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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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上杉朝良 転換点 第一章

 武蔵(現東京都、埼玉県)の武将、上杉朝良の話。

 関東の戦国乱世は既存の政治体制の内乱から始まった。その果てしない戦いの当事者の一人が上杉朝良である。彼はいかに関東の騒乱に関わったのか。

 戦国乱世の始まりは応仁の乱からともいわれる。だが関東では享徳の乱(享徳三年:一四五五~文明十四年:一四八三)が戦国乱世の始まりであった。享徳の乱は関東の将軍ともいえる古河公方足利家とそれを補佐し差配する関東管領上杉家の長い長い戦いである。この最終盤で起きたのが関東管領山内上杉家(以後は山内家とする)の重臣である長尾景春の反乱がおきた。この反乱を鎮めたのが上杉家一族の扇谷上杉家(以後は扇谷家とする)の重臣である太田道灌である。この功績や享徳の乱での活躍もあって扇谷家は勢力を大きくしたのであった。

 扇谷家の当主は上杉定正という。定正は本来、家督を告げる立場ではなかったが、もろもろの都合のあり扇谷家の当主に就任したのである。

 性格は勇猛果敢で豪胆。才気もあり傑物と言っていい人物である。だがいささか粗野であり猜疑心と野心の強い側面もある人物であった。

「享徳の乱で扇谷家は大きく強くなった。これなら山内家に取って代わることも不可能ではない。いや、必ずややれる。必ず山内家の上に立って見せる」

 そう言って野心をたぎらせる男であった。

 さてそんな定正には悩みがあった。男子がいなかったのである。

「扇谷家を大きくしてもそれを継ぐ者がいなければ意味がない。だが儂の妻は病弱でこれ以上の子供は難しいか」

 定正には娘がいたが子供はそれっきりである。このままでは扇谷家は途切れてしまうかもしれなかった。そこで定正は養子をとることにする。

「俺の跡を継がせるのならば朝昌の子がよかろう」

 朝昌は定正の弟で兄を支えた有能な人物であった。そんな朝昌の子ならば扇谷家の次期当主としてふさわしいということである。これには朝昌も同意した。

「それでよろしゅうございます。息子をよろしく頼みます兄上」

 こうして時期扇谷家当主として朝昌の息子は定正の子になった。のちに名を上杉朝良と名乗るようになる。


 定正は朝良を後継者として迎え入れたが、いざ実際に接してみて驚いた。朝良は勇敢な朝昌と違って大人しく文弱な少年であったからである。

「曲がりなりにも儂と同じ血が流れているはずなのに。なんと情けない男だ」

 そう思った定正は何かにつけて朝良をしかりつけた。たとえば

「ただでさえ青白いのに本ばかり読んではますます白くなるばかりだ。それで大将が務まるのか」

とか

「武芸もせずに敵を討てるのか。そんな軟弱さでは戦場で足軽に討たれて死んでしまうぞ」

などと言った。

 こんなことを毎度毎度言われては朝良も定正の言うとおりに武芸に勤しまなければならない。しかしその才がないのでなかなかに成長しなかった。そしてそれを見て再び定正は怒るのである。

 こうした生活に朝良は不満が無いわけではなかった。だが絶対に定正に逆らうようなことはしない。というか大人しい朝良にとってはそう言った発想自体がなかった。

「形の上だけでも武芸に励み何とか叔父上に納得してもらおう。叔父上に逆らってはどうなるか分かったものではない」

 朝良は定正を兎も角恐れていた。それは普段から怒られていることもあるが別の理由もある。

「あれほどの武功を挙げた道灌殿を叔父上はあんなにあっさり殺してしまうとは。叔父上は己の意に添わぬものの命を何とも思っていない」

 文明十八年(一四八六)定正は太田道灌を罠にはめて暗殺している。これは道灌が活躍し定正を凌ぐ勢力を得つつあったことと、道灌の権力を妬むほかの扇谷家臣の憎しみが原因とされた。ともかく扇谷家に大きな功績があった道灌を定正は殺してしまっているのである。

「叔父上の意に添わなければ私もどうなるかわからない。ああ、恐ろしい」

 次期当主として歓迎されたはずなのに。現状とのギャップに朝良はため息をつくのであった。


 朝良が養子になったころ、扇谷家と山内家の関係はいよいよ悪くなっていた。特に道灌の死は山内家にとっては僥倖ともいえるものである。最も警戒していた敵が労せず排除されたからだ。ゆえに山内家の謀略によるものではないかという風聞も立ったが、真偽は定かではない。それはそれとして定正が道灌を討ったのは事実であるから長享元年(一四八七)には道灌の息子の資康が出奔し山内家に仕えるようになった。もっともこれも定正が太田家の城である江戸城を接収した事が起因である。定正としては道灌の抱えていた戦力などを自らの旗下にしておきたかったのだろう。しかしこれらの行動は道灌に親しかった者たちの反発を生みむしろ離反や不信を招いてしまっている。

 このような情勢下で山内家は扇谷家を攻めず自領内の敵対勢力の鎮圧に勤しんでいた。扇谷家が道灌を失ったことで動けないだろうということを見越しての行動である。一方で定正も秘密裏に動いていた。

「我らだけで勝てると思うほど私もうぬぼれてはおらん。幸い山内の顕定は敵も多いしな」

 関東管領山内顕定は内外に敵を抱えていた。その内の筆頭が長尾景春であり、外の筆頭が古河公方足利成氏である。定正は彼らと連携して山内家と戦おうとしていた。

ところがこうした動きは山内顕定に察知されていた。

「扇谷家が我らに逆らおうとしているのは明白である。ならば打ち倒してくれるわ」

 顕定は実家である越後(現新潟県)上杉家に援軍を要請し顕定の兄の定昌がやってきた。二人は扇谷家に内通していた長尾房清の勧農城を攻め落とす。この動きを受けて定正も腹を決めた。

「まだ気ではないと思っていたが、こうなっては仕方ない。存分に打ち破り我が名をとどろかせてやろう」

 定正も全面対決を決意し急ぎ準備を進める。

 一方朝良は慌てふためくばかりであった。

「山内の本家は強大だ。養父上殿が戦上手でも勝てるのだろうか」

 不安が募るばかりの朝良。ともかくここから長きにわたる上杉家同士の戦いである長享の乱が始まるのであった。


 長享二年(一四八八)いよいよ扇谷家と山内家の戦端が開かれた。まず動いたのは山内顕定である。顕定は初手から決着をつけようと定正の本拠地である相模(現神奈川県)の糟谷館を攻撃するために太田資康などとおよそ千の兵を率いて出陣した。

 この時定正は武蔵(現東京都、埼玉県)の河越城にいた。糟谷館には朝良の実父で定正の弟の朝昌が入っている。しかしそれを顕定は知らない。

「山内は儂が糟谷館に居るものと考えている。ならば後ろから儂が現れれば奴らも慌てふためくだろう」

 そう考えた定正は二百の兵を率いて出陣する。定正も兵力に差があるのは重々承知していたのでこうした策をとることにしたのだ。

 一方このころ朝良は糟谷館の手前にある七沢城に入っていた。七沢城は糟谷館を守る城であり朝昌の城でもある。朝良にとっては生まれ故郷でもある城で定正の下よりずっと居心地のいい場所であった。

「このまま養父上と顔を合わせないで暮らしていきたいものだ」

 そんなことを言う朝良。家臣たちはさすがに呆れた。

「若君。そんなことを言ってはいけませぬ。扇谷家を継ぎ栄えさせるのが朝昌様のお望みなのですから」

「私ではとても養父上の跡は継げぬよ。もっと別の誰かを養子にすればいいのに」

 そうへらへらと笑いながら言う朝良であった。ともかく久しぶりの故郷でいろいろと気楽な様子である。

 ところが事態は急変した。先ほども記した通り顕定が糟谷館に向けて出陣しているのである。無論朝良の耳にもその情報は入った。

「顕定殿は七沢城に攻めかかるつもりなのだろうか」

 朝良は青い顔をして家臣たちに尋ねる。何せ初陣もまだで年もまだ十六歳の少年であった。戦におびえるのも仕方ない。そんな姿を不憫に思ったのか家臣たちは口々に意見を出しておおむね七沢城は攻めないという結論に至った。

「山内様は糟谷館をいち早く攻め落とし定正様を討ってしまおうと考えておられるのでしょう。わざわざこの城を攻めて無駄な時間を取るつもりはなさそうです」

 こうして朝良を落ち着かせようとしたのである。実際その通りになった。

「なるほど。つまりこの城の前を通って行くということか」

 城が攻められるということがないと知って一瞬安心する朝良。だが違うことに思い至ってまた顔を青くした。

「敵が前を通ると知っていながら何もしなければ養父上がお怒りになるのではないだろうか。そうなったら大変だ」

 扇谷定正は勇猛な男である。そんな定正に城に籠ってやり過ごしたと知られたらどうなるか。

「必ず怒るに決まっている。ああ、それだけは嫌だ」

 頭を抱える朝良。家臣たちはあきれるがさすがに放っては置けない。

「とりあえず城から出るだけ出て、戦はせずに引き返しましょう。そうすれば一応の面目は保てまする」

「おお、それがよい。そうしよう」

 朝良は家臣の案をあっさりと採用した。こうして上杉朝良の初陣が始まったのである。


 上杉朝良は七沢城から出陣した。なのだがこの動きは顕定に察知されてしまう。

「城に籠っていればいいものを。わざわざ出てくるとはとんだ馬鹿者だ」

 顕定は進路を変えて朝良の軍勢に襲い掛かった。まさか攻撃されるとは思っていなかった朝良は恐慌する。

「な、なぜだ? なぜこちらに攻めてくるのだ」

 慌てる朝良は碌に指示も出せず慌てふためく。兵力には圧倒的な差があり将兵は次々と討たれていった。

 そんな中で家臣の一人が叫ぶ。

「敵は七沢城に向おうとしております。おそらくこのまま攻め落とすつもりなのでしょう」

「そ、それはいかん。父上の城を奪われるわけには。急ぎ城に戻ろう」

「それが敵は我らを囲みつつあります。特に七沢城の方は兵の数が多くとても打ち破れそうにありませぬ。ですが無理をすればなんとか。それと糟谷館の方はまだ兵が少なく打ち破れそうです」

 これを聞いて朝良は素早く決断した。

「糟谷館に逃れるぞ。そして父上の助けを得るのだ」

 城を捨てて逃げるという情けない決断である。家臣たちとしては無念であったが背に腹は代え得られない。仕方なく朝良の決断に従った。

 幸いと言っていいのかどうかはわからないが朝良たちは敵の包囲を突破し糟谷館に逃れることができた。当然七沢城は陥落している。

 朝昌は逃げ込んできた息子にあきれるばかりであった。

「無謀な戦いを仕掛けて敗れる。しかも城まで奪われるとは」

「い、いえ父上。これには理由が。それに私は初陣で」

「戦場で敗れて城も奪われたのだ。何の言い訳も意味はない。あとで兄上にきっちりお叱りを受けるのだな」

 突き放すように朝昌は言った。これに朝良はへたり込むしかできなかった。


 七沢城が落城したことを知って定正は激怒した。

「朝良め! 城に籠ってやり過ごすこともできんとは」

 七沢城が落城した以上は糟谷館が危ない。定正は全力で駆け抜け糟谷館に急行した。そして糟谷館近くの実蒔原に陣を張る顕定を強襲する。てっきり糟谷館に定正がいると思っていた顕定は意表を突かれた形になり大いに動揺した。

「まさか定正が後ろから攻めてくるとは。こうなると七沢城を奪われたのも何かの策か? いや、それはないはず。ともかくここは退くべきか」

 本来の目的は果たせなかったものの糟谷館を守る要害である七沢城を攻め落とせたのは大きな戦果である。これ以上の戦いは損害を広げるだけだと判断した顕定は撤退していった。ただし被害は少なくない。

「やはり定正は油断ならぬ男だ。道灌が亡き後でも油断はできぬ」

 顕定は定正の手腕の見事さを痛感しながら撤退していった。

 一方定正は顕定の撤退を見届けると糟谷館に入る。そして朝良を見つけるなり怒鳴りつけた。

「敵との差もわからず攻めかかり敗れた挙句城も失う。天下に知られる大失態。いったい何を考えておるのだ! 」

 すさまじい剣幕で怒鳴りつける定正。朝良は何も言えず震えて平伏するばかりであった。定正はそんな朝良をさらに責め立てる。

「おぬしの軽挙で儂は重要な城を失った。しかもその城はお前の父親の城ではないか。そんなことをしでかしておいてその父の下に逃げ込むとはなんという親不孝者! 恥を知るがいい! 」

 定正のあまりの剣幕にだれも止めに入ることはできなかった。朝昌も何も言うことはできずただ黙り込んでいる。

 朝良は生きた心地がしない。

「(き、きっと私はこのまま討たれてしまうのだ。父上の前で切り捨てられるのだ)」

 もはや死を覚悟するほどであった。だがここで定正は朝良にとっては思いもがけぬことを言う。

「貴様のような者でも儂の後継ぎである。今回のことは不問とする。その代わりこの件を糧にして精進するのだぞ」

「は? は、ははっ! 」

 朝良はやっとこさ声を出してそう言った。そう言った時には定正の姿はない。ともかく急死に一生を得た朝良であった。

 こうして朝良の初陣は終わった。しかし両上杉の騒乱はまだまだ続く。


 関東の戦国時代の初期は扇谷、山内の両上杉家の争いが中心となります。かなり混迷を深めていて興味深くかつ面白い時代なのですが、いかんせん争っているのが上杉家同士ということで分かりにくい部分も多くあります。特に家の名前はその代表格です。なので上杉家ではなく扇谷家、山内家としますのでその点はご了承ください。

 さて早くも大きな失敗をしてしまった朝良。果たして挽回の機会はあるのか。お楽しみに

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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