残っている。
藤頼の寝返りに朝昌は怒った。
「大森家は扇谷家の譜代の家臣。特に先代の氏頼は兄上を支えてきた名臣だ。そんな立場であるのに寝返るとは」
「仕方ありません父上。我らの援軍が間に合わなかったのがいけないのです」
朝良はそこまで怒っていない。どちらかというと自分たちに責任があるような気がしているからだ。実際もんだ朝良たちの援軍の遅れが藤頼の不信を買ったのだからその通りである。ともかく朝良は扇谷家に取っての西側の重要拠点を失った。この事実はこの段階では扇谷家の痛手と言ったところである。だがこれが後に思いもよらぬ事態を引き起こす。
朝良が家督を継いで初の大規模な戦いとなりました。結果は散々なもので扇谷家の衰退はここから始まっていきます。この展開を考えると定正の存在はやはり大きかったのだなと感じさせます。朝良がもし戦に長けた人物であったらもう少し違った動きにもなったのかと思います。
さて大敗を喫し相模の西側を失った朝良。果たしてこの先どうするのか。お楽しみに。
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