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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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上杉朝良 転換点 第四章

 定正は緒戦で勝利を重ねる。しかし山内家はいまだ強大な存在であった。両上杉家の戦いは膠着状態になるが、ここで関東に伊勢宗瑞という新星が現れる。ますます混迷を深める戦いの中で朝良はただ戸惑いながら生きるしかなかった。

 伊勢宗瑞は足利茶々丸を追放して伊豆を治める勢力になった。そして定正と同盟を結ぶ。むろんこの動きは定正の想定していた通りである。

「これで西は固めた。あとは山内に皆で攻めかかれば我らの勝利は近い」

 意気揚々という定正。一方の朝良は相変わらず不安げである。特にこのところは大森氏頼の言葉が気になっていた。

「養父上の策を成すのならば古河公方様との連携が肝要かと思います。そこは大丈夫なのでしょうか」

 恐る恐る朝良は尋ねた。定正はこれを鼻で笑う。

「お前まで氏頼と同じようなことを言い出すのか。何も心配はいらん」

「そ、それならばいいのですが」

 定正に言い返されて引き下がる朝良。だが心の中には多いに不安がある。

「(養父上はこういっているが、本当にそうなのだろうか。養父上はまるで古河公方様のことを気にしておられないそれが不安だ)」

 心の中の大きな懸念。それを口に出せるほど朝良の心は強くない。ただ黙って状況が良い方向へと向かっていくことを祈るばかりである。

 それに対して定正はこの先の状況が好転することを信じ切っている。それだけのことを成してきたのだから当然であるという自負があった。ゆえに自信満々なのである。

 定正はこの時が自分の絶頂期であるということをまだ知らないでいた。わかるのは後世の人間だけである。


 明応三年(一四九四)宗瑞との同盟を結んで後方を固めた定正はいよいよ山内家との戦いに挑もうとする。ところがこの年の八月に扇谷家を不幸な出来事が襲った。

「まさか氏頼が死ぬとは。いくら西の守りが固められたからと言って、氏頼なしでは儂も戦がしずらくなるな」

 その不幸とは扇谷家の重臣で定正の腹心であった大森氏頼の死であった。氏頼は血の気の多い定正を時にいさめ時になだめた定正の制御役である。最近は定正がますます自信を深め気が大きくなったので諫言もなかなか聞き入れなくなってきていたが、それでも定正は氏頼を強く信頼していた。そんな氏頼の死は定正だけでなく朝良にとっても衝撃的なことである。

「大森殿が亡くなられては養父上を諫められる方がいなくなってしまう。この先どうなるのか。だれも養父上のことを止められなくなるぞ」

 この懸念は朝良だけでなく扇谷家中で共有された懸念であった。それだけ氏頼の、特に太田道灌死後における存在感はとても大きいものであったのである。

 氏頼の役目は定正の補佐だけでなく相模で扇谷家の後方を守るということもあった。伊豆が同盟者である宗瑞の手に落ち駿河は宗瑞と連携している今川家の領地である。西側から攻撃される懸念はないが定正の代理として各勢力と折衝できる立場にあった氏頼が亡くなったことで定正が対応しなければならない事態も多くなる。

「とりあえず相模のことは時高に任せるか。あ奴なら問題なかろう」

 時高というのは三浦半島の領主で氏頼に次ぐ重臣である三浦時高のことである。時高は扇谷家への忠誠心も強い。それがわかりやすく証明される出来事が道灌の死後あった。

「時高は兄上が謀反を起こそうとしたときも儂についた。そこを考えれば奴も氏頼と同じく信頼できるものであるしな」

 実は時高は定正の異母兄の高教を養子にしていた。ところが高教は道灌の死後扇谷家の動揺を見て謀反を起こそうとしたのである。しかし時高は未然にこれを防ぎ高教を追放した。そして改めて定正に忠誠を誓ったのである。そうしたことから定正の信頼も厚く、氏頼とともに相模の支配に一役買っていた。

「時高に任せれば相模は問題なかろう」

 そう考えていた定正だが信じられない報せが一月後に届く。なんと三浦時高が亡くなったというのだ。これは二重の意味で定正を動揺させる。

「氏頼も時高もいなくなっては誰に相模を任せればいいのだ。それに三浦家に兄上が帰ってきたら下手をすれば山内家に味方するかもしれん」

 定正は焦った。だが打開策はない。扇谷家中で何か思いつくものもいない。無論朝良も何も思い浮かばない。

「これでは山内家との戦など出来ないではないか」

 朝良は頭を抱えた。それは定正を含む扇谷家の人間皆が同様である。


 大森、三浦家の両家は当主の死で混乱に陥った。大森家はかつて追放した一族が復帰を画策し蠢動を始める。三浦家では定正の予想通りに高教が復帰を画策し始めたのでこれを認める家臣と認めない家臣とで二派に分かれた。

 この状態ではとてもではないが両家とも相模の統治など出来ない。軍事行動も不可能であろう。ところが定正は山内家の鉢形城への攻撃を企図し始めた。このことを知った朝良は腹をくくって定正を問いただす。

「養父上。鉢形城へ攻め入るというのは本当なのですか? 」

「ああ、本当だ。すでに準備も進めている。伊勢も自分が出陣すると言ってきた。案ずることはない」

 自信満々に言う定正。だが朝良はまだ不安である。ゆえに何とか食い下がった。

「大森、三浦の両家が動けない中で戦をするのはいささか危険かと」

「その不足を伊勢が補うと言っているのだ。それにほかの相模の者たちは出陣すると言っている。古河公方からも兵は出るだろうから何も心配はいらん」

 朝良はここで定正の自信満々の態度の裏に潜む焦りに気づいた。高見原での勝利から続くいい流れが氏頼、時高の死で途切れてしまうのではないかと焦っているように見えたのである。

 朝良は気づいた。しかしそれを口に出せない。出したところで怒りを買うだけであるというのがわかっていた。もっとも本当に扇谷家や定正のことを思えば言うべきなのだがそれができないのが朝良である。

「此度の出陣で決着を付ける。お前もそのつもりでおれ」

 そう言って定正は出陣の準備に戻っていく。残された朝良は何も言えず立ち尽くすしかなかった。


 定正は決着を付けるべく十月に鉢形城へと出陣した。そこには宗瑞も援軍として来援の予定である。だがここで定正にとって予期せぬことが起きた。

「景春はまだ来ないのか。古河公方の兵を引き連れてくると言っていたが」

 それは同盟者であり重要な戦力である景春と古河公方からの援軍の不在であった。この事態に定正だけでなく朝良や扇谷家の家臣達も動揺する。

「景春殿が我らを見限るとは思えない。ならばやってこないのはなぜなのか」

 朝良は家臣達とともに情報を集めた。そして鉢形城へ向かう途中でその真実を知る。朝良はその驚愕の真実を恐る恐る定正に話した。

「よ、養父上。今さっき景春殿からの使者が参られました」

「そうか。それでいったい此度のことをどう言い訳しているのだ」

 いらいらしながら言う定正。その剣幕に朝良はおびえてなかなか言い出せない。それを見てますます苛立つ定正。

「ええい、怯えていないでさっさと使者の口上を言わぬか! 」

「は、ははっ。それが、古河公方様がわ、我らを見限り山内家と通じたとのこと。そのことで景春殿の家中も動揺し、今は兵を出せぬそうです」

 朝良は烈火のごとく怒る定正を予想した。しかしその予想は外れる。定正は絶句しただ茫然とたたずんでいたのである。

 定正の反応も無理のない話であった。古河公方との同盟は山内家との戦いにおいて最も重要な戦略である。それが自分の知らぬ内に破綻してしまっていたのだ。これには動揺するしかない。

 朝良は絶句している定正を驚愕の表情で見た。今まで見たこともない姿であったからである。

「よ、養父上? 」

 定正は答えない。朝良にとって定正は常に自信にあふれ威圧的な男である。偉丈夫という表現が似合う人物で動揺している姿など見たこともなかった。それが今はただ茫然と絶句しているのである。

「(こんな養父上は見たことない。しかしそれも仕方ないか)」

 朝良だって今回のことで定正が受けた衝撃のほどは分かる。それゆえにこうも考えてそれを口に出した。

「養父上。此度は引き返すのですね」

 頼みの綱である古河公方の援軍はない。今後の戦略もすべて切り替えなければならないような状況である。一旦引き下がるというのも一つの手であった。

 だが定正の口から出たのは全く違う言葉であった。

「進むぞ」

「は? 」

「鉢形城に攻め入ると言っているのだ! ここで山内に痛手を与えて政氏の目を覚まさせてやる! 」

 鬼気迫る表情で定正は叫んだ。朝良は怯え差のまま走り去る。定正の叫びは響き渡り扇谷家の軍勢はすぐに進軍を始めるのであった。


 怒り狂う定正の号令で鉢形城へ進む扇谷家の軍勢。その途中で伊勢宗瑞が合流した。

「伊勢宗瑞にござる。先だっては我らにご支援いただきありがとうございました。その恩義はこの戦でお返しいたしましょう」

 宗瑞は頭をそった僧形である。その姿を見て朝良は少し驚いた。

「(伊豆に討ち入り堀越公方を滅ぼしたというから養父上のような方だと思っていたが、まるで違う。父上とも我らとも違う)」

 朝良が想像していたのは定正のような荒武者であった。だが目の前の初老の男は意外なほど線は細く嫋やかな物腰である。朝良の知る人物では氏頼が近いがそれ以上に知的で怜悧な雰囲気であった。

「(京の侍というのはこういう雰囲気なのか。だがそれでいて精悍でもあるな)」

 宗瑞の風貌には歴戦の重みのようなものが感じられる厳しさがあった。なんにせよ朝良でも只者ではないということがすぐにわかる。

 定正も宗瑞が思っていた雰囲気と違っていたので拍子抜けしたようであった。皮肉にもそれで定正も多少は正気に戻ったようである。もっとも宗瑞に慇懃な礼が傷つけられた定正の自尊心を癒したからということもあった。そういうこともあって定正は宗瑞を気に入ったようである。

「貴公ほどの侍が加わってくれれば百人力だ。ともに山内に者どもを蹴散らしてやろう」

「はい。承知いたしました。坂東武者の武勇に後れを取らぬように拙者も奮闘いたします」

 宗瑞は恭しく言った。この態度にますます定正も満足する。自分を上に置いているというのがよくわかったからだ。

一方で朝良も宗瑞に好意を抱いた。おとなしい朝良には宗瑞の穏やかなふるまいが好印象であったからである。何よりそのおかげで怒り狂った定正が落ち着いたからというのもあった。

「伊勢殿。これからも我ら扇谷家の力になってくれ」

 朝良は珍しく明るい口調で言った。陣中や戦場ではいつもおびえて暗い雰囲気でいるから定正や家臣たちも驚いている。一方の宗瑞は朝良の言葉に返答せず穏やかなほほえみを浮かべるのであった。この所作で朝良の宗瑞への好感度もますます上がったのである。

 こうして扇谷家の一同と伊勢宗瑞の初顔合わせは終わった。扇谷家の面々は宗瑞の人柄にいたく好印象を抱き信頼したのである。それゆえに宗瑞が顔合わせの間に定正や朝良の人物を見定めていたことには気づいていない。それは今後のあらゆる事態に備えての見定めであるということを。

 ともかく宗瑞が合流し勢いに乗る定正たち。だが彼らにはこの後でとんでもない不幸が降りかかるのである。

 


 後から見ればわかることというのは良くあります。今回の話は後から見れば扇谷家の終わりの始まりと言える出来事が起きました。そして次の話は終わりをさらに進める出来事が起きます。それは朝良にも劇的な影響を及ぼす出来事となります。

 いったい何が起こるのか。扇谷家はどうなるのか。そして伊勢宗瑞はいかなる動きを見せるのか。お楽しみに、と言いたいのですが次週はお盆休みということで一回休みとさせていただきます。ご容赦を。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 


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