上杉朝良 転換点 第五章
伊勢宗瑞という新たな味方を得た扇谷家。しかし一方で古河公方からは縁を切られてしまう。怒り狂う定正に何も言えない朝良。山内家との戦いの前に不穏な空気が流れ始める。
明応三年十月二日。定正たち扇谷家の軍勢は再び高見原にやって来た。そしてこれを迎え撃たんと山内家も鉢形城から出陣し陣を張っている。両軍は静かににらみ合い今か今かと開戦の時を待っているようだった。
今回両軍の兵力にそれほど差はない。山内家の下に越後上杉家の援軍は来ていないようだった。一方で扇谷家には宗瑞からの援軍がある。
「和睦するまでは緒戦で我らが勝利を収めている。宗瑞殿も勝ちの勢いがついている。今、流れはこちらにあるのだ。ここは儂自らが前に出て志気を上げ、その勢いで攻め切ってしまえば勝てる」
要するに力押しということである。もっとも兵力もそう変わらず小細工をできる暇も余裕もないので妥当な選択肢ではあった。唯一気になるのは定正自ら前線に出るということである。ここは朝良も苦言を呈した。
「総大将である養父上自ら戦場に出るのは危ういのでは」
「馬鹿を言うな。こういう時こそ総大将が前に出ることで兵は勢いづく。顕定はこういう時に前に出ないから儂らに勝てんのだ」
そう言う定正の顔は真っ赤である。そして怒りが隠し切れないほどにじんでいた。宗瑞のおかげで落ち着いたのがここ数日の対陣でふたたび怒りが戻ってきたようである。
「山内の奴らの息をここで止めてくれる」
そう荒い息で言う定正。朝良はそんな養父の姿に言い知れない不安を覚える。しかし定正の怒りを恐れて口に出すことはできなかった。
十月五日定正は自ら先頭に立ち陣を発った。
「山内の者共の息の根を止めてくれる。この場は任せるぞ」
定正は血走った目で朝良に言った。その形相はこの世の物とは思えぬ恐ろしいものである。朝良は何も言えずただうなずくばかりであった。そしてこれが朝良と定正の最期のやり取りとなる。
馬上の定正は軍勢を引き連れて進んでいく。途中荒川に差し掛かった。水量は少ないが川を渡るということで家臣たちが先に出ようとする。しかし定正はそれを無視して進んでいく。一刻も早く山内家に攻めかかりたいのだろう。そして手当たり次第に暴れまわりたい。そう考えているのが周囲の者たちからも見て取れる様子であった。
定正は家臣を引き連れて川を渡っていく。だが突然その体が雷に打たれたのかのように一瞬硬直した。そして次の瞬間定正の体は力なく倒れそのまま落馬したのである。急いで家臣たちは定正に駆け寄った。だがその時定正の魂はこの世のものではなかったのである。
上杉定正四十九歳突然の死である。原因は不明であるが落馬によるものではなく脳卒中か何かが原因の頓死であった。駆け寄った家臣たちは突然の事態に呆然とするしかない。主を失った馬は暢気に嘶いていたが。ともかくこれで扇谷家は巨大な大黒柱を失った。
この悲劇を朝良は知らない。
「今回は陣に残り守りを固くすればいいのだ。それだけでいい」
今までと比べて軽そうに見える責務に満足げであった。
扇谷家の本陣で朝良に伝令が駆け込んできた。唐突であるが慌てた様子はない。だが重苦しい雰囲気をまとっている。朝良にも簡単にわかるほどだ。
駆け込んできた伝令はどう切り出せばいいのかと逡巡している。その姿に言い知れぬ不安を感じた朝良は黙っていたが、重臣の一人がしびれを切らして伝令を問いただした。
「いったい何があったのだ。急に駆け込んできておいて何も言わぬというのはおかしいであろう。さっさと申し上げるのだ」
「しょ、承知」
そう言って伝令はゆっくりと深呼吸した。そして努めて落ち着いた顔で言った。
「定正様が亡くなられました」
「な、何を言っているのだ。少し前にあれほど力強く出陣していたではないか」
震える声で朝良は言う。周りの家臣達も青い顔をしてうなずいた。だが伝令は首を横に振る。そしておずおずとことの次第を話し始める。
「定正様は先頭を切って荒川を御渡りになられました。我らは後に続いていたのですが、突然定正様の体が跳ねました。そして落馬してしまったのです」
「何だと? 養父上は馬から落ちて死んだのか」
「いえ。傷は見受けられなかったので馬から落ちる前にはすでに亡くなられていたのかと」
沈痛そうな表情で言う伝令。朝良は絶句するしかない。
ほかの家臣達も同様であった。そんな中で伝令はこう言った。
「幸い敵に遭遇する前でしたので、とりあえず退き返すことにいたしました。その上で朝良様のご指示を受けるようにと」
「私の?! 」
朝良は動転したが当たり前である。定正亡き後扇谷家の当主は朝良であるのだから。
「もれなく皆参りますので朝良様はこの先のことをお考えしておいてください」
そう言って伝令は去っていった。朝良は驚愕の表情で固まっている。ともかくこうして朝良は扇谷家の当主になってしまった。何もうれしいことはない。
扇谷家の軍勢は続々と本陣に帰還してきた。その上で朝良を中心に今後のことを協議する。とはいえ主従ともどもひとまず何をするかは確定していた。
「ともかく撤退しよう。養父上がいなくなっては戦えない」
ものすごく情けない朝良の発言であるが家臣一同同感であった。今までは、特に道灌死後の扇谷家は定正の奮戦に支えられてきたといっても過言ではない。だがその定正が死んでしまったのだからどうしようもなかった。
そう言うわけで朝良の下した撤退という判断にはだれも文句はない。だが懸念はある。それを家臣の一人がおずおずと言った。
「伊勢殿にはどう説明いたしますか」
朝良は頭を抱えた。確かに援軍である宗瑞を残して勝手に撤退など出来ない。とはいえ他家の者に当主の急死という緊急事態を伝えるべきか悩みどころである。しかしそれを言わずにうまく説明できる自信は朝良にはなかった。
家臣たちは朝良の判断を待った。そして朝良は重苦しく言う。
「この際正直に話してしまおう。こんなことはすぐに周りに知られる。だったら素直に話してしまうのが正しいと思う。それに伊勢殿もいきなり敵になるようなことはしないとは思うが」
自信なさげに言う朝良。だが反対の声は出ない。朝良の言い分に理はあるし周りを説得できそうな反対意見も誰ももいつかなかったからだ。
そう言うわけで朝良は宗瑞を呼び定正急死の事実を素直に話した。これに対して宗瑞は
「よくお話になられました。それほどまで我らを信頼していただけたのはまさに僥倖。ありがたきことに存じます。こうなれば今すぐ引き上げるのが上策かと」
とまくし立てるように言った。朝良も逆らわずうなずく。
「ああ、宗瑞殿の言うとおりだ。敵に気取られる前にすぐに引き上げよう」
そう言ってそそくさと撤退の準備を始めるのである。そして山内家に気づかれぬようにゆっくりと河越城まで撤退していった。
一方宗瑞たちはすぐに撤退せずにいくつかの城を攻めていった。この際に伊勢家に被害はない。見事な指揮であった。その戦ぶりに山内家も伊勢家への警戒を強め、一方で伊勢宗瑞の武名はさらにとどろいたのである。
朝良たちは河越城まで撤退すると今後のことの協議に入った。主な議題は今後の山内家への対応である。
朝良としてはもはやこれ以上の戦いは避けたかった。
「養父上ほどのお方が何度戦っても勝てなかったのだ。そもそも自力が違いすぎる。古河公方様も山内家に通じたのならば我らに勝ち目はない。もはや詫びを入れて戦をやめるべきではないか」
かなり弱気の発言である。だが以外にも家臣たちの中から反発の声は上がらなかった。彼らも度重なる戦での疲れや古河公方の離反が響いていたのである。先代定正の跡を継いで戦おうという心がなかったわけではないがそれ以上に心が折れてしまっていたのである。そのため反論しないことで消極的に朝良に賛成したのであった。
ところがこれに異を唱える者が出てきた。だれであろう朝良の実父である朝昌である。朝昌は定正死亡の報を聞き七沢城から飛んできたのであった。
朝昌は姿を現すや厭戦的な雰囲気を出している朝良や扇谷家の重臣たちを一喝した。
「兄上が亡くなられて間もないのにこの体たらく。なんと嘆かわしいことだ! 当主が戦場で倒れたのならば後継ぎはその戦も継ぎ、家臣たちはそれを助けるべきだろう。それなのにもう戦はやめて敵に降ろうとなどと言い出していると聞く。それは一体どういうことか! 」
朝昌にこう言われて朝良も家臣たち顔を青くする。特に朝良は実父からの一喝におびえて頭を下げるばかりであった。
「も、申し訳ありません父上」
「私に頭を下げている場合か。ともかくお前は兄上の跡を継いだ以上はその戦も継ぎ戦わなければならん。うじうじしていないでそのための軍議をせぬか」
「は、ははっ」
朝良は必至で朝昌に頭を下げる。家臣たちはその姿に失望するばかりであった。
当主となった朝良はひとまず山内家との一時の和睦を試みる。これに関しては朝昌も了承済みのことであった。
「あくまで一時的なものだ。立て直しが終わったのならばすぐにでも攻めかかるぞ」
「はい。それはもちろんのこと」
朝昌も当主の急死がとんでもない緊急事態であることは理解している。それに乗じて家中に問題が生じるであろうということも分かっていた。それを抑える時間は欲しい。そのため山内家と一時和睦することもやむなしという考えである。
山内家はこの和睦を何も言わず受け入れた。実はこの間に山内顕定の実の父である上杉房定が死去している。新たな越後上杉家の当主となったのは顕定の弟の房能であった。こうした代替わりということもあり越後上杉家との連携の再確認などで山内家も若干の暇を求めていたのである。そういうわけで和睦がすんなりと成立した。
こうして一時の時が稼げた扇谷家は家中の立て直しを図る。幸い朝良への謀反を企むような輩はいなかった。朝昌が健在であるのも理由であるが、強引で話を聞かない定正よりおとなしくて頼りないが、意見を取り入れそうな朝良の方がいいと判断したものが多かったからである。ある意味お飾りとしてちょうどいいという意見でもあるが。
また幸いなことに懸念事項の一つであった大森家と三浦家の問題も決着がつきそうであった。大森家は内紛が収まってはいないがある程度小康状態であり今後も扇谷家への中金に励むと言っている。そして三浦家であるが、こちらは定正の存命の時からの懸念事項であった。朝良も義理の叔父にあたる高教が攻め込んでこないかと不安である。
結局のところ三浦家の家督は高教の子である義同が継いだ。そして義同は朝良への忠誠を誓う旨を表明し今後も扇谷家のために戦っていくと言っている。この際に離反していた太田道灌の息子の康資も帰参した。康資は義同の娘婿であったことと定正の死が理由である。ともかくこれには朝良も一安心であった。
「身内から敵が出るようなことがなくてよかった」
心の底から安堵する朝良。だが一方で扇谷家を取り巻く情勢は激変してゆくのである。
定正の死は関東の各勢力に知れ渡った。そしてこの事実を知り大きく動いたのが古河公方足利成氏である。もっともこのころには親子の争いの末に家督と古河公方の座を息子の政氏に譲っていた。なんにせよ以前から両者の思惑は一つである。
「扇谷家を見限ろう」
ということである。成氏は古河公方を蔑ろにする定正に愛想が尽きていたし政氏もそこは父と同じであった。そこに顕定が低姿勢で関係修復に動いたのもあって古河公方は山内家との関係修復に動いたのである。
古河公方の実権は政氏に移っていたのでこの点もいろいろと都合がよかった。
「私はもう疲れた。あとは好きにすればいい」
そう言って成氏は引っ込んだ。政氏も言われるまでもなく好きにするつもりである。
「今は山内家との同盟ということになっているがいずれは山内も扇谷も我が下においてくれる」
そう決意する政氏であった。
一方これらの動きで一番困ったのが長尾景春である。景春は最大の味方である定正を失ったばかりか古河公方が山内家と同盟を結んでしまった。そもそも山内家と戦うために古河公方の下についたのにこれでは話が違う。だがどうすることもできない。
「所詮私は陪臣だ。その私の言葉を政氏様が聞くはずもないな」
そう冷静に判断した景春。だがまだ山内家への反抗は続けるつもりである。
「扇谷家には堀越公方を滅ぼした伊勢宗瑞殿がいる。その後ろには今川家や京の公方様がおられるはずだ。そちらと手を組めば戦える」
そう考えた景春であるがここで予期せぬことが起きた。息子の景英が景春の方針に反対したのである。
「これ以上顕定様に逆らうのは無意味。山内家と古河公方の仲が治ったのだから我らも帰参するべきでしょう」
こういう景英に少なくない家臣が味方しているようだった。思わぬところから出た敵に驚く景春。しかしここで止まるつもりはない。
「こうなれば仕方ない。お前は従う家臣とともに山内家に戻れ」
景春は息子と戦う決意をした。そんな父の決意を察した息子は何も言わず自分に従う家臣を連れて顕定の下に帰参する。
こうして扇谷家を取り巻く状況は一変したのであった。
これまでの話の主人公ともいえた上杉定正が亡くなりました。死因については不明で行軍している最中に急死したということだけが伝わっています。正直定正は太田道灌を殺したことであまり有能な人物とは思われていません。ですが主戦力である道灌を討った後も扇谷家をまとめ格上である山内家と戦い続けたこと、さらに局地的には勝利をおさめられていたという点から見ても軍事面では優秀であったのではないかと思います。その人生もなかなかに波乱に満ちているので、機会があればメインで取り上げていきたい人物ですね。
さて定正が死んだことで朝良は当主となりました。しかしこれを機に関東の情勢は激変していきます。いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




