木曽義昌 一所懸命 第五章
夫の非情な決意を知った真理は木曽家から出ていった。これで木曽家と武田家は断行となる。義昌は木曽家を守り抜くために自ら戦場に出るのであった。
武田家の軍勢は着々と木曽谷に迫ってきていた。一方で織田家の軍勢は信濃に侵入しほかにも徳川家など織田家に従う勢力が武田領国に進軍しているらしい。
この状況を知った義昌は武田家の軍勢が引き上げる可能性を考えた。複数の方面から攻撃されているのなら一度引き上げて兵力を改めて割り振るかもしれないかもしれなかったからである。もっともそうはならなかったが。
「まだ甲斐に攻め込まれるような状況ではないということか。むしろ先んじて我らを討って織田家の出鼻を挫こうと考えているのかもな」
そうなるともしかしたら武田家の軍勢は思ったより早く来るかもしれない。最悪織田家の手を借りず対処しなければならなかった。
義昌は重臣を集めて自身の考えを述べた。
「ここはあえて織田家の援軍を待たず城を打って出ようと思う」
「そ、それはいささか危険なのでは」
重臣の一人がこういうのに対して重臣の山村良利はこういった。
「広い場所で戦えば数で劣る我らの負けは必然。しかし地の利は我らにある、ということですね、殿」
「ああ、そうだ。それに我らだけで勝とうということではない。相手をひるませて時間を稼げばいいのだ」
そう言って義昌は自分の考えを示した。それを聞いた重臣たちも納得したようである。義昌はその様子に満足するとこう宣言した。
「木曽谷は我ら代々の土地。まずは己の手で守り抜くのだ。そのために皆の力を貸してくれ」
「「応! 」」
家臣たちは力強く応える。義昌はそれに満足げにうなずくのであった。
やがて武田家の軍勢が近づいてきた。軍勢を率いる大将は武田信豊。信玄の弟で片腕であった武田信繁の嫡男。つまりは勝頼のいとこである。
武田信繁という人物はその名を知られた名将である。信玄をよく補佐したが若くして戦死していた。もっと長く生きていれば武田家の栄華ももっと続いたかもしれないと家中でうわさされている。そんな信繁の息子の信豊であるが悲しいかな父親ほどの名将ではなかった。それでも年齢の近いいとこの勝頼を補佐し今では一門の中心人物と言える。それだけに義昌への怒りも強い。
「武田家が窮地の今に裏切るとは。許せんな」
義昌からしてみれば武田家が窮地だから裏切ったのである。もっともそんな義昌の心情を信豊は理解しようともしないしそもそもできるわけがない。ただどちらも己の生きる家を守るために戦っているのである。
信豊が率いる軍勢はおよそ五千。木曽家の全兵力を大きく上回る数である。さらに勝頼が一万の兵を引き連れてくるようであった。しかし信豊は勝頼の到着前に決着をつけるつもりである。
「木曽家の兵は我らに大きく劣る。我らだけで充分だ。それに下手に時をかけるわけにもいかん」
織田家の軍勢が出陣したというのは信豊も聞き及んでいる。それだけに早急に木曽家を討伐しなければならなかった。信豊はそう考えていたのだが実は別の思惑もある。
「ここで武功をあげて我が名を家中や他の国に知らしめて見せる」
信豊はこれまで目立った武功をあげられていない。勝頼の側近として活動はしているが父と比べられて低い評価であった。ゆえにここで何とか自分の名をあげたいと考えていたのである。
そんなこんなで信豊は木曽谷の付近まで到着した。その目の前には険峻である鳥居峠が現れた。ここを越えれば木曽谷である。しかし五千の兵が皆通れるような道ではない。そこで信豊はまず二千の兵で鳥居峠を越えることにした。その際自ら陣頭で指揮を執る。これに検史としてついてきた神保治部小輔は慌てた。
「信豊様。さすがに危険では。大将が先陣を切るというのはどうかと」
「何を言う。大将自ら先陣をきって見せれば兵の士気も上がろうというもの」
信豊は神保の忠告を聞き入れなかった。結局神保も同行し二千の兵を引き連れて鳥居峠を越える。これまで木曽家の攻撃はない。信豊やほかの者たちも皆、木曽家は籠城して織田家の援軍を待っているのだろうと考えていた。だが実際は違う。義昌は自ら出陣し鳥居峠に潜んでいたのである。そして信豊たちが峠を越え一息ついているところに襲い掛かった。
「かかれ! 大将首をあげるのだ! 」
勝機を見出し襲い掛かる義昌たち。一方の信豊たちは予想外の攻撃に混乱した。
「何だ? いったい何が起きたのか」
信豊たちが奇襲を受けたことに気づいたのは攻撃を受けてしばらくしてからだった。すでに三分の一の兵は討たれてしまっている。信豊も負傷した。
「信豊様。お逃げください」
「すまぬ。神保」
神保治部小輔は殿となって攻撃を引き受け戦死した。信豊は生き残っている兵を引き連れて撤退していく。義昌たちの大勝利であった。
信豊率いる武田家軍勢を撃退した義昌たちであったが油断はできなかった。確かに追い返しはしたが三千以上の兵力がある。木曽家の総兵力をゆうに超える数であった。
「織田家の軍勢はどのあたりにいるのか」
義昌としてはできるだけ早く合流して木曽谷の守り万全にしたいところである。しかしなかなか織田家の情報が入ってこなかった。もっとも義昌が武田家の動向を中心の情報を収集しているから仕方のないことである。
やがて義昌の下に織田家の軍勢の動向が入ってきた。なんでも順調に進軍できているらしい。これを伝えに来た織田家の伝令は穏やかにこう言った。
「信忠様からは先だっての戦勝はお見事である。これよりは何も心配することはない。守りを固めて我らの到着を待つように、と」
これに義昌は喜びつつも訝しがる。
「信忠殿率いる軍勢はすでに武田家の領内に入っておられる。なのになぜこんなにも順調に進軍できるのだ? 」
この疑問に伝令は意外な答えを返した。
「木曽様のおかげでございます」
「我らの? どういうことですかな」
「木曽様が武田の軍勢を追い払ったことで、武田の武名はますます下がりました。それゆえに武田は頼みにならぬと我らの旗下に降るものが現れたのです。そのため我らは悠々と進むことができました」
「なんと。そういうことでしたか」
義昌は喜んだ。自分たちの勝利がこんな副次的な効果を発揮したとは思っていなかったからである。
「思わぬ武功を挙げられた。これで万事よい」
武功を挙げられたのならば織田家の覚えもめでたくなるだろう。所領の安堵も果たされるに違いない。義昌は安堵するのであった。
義昌が安堵する一方で武田家は危機感を覚えた。それもそのはずで恐れていた裏切りの連鎖が始まったからである。そして誰よりも危機感を抱いていたのが信豊であった。
「こうなれば時間をかけられない。全軍で木曽谷に攻め入る」
信豊は全軍による総攻撃を決意した。こうして木曽家の命運をかけた戦いが始まるのである。
武田家は残存している兵力のうち三千の兵力を木曽谷に向かわせた。攻撃軍の大将を務めるのは武田家の武将である今福昌和。信豊は自ら出陣し自分が死んでも木曽谷は制圧すると言ってきかなかった。しかし昌和らの説得を受けて思いとどまったのである。
「ここで負ければ武田家に明日はない」
悲壮感のあふれる表情で信豊は言った。これに昌和も大きくうなずく。
「必ずや勝利し木曽谷で信豊様を迎え入れます」
「そうか。頼んだぞ。武田家の命運はお前にかかっている」
「は… ははっ! 」
昌和は多きなプレッシャーを背に木曽谷に向かった。
一方こうした動きを義昌たちも把握していた。
「信豊殿は全軍で攻めかかってくるか。なんにせよ我らのできる手立ては少ないな」
そもそも多大な兵力差がある。そのうえで勝とうとなると地の利を生かすしかない。そしてそれを先だって実行して勝利したわけだが今度はそううまく行きそうにはなかった。前は相手の不意を突くという形になった故に勝利できたわけだがこちらの思惑はすでにバレているだろう。そしてそれでも同じ手しか打てない木曽家の現状も武田家はわかっているはずである。
「やすやすと同じような手で討たれるわけがあるまい。何か策があるか、それとも力押しで来るか」
義昌としては前者も怖いが後者も怖い。後者ならおそらく被害を気にせず攻めかかってくるだろうがそもそも兵力が違う。相手に痛手を与えてもそれ以上の被害が木曽家に出るだろう。
こうなれば頼みの綱は織田家の援軍である。だがこちらに近づいてきているという情報は入るがいつになるかはわからない。
「最悪鳥居峠はあきらめて福島城まで退くべきか」
情勢はこちらに傾きつつあるのだから無理をする理由もない。義昌はそう考えていた。
昌和率いる武田家の軍勢は鳥居峠に殺到した。その速さは尋常なものではない。
「いち早く峠を走り抜けるのだ。ここを抜ければ数で勝る我らが有利」
狭い峠を走るのだから脱落する者も出てくる。だがそれにひるまず武田家の軍勢は突撃してきた。これに義昌も仰天する。
「なんとしてでも我らを打ち倒したいということか。しかし屍を乗り越えて進んでくるとは。ともかく押しとどめなければ」
そう考える義昌であるがすでに武田家の先陣は峠を越えている。そこで峠の先にある青木ヶ原に誘い込むことにした。ここは雪深く動きにくい。もっともそれは両軍同じことであるが。しかし利は木曽家にあった。
「動きにくいのはどちらも同じ。而して我らはこの雪深さになれている」
義昌たちは巧みに動き武田家の軍勢をほんろうした。だが昌和たちも負けてはいない。なんとか耐えしのぎながら後続を待ち木曽家の将兵を返り討ちにする。
「この戦に勝てば潮目は変わる。なんとしてでも木曽家の者共を打ち倒すのだ」
戦いは激しいものとなった。数で劣るとも地の利で勝る木曽家に対し兵力でひたすらに押す武田家。両者の戦いは当初は一進一退の攻防で進む。だが次第に数で勝る武田家に情勢が傾き始めた。義昌もそれを強く感じ取る。
「やはり数の差は覆せないか。だが今から引くのも難しいか」
戦いは敵味方入り乱れる乱戦状態に入っていた。この状態では味方だけ呼び寄せて引き上げるのも難しい。正直退き際を見誤ってしまっていた。
この状況を見かねてか良利が進み出る。
「義昌様。こうなれば我らが切り込みますのでその隙にお味方とともに」
「良利…… だが、この状況でその策も難しいのではないか」
義昌にそう返されて黙る良利。実際良利の手勢も多くが乱戦に加わってしまっている。もっとも良利もそれがわかっていたが、情勢を打破するためにも無理を承知でいったのだ。
こうしている間にも情勢は武田家に傾きつつあった。決断は早くしなければならない。そして義昌は決断した。
「撤退する。良利。殿はお前に任せる」
「承知しました」
二人の主従の間で短く、迅速にとるべき道が決められた。そして両者はすぐにおのれの役目のために動こうとする。だがそこに伝令が駆け込んできた。伝令は義昌にとっての福音を告げる。
「織田家の援軍が参られました! 」
こう伝令が叫ぶのと同時にどこからか鬨の声が聞こえた。木曽、武田の両軍の将兵は突如聞こえた鬨の声に激しく動揺する。そこで義昌はすかさず叫ぶ。
「織田家の援軍が来たぞ! 木曽家の者たちはこの機を逃さず手柄を挙げるのだ! 」
義昌の叫びは青木ヶ原中に響いた。そして木曽家の将兵はここぞとばかりに目の前の時に襲い掛かり、武田家の将兵はこの事態に動揺してしまう。
この好機を義昌は逃さなかった。自ら刀を抜いて乱戦に切り込んだのである。馬上の義昌をみた木曽家の将兵はますます勇躍し敵を切り倒していった。
一方今福昌和は織田家の援軍が到着したのを知るとすぐに号令を出す。
「もはやこれまでだ。皆退くぞ! 」
織田家の援軍がどれほどの数かはわからないがもはや勝ち目はない。こうなれば直ぐに退くべきと昌和は考えていたのである。だがそうは叫ぶが乱戦の状況で武田家の将兵たちにどれほど届いたかどうかは分からなかった。
「(もはやここまでか。どれほどのものが生き残れるか)」
昌和は何とか将兵をまとめ上げて撤退した。この判断が功を奏したのか半数以上の将兵が生き残っている。しかしもはや木曽谷に再び攻め入ることはできない有様であった。
信豊は撤退してきた昌和を責めなかった。
「お前はよくやった。ひとまずは高遠城に逃れて盛信殿に従うのだ。私は勝頼様と合流する」
「承知しました。ご武運を」
「ああ。お前もな」
疲れ切った様子で引き上げる信豊達武田家の将兵。彼らはこの敗北で武田家がさらなる劣勢に、もしくはそれ以上の事態になるであろうということを予期している。それを考えれば引き上げる足取りも重くなるばかりであった。
一方の義昌たちは意気揚々であった。お家滅亡の危機を乗り越えたからである。織田家の援軍からは戦功を称され一度引き上げるようにと命じられた。
「我らの功を認められたのだ。これで木曽家も安泰だ」
激闘の末、自分の家を守ることができた義昌。城に帰るその足取りは軽やかであった。
織田家による武田領国への侵攻作戦、のちの甲州征伐と呼ばれる戦いの始まりです。そして義昌たちの戦いはその最初の戦いと言えるでしょう。しかしのちの世から振り返ってみればこの戦いの前から武田家は滅亡の兆しが出ていたともいえます。ですがそれでも滅亡にあらがうためにあらがう人々もいました。そうした人々のことに関しては次の話になります。
さて何とか木曽谷を守り抜き生き残った義昌。果たして義昌は、木曽家はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




