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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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少弐冬尚 遺恨 前編

 肥前(現佐賀県及び長崎県)の武将少弐冬尚の物語。

 少弐家は歴史の古い家である。しかして戦国乱世の中では滅亡と再興を繰り返す不安定な家であった。少弐冬尚はそんな少弐家の最期の当主となる。いったいどのような顛末をたどるのか。

 肥前(現佐賀県及び長崎県)の少弐家の始まりは鎌倉時代に至る。つまりはたいそう由緒のある家であり戦国乱世まで生き延びてきた家でもあった。もっともだからと言って今でも栄華を誇っているわけではない。

 当代は少弐資元。肥前の勢福寺城を居城にしている。だがここは少弐家の代々の城と言わけではない。というかそもそも少弐家の本領は筑前(現福岡県)で大宰府の次官である太宰少弐の立場であった。しかし関門海峡を挟む周防(現山口県)の大内家に圧迫された結果によるものである。この時資元の父の政資は戦死したため少弐家は一度滅亡の憂き目にあっていた。

「この屈辱は忘れん。いずれ筑前に帰還して見せる」

 家を滅ぼされた資元は雪辱を誓い元服した。その背後には九州の大大名である大友家の支援もあり何とか少弐家を再興したのである。そしてそれからしばらくして再興された少弐家に男児が生まれた。松法師丸と名付けられたこの子が次の少弐家の後継ぎであり、少弐家の最期の当主である。


 資元が肥前に逃れてからしばらくは争いもなく平穏であった。しかしこれを打ち破ったのはだれであろう資元である。享禄元年(一五二八)に大宰府の占拠を目指して挙兵したのだ。この時資元は家督と太宰少弐の座を松法師丸に譲っている。この時松法師丸は元服していて冬尚と名乗っていた。だからこそ資元もこうした判断ができたのである。これはともすればこの戦いで死ぬかもしれないという資元の覚悟であった。

「父が死んだとき私が生きていたからこそ少弐家は絶えなかった。だからこそ私が死んでも松法師丸が生きていれば少弐家は絶えぬ」

 そう覚悟した資元は松法師丸を勢福寺城に入れて、自分は最前線の多賀城に入った。そして大内家への対決の姿勢を鮮明にして太宰府の占拠をねらったのである。

 一方大内家はかえってこの事態を利用しようと考えた。

「ちょうどいい。これを機に少弐家の息を止めてしまおう」

 そう考えた大内家の当主の大内義隆は少弐家追討の準備を始める。とはいえ少弐家や資元を侮っていたので本腰を入れた攻撃はしなかった。だがそれがあだとなり少弐家の躍進を許し大宰府をうかがうじたいにまでなったのである。

「資元め、思ったよりやりおる。ならばここで引導を渡してやろう」

 享禄三年(一五三〇)義隆は家臣の杉興行を北九州に派遣し、その地の領主たちを糾合させた。そして少弐家への攻撃に向かわせたのである。

 その攻撃目標は冬尚のいる勢福寺城であった。


 資元は急いで勢福寺城に入った。そして杉興行率いる軍勢の迎撃に挑む。この時北九州の領主の多くは大内家に従った。しかし肥前の領主であった龍造寺家兼や小田政光は資元に従った。無論少弐家の家臣達もいる。特に少弐家の一門でもる馬場家の馬場頼周は忠誠心も強く頼りになる存在であった。

「皆の奮起を期待する。この戦に勝利し少弐家の栄光を取り戻すのだ」

 この資元の呼びかけに皆力強く応じた。

「この頼周にすべてお任せを。少弐家の再興はここから始まるのです」

 そう言って馬場頼周は力強く応えた。一方その隣の龍造寺家兼は大人しい。

「このおいぼれの力がお役に立つかどうかは分かりませぬが精いっぱい働きましょう」

 この時の家兼の齢は七十を超えている。かなりの高齢であった。だが龍造寺家の本家が衰えており分家の実力者であった家兼がまだ働いているという状況である。

 こうして資元率いる軍勢は大内家の軍勢の迎撃に向かった。この時冬尚は勢福寺城の守りを任されている。そして戦に負けるならば脱出せよともいわれた。

「いえ、私は父上の帰りを待ちまする」

「馬鹿を言うな。お前が死んでしまったら少弐家は終わりだ。必ず、何があろうとも生き残るのだぞ」

 そう言って資元は出陣していった。冬尚はその後姿を見送ることしかできない。

やがて肥前の田手畷で合戦が始まった。兵力は大内軍の方が上回っており少弐家は劣勢である。だが資元は必至で位付き頼周もそれを支えた。そしてひそかに隠れていた家兼の家臣である鍋島清久の軍勢が奇襲をかけると状況は一変する。思わぬ攻撃を受けて混乱した大内軍は多数の死傷者を出して敗走していった。

合戦は少弐家の勝利で終った。冬尚は戦の成り行きを聞いて家兼をほめたたえる。

「おいぼれなどとはとんでもない。家兼殿の軍略は見事でございます」

「いえいえ。こんなおいぼれでもお役に立てたのならうれしゅうございます」

 にこやかに言う家兼。その姿に冬尚も感心するのであった。それゆえに家兼の目に宿る野心の光に気づけない。そし称えられる家兼に厳しい目を向ける頼周にも。

 

 大内家はその後も少弐家への攻撃を繰り返したが、資元たちはこれをことごとく打ち破った。また少弐家を支援していた豊後(現大分県)の大友家も北九州に進出し大内家を圧迫する。

こうして情勢は少弐家の有利に傾いてきたかに見えた。実際資元も筑前への復帰と大宰府の奪還を目指して積極的に攻撃を続ける。

冬尚は後方で父の支援を行っていた。この時は少弐家の勝利を信じていたしいずれ自分が大宰府に入るものだと思っている。

「そうなれば名実ともに私が少弐家の主。その日は近い。それまで父上を支えよう」

 これはかなり楽観的な観測であった。事実大内家は確かに北九州で劣勢に立たされているかに見える。だが大内家自体の主力は温存されていた。これは大内家が北九州の戦いに本腰を入れていなかったからともいえる。逆に言えば大内家が北九州に注力するようになれば形勢はあっという間に逆転するかもしれなかった。

 実際大内義隆は北九州の掌握に本腰を入れるようになる。きっかけは天文二年(一五三三)に資元が筑前の岩屋城を攻撃したことであった。ここの城は大宰府奪還を目指すうえで重要な城である。ここを攻め落とせば大宰府奪還は果たせたようなものであった。

 岩屋城は落城しなかったがこの事態に義隆も危機感を覚えた。

「少弐も思った以上に粘りよる。何より大友の後援が大きい。ここは儂自らが出るとするか」

 義隆は腹心の陶興房を伴い自ら出陣した。そして興房に大友家の対応を任せ自らは北九州に入り少弐家を威圧する。少弐家もこうなっては動きづらいとなって積極的な攻撃に出られなくなった。そんな中で興房が大友家の軍勢と交戦。撤退するも大友家の将を討ち取り戦いを痛み分けにする。そしてこの戦いの結果大友家が前よりも少弐家を支援できなくなった。

 このような情勢の変化の中である日、馬場頼周が冬尚にこう伝えた。

「最近大内家が少弐家の者に内応を誘っているようです。ご注意を」

「そうか。だが、あの戦で一致団結して大内家の者を打ち払ったのだ。裏切るようなものはいるはずがない」

 そう朗らかに言う冬尚。だが頼周は厳しい表情で言った。

「私が聞き及んでいるところによると、龍造寺殿の下に大内家の家来が出入りしているようです」

「そんなバカな。家兼殿はあの戦で我らのために戦ったではないか」

 頼周の言葉に信じられないと言い返す冬尚。これに対して頼周は厳しい表情のまま黙り込むのであった。


 天文二年に大内義隆が北九州に入ってから明らかに少弐家は劣勢に追い込まれていった。それは大友家の支援が滞り始めたことが原因の一つであり、同時に少弐家の限界の露呈ともいえる。それでも資元は筑前への復帰と大宰府の奪還を目指して戦ったがうまく行かなかった。

 こうした状況の中で冬尚は必至で父を支えた。だがそこであることに気づく。

「どうも龍造寺家の様子がおかしい。本気で戦っているようには見えんのだ」

 龍造寺家はこの時も少弐家の家臣として戦っている。だがそれにしては妙に消耗が少ないように見えたのだ。というか戦力を温存し何かに備えているようにも見える。

 冬尚は不審に思い龍造寺家兼を問いただすがいつもはぐらかされてしまう。そうなってくるとかつて頼周に言われたことを思い出す。

「まさか謀反を起こす気なのか。大内家に寝返って我らを討つつもりなのでは」

 ここにきて冬尚は頼周の言葉を信じ始めた。しかし寝返りの証拠などない。また確かに全力で戦っているように見えなくとも、いまだ少弐家の指示には従っているのである。

 だが冬尚は不信感がぬぐえなかった。そこで資元にこのことを相談する。

「このところ龍造寺家の動きが不信に思えます」

「そうか? 我らの命には従っているようだが」

「それにしては戦場から退くのが早いようにも思えますが」

「それは退き際を心得ているということだろう。戦について家兼のことは信頼できる。家兼の進言でうまく逃げ切れたこともあったからな。まあ、龍造寺家はそもそも我らの家臣ではない。そこは考えてやるべきではないか」

 資元の言う通り龍造寺家は少弐家の家臣ではなかった。もともと在地の領主であり、それが家臣の扱いになったという立場である。そのためかあまり強く出られない事情もあった。

「田手畷ではあれほど見事に戦ってくれたのだそんな家兼を信じないわけにはいかん」

「それはそうなのですが」

 結局冬尚の不信感はぬぐえなかった。


 その後少弐家と大内家との戦は大内家の優位で推移していった。少弐家は徐々に追い詰められていき筑前への帰還と大宰府の奪還を果たすどころか滅亡の危機にまで追い詰められていく。そんな中で龍造寺家兼がこんな提案をした。

「ここはひとまず和睦をするべきかと。そして大内家の目がよそに向いたときに再び戦を仕掛ければよいのです」

 これに頼周は反対した。

「そんな子供だましが通用する相手ではない。第一こちらが和睦したいといっても優勢な相手が応じるわけがない」

「その点については考えがあります。もし大内家が和睦に応じると言えば我らも承知ということでよろしいですね」

 家兼は資元に尋ねた。資元は少し考えこむも無言で首を縦に振る。それを見た家兼はほくそ笑み頼周は愕然とするのであった。

 こうして少弐家は大内家との和睦を決めた。だが頼周ら多くの家臣が

「大内家は我らを滅ぼそうとしている。そんな連中が和睦に応じるわけはない」

と、考えていた。

 しかし大内家は和睦に応じた。しかも少弐家の肥前の領地を保証したうえでのことである。これには少弐家は騒然となった。

「まさか大内家が和睦に応じるとは。龍造寺殿はいかなる手を打ったのだ」

「ともかく領地は守れたのだ。これで一安心だ」

 驚く少弐家の人々。だが資元は満足げである。

「家兼に託して正解であった」

 喜び安心する資元。だがこれが悲劇の始まりであった。


 少弐家と大内家は和睦する。だがこれは龍造寺家兼の策略であった。家兼は大内家には少弐家が降伏するつもりだと伝えている。そのうえでこう言った。

「最初は領地を認めてやるのです。そのうえでいろいろと理由をつけて領地を減らしこちらに反抗できなくすればよいでしょう。少弐家が小さくなったら大宰府に戻してやって筑前の統治に利用してやればいいのです」

 大内義隆はこの策に乗った。そのためあっさりと話は済んだのである。しかし少弐家は和睦と信じている。家兼はすべて黙っていた。それが少弐家のためだと考えていたのである。

「一時は主と仰いだ家だ。滅びるのは忍びない。とはいえこのまま大内家に無謀な戦いをしていてもしようがない」

 家兼は少弐家の支配を脱して龍造寺家を大名に押し上げたいと考えていた。そのためには生き残り無謀な戦いは避けそのうえで自家の領地を拡大する策を取らなければならない。

 その策はうまく実行できたかに見えた。だが一つ誤算があった。大内家は少弐家をなにがなんでも滅ぼすつもりだったのである。

 天文五年(一五三六)大内義隆は太宰大弐の官職を得た。これは少弐家の官位である太宰少弐のすぐ上である。要するに少弐家より上位で大宰府を管理する大義名分を得たと言えた。こうなれば家兼の言った少弐家の利用価値などないも同然である。

「散々苦しめてくれたのだ。この際完全に討ち滅ぼしてしまおう」

 義隆は陶興房に命じて資元を攻撃させた。資元も応戦しようとするが大内家に領地を減らされてしまっている今ではどうしようもない。

「家兼はどうした。我らを見限るつもりなのか」

 家兼は動かなかった。ここで大内家に歯向かえば龍造寺家が滅ぼされるかもしれなかったからである。

「こうなるとは。資元様には申し訳ないことをした。こうなるとせめて冬尚様を逃さなければ。そうすれば一応少弐家は生き残る」

 この時冬尚は馬場頼周達の助けで家臣の小田資光の下に逃げようとしていた。家兼はこれをうまく支援し無事に脱出させている。

 一方逃げ延びた冬尚は家兼への怒りに燃えていた。

「父上を陥れてこのようなことをするとは。絶対に許さん」

 この冬尚の怒りは遺恨となって残り続けるのである。


 今回の話は冬尚の父の資元の時代の話です。資元は一度滅亡し筑前から追われた少弐家を再興した人物でした。しかしあえなく死亡し少弐家も再び滅びてしまいます。冬尚の話はここから始まるわけですが、のちの展開に関わる事象はすでに起きています。少弐冬尚、龍造寺家兼、馬場頼周。この三人が話の中心となりますので祖に注目していただけると幸いです。

 さて大内家に家を滅ぼされた冬尚は再興を誓い潜伏します。その誓いの先に何が待ち受けるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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