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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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木曽義昌 一所懸命 第六章

 武田家は裏切った木曽家を討伐すべく大軍を送った。だが義昌はこれを辛くも撃退する。その後織田家の軍勢も到着したことで情勢は一気に変わった。武田家が終焉に近づく中で義昌は何を思うのか。

 織田家の支援もあり義昌は無事に木曽谷を守り抜いた。また自ら出陣して戦ったこと、木曽家が武田家を撃退したことによるさらなる寝返りなどの誘発などの功績も認められたようである。

「貴殿らの奮闘は見事である。父上もきっとお喜びであろう」

 そう義昌に言ったのは信長の嫡男で先鋒隊の大将を務める織田信忠である。信忠は信濃の奥に入る前に攻め落とした城で休んでいた。そこに義昌がわずかな供を連れてあいさつにやってきたのである。飯田城は木曽谷から少しばかり離れている。しかし戦いの痛手もあったが、こうやって顔を出すことで織田家からの覚えを少しでも良くしておこうという義昌の努力であった。

 その快もあってか信忠は義昌を丁重に扱った。それは義昌がわざわざここまで顔を出しに来たということもあるが別の理由もある。

「義昌殿のおかげで武田から離れる者も次々に現れた。おかげでここまで大した労もなく来られたのだ」

 やはり寝返りの続発は大きくそれを呼び込んだ義昌の離反と勝利は信忠個人にとってもありがたいことであったのだろう。そういうわけもあって信忠の義昌への印象は良かった。そして時期織田家当主からの印象が良いことは義昌にとってもいいことである。

「これより木曽家は織田家のために尽くしましょう」

「そういってくれるか。その志は見事だな」

「いえいえ。これも織田家の御威光の素晴らしさに感じ入ったからにございます。こののちはほかの方々も織田家に従いましょう」

「そうだな。だが次の城はそうもいかない」

 一転信忠は表情を引き締めて言った。また義昌もこの言葉に納得している。信忠が次に目指すのは高遠城。城主は勝頼の弟の仁科盛信である。

「武田信玄の血を引くものが相手だ。そう簡単にはいくまい」

 何気なくつぶやく信忠。だがその言葉は義昌にとっては何とも居心地の悪いものであった。何せ義昌は勝頼の妹を娶っておきながら武田家を裏切った男である。もっとも信忠の言葉からは悪意が感じられない。単純に武田信玄の血を引く名将との戦いに覚悟を決めているといった風である。だが逆にその真面目さが義昌の心に影を落とした。

「拙者はこれにて失礼します」

「おお、そうか。追って改めて沙汰があるはず。それまでは家臣や民をねぎらうといい」

 邪気のない信忠の言葉に義昌はますますいたたまれなくなるのであった。


 義昌が木曽に戻ってからしばらくして信忠たちによる高遠城の攻撃が始まった。とはいえ周囲に砦を築いての包囲戦である。信忠はやはり盛信を警戒し、一方の盛信も数で劣ることもあり勝頼の援軍を待ち籠城するつもりらしい。勝頼も高遠城の援軍に向かうべく準備をしているようである。

「勝頼殿も勇将ではある。しかし信忠様の器量は相当らしい。戦となればどちらが勝つか」

 おそらくは高遠城の援軍に来た武田軍と信忠の包囲軍の一戦となるだろう。おそらくそれが武田家の運命を決める一戦になるはず。義昌はそう感じていた。

 ところが事態は一変した。武田家の駿河方面の統治を担当する穴山信君が徳川家に寝返ったのである。こうなればもはや駿河は徳川家のものである。甲斐と隣接している駿河が陥落すれば武田家の本拠地の甲斐も危うい。

 勝頼は泣く泣く高遠城の救援をあきらめて甲斐に撤退した。そして高遠城の盛信も覚悟を決める。

「おそらく織田方はすぐに攻めてくるだろう。このうえは見事に戦い抜いて見せようぞ」

 そしてほぼ盛信の考えていた通り信忠は高遠城に総攻撃を仕掛けてきた。ほぼ、と言ったのは総攻撃の前に信忠は降伏の使者を送っていたのである。むろん一蹴されたが。

 高遠城は壮絶な死闘の末に落城。仁科盛信は家臣とともに討ち死にした。

 義昌はここまでの経緯を聞いて複雑な心境であった。

「信玄様の血を引く盛信殿は見事に戦い抜いた。しかし私と穴山殿は…… 」

 穴山信君は信玄の娘を娶っている。だが今回は穴山家を存続させるために徳川家に降伏したのだ。つまりは義昌と似たような立場と言える。

 武田家の血をひくものは家のために死んだ。妻を娶ったものは自分の家のために武田家を裏切っている。そういうものと言えばそうであるが、義昌は何とも複雑な思いを抱くのであった。


 高遠城の落城の後に義昌に織田家から命令が下った。それは信濃北部にある深志城の攻撃に参加せよというものである。攻撃部隊の大将は信長の年の離れた弟の織田長益。文化人として著名であったが武将としては微妙な人物である。そういうわけで土地になれた実戦経験もある義昌に参加を求めたのだ。義昌もこれを断る理由などない。

「深志城が落ちればいよいよ信濃も織田家のものであるな」

 そもそも信濃は木曽家などの独立した領主たちの領土であった。それが武田信玄に制圧され支配下にはいっていたのである。そして今度は織田家の支配下にはいろうとしているともいえた。

「もはや個々の領主が土地を守るという時代でもないのだろう。武田か織田か、どちらにせよ力強き者に従うことが家を守ることなのだ」

 義昌は時代の変化をそうとらえていた。実際その通りであるからおかしくはない考え方である。

 さて義昌は深志城の攻撃に向けて出陣した。深志城を守るのは武田家の重臣の子である馬場昌房である。しかし戦意は低いようだった。

「もはや武田家の敗色は濃厚。戦う気にならんというのもわかる」

 助けが来ないのなら戦ってもしようがない。義昌も同じようなことを考えたから織田家に寝返ったのである。しかし昌房は義昌と違って固有の領地をもたないし武田家の家臣という立場であった。降伏したとしても命や領地の保証はない。

「武田家に昔日の勢いがあれば話は違ったのだろうが。何とも悲しい話だ」

 結局昌房はあっさりと降伏した。無駄に戦って死者を出すのも申し訳ないということだった。城の将兵の命と引き換えの降伏であったがそこに昌房の命は含まれていない。昌房は捕縛され後に処刑されたそうだ。

 城をやすやすと落として攻撃部隊の大将であった長益は満足げであった。

「これで私も武功を挙げられたというわけだ。いやはやめでたい」

 大喜びする長益。だが義昌は意気消沈して捕縛された昌房の姿を思い出すと、とてもではないが喜ぶことはできなかった。


 深志城が落城したころいよいよ武田家の終焉が近づいてきた。現在武田家は西からは織田家、東からは北条家、南からは徳川家と三方向から攻撃されている。北の上杉家は味方であるがこちらも織田家の苛烈な攻撃を受けて身動きが取れなかった。

 もはや周りに味方はいない。支配下にいた領主は次々と寝返り逃げ出す家臣たちも続出する。勝頼は一度新府城に戻って戦おうとも考えたが徳川家の侵攻が早くそれもできそうにはなかった。

「こうなれば新府城を捨てるほかあるまい」

 新府城は勝頼が新たな武田家の統治体制を作るべく築城した。しかしそれをきっかけに領主たちの不満を招き、義昌の離反を引き起こした。そうして出来上がった城で戦うこともできずに逃げることしかできない。勝頼はただただ無念であった。だが、それでも生き残らなければ武田家の命脈を残すこともできない。城も家臣の大半も失った当主が最後にすべきは家名を保つことである。

「信茂の岩殿城は堅城だ。それに万が一のことがあっても関東に逃れることができるはず」

 勝頼は家臣の小山田信茂の城に逃れることにした。ところが岩殿城に向かう途中で信茂が離反したことを知る。そして絶望した。

「織田家の追手も迫ってきている。もはや逃れることはできん」

 覚悟を決めた勝頼が向かったのは天目山であった。天目山はかつて武田家が一度滅亡した地である。勝頼はここで最期を遂げようと考えた。

「もはや家名を残すこともかなわん。ならば攻めて武名だけでも残そうか」

 勝頼はわずかな家臣とともに織田家の追手と戦い多数の兵を切り捨てた。だがそれもすぐに限界が来る。勝頼は息子と妻とともに自刃し果てた。こうしてかつては栄華を誇った武田家は滅亡したのである。

 義昌は勝頼の死にざまを聞いて怒りも悲しみも浮かばなかった。ただあるのは無常のみである。

「勝頼殿は確かに名将であった。だが間違えた。だから死んだのだ」

 そう自分に言い聞かせるようにつぶやく義昌であった。


 勝頼が自刃したころ織田信長は武田領国にはまだ入っていなかった。だが息子が自分の手を借りず難敵を迅速に攻め滅ぼしたことに大いに喜んだという。

 それから数日後信長は信濃の諏訪に入り陣を張った。ここに徳川家康ら参加した武将たちが参陣し信長に拝謁することになる。義昌も拝謁することになった一人であった。

 義昌は家臣とともに諏訪に向かった。信長への献上品である馬二疋も一緒である。功を挙げたとはいえさすがに何も持たずに拝謁するようなことはできない。

「信長様が気に入ってくれればよいが」

 不安な面持ちで義昌は諏訪に向かった。義昌は十分すぎる功績を挙げていたし別に不興を買うようなこともしていない。だがそれでも不安だし緊張もしていた。なんでそんなことになっているのかというと信長に関するうわさにある。

「信長様は稀代の英傑であるが苛烈なお方でもあると聞く。それに昔は大うつけともいわれていたらしいからなぁ」

 もう大分昔の話であるが信長はうつけ、大バカ者と称されていた。しかし尾張、美濃だけでなく数か国にまたがる巨大な領地を支配する今ではそんなことを言うものはいない。だがその過程での行動を見て苛烈であると感じるものも多かった。そうした噂のみを聞いていた義昌からしてみれば恐ろしいうえによくわからない存在である。

「ここが木曽家を守るための正念場。これをしくじっては今までのこともすべて水の泡になる」

 武田家を裏切ってからこのひと月にも満たない間に義昌は多くのものを失っている。長く庇護してくれた武田家を滅亡させるきっかけを作り母ら人質たちは死んだ。そして何より最愛の妻はどこかに消えてしまっている。

「(真理は木曽の山のどこかに潜んでいるという。できればそのまま静かに暮らしてもらいたいものだ)」

 真理は信玄の娘であるから武田家の一門である。敗者である武田家の者が織田家に捕らえられればどうなるだろうか。信長がどこまで苛烈かわからないが最悪の場合命を失うかも知れない。しかし木曽の山奥に逃れていれば見つかることはないはずであった。信長が義昌に何か言わなければだが。

 ともかく義昌は木曽家のための最期の勝負に挑むのであった。


 諏方で義昌は信長に謁見できることになった。そこで初めてこれからの主君と言える織田信長と顔を合わせる。緊張の一瞬であった。

「此度の戦勝、まったくもってめでたいことにございます。これもすべて信長様の御威光のなせることでしょう。その下につけることを喜ばしく思います」

 義昌はそう口上を述べると献上品の目録を差し出した。小姓からそれを受け取った信長は目録をろくに見ずに小姓に返す。小姓もそれが当然とばかりに目録をもって下がっていった。

 この動きに平伏していた義昌は肝を冷やした。

「(お、お気に召さなかったのか。まさかここで不興を買うとは)」

 別に大喜びしてもらえるとは思っていなかったがあそこまで興味なさげだと気に食わなかったのかとも思う。義昌はここにきてしくじってしまったのかとおびえた。

 信長は無言で義昌を見下ろしている。だがやがて口を引くと何とも威圧感のある感じでこう言った。

「此度の働き、大義である。信忠も大儀であったと言っていた」

「そ、それはありがたき幸せに存じます」

 義昌は顔を上げずに答えた。ゆえに信長の顔は見えない。もっとも信長は無表情で義昌を見下ろしている。

 一瞬沈黙が二人の間で流れた。義昌はこの状況に生きた心地がしない。すると小姓が入ってきて義昌の前に膝をついた。何か書状を持ってきたらしい。

「受け取れ」

 信長は短くそう言う。義昌は急いでそれを受け取った。それを見届けた信長は有無を言わさぬ様子でこう言い放つ。

「木曽谷は安堵とする。それに加えて信濃の二群を貴様にやる。よく差配せよ。それがわかったのなら下がれ」

 義昌は信長の言っている意味をほとんど理解できなかった。だが「下がれ」という部分だけは耳に入ったので非礼にならない最大限の素早さでその場を辞去する。そして家臣たちの前で改めて信長からの書状を見た。そこには木曽谷を安堵することと新たに筑摩、安曇の二群を新たに与えると書かれてある。この内容を見て義昌は信長の発言を思い出した。

「ほ、本当に安堵だけでなく新たな領地を与えられたのか」

 呆然とつぶやく義昌。一方の家臣達は所領安堵どころか加増という形で恩賞が出たことに大喜びする。

「なんと! 信長様は我らの武功をそこまでお認めになられたのか」

「ああ。我らが織田家に従ったことが武田家を打ち倒す呼び水になったことをお喜びになられたのだろう」

「そうなるとまさしく義昌様の行いがたいそう認められたということだ。まったく素晴らしい! 」

 歓喜する家臣達。一方の義昌は喜びよりも安堵が勝っていた。

「とりあえず木曽谷は守れたか。ああ、よかった」

 大きく息を吐きながら安堵する義昌。ともかく自分の一番望んでいたものが手に入ったことを喜ぶのであった。

 こうして木曽家は生き残ることができた。これで木曽谷に平穏が戻ると安堵する。だが義昌の、いやこの時代のすべての人間にとって思いもよらない事件が起き木曽家と義昌は動乱に巻き込まれていくことになる。


 武田家の滅亡の際には多くの領主や家臣が武田家を見限り織田家に降伏しました。特に穴山梅雪の裏切りは著名でしょう。梅雪は義昌と同じく武田信玄からしてみれば婿殿にあたります。ゆえに二人とも敵対勢力との国境を任されていたわけですが、武田家の終焉にあたってはそれらが完全に裏目に出たと言えます。何とも悲しい話ですね。

 さてお家を安泰に導いた義昌ですがある事件のせいでふたたび混乱に巻き込まれます。義昌と木曽家はいったいどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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